もずの独り言・goo版

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【みんな生きている】泉田裕彦編/NHK[新潟]

2015-05-31 06:06:24 | 日記
《拉致は人権侵害の総本山!泉田知事、北朝鮮に賠償請求するよう国へ提案検討》

新潟県の泉田裕彦知事は5月27日の定例会見で、北朝鮮が拉致被害者の再調査に合意してから今月で1年となるなか、解決への進展が見えないことについて、

「問題を実際に早く動かす戦略を考える必要がある」

と述べ、国への提案を検討していることを明らかにしました。
北朝鮮による日本人の拉致問題を巡っては、去年5月、日・朝政府間協議で、北朝鮮側が拉致被害者を含むすべての日本人を対象にした全面的な調査を行うことで合意しました。
しかし、合意から今月で1年となるなか、問題解決に向けた進展は見えていません。
これについて泉田知事は定例会見で、

「国際関係が背景にある交渉であり、国家間の駆け引きの中で翻弄されているというのがこの1年の感想だ。どの国と話をしながら交渉を進めていくか、緻密な戦略を立てないと難しい局面にある」

と述べ、拉致問題の解決には関係各国との協力が重要だとする考えを改めて強調しました。
そのうえで、

「被害者家族に残された時間が短くなるなか、問題を実際に早く動かす戦略を考える必要がある」

と述べ、北朝鮮側への賠償請求等の対応を国に提案することを県として検討していることを明らかにしました。



◆昭和53(1978)年8月12日
母娘拉致容疑事案
被害者:曽我ひとみさん(拉致被害時19歳)
被害者:曽我ミヨシさん(拉致被害時46歳)
「2人で買い物に行く」と言って出かけて以来失踪。
ひとみさんは平成14年10月日本に帰国。
ひとみさんの夫(ジェンキンス氏=アメリカ人)と2人の娘も平成16年7月に渡日・帰国。
北朝鮮側は、曽我ミヨシさんは北朝鮮に入境していないとしている。
捜査当局は、拉致実行犯である北朝鮮工作員・通称キム・ミョンスクについて、平成18年11月に逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求している。

◆昭和53(1978)年7月31日
アベック拉致容疑事案
被害者:蓮池 薫さん(拉致被害時20歳)
被害者:蓮池祐木子さん(旧姓奥土)(拉致被害時22歳)
蓮池さんは「ちょっと出かける。すぐ帰る」と言って外出したまま失踪。同様に奥土さんも外出したまま失踪。
2人は昭和55年に結婚。平成14年10月に日本に帰国。
娘1人と息子1人は平成16年5月に帰国。
捜査当局は、拉致実行犯である北朝鮮工作員・通称チェ・スンチョルについて平成18年2月に、また、共犯者である自称韓明一(ハン・ミョンイル)こと通称ハン・クムニョン及び通称キム・ナムジンについて平成19年2月にそれぞれ逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求している。

◆昭和52(1977)年11月15日
少女拉致容疑事案
被害者:横田めぐみさん(拉致被害時13歳)
新潟市において下校途中に失踪。
平成16年11月に開催された第3回実務者協議において、北朝鮮側はめぐみさんが1994(平成6)年4月に死亡したとし「遺骨」を提出したが、めぐみさんの「遺骨」とされた骨の一部からは同人のものとは異なるDNAが検出されたとの鑑定結果を得た。
平成18年4月には日本政府の実施したDNA検査により、横田めぐみさんの夫が昭和53年に韓国より拉致された当時高校生の韓国人拉致被害者・金英男(キム・ヨンナム)氏である可能性が高いことが判明した。

※「白い翼でも黒い翼でも、赤い翼でも青い翼でも、何でも結構なんで、帰って来られる翼をめぐみに与えてほしい」
(横田早紀江さん。拉致被害者・横田めぐみさんの母)
※「正義は必ず勝つ、と私は信じていますので、あとしばらくお力をお貸しください」
(横田哲也さん。拉致被害者・横田めぐみさんの弟)

《特定失踪者・金 姫順さんについて》
◆氏名:金 姫順
(キム・ヒスン)
◆別名:金村 英子
(かねむらえいこ)
◆失踪年月日:昭和37(1962)年1月
◆生年月日:昭和17(1942)年10月2日
◆性別:女性
◆当時の年齢:19歳
◆身長:156cm
◆当時の身分:専門学校生
◆当時の住所:兵庫県神戸市中央区元町通
◆失踪場所:新潟県もしくは富山県

【失踪状況】
友人2人と神戸市内の自宅から家出した。その後友人2人は帰ってきた。
新潟もしくは富山にいたようだ。そこで「良い仕事があるので一緒に行かないか」と誘われ、友人たちは断って帰ったが、英子さんはついていったという。
仕事の内容は不明。
過去に一度家出したことがある。
山田英子と名乗っていたこともある。
失踪から1~2年の間は無言電話があった。「英子」と呼びかけても返答が無かった。

