もずの独り言・goo版

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【みんな生きている】張成沢編[処刑]/NHK

2013-12-20 14:16:50 | 日記
北朝鮮は、死刑を執行したと発表した張成沢(チャン・ソンテク)前国防委員会副委員長が裁判の中で、「軍の幹部たちとは面識があり、クーデターに利用できると思った」等と述べて協力者の存在に触れたとしていることから、張氏に近い軍の幹部たちに対する粛清を続けるものとみられます。
北朝鮮は12月13日、国営メディアを通じて、金正恩(キム・ジョンウン)第1書記の叔父で後見人とされた張成沢前国防委員会副委員長に対する特別軍事裁判が開かれ、張氏はクーデターを企てた罪で死刑判決を言い渡され、直ちに執行されたと発表しました。
判決文では、張氏が裁判の中で協力者として先に処刑されたとみられる側近の党幹部2人の名前を挙げた他、「以前、任命された軍の幹部たちとは面識があり、軍もクーデターに同調し得ると考えた。人民保安機関の担当者や、その他数人も利用できると思った」と述べたとしています。
このように、判決文が張氏に近い軍の幹部たちの存在に触れていることから、引き続き、今回の裁判を主導した秘密警察に当たる国家安全保衛部が中心となって軍や保安機関等から張氏に近いと判断した幹部を洗い出し、粛清を展開するものとみられます。
また、北朝鮮は、張氏が「アメリカと韓国の政策に便乗し、我が国を内部から崩壊させて、党と国家の最高権力を掌握しようとした」とも主張しており、国民の結束を促そうと、米・韓両国に対して軍事的な挑発行為に出る可能性もあるとみられます。



《参考・張成沢行政部長って、どんな人?》

【忠臣?簒奪者?張成沢行政部長って、どんな人?(2011年)】

「側近とのパーティーで酔った金正日(キム・ジョンイル)が、理由はわからないが張成沢(チャン・ソンテク)の頬を殴った。他の側近ならば『自分は終わりだ』と感じ手足が震えるはずだ。しかし、張成沢は私のほうを見て笑った。度胸があり、カリスマもある」
韓国に亡命した故ファン・ジャンヨプ元朝鮮労働党書記は「北朝鮮で金正日の他に自分の名前で人を使う唯一の人物が張成沢だ」と語っていた。


■2度の失脚と復活

金総書記の妹・金敬姫(キム・ギョンヒ)軽工業部長の夫である張成沢行政部長は周りを自分の側近で固めようとしたため、金総書記によって2度失脚した経験を持つ。
張成沢氏は1978年、東平壌外交招待所で週1回自分の側近たちとパーティーを開いていたことから保衛部に摘発された。
報告を受けた金総書記は「おまえはなぜ私の真似をするのか?」と責め、張氏を降仙製鋼所の作業班長へと追放した。張氏はそこで2年間の「革命化教育」を受けた。
当時、張氏を救ったのは金総書記の妻で金正男(キム・ジョンナム)氏の母にあたる成恵琳(ソン・ヘリム)氏だ。成氏は1980年2月16日、金総書記の誕生日に張氏を強引に呼んで金総書記の前に立たせ、「張成沢を許して欲しい」と頼んだという。
張成沢氏が金総書記の信頼を取り戻したのは1989年の平壌世界青年学生祝典の前後だ。当時、平壌再建設事業を担当していた張氏は全国から資材と人材を集め、期限内に工事を終えた。
金総書記は張氏を「努力英雄」として称賛し、1989年に三大革命小組部長、1995年に朝鮮労働党組織指導部第1副部長等に抜擢した。
また、同時期に張氏の長兄・張成禹(チャン・ソンウ)次帥は平壌防衛部隊の第3軍団長に昇進し、次兄・張成吉(チャン・ソンギル)中将は戦車軍団政治委員として活動する等、張3兄弟は順調に出世した。
しかし、張成沢氏は2004年初め、側近の豪華な結婚式に出席したことが問題になり、派閥形成の疑いで再び失脚した。当時の朝鮮労働党で「張成沢人脈」とされた幹部も全て左遷された。張氏は1978年の時とは異なり地方には追放されなかったが、全ての職位を失った。
2年間公の場から姿を消した張氏は2006年、組織指導部第1副部長として復帰したのに続き、2007年末には行政部長に昇進して司法・公安機関を統括した。
韓国治安政策研究所のユ・ドンリョル先任研究官は

「金総書記が張行政部長を牽制しながらも右腕として使ったのは、同母妹の金敬姫軽工業部長の夫だからではないか。金総書記は晩年を迎えるほど、親戚や金日成(キム・イルソン)主席の側近の子孫にあたる革命第2世代を重用する傾向を見せた」

と分析した。


■No.2か?簒奪者か?

