英語教師のひとりごつ

英語教育について考える。時々ラーメンについて語ることもある。

EFLで学ぶということ

2015-01-27 18:11:54 | 日記
我々日本人は、EFL(English as a foreign language)環境で英語を学ぶ(あるいは指導する)ことが主です。EFLに関しては、そもそも英語を実際に使用するかどうかという環境の面でESL(English as a second language)とは大きく異なります。我々は実際に生活の中で英語を用いる機会が極端に少ないので、当然生徒の動機付けも、授業の中での指導内容や指導方法もESLとはある程度異なるはずです。

動機付けや指導内容の面でいえば、実際に話す機会があるのとないのでは全く異なると思います。例えば、実際に電話をかけてホテルを予約する機会がないのに、そういった場面で英語を学習するのはなかなかやる気が湧かないものです。実際に使う機会があるESLでは、こういう具体的な場面設定が非常に有効である場合が多く、必要に迫られていることが動機付けや指導内容に強く影響することがわかります。ESLでは実際に対象となる生徒のニーズに合った内容であれば、そのぶん動機付けも高まるでしょうし、そもそも必要に迫られていることから生じた外発的動機付けが、実際に運用する経験を経て内発的動機付けに変わっていくことも難しいことではありません。一方、EFLは外発的動機付けを与えることはできても、なかなか内発的動機付けには結びつかない、と思っている先生方も多いでしょう。

続いて指導方法ですが、これもESLとEFLをある程度区別して考える必要があると思います。実際に使う機会の多いESL環境において、音読を繰り返す作業はあまり重要視されません。どちらかといえば、どういうタスクを用いて、実際の場面に近い形で運用し、アウトプット可能な表現を増やしていくのかが重視されます。あるいは指導する内容を重視するイマージョン教育といった極端なものから、CLIL、あるいはCBLTなどの内容中心の言語学習も重要視されています。一方EFLでは、伝統的な文法訳読法や、オーディオリンガルメソッドとよばれる、主にPPP型の指導法が一般的で、これらを適宜組み合わせていくこともあります。

ここで問題にしたいのは、タスクや内容中心の教授法が優れていて、文法訳読法やオーディオリンガルメソッドが劣っている、と短絡的に結びつけることは早計ではないか、という話です。もちろん文法訳読法だけで授業を組み立てていくのは時間と労力のわりに効率が悪いのは間違いないと思いますし、オーディオリンガルメソッドのような機械的なドリル学習を行うことの効果を疑問視する研究が多いことも事実ですが、それらの研究成果のほとんどはESLを対象とした研究成果であることを考慮すべきだと思います。結局のところ、「全くもって和訳に意味はない」とか「機械的なドリルなんかやっても話せるようにはならない」という批判は、EFLにおいては「すべてそれに終始したところで成果は上がらない」ということであって、極端にこれらを完全排除するのには疑問が残ります。

逆に、ESLで注目されているフォーカス・オン・フォームを取り入れることがさも万能薬であるかのような風潮や、タスクを積極的に取り入れる授業がもてはやされすぎるのも危険だと思います。EFLの環境で、タスクやそれに付随する形式指導のみに終始することは、正確なインプットの機会を奪ってしまいかねません。もちろん自分で勉強できるような強く動機付けられた子はそれで英語力が伸びるかもしれませんが、それは全くもって教師の功績ではないということは肝に銘じておくべきです。EFLの環境では、指導すべき事項に関する十分なインプットを元に、タスクを用いたアウトプット活動が行われるべきだと思います。そうすれば生徒の話す不安もある程度は取り除けるでしょう。

また、内容中心教授法(言語自体よりも、学習する内容を指導の重点に置く指導法。しかし多くの場合、その結果として付随的に学習される言語の習得を目的とする)についても、中学校や高校の学習段階では、言語に関する明示的知識と、アウトプット活動などを通して学習される暗示的知識を指導することが十分になされなければ、内容に集中して取り組むことは難しいでしょう。これも「常に内容中心」という立場で考えると、あまり賛成できるものではありません。もっとも、扱う教材に応じて、内容中心で踏み込んで生徒の動機付けを高めることは可能だと思います。例えば最近ニュースになっているイスラム国の記事やニュースを使って指導することは、ほとんどの生徒の興味・関心をひき、やり方によって国際問題について考えるよい機会になると思います。