《特定失踪者・藤田 進さんについて》
※埼玉県川口市の藤田 進さんとは別人
◆氏名:藤田 進
(ふじたすすむ)
◆失踪年月日:昭和40(1965)年3月26日
◆生年月日:昭和23(1948)年3月25日
◆性別:男
◆当時の年齢:17歳
◆身長:160cm
◆当時の身分:新潟県立糸魚川高校1年生(休学中)
◆当時の住所:新潟県糸魚川市
◆特徴:
1)おとなしい性格
2)やせ形
3)眼鏡せず
4)前歯がケガで欠けたのでつないでいる
◆失踪場所:信越・新潟県西頸城郡青海町内、自宅から15分、海岸から5分位の映画館

【失踪状況】
自宅から徒歩15分ほどの映画館で開かれる演奏会に、一人で歩いて出かけた。猛吹雪だった。
学生服の上にブルーのアノラックを着ていた。
高校は休学中で登校拒否のようだった。

《特定失踪者・大澤孝司さんについて》
◆氏名:大澤 孝司
(おおさわたかし)
◆失踪年月日:昭和49(1974)年2月24日
◆生年月日:昭和21(1946)年6月21日
◆性別:男
◆当時の年齢:27歳
◆当時の身分:新潟県佐渡農地事務所勤務
◆当時の住所:新潟県佐渡市
◆失踪場所:新潟県佐渡郡新穂村

【失踪状況】
自宅独身寮から約400m離れた飲食店で夕食を済ませ、知人宅に寄った後行方不明。
当時事務所には50人~60人が勤務、うち15人~20人程度が本土から単身赴任で来ていた。
失踪時期は観光がオフシーズンだったため、最も忙しい時期に拉致された曽我ひとみさん母子と違い警察もかなり大規模に捜査してくれた。
事務所では失踪後まもなく「あれは北朝鮮にやられたのではないか」との話で持ちきりになったが、やがてぴたりと止んだという。
元同僚の話では「失踪の2~3日前、一緒の船で新潟から帰ってきた。船中では飲む話、食べる話などをしていて自殺や失踪のそぶりは全くなかった」とのこと。
北朝鮮製と思われるマッチが寮の前あたりに落ちていたという。
平成16年1月29日、新潟県警に告発状提出。

《特定失踪者・山本美保さんについて》
◆氏名:山本 美保
(やまもとみほ)
◆失踪年月日:昭和59(1984)年6月4日
◆生年月日:昭和39(1964)年3月3日
◆性別:女性
◆当時の年齢:20歳
◆身長:160cm
◆体重:51kg
◆当時の身分:大学受験生(元看護学校生)
◆当時の住所:山梨県甲府市
◆特徴:
1)左目の下に3針縫った跡
2)左手にしもやけの軽いケロイド
◆靴のサイズ:23.5cm
◆失踪場所:山梨県甲府市の自宅を出て以来消息不明

【失踪状況】
「図書館に行く」と言ってバイクで出かけたまま失踪。甲府駅前にバイクが置かれているのが発見された。
4日後、新潟県柏崎市荒浜海岸にセカンドバックが落ちていたとの連絡。
失踪半年後の11月6日から無言電話が4年半ほど続く。
無言電話はほとんど数秒で切れるものだったが、失踪から3年4ヶ月後と3年6ヶ月後の2回の電話は10分~15分ほど続き、相手はじっと聞いている様子だった。
3年6ヶ月後の電話はすすり泣くような声が聞かれた。
平成16年1月29日、山梨県警に告発状提出。

《特定失踪者・中村三奈子さんについて》
◆氏名:中村 三奈子
(なかむらみなこ)
◆失踪年月日:平成10(1998)年4月6日
◆生年月日:昭和54(1979)年9月18日
◆性別:女性
◆当時の年齢:18歳
◆身長:163cm
◆体重:56Kg
◆当時の身分:高校を卒業して予備校に行く準備中
◆当時の住所:新潟県長岡市
◆特徴
1)硬式テニスをやっている
2)その他のスポーツも好き
3)色白、えくぼがある
◆足のサイズ:24cm
◆失踪場所:新潟県長岡市の自宅

【失踪状況】
4月6日午前中、予備校に入学金50万円を納めに行く予定がそのまま帰宅しない。
後日入学金の中から「3万円借ります」というメモとともに47万円が見つかる。
身支度は普段着のまま。持ち物は自分の白い財布だけ。所持金は5万円~8万円程度と思われる。
通常出かけるときは自転車を利用するがこのときは置いていった。
3月25日に自らパスポートを申請し、4月3日交付。長岡ではなく新潟の旅券センターまで行っている。
大韓航空で出国状況を問い合わせると、7日9時にソウルへ出国していた。搭乗券を購入していた旅行会社によると、中村三奈子の名前で中年のハスキーな声の女性で搭乗券の依頼あり。
旅行は慣れているので新潟空港で出発当日搭乗券を受け取る。帰りの便やホテルは必要ないと言った。
出発当日の朝、中村三奈子の名前で派手なブラウスを着た女性に搭乗券を渡したとのこと。