金総書記は生前、派閥の形成を全く許さなかった。しかし、張行政部長には2度も警告しながらも「金正恩の後見役」を任せた。
対北朝鮮消息筋は

「義弟である張行政部長の能力を知っていたため、妹の敬姫氏とともに若い後継者を守って欲しいという意味だ」

と分析した。
しかし、張行政部長が金総書記の意志を最後まで貫くかどうかはわからないとの見方も少なくない。国防委員会副委員長兼行政部長として公安機関を掌握しているため、反対派の監視と支持勢力の拡大にも有利な地位にあるためだ。
張行政部長は軍の将軍だった2人の兄の威光を背景として、李英鎬(リ・ヨンホ)総参謀長や金永春(キム・ヨンチュン)人民武力部長たち軍の実力者にも近い。
張行政部長は2002年には経済視察団の一員としてソウルを訪れたこともある他、中国にも人脈があるとされる。また、張行政部長は改革・開放に積極的だとの見方もある。
こうした理由から、韓国情報当局者からは

「(張氏が)首陽大君になることもあり得る」

という分析も聞かれる。
2001年まで13年間金総書記の料理人を務めた藤本健二氏は

「2000年頃、張成沢氏の役職が組織指導部第1副部長から(ヒラの)副部長へと降格されたことがあったが、誰も張氏を『副部長』と呼ぶことが出来ず、『部長』と呼んでいたほど威勢があった」

と話した。
張行政部長の性格についての評価は分かれる。
張行政部長と一緒に朝鮮労働党内で働いたことがある脱北者は

「ユーモアのセンスに優れ、ソフトな方だ。相手の気持ちに合わせるスタイルだ」

と語った。
しかし、ある幹部出身の脱北者は

「冷たい」

と証言した。
張行政部長のライバルだった李済剛(リ・ジェガン)組織指導部第1副部長は昨年5月末、張行政部長が国防委員会副委員長に昇進する数日前に疑わしい交通事故で死亡している。

【首陽大君】
15世紀に朝鮮王朝の第6代国王・端宗から王位を奪い、自ら王位についた。



※「親北勢力は胸に手を当てて考えて欲しい。もし、あなたの子供たちが食べ物に飢えて栄養失調になり、骨だけの痩せ細った体で勉強を諦め、市場のゴミ捨て場を漁っていたら、どんな気持ちになるだろうか。そうせざるを得ない社会に憧れを持つことなど出来るだろうか」
(脱北者Aさん。脱北者手記集より)

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【みんな生きている】張成沢編[処刑]/NHK

2013-12-20 14:12:30 | 日記
張成沢(チャン・ソンテク)氏の死刑執行を受けて、北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)体制が今後、安定に向かうのか、不安定さを増すのか、韓国の専門家の間では見方が分かれています。


■「命日の式典が注目」

関西学院大学の平岩俊司教授は、NHKのインタビューで、今後の北朝鮮指導部の性格を判断するには、12月17日の金正日(キム・ジョンイル)総書記の命日の式典で誰が金第1書記のそばにいるかを注目すべきだと指摘しました。
この中で平岩教授は、
「今回の一連の事態を誰が主導したかが最大の焦点だ。金第1書記が、張氏が自分より権力を持つ危険性を懸念したということは十分に考えられる。ただ、実際には、張氏が権力を持つことを受け入れない、金第1書記以外の人たちが中心となって進めたと考えるべきだ」
と分析しました。
そのうえで、
「今後、金第1書記が誰との協力を深めるかが、今後の指導部の性格を決める。今月17日の金総書記の命日の式典で、金第1書記の側に誰がいて、どういうグループが周りを固めるかが、非常に注目される」
と指摘しました。
一方で、
「張氏の影響力と、その側近たちのグループが非常に大きいため、一連の粛清は体制に何らかの影響があるだろう。ただ、それは純粋に権力闘争であり、路線闘争ということではないはずだ。北朝鮮が推進してきた政策、路線が大きく変わるとは考えにくい」
という考えも示しました。