どの指導法にもよい面と悪い面があり、それを補うために、教材に応じて様々な指導法のよい部分を有機的に取り入れる授業こそよい授業だと思います。いつ、どの、指導法を用いるかを決めるのは教師のセンスによるところが大きいと思いますが、どの生徒にも効く万能薬が存在しないことはおそらく間違いないでしょう。ちなみにEFL環境を考慮してPPP型の指導法を再評価した佐藤他(2015)は、一読すべきだと思います。


【参考文献】
佐藤臨太郎・笠原究・古賀功.(2015).『日本人学習者に合った効果的英語教授法入門ーEFL環境での英語習得の理論と実践』.明治図書.

go to とget toは何が違うのか

2015-01-22 21:32:45 | 日記
go toとget toの違いを理解せずにやり過ごしてしまう生徒は多いと思います。もっともこれらを逆に使ったところで多くの場合問題は起こらないのですが、生徒に質問された時に答えられるようにはしておきたいものです。

まず、生徒がよく書く文から紹介します。

(1)??Could you tell me how to go to the station?

ところで、個人的にはこの文を生徒が作れたことをまず褒めるべきだと思います。見知らぬ人に道を尋ねるのだから、丁寧さに留意してcouldを使うこと、how to 不定詞が正確に使えていること、そして伝えたいことが確実に伝わることがその理由です。しかし、実際にはネイティブスピーカーはこの文を使うことがあまり多くはありません。次のように言うのが一般的です。

(2)Could you tell me how to get to the station?(駅への行き方を教えて頂けますか?)

そこで問題になるのがget toとgo toの違いです。Carter et al.(2011)やSwan(2005)によれば、get toは到着の方に重点が置かれています。一方go toは漠然と行動全体を表しますが、少なくとも到着よりは出発に焦点があると思います。そのことを明らかにするために以下の例を見てみましょう。

(3)I got to Sapporo at 10.
(4)I went to Sapporo at 10.

(3)は到着に焦点があるget toが使われているので「私は10時に札幌に着いた」という意味になり、(4)はどちらかといえば「私は10時に札幌に出かけた」という意味になります。ただし、(4)は文脈次第で到着の意味にも捉えられるでしょうし、ネイティブによって解釈が分かれるかなりあいまいな文です(よってこのような文は使わないことが無難です。もし出発を明確にするならばI left for Sapporo at 10.を使います)。しかし、ネイティブによれば(4)のもっともありうる解釈は「出かけた」という出発の意味であるようです。よってgo toは漠然と行動全体を表し、ゆえに(4)のような文では意味があいまいになるが、(到着より)出発にやや焦点があるといえるでしょう。それを踏まえながら、もう少し例を挙げておきます。

(5)I go to work by car and Lucy goes by train.(私は仕事に車で行き、ルーシーは電車で行っている。)

(6)I usually get there first.(私はたいてい最初にそこに着きます。)(例文はSwan(2005;201)より)

しかし、それだけではこの2つの違いを説明しきれているとはいえません。この2つの使い分けにはもうひとつ、重要な要素があるように思います。Swan(2005)やミントン(2012)にその記述があります。get to(を含む、getが移動の意味になる表現)は、「『目的地に行くまでの過程に何らかの困難が伴う』ことを示す言い方」(ミントン 2012;128)なのです。具体例を見ておきます。

(7)I'm completely broke, so I don't know how I'm going to get to Osaka.(無一文なので、大阪に行こうにも行きようがないんです。)

(8)(地下鉄の駅で)
A: Can I help you?(何かお困りですか?)
B: Yes, please. I'm trying to get to Shibuya.(はい。渋谷に行こうとしてるのですが。)(ミントン(2012;pp128-9)より)

get to以外にもSwan(2005;201)に「目的地へ着くまでの困難が伴う」例として以下の例が挙げられています。

(9)It wasn't easy to get through the crowd.(人混みを通り抜けるのは簡単ではない。)

(10)I don't know how we're going to get over the river.(川をどうやって渡ったらよいかわからない。)