《新潟県警公開特定失踪者・渡邉浩成さんについて》
◆氏名:渡邉 浩成
(わたなべひろまさ)
◆当時の年齢:23歳(昭和60年当時)
◆当時の住所:愛知県名古屋市中区
◆新潟県三条市出身
◆当時の職業:郵便局員
◆身長:170㎝くらい

【失踪状況】
昭和60年12月、岐阜県岐阜市の職場を出た後、行方不明になっています。



【拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日(キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員の辛光洙(シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県の曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。

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【みんな生きている】横田めぐみさん/NHK[首都圏]

2015-05-31 06:02:23 | 日記
《拉致は人権侵害の総本山!横田めぐみさんを救出しろ!》

北朝鮮が拉致被害者等の調査を約束した日・朝政府間合意の発表から5月29日で1年になります。
進展がない中、拉致被害者の家族の間には北朝鮮がこれまでの死亡説明をくり返し幕引きを図ろうとしているのではないかという警戒感も強まっていて、政府に対し、すべての被害者の帰国の実現に向けた交渉を求めていくことにしています。
拉致問題を巡っては、北朝鮮が拉致被害者等の調査を約束した日・朝政府間合意の発表から29日で1年になりますが、帰国につながる進展はなく、調査が終わるとされる7月まで1か月余りとなっています。
拉致被害者の家族は、北朝鮮の指導部が「被害者8人は死亡した」というこれまでの説明を覆し、すべての拉致被害者を帰す決断をするのかが最大の焦点だとして、期待と不安両方の思いを抱えながら推移を見守っています。
しかし、合意から1年が経っても事態が膠着する中、被害者家族の間には、北朝鮮が調査の結果だとして生存者の存在を隠して死亡説明をくり返し、幕引きを図ろうとしているのではないかという警戒感も強まっています。
このため、日・朝間の駆け引きが活発化するとみられるこれから7月にかけてが解決に向けた正念場だとして、日本政府が

▽拉致被害者の帰国を譲らない姿勢を貫くのか注視するとともに、
▽帰国の実現に重点を置いた粘り強い交渉を求めていくこと

にしています。


■いい加減な報告を受け入れてはいけない

横田めぐみさんの両親が合意から1年になるのに合わせてインタビューに応じ今の心境を語りました。
この中で母親の早紀江さん(79歳)は

「この1年は今までで一番しんどいというのが実感です。こんな大事なことが何十年も放置され、まだ助けられないのは大きな間違いだと思っています。大切な命を早く救い出してほしい」

と話しました。
その上で、北朝鮮の信憑性が疑われる調査結果に振り回されてきた過去の経緯を踏まえ

「北朝鮮は今まで『被害者8人は死亡していて拉致問題は終わったんだ』と言っていて、今回も、そういう形で報告してくるかもしれない。政府は、いい加減な報告を『こうだったんですか』と、絶対受け入れてはいけないし翻して頂きたい」

と求めました。
北朝鮮に対しては

「金正恩(キム・ジョンウン)第1書記が早く素直な気持ちになって、『父親の金正日(キム・ジョンイル)総書記が戦略的に行ったことで被害者は元気でいる』と公にし、すんなり帰国させてほしい。金第1書記が人間的な気持ちを持てば、北朝鮮もずいぶん変わるのではと思っています」

と話しました。
父親の滋さん(82歳)は

「北朝鮮は拉致した人のことを分かっていると思うので、これまで『死亡した』と言ってきた被害者を『実は生きていたんだ』という形で出してほしい」

と求めました。
最後に、早紀江さんは

「子どもたちが元気で帰って来ると信じています。帰国した被害者がタラップを降りてくる姿を忘れることはできません。今度、被害者みんなが帰って来る時は、たとえ自分が杖にすがっていてもその場に行って、本当によかったねって言ってあげたい。その日まで元気でいたい」

と救出への決意を語りました。

◆昭和52(1977)年11月15日
少女拉致容疑事案
被害者:横田めぐみさん(拉致被害時13歳)
新潟市において下校途中に失踪。
平成16年11月に開催された第3回実務者協議において、北朝鮮側はめぐみさんが1994(平成6)年4月に死亡したとし「遺骨」を提出したが、めぐみさんの「遺骨」とされた骨の一部からは同人のものとは異なるDNAが検出されたとの鑑定結果を得た。
平成18年4月には日本政府の実施したDNA検査により、横田めぐみさんの夫が昭和53年に韓国より拉致された当時高校生の韓国人拉致被害者・金英男(キム・ヨンナム)氏である可能性が高いことが判明した。

※「白い翼でも黒い翼でも、赤い翼でも青い翼でも、何でも結構なんで、帰って来られる翼をめぐみに与えてほしい」
(横田早紀江さん。拉致被害者・横田めぐみさんの母)
※「正義は必ず勝つ、と私は信じていますので、あとしばらくお力をお貸しください」
(横田哲也さん。拉致被害者・横田めぐみさんの弟)

