英語教師のひとりごつ

英語教育について考える。時々ラーメンについて語ることもある。

定山渓 悠久の宿 白糸

2014-11-27 19:14:00 | 旅行
3連休を利用して定山渓へ行ってきました。こじんまりした旅館なんかもいいかな、なんて思っていたら、「悠久の宿 白糸」という旅館を発見。さっそく予約しました。

まず部屋は古い旅館なのにしっかり手入れや改装されており、清潔感があります。そして温泉は、定山渓では珍しく源泉かけ流しらしく、大浴場は普通ですが、露天風呂はなかなかキレイで味があります。

そして料理は本当においしいです!


ボリュームも多いので、大満足でした。さらには接客も非常に丁寧で好感が持てました。本当にのんびり過ごせて最高の時間でした。また来たいと思います。

自分の授業見てもらうという刺激

2014-11-19 21:21:43 | 日記
人の授業を見るのが一番勉強になりますが、自分の授業を見てもらうのは、日々の授業のよい刺激になります。新たな学校では初めてたくさんの、いろいろな教科の先生方に来ていただいて公開授業をする機会があり、更なる向上心が湧いてきました。自分に足りないものが何なのか、授業をやりながら客観的に見つめていました。

まず、十分な内容のインプットやインテイクを与えてやることがとにかく大事だと改めて思いました。この場合の「十分な」という言葉がどの程度を指すのかはあまり定かではありませんが、私の印象では、読む(聴く)量はできる限り多い方がよいに決まっているし、難しいものよりも比較的簡単なもの(ほとんどの語を辞書なしで理解できる程度のもの)の方がモチベーションも維持しやすいと思います。また、音読をさせるならいろいろな仕掛けを作りながら10回程度は同じ文章を読ませたい、という印象があります。これが漠然とですが「十分な」の私なりの考えです。もっとも、今後考えが変わるかもしれませんが。

また、語彙を増やしたいならまずは日本語でしっかり語彙を覚えることです。覚え方の理想はたくさんの例文に触れることですが、現実的な方法はとりあえず代表的な例文は最低でも暗記しておくことだと思います。そして思い出す作業を増やすのが、記憶に残す一番の方法。時間を惜しまず、毎回ペアワークや小テストでアウトプットする(この場合のアウトプットはSLAのアウトプットとは異なり、知識の出力、程度の意味です)ことが大事だと思います。

また、生徒が生き生き活動するために、いかに工夫して授業を導入するかも大事だと思います。導入で失敗すると、大概その授業は失敗します。「今日は声が出ないな」や「あまり生徒がのってないな」と思ったら、ゲーム的な要素を取り入れながら進めることも重要です。とにかく毎回の授業に食いつかせるためにどう工夫するのか、その引き出しを増やしたいものです。

もうひとつ、最近脚光を浴びているRetellingについて。Retellingとは例えば教科書などで読んだ内容を、最終的にスクリプトを見ずにそれを相手に伝える、という活動です。これはある意味では教科書の内容に関する究極のアウトプットであると思います。私も各レッスンの締めに必ずRetellingを行いますが、これは生徒の理解度が測れるというメリットもあります。しかし、単純なRetellingを繰り返すことで生徒がモチベーションを維持できるでしょうか。もう少し工夫できないか、と思います。例えば私は、「そのレッスンに登場した人物になったと家仮定して、教科書の内容をうちの高校で講演会を開いて話すとしたらどう話すか」などの場面を設定してやらせています。そうすると、どう話始めるか、生徒はそれぞれの場面に応じて考えてくるので毎回違ったRetellingとなり楽しくなります。

また、Retellingが毎回のレッスンに必ず必要なのか、もっといえば他のまとめのタスクとしてふさわしいものがある場合もある(日本語がおかしいですが)と思いますが、これに関してはまた別の機会に改めて考えます。

さらにもうひとつ。文法指導について。明示的指導か、暗示的指導か、なんて二者択一をせまるつもりはさらさらありません。ただ、やたらと暗示的指導に偏るのがよくないことは確かです。かといって明示的指導を長々したからといってより理解が進むともいえず、結局は両者のバランスの問題であると思います。 最近の誉められる授業は、暗示的指導の方みたいですが、それに果たしてどれだけの根拠があるのかはかなり疑問ですし、説明することで容易になる理解をわざわざしない理由はないでしょう。結局、諸悪の根源として槍玉にあげられている明示的指導は説明の量と質、そしてタイミングの問題として取り上げるべきではないでしょうか。

最後に、他教科の先生は「All Englishですごいですね」と言いますが、私としては場面に応じて日本語も必要だと思いますので、そこに然したる執着はありません。まぁ文法説明以外の表現には慣れてほしい、といった程度の意気込みです。私の英語が生徒のよいインプットになるならば、CDを聴き続けた方がよっぽどよいインプットになるでしょうから。ただ、生徒に英語を話させるのに肝心の教師が日本語だけ、ではいけないとは思います。少しずつ授業で使う英語の割合を増やしていけば生徒も案外容易く順応するでしょう。結局はこれも使い分けが大事、というのが今のところの私の結論です。あ、またこの話題に触れてしまった。。。