■「体制はより強固に」

韓国のトングク大学のコ・ユファン教授は、今回の動きについて、張氏とその勢力が唯一、金正恩体制を脅かす勢力になりかねないという危機感が金第1書記にあり、早急に取り除こうとしたものだと分析しています。
また、今後については、張氏に近い勢力が追及・粛清されるなかで、危険を感じて亡命する人物が出るといったことも排除できないものの、長期的には金正恩体制がより強固なものになっていくという見方を示しています。


■「体制の不安定化につながる」

韓国のコリョ大学のナム・ソンウク教授は、今回の粛清で幹部らが金第1書記にさらなる忠誠を誓うようになり、短期的には権力基盤が強化されるものの、金第1書記に意見することができなくなり、指示を待つだけという硬直した雰囲気が広まると予想しています。
そして、こうした体制の下では経済の立て直しも困難で、国民は指導者への忠誠や期待を失い、結局、体制の不安定化につながるという分析を示しています。
さらに、国民の動揺を防ぐために外部に敵を作る必要性に駆られ、韓国に対する挑発行動に踏み切ることも予想されると話しています。


■「核実験、ミサイル発射のおそれも」

韓国の情報機関、国家情報院は、「張氏に近い勢力の反発を抑え、恐怖感を与える目的があった」という見方を示しました。
これは、韓国国会の情報委員会のソ・サンギ委員長が12月13日午前、国家情報院から受けた報告として明らかにしたものです。
この中で国家情報院は、張氏の死刑が執行された理由について、金第1書記が張氏に近い勢力の反発を抑え、恐怖感を与えようとしたと分析しています。
そして、今後については、仮に金第1書記が国内を統制できず、経済難等によって民心が離反した場合、体制の弱体化は避けられず、それを防ぐために韓国への挑発行動や、核実験、ミサイル発射等に踏み切るおそれもあるとしています。
国家情報院はさらに、張氏に先立って側近2人が機関銃で銃殺されたことを明らかにし、ソ・サンギ委員長は
「張氏についても同様に銃殺されたと推測される」
と述べました。


■「中国との関係に懸念」

アメリカのジョージタウン大学のマクナマラ氏は、
「金第1書記は、権力を掌握するために親族の力を利用してきたが、これからは自分に権力を集中させるために排除に動いたのだろう」
と指摘したうえで、北朝鮮では、張氏とつながりのあった幹部に対する粛清が続くという見方を示しました。
そのうえで
「中国とのつながりが深く、習近平政権とも意思疎通ができるとされていた張氏がいなくなったことで、今後の中国と北朝鮮の関係が懸念される」
と述べました。
また、北朝鮮が今後、国内の動揺から国民の目をそらすために、韓国に対して挑発的な行動に出るおそれがあるとして、
「6か国協議の参加国が集まって北朝鮮に対話を促すことで、挑発的な行動を起こさせないようにしなければならない」
と述べ、アメリカ、日本、韓国、それに中国等6か国協議の参加国が結束して北朝鮮に対応する必要があるという考えを示しました。


■「中国は直接対話で真意探る」

アメリカのジョンズ・ホプキンス大学のアレクサンドル・マンスロフ氏は、金第1書記と張氏による激しい権力争いの結果だという見方を示したうえで、
「張氏に追随していた人たちの粛清は今も行われているし、今後も続くだろう」
と述べました。
そのうえで、
「金第1書記が張氏の死刑執行を急いだのは、父親の金総書記が死去してから今月17日で2年となるのを前に決着をつけたかったためではないか」
と述べ、父親の死去から2年となるのに合わせ、絶対的な権力を確立したかったという見方を示しました。
また、中国は、金第1書記が中国との関係が深かった張氏を死刑にしたことに強い懸念を抱いているはずだとしたうえで、
「中国はこれまで金第1書記との対話に前向きではなかったが、今は、一刻も早く中国を訪問してほしいと思っているはずだ」
と述べ、今後、中国の指導部が金第1書記との直接対話を通じて今回の粛清の真意を探ろうとするという見方を示しました。