《特定失踪者・宮澤康男さんについて》
◆氏名:宮澤 康男
(みやざわやすお)
◆失踪年月日:昭和35(1960)年9月21日
◆生年月日:昭和17(1942)年10月20日
◆性別:男
◆当時の年齢:17歳
◆身長:168cm
◆体重:57kg
◆当時の身分:製パン手伝い・定時制高校在学
◆当時の住所:東京都台東区の会社の寮
◆失踪場所:東京都台東区

【失踪状況】
東京都台東区上野の勤務先(製パン業者)の宿舎から失踪。
不確定ではあるが複数の目撃証言がある。
バレーボール部に所属。

《特定失踪者・早坂勝男さんについて》
◆氏名:早坂 勝男
(はやさかかつお)
◆失踪年月日:昭和43(1968)年4月頃
◆生年月日:昭和19(1944)年1月22日
◆性別:男
◆当時の年齢:24歳
◆当時の住所:東京都墨田区石原
◆身長:156cm
◆体重:55kg
◆血液型:A型かO型
◆当時の身分:印刷会社社員
◆特徴:印刷の仕事で指を怪我し、親指と人さし指がやや変形している
◆失踪場所:東京都墨田区

【失踪状況】
墨田区の下宿先から失踪。
正月に兄弟とその家族7人で過ごしている。別の兄の話によると2月か3月にケガで入院した。
失踪後数ヶ月して、会社から本人の友人に荷物を引き取ってくれと電話ある。

《特定失踪者・生島孝子さんについて》
◆氏名:生島 孝子
(いくしまたかこ)
◆失踪年月日:昭和47(1972)年11月1日
◆生年月日:昭和16(1941)年6月14日
◆性別:女性
◆当時の年齢:31歳
◆当時の身分:東京都港区役所麻布支所交換手
◆失踪場所:東京都渋谷区

【失踪状況】
当日、一日の年休届けを出し勤め先を休む。
朝、同居していた妹に「夕方に電話があったら出かける」と言っていた。
衣類の入れ替えをし、夕方クリーニング店に衣類を出している。
孝子さんは翌日出勤時に着る服を揃えておいて出かけていた。その夜何の連絡もなく帰宅せず。
翌2日夜、自宅に電話があり、しばらく無言の後、「今更仕方ないだろ」と男性の声とともに切れた。
平成16年9月29日、警視庁に告発状提出。

《特定失踪者・後藤美香さんについて》
◆氏名:後藤 美香
(ごとうみか)
◆失踪年月日:平成13(2001)年9月13日
◆生年月日:昭和46(1971)年7月13日
◆性別:女性
◆当時の年齢:30歳
◆身長:153cm
◆当時の身分:家事手伝い
◆失踪場所:東京都

【失踪状況】
東京都江東区の自宅を出たまま行方不明に。

《新潟県警・愛知県警公開特定失踪者・渡邉浩成さんについて》
◆氏名:渡邉 浩成
(わたなべひろまさ)
◆当時の年齢:23歳(昭和60年当時)
◆当時の住所:愛知県名古屋市中区
◆新潟県三条市出身
◆当時の職業:郵便局員
◆身長:170㎝くらい

【失踪状況】
昭和60年12月、岐阜県岐阜市の職場を出た後、行方不明になっています。



【拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日(キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員の辛光洙(シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県の曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。

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【みんな生きている】塚腰義正さん/NHK[岐阜]

2015-05-31 05:58:24 | 日記
《拉致は人権侵害の総本山!塚腰義正さんを救出しろ!》

北朝鮮が拉致被害者等の調査を約束した日・朝政府間合意の発表から5月29日で1年となりますが、帰国につながる進展が見えない中、岐阜県内の特定失踪者の家族からは、依然として失踪者との再会に望みをつなぐ声が聞かれました。
日・朝政府間協議で北朝鮮が、拉致被害者を含む行方不明者、いわゆる特定失踪者たちの調査を約束した、合意の発表から29日で1年が経過します。
しかし、依然として失踪者の帰国につながる進展はありません。
こうした中、昭和48年に海外旅行先のパキスタンで消息を絶った高山市出身の特定失踪者・塚腰義正さん(当時24歳)の家族は、依然として義正さんとの再会に望みをつないでいます。
塚腰さんの姉・下垣内知代子さん(68歳)はNHKの取材に対し

「諦めに近い気持ちもありますが、交渉が良い方向に進むよう願っています」

と話しています。
また、下垣内さんは、再会を待ち望んでいた、下垣内さんとは別の義正さんのもう一人の姉が、先月亡くなったことを打ち明けたうえで、

「姉が義正に再会できなかったことがとても残念です」

と話していました。

《特定失踪者・塚腰義正さんについて》
◆氏名:塚腰 義正
(つかごしよしまさ)
◆失踪年月日:昭和48(1973)年11月
◆生年月日:昭和24(1949)年8月26日
◆性別:男
◆当時の年齢:24歳
◆身長:163cm
◆体重:58kg
◆当時の身分:大学生(東京経済大学3年生)
◆特徴:
1)髪はくせ毛
2)左足の甲と脛に2歳の時の火傷の痕がある
◆失踪場所:パキスタン・クエッタか?