話が少し横道に逸れましたので、get toへ戻します。これらのことから、get toは到着だけでなく、その過程についても焦点がある、といえるでしょう。そう考えれば(2)の文も説明がつきます。(2)は「駅までどのような過程を経てたどり着けばよいか」が問題になっているからです。もう一度、get toとgo toの違いの結論を整理しておきます。

get to: 到着、あるいはその過程に焦点があり、特に過程に焦点がある場合、しばしば困難が伴うことを表す

go to: 漠然と行く行動全体を指すが、どちらかといえば出発に焦点が置かれる

ただ、始めに申し上げた通り、(1)のような程度の不自然さは英語教育の中では許容されるべきだとは思います。ちなみに(1)のような文(Could you tell me how to go to the station?)を許容するネイティブの中には、これは「どのような交通手段(バスか地下鉄か、など)で行けばよいか」を聞く文としては許容される、という意見もありますが、少数派といってよいでしょう。ちなみに(2)は「どの道を通って行けばよいか」と「どの交通手段で行けばよいか」の両方を表すことができます。どちらにしてもインプットとして自然、かつふさわしいのは(1)ではなく(2)であると思います。


【参考文献】
Carter R. McCarthy M. Mark G. and O'Keeffe A.(2011). English Grammer today. Cambridge.
Swan Michael.(2005).Practical English Usage.Oxford.
ミントン T.D.(2012).『日本人の英語表現』.研究社.

旭川 香屋のスープカレー

2015-01-18 13:49:19 | グルメ
旭川のスープカレーもおいしいお店はたくさんありますが、駐車場が狭かったり、お店自体が小さかったりで入りにくいのです。しかし、今日行った香屋(こうや)というお店は、駐車場が広く、店内もおしゃれなカフェのような雰囲気です。注文したのは骨付きチキン&べジータ。

今はやりのスープカレーとは少し違った、不思議な味のスープです。甘味があって最初は戸惑うかもしれませんが、病みつきになります。普通のスープカレーに飽きた時はぜひ。

may wellの正体

2015-01-07 08:15:00 | 日記
以前might(may) as wellについてどのように使われるのかを見てきました。形式が非常に似ているので紛らわしいmay(might) wellとの違いを確認しておく必要が(特に日本ではやたら入試でも問われるので)重要です。may wellの意味は以下のような日本語で表されます。

①おそらく~だろう
②~ももっともだ

なぜこのような意味になるのか、mayとwellの意味を元に考えてみると、簡単に理解できます。これについて説明している文献は江川(1991)、安藤(2005)、大西・マクベイ(2011)、柏野(2010)などがあります。

まず①について。「~かもしれない(may)+十分に(well)」この場合、wellはmayの可能性の度合いを押し上げる働きをしており、よって「おそらく~だろう」みたいな意味になります。

また②について。「~しても差し支えない(may)+十分に(well)」この場合、wellはmayの許可(正当性、容認)の意味を強調しており、よって「~ももっともだ」という意味になります。どちらの意味になるかは文脈次第ですが、①の意味になることが多いことは知っておいた方がよいでしょう。例を挙げておきます。

(1)It may well rain before tonight.(おそらく晩までには雨が降るだろう。)
(2)They may well be proud of their daughter.(彼らが娘さんを誇りに思うのももっともだ。)(例文は江川(1991;144)より)

また、wellは助動詞を強調する働きをしているので、mayやmightだけでなく、canやcouldとともに用いられることもあります。

(3)I can well imagine how happy they were at the good news.(いい知らせを聞いて彼らがどんなに喜んだか、十分に想像できます。)(江川(1991;144)より)

これらは日本では熟語のように覚えさせていますが、単純に助動詞と強調のwellで説明できるため、海外の文献ではほとんど説明されていないか、助動詞を強調するのにwellが使われることがある、程度の短い説明で済ませてしまうことが多いようです。


さて、冬休みももうすぐ終わりです。地元に帰って友人と遊んだりして相当リフレッシュできた一方、これからまた始まる仕事への絶望感がすごいのは生徒と変わりません。次のお盆休みまでまたがんばるしかないですね。


【参考文献】
安藤貞雄.(2005).『現代英文法講義』.開拓社.
江川泰一郎.(1991).『英文法解説』.金子書房.
大西泰斗、ポール・マクベイ.(2011).『一億人の英文法』 東進ブックス.
柏野健次.(2010).『英語語法レファレンス』.三省堂.

札幌 RAMAIのスープカレー

2015-01-04 11:32:00 | グルメ
本当にはずれがないと思うスープカレーの店はそれほど多くはありません。でもRAMAIに関してはボリュームと味の両方を満たしてくれる名店だと思います。

写真はヤサイにチキントッピング、スープ大盛りです。札幌だけでなく旭川にもあるので助かります。

札幌に帰ってのんびりしています。仲間と久しぶりに過ごす時間も大事なんです。でも楽しい時間はあっという間に過ぎてしまうんですよね。はぁ。