《参考・張成沢行政部長って、どんな人?》

【忠臣?簒奪者?張成沢行政部長って、どんな人?(2011年)】

「側近とのパーティーで酔った金正日(キム・ジョンイル)が、理由はわからないが張成沢(チャン・ソンテク)の頬を殴った。他の側近ならば『自分は終わりだ』と感じ手足が震えるはずだ。しかし、張成沢は私のほうを見て笑った。度胸があり、カリスマもある」
韓国に亡命した故ファン・ジャンヨプ元朝鮮労働党書記は「北朝鮮で金正日の他に自分の名前で人を使う唯一の人物が張成沢だ」と語っていた。


■2度の失脚と復活

金総書記の妹・金敬姫(キム・ギョンヒ)軽工業部長の夫である張成沢行政部長は周りを自分の側近で固めようとしたため、金総書記によって2度失脚した経験を持つ。
張成沢氏は1978年、東平壌外交招待所で週1回自分の側近たちとパーティーを開いていたことから保衛部に摘発された。
報告を受けた金総書記は「おまえはなぜ私の真似をするのか?」と責め、張氏を降仙製鋼所の作業班長へと追放した。張氏はそこで2年間の「革命化教育」を受けた。
当時、張氏を救ったのは金総書記の妻で金正男(キム・ジョンナム)氏の母にあたる成恵琳(ソン・ヘリム)氏だ。成氏は1980年2月16日、金総書記の誕生日に張氏を強引に呼んで金総書記の前に立たせ、「張成沢を許して欲しい」と頼んだという。
張成沢氏が金総書記の信頼を取り戻したのは1989年の平壌世界青年学生祝典の前後だ。当時、平壌再建設事業を担当していた張氏は全国から資材と人材を集め、期限内に工事を終えた。
金総書記は張氏を「努力英雄」として称賛し、1989年に三大革命小組部長、1995年に朝鮮労働党組織指導部第1副部長等に抜擢した。
また、同時期に張氏の長兄・張成禹(チャン・ソンウ)次帥は平壌防衛部隊の第3軍団長に昇進し、次兄・張成吉(チャン・ソンギル)中将は戦車軍団政治委員として活動する等、張3兄弟は順調に出世した。
しかし、張成沢氏は2004年初め、側近の豪華な結婚式に出席したことが問題になり、派閥形成の疑いで再び失脚した。当時の朝鮮労働党で「張成沢人脈」とされた幹部も全て左遷された。張氏は1978年の時とは異なり地方には追放されなかったが、全ての職位を失った。
2年間公の場から姿を消した張氏は2006年、組織指導部第1副部長として復帰したのに続き、2007年末には行政部長に昇進して司法・公安機関を統括した。
韓国治安政策研究所のユ・ドンリョル先任研究官は

「金総書記が張行政部長を牽制しながらも右腕として使ったのは、同母妹の金敬姫軽工業部長の夫だからではないか。金総書記は晩年を迎えるほど、親戚や金日成(キム・イルソン)主席の側近の子孫にあたる革命第2世代を重用する傾向を見せた」

と分析した。


■No.2か?簒奪者か?

金総書記は生前、派閥の形成を全く許さなかった。しかし、張行政部長には2度も警告しながらも「金正恩の後見役」を任せた。
対北朝鮮消息筋は

「義弟である張行政部長の能力を知っていたため、妹の敬姫氏とともに若い後継者を守って欲しいという意味だ」

と分析した。
しかし、張行政部長が金総書記の意志を最後まで貫くかどうかはわからないとの見方も少なくない。国防委員会副委員長兼行政部長として公安機関を掌握しているため、反対派の監視と支持勢力の拡大にも有利な地位にあるためだ。
張行政部長は軍の将軍だった2人の兄の威光を背景として、李英鎬(リ・ヨンホ)総参謀長や金永春(キム・ヨンチュン)人民武力部長たち軍の実力者にも近い。
張行政部長は2002年には経済視察団の一員としてソウルを訪れたこともある他、中国にも人脈があるとされる。また、張行政部長は改革・開放に積極的だとの見方もある。
こうした理由から、韓国情報当局者からは