【失踪状況】
同年6月、東京を出発して東南アジア一周を目指し1人で旅に出る。
フィンランド、西ドイツ、フランス、イタリア、トルコ、イランなど20カ国を廻り、パキスタン1973年11月8日付の便りを最後に消息を絶つ。
予定ではパキスタン、インド、タイ、ベトナム、シンガポールを経て1974年1月に帰国すると便りにあった。

《特定失踪者・尾方 晃さんについて》
◆氏名:尾方 晃
(おがたあきら)
◆失踪年月日:昭和54(1979)年2月14日
◆生年月日:昭和30(1950)年12月12日
◆性別:男
◆当時の年齢:23歳
◆身長:168cm
◆体重:65kg
◆当時の身分:立命館大学学生
◆当時の住所:京都市北区
◆特徴:
1)右胸部と右背中に右胸部にリンパ腺炎の縦型の手術跡あり
2)右手中指第3関節の骨が突起している
◆失踪場所:京都府京都市

【失踪状況】
京都市北区の下宿先から失踪。
直前の正月には郷里の岐阜に帰省した。
その後アルバイト先から実家に「アルバイト代を払いたいが、家へ帰っていないか」と電話。
家族が下宿先に行くと、荷物やお金がそのまま残されていた。
2月13日に預金を引き出した形跡がある。

《特定失踪者・林 雅俊さんについて》
◆氏名:林 雅俊
(はやしまさとし)
◆失踪年月日:平成10(1998)年5月12日
◆生年月日:昭和50(1975)年1月20日
◆性別:男
◆当時の年齢:23歳
◆身長:169cm
◆体重:50kg
◆当時の身分:岐阜大学大学院生(土木科)
◆当時の住所:岐阜県不破郡垂井町
◆失踪場所:福井県丹生郡越前町梅浦の海岸

【失踪状況】
午前9時頃いつもどおりに大学へ車で向かった。22時30分に大学の指導スタッフと別れる。
この日の夜は帰宅しなかった。それまでも卒論などで朝帰りや泊まり込みがあったので帰宅しなくても不思議ではなかった。
5月13日福井県越前町の海岸に車が止まっているとの電話が四ケ浦駐在所から自宅にある。
車は海岸の釣り場に下りて行くところ(本人は釣りはやらない)で、下りて行く道を塞いだように停まっていた。当日早朝から止めてあった模様。
ドアはロックしてあり、中にパソコン、財布、免許証などすべて置いてあった。座席のリクライニングは倒れていた。
パソコンには次のようなメッセージが残されていた。

[いやあ、もう疲れちゃったよ
少し道をはずしてしまったような気がする
何も考えずにここまできてしまった
このままゼネコンへ入ったとしてもやっていく自信はぜんぜんありません
修論も考えるとぞっとします
今までさんざんわがまま言ってごめんね
先生にもよろしく
このパソコンは○○さんにあげます
本当にすんません]

メッセージの残された時間は13日午前2時04分だったが、友人の証言や多数の遺書を見てきた川人 博弁護士の見解など、本人のものでない可能性が少なくない。
その後無言電話が1~2カ月間続いた。
1回女性の声で「雅俊さんいませんか」という電話があった。
車が置いてあった場所は山下 貢さんの車が置いてあった場所から直線距離で10キロほどのところで、置かれていた状況も類似している。
また、北朝鮮にいるとの不確定情報がある。

《特定失踪者・山下 貢さんについて》
◆氏名:山下 貢
(やましたみつぐ)
◆失踪年月日:平成元(1989)年12月27日
◆生年月日:昭和25(1950)年7月5日
◆性別:男
◆当時の年齢:39歳
◆当時の身分:作業員
◆当時の住所:福井県敦賀市
◆特徴:
1)くせ毛
2)右利き
3)腰部に縦20cmの手術痕
◆失踪場所:福井県越前町

【失踪状況】
失踪当日早朝4時頃、釣り道具を持って「魚を釣ってくる」と実家を出て失踪。
越前町午房が平の国道305号線沿い(通称・よびかけ地蔵)に車が発見される。
岩場に餌箱が残されていたが、遺体はもちろん釣り竿、その他の遺留品も未発見。
車は鍵がかかっており、車内に長靴・食べかけのおにぎり・免許証等が残される。
当時海は穏やか、浜育ちの本人は泳ぎ達者。
当時の所轄だった丹生警察署の調べでは

1)交通事故の可能性はない
2)自殺する動機は見当たらない
3)岩場から転落した形跡は認められない
4)付近一帯の検分・捜索の結果何も見つからず

失踪後数年経った頃、本人の自宅や実家などに無言電話や不審な電話がかかる。

《岐阜県警公開特定失踪者・鷲見孝司さんについて》
◆氏名:鷲見 孝司
(すみたかし)
◆当時の年齢:27歳(昭和47年当時)
◆当時の住所:愛知県名古屋市中村区宿跡町
◆職業:自営業(給排水工事業)
◆身長160cmくらい
◆特徴:中肉

【失踪状況】
昭和47(1972)年3月3日、自宅から「仕事の集金に行く」と言って外出した後、行方不明となっています。

《新潟県警・愛知県警公開特定失踪者・渡邉浩成さんについて》
◆氏名:渡邉 浩成
(わたなべひろまさ)
◆当時の年齢:23歳(昭和60年当時)
◆当時の住所:愛知県名古屋市中区
◆新潟県三条市出身
◆当時の職業:郵便局員
◆身長:170㎝くらい

【失踪状況】
昭和60年12月、岐阜県岐阜市の職場を出た後、行方不明になっています。



【拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日(キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員の辛光洙(シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県の曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。

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【みんな生きている】松本京子さん/NHK[鳥取]

2015-05-31 05:54:27 | 日記
《拉致は人権侵害の総本山!松本京子さんを救出しろ!》

北朝鮮が拉致被害者等の調査を約束した日・朝政府間合意の発表から5月29日で1年になります。
具体的な進展がみられないなか、鳥取県米子市の拉致被害者・松本京子さんの兄の孟さんは

「妹が無事に日本に帰ってこられることだけをひたすら願っている」

と話しています。
拉致問題を巡っては、北朝鮮が拉致被害者等の調査を約束した日・朝政府間合意の発表から29日で1年になりますが、帰国につながる進展はなく、調査を終えるとされる7月まで1か月余りとなっています。
米子市の拉致被害者、松本京子さんの兄の孟さんは問題解決に向けさらに力を尽くしたい等として今年3月に勤務先を退職し、拉致問題の全面解決を訴えてきました。
具体的な進展がみられないなか孟さんは

「妹の帰国実現への期待がこれまでになく高まった分、なぜこんなに進まないのかという失望感が大きい」

と話しています。
その上で

「妹が無事に日本に帰ってこられることだけをひたすら願っている。私も最後の力を振り絞って支援を呼びかけていきたい」

として38年ぶりの京子さんの帰国実現の朗報を期待しています。

◆昭和52(1977)年10月21日
女性拉致容疑事案
被害者:松本京子さん(拉致被害時29歳)
自宅近くの編み物教室に向かったまま失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において、我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において、北朝鮮側より、北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成18年11月に松本京子さんが拉致認定されて以降政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

《特定失踪者・古都瑞子さんについて》
◆氏名:古都 瑞子
(ふるいちみずこ)
◆通称:古都 洋子
(ふるいちようこ)
◆失踪年月日:昭和52(1977)年11月14日
◆生年月日:昭和5(1930)年4月8日
◆性別:女性
◆当時の年齢:47歳
◆身長:148cm
◆体重:45kg
◆当時の身分:皆生温泉の中居
◆当時の住所:鳥取県米子市
◆特徴:色白で面長
◆靴のサイズ:23.5cm
◆失踪場所:鳥取県米子市皆生温泉街またはその周辺

【失踪状況】
午後9時に旅館での仕事を終え一時帰宅。
その後普段着に着替え出かける。
自宅には近く東京へ行く切符や、ハンドバッグ、現金、常に持ち歩いていたポケベルも置いたまま。
北朝鮮から脱北した元踊子による目撃証言がある。
平成19年8月21日、米子警察署に告発状を提出。

《特定失踪者・広田公一さんについて》
◆氏名:広田 公一
(ひろたこういち)
◆失踪年月日:昭和59(1984)年7月21日
◆生年月日:昭和29(1954)年1月21日
◆性別:男
◆当時の年齢:30歳
◆当時の身分:団体職員
◆失踪場所:鳥取県大山

【失踪状況】
鳥取県大山登山に一人で出かけ、車は大山登山口南川原駐車場に停めたまま失踪。
車に午後6時20分到着のメモを残す。
車内で仮眠したものとして米子警察遭難救助隊が捜索を1週間続けるが手がかりなし。
警察犬は大山寺経堂まで行くがそこからは進まなかった。

《特定失踪者・矢倉富康さんについて》
◆氏名:矢倉 富康
(やくらとみやす)
◆失踪年月日:昭和63(1988)年8月2日
◆生年月日:昭和26(1951)年11月23日
◆性別:男
当時の年齢:36歳
◆身長:165cm~170cmくらい
◆当時の身分:漁師(元エンジニア)
◆当時の住所:鳥取県米子市
◆失踪場所:鳥取県美保関と隠岐島の中間地点で漁をする予定だった

【失踪状況】
一人で漁に出発して翌3日朝6時に帰港する予定だったが行方不明。
海上保安庁と漁業組合全員が操業を中止して操業海域を捜索したが手がかりなし。
8月10日に海上保安庁が竹島沖南南東25kmで漁船を発見したが、本人の姿はなかった。
左舷前方に他の船と衝突した痕跡があり、青い塗料が付着していた。
昭和59年まで軍事転用可能な精密工作機械を製作していた優秀なエンジニアで、技術指導のために韓国や東欧を含む欧米などへも頻繁に出張していた。

《特定失踪者・上田英司さんについて》
◆氏名:上田 英司
(うえだえいじ)
◆失踪年月日:昭和44(1969)年11月4日
◆生年月日:昭和24(1949)年7月25日
◆性別:男
◆当時の年齢:20歳
◆身長:175cm
◆当時の身分:予備校生でアルバイト勤務
◆当時の住所:東京都渋谷区
◆鳥取県西伯郡伯耆町出身
◆特徴:読書が趣味
◆失踪場所:東京都または京都府

【失踪状況】
失踪当日「京都へ行ってくる」と家主に言い残して東京都内の下宿を出て行ったまま行方不明に。
黒いコートを着て、荷物は紙袋一つだったという。

《鳥取県警公開特定失踪者・木町勇人さんについて》
◆氏名:木町 勇人
(きまちはやと)
◆当時の年齢:20歳
◆当時の住所:京都府宇治市
◆鳥取県西伯郡大山町出身
◆当時の職業:大学生
◆身長:165cmくらい

【失踪状況】
昭和50年8月25日、京都府宇治市の下宿先を出て以降、所在不明となっています。

《鳥取県警公開特定失踪者・松田敏一さんについて》
◆氏名:松田 敏一
(まつだとしかず)
◆当時の年齢:25歳(行方不明当時)
◆当時の住所:千葉県船橋市
◆鳥取県西伯郡大山町出身
◆当時の職業:会社員
◆身長:168cmくらい

【失踪状況】
平成4年9月17日、千葉県船橋市の社員寮を出て以降、所在不明となっています。



【拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日(キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員の辛光洙(シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県の曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。

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【みんな生きている】賀上大助さん/NHK[徳島]

2015-05-31 05:50:28 | 日記
《拉致は人権侵害の総本山!賀上大助さんを救出しろ!》

去年5月、北朝鮮が拉致被害者等の調査を約束した日・朝政府間合意の発表から29日で1年になりますがこれまでに帰国につながる情報は、寄せられていません。
徳島にいる、拉致の可能性が排除されないとされる「特定失踪者」の家族は、調査の進展を待ち続けています。
徳島県関係で政府認定の拉致被害者はいませんが、「特定失踪者問題調査会」が北朝鮮に拉致された可能性があるとしている「特定失踪者」は7人います。
このうち、阿南市出身の賀上大助さんは、平成13年12月、23歳のときに勤務先の寮があった大阪市で行方が分からなくなりました。
阿南市の自宅で賀上さんの帰りを待っている母親の文代さんは進展がない現状に焦りを感じています。
去年、文代さんは、手がかりを得ようと大阪市の当時の寮を訪れ、周辺で、独自に現地調査を行いました。今後も北朝鮮による調査が進展するよう訴える活動を続けていきたいとしています。
賀上文代さんは、

「1年前に政府間の合意の発表があった時はなにか情報が聞けるのではないかとすごく喜びましたが、まさかこんなに事態が進まないとは思いませんでした。息子の場合は生きているか死んでいるか、北朝鮮に行っているかどうかも分からない。だからとにかく情報が欲しいです」

と話しています。

《特定失踪者・賀上大助さんについて》
◆氏名:賀上 大助
(かがみだいすけ)
◆失踪年月日:平成13(2001)年12月22日
◆生年月日:昭和53(1978)年8月17日
◆性別:男
◆当時の年齢:23歳
◆当時の住所:大阪府大阪市淀川区、阪急十三駅近くの社員寮
◆身長:169cm
◆体重:64kg
◆当時の身分:会社員
◆特徴:
1)左目下に小さいほくろ
2)近眼
3)本来は左利きだが筆記と箸は右
4)虫垂炎の手術跡
5)音楽好きでピアノが弾ける
◆失踪場所:大阪府大阪市の会社の寮

【失踪状況】
22日午後2時頃帰寮したのを防犯カメラで確認。
午後9時に電子メールを出している。
午後10時18分、部屋のドアを施錠したあと、足取り不明。
夜出歩くタイプではない。
眼鏡、携帯充電器が残されている。
財布、携帯電話くらいしか持って出ていない。
預金も手つかず、携帯からの発信は22日午前零時以降なし。
友人との約束、上司との会話から年末は徳島県の実家に帰るつもりでいたことが窺える。
帰省に備え預金5万円を別の銀行に移している。

《特定失踪者・七條 一さんについて》
◆氏名:七條 一
(しちじょうはじめ)
◆失踪年月日:昭和45(1970)年2月10日
◆生年月日:昭和23(1948)年8月22日
◆性別:男
◆当時の年齢:21歳
◆身長:165cm
◆靴のサイズ:24.5cm
◆当時の身分:明治大学政経学部政治学科3年生
◆当時の住所:東京都杉並区
◆特徴:
1)中肉中背
2)右利き
3)眼鏡着用
4)盲腸の手術痕あり
◆失踪場所:石川県金沢市

【失踪状況】
北陸方面を旅行。
8日に能登を回って西宮市の母の実家に立ちより、徳島に帰る予定で、金沢市のユースホステルを出発し、輪島市で宿泊。
9日「能登を回ってバスが遅れ、大阪行きの汽車に遅れた」と同じ金沢市のユースホステルに再度宿泊。
10日朝出発し、以後消息不明。
「雪が降っていたので兼六園の雪景色を見てくると言って10センチ位積もった雪の上を堤防の方に向かって歩いて行った」という証言と「東尋坊・永平寺に回ると言って宿を出る」という証言がある。
2月10日は夕方のフェリーで西宮市の母の実家から祖父母を徳島に連れて帰り、翌日行われる法要に出席する約束をしていた。
事前に東京の下宿から西宮の母の実家に法要出席のための背広を送ってあった。
北朝鮮にいるとの不確定情報がある。

《特定失踪者・秋田美輪さんについて》
◆氏名:秋田 美輪
(あきたみわ)
◆失踪年月日:昭和60(1985)年12月4日
◆生年月日:昭和39(1964)年1月29日
◆性別:女性
◆当時の年齢:21歳
◆身長:155cm
◆体重:43kg
◆当時の身分:神戸松陰女子大学文学部国文科4回生
◆当時の住所:兵庫県川西市湯山台
◆特徴:両眼とも眼鏡をかけて視力1.2
◆失踪場所:兵庫県神戸市神戸松陰女子大学校門(阪急神戸線六甲)

【失踪状況】
大学で午前の授業を受けた後、1時過ぎに学食で友人と食事をとり校門近くで友人と別れた。
夜8時過ぎに「友人宅へ泊まる」との電話が家にある(実際には泊まっていない)。
翌日朝8時15分兵庫県警城之崎署から竹野町弁天浜で本人のバッグ発見との連絡。
当時は自殺とされたが、何も見つかっていない。
バックの置いてあったところから海岸に10メートル位足跡があった。
発見される前に雨が降ったがバックも近くにあった本人の靴も濡れていなかったという。
地形や潮の流れから入水自殺であれば遺体が上がるはず。
竹野浜、竹野駅、城崎駅で目撃者がいなかった。
平成15年11月13日、兵庫県警に告発状提出。
秋田美輪さんをただ単に行方不明者とするには、あまりにも不自然ないくつかの疑問点が残されている。
まず、残された美輪さんのバッグの中には急行券があった。
この急行券の使用距離範囲は大阪駅から150km。これではせいぜい城之崎までしか行けず、弁天浜までは30km程度足りない。
この急行券は、当時の改札口を通過したことを示す入挟・押印が無く、未使用のままだった。また、財布の中には定期代の1万8千円がそのまま残っていた。
そして、神戸松蔭女子学院大学内の美輪さんのロッカーの中から、失踪日の数日後に提出することになっていたレポートが発見される。
これらは状況証拠に過ぎないが、それでも単なる行方不明者として考えるには疑問を持たざるを得ない。
さらに、美輪さんが行方不明になった前後、現場付近の浜辺でスーツ姿の男が無線機のような機器を使って朝鮮語で交信していたことが『産経新聞』の記事で明らかになっている。
この男は北朝鮮の工作員とみられる。

《特定失踪者・松岡伸矢さんについて》
◆氏名:松岡 伸矢
(まつおかしんや)
◆失踪年月日:平成元(1989)年3月7日
◆生年月日:昭和59(1984)4月13日
◆性別:男
◆当時の年齢:4歳
◆当時の住所:茨城県牛久市
◆特徴:
1)左利き
2)右眉上に米粒大のうすい傷跡
◆失踪場所:徳島県美馬郡貞光町の親戚宅前

【失踪状況】
前日3月6日、両親と共に徳島県小松島市で祖母の葬式に出席。その夜は親戚宅で就寝。
朝起きて8時15分頃、父・姉・弟・従姉妹と親戚宅前を数分散歩。玄関から入ってこなかったので、父は抱いていた弟を家の中の母に渡し、すぐに玄関先に出てみたが、そこにいたはずなのにいなくなっていた。
すぐに家族で手分けして探し、昼過ぎには警察に通報し、警察犬も出動。警察・消防・地元市民による大規模な山狩りもしたが消息不明。
3月15日頃の夜、親戚宅にいる母親宛に徳島弁の女性から不審な電話があった。
13年間テレビ番組などを通じ探したが手がかりなし。
また、平成元年4月の終わりか5月の終わりに徳島県海部郡日和佐町の弁天浜の岸壁で「伸矢さんによく似た子供を抱いて海を見ていた不審な男性を目撃した」という情報がある。
日和佐は北朝鮮の船が来航する港の一つ。

《徳島県警公開特定失踪者・和久一美さんについて》
◆氏名:和久 一美
(わくかずみ)
◆当時の年齢:21歳(行方不明当時)
◆当時の職業:無職
◆当時の住所:徳島県徳島市
◆身長:162cm
◆特徴:痩せ型

【失踪状況】
和久一美さんは、昭和49年12月29日夜、「ちょっと出掛ける」と自宅を出た後、行方不明になっています。



【拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日(キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員の辛光洙(シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県の曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。

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