「(張氏が)首陽大君になることもあり得る」

という分析も聞かれる。
2001年まで13年間金総書記の料理人を務めた藤本健二氏は

「2000年頃、張成沢氏の役職が組織指導部第1副部長から(ヒラの)副部長へと降格されたことがあったが、誰も張氏を『副部長』と呼ぶことが出来ず、『部長』と呼んでいたほど威勢があった」

と話した。
張行政部長の性格についての評価は分かれる。
張行政部長と一緒に朝鮮労働党内で働いたことがある脱北者は

「ユーモアのセンスに優れ、ソフトな方だ。相手の気持ちに合わせるスタイルだ」

と語った。
しかし、ある幹部出身の脱北者は

「冷たい」

と証言した。
張行政部長のライバルだった李済剛(リ・ジェガン)組織指導部第1副部長は昨年5月末、張行政部長が国防委員会副委員長に昇進する数日前に疑わしい交通事故で死亡している。

【首陽大君】
15世紀に朝鮮王朝の第6代国王・端宗から王位を奪い、自ら王位についた。



※「親北勢力は胸に手を当てて考えて欲しい。もし、あなたの子供たちが食べ物に飢えて栄養失調になり、骨だけの痩せ細った体で勉強を諦め、市場のゴミ捨て場を漁っていたら、どんな気持ちになるだろうか。そうせざるを得ない社会に憧れを持つことなど出来るだろうか」
(脱北者Aさん。脱北者手記集より)

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【みんな生きている】張成沢編[処刑]/NHK

2013-12-20 13:50:59 | 日記
死刑が執行された張成沢(チャン・ソンテク)前国防委員会副委員長は、金正恩(キム・ジョンウン)第1書記の叔父で、金第1書記の後見人とされた人物でした。
妻は金正日(キム・ジョンイル)総書記の妹・金敬姫(キム・ギョンヒ)書記です。
張氏は1946年に北朝鮮北東部のハムギョン北道で生まれ、金日成総合大学を卒業後、朝鮮労働党に入りました。
そして、金総書記とのつながりを背景に頭角を現し、大きな権限を持つ組織指導部の第1副部長等を歴任しました。
2002年には経済視察団を率いて韓国を訪れる等、北朝鮮の経済を開放する路線を推し進めてきたとされています。
ただ、2003年には一度失脚したとみられており、2006年まで消息が伝えられない時期もありました。
一昨年、金総書記が死去してからは、去年8月に中国を訪問して当時の胡錦涛国家主席らと会談する等、夫人の敬姫氏と共に、まだ若い金第1書記を支える重要人物の1人でした。
しかし12月8日、「反党、反革命的な行為をした」等としてすべての職務から解任されたうえに党から除名され、それ以降、国営メディアが厳しい批判キャンペーンを繰り広げていました。



《参考・張成沢行政部長って、どんな人?》

【忠臣?簒奪者?張成沢行政部長って、どんな人?(2011年)】

「側近とのパーティーで酔った金正日(キム・ジョンイル)が、理由はわからないが張成沢(チャン・ソンテク)の頬を殴った。他の側近ならば『自分は終わりだ』と感じ手足が震えるはずだ。しかし、張成沢は私のほうを見て笑った。度胸があり、カリスマもある」
韓国に亡命した故ファン・ジャンヨプ元朝鮮労働党書記は「北朝鮮で金正日の他に自分の名前で人を使う唯一の人物が張成沢だ」と語っていた。


■2度の失脚と復活

金総書記の妹・金敬姫(キム・ギョンヒ)軽工業部長の夫である張成沢行政部長は周りを自分の側近で固めようとしたため、金総書記によって2度失脚した経験を持つ。
張成沢氏は1978年、東平壌外交招待所で週1回自分の側近たちとパーティーを開いていたことから保衛部に摘発された。
報告を受けた金総書記は「おまえはなぜ私の真似をするのか?」と責め、張氏を降仙製鋼所の作業班長へと追放した。張氏はそこで2年間の「革命化教育」を受けた。
当時、張氏を救ったのは金総書記の妻で金正男(キム・ジョンナム)氏の母にあたる成恵琳(ソン・ヘリム)氏だ。成氏は1980年2月16日、金総書記の誕生日に張氏を強引に呼んで金総書記の前に立たせ、「張成沢を許して欲しい」と頼んだという。
張成沢氏が金総書記の信頼を取り戻したのは1989年の平壌世界青年学生祝典の前後だ。当時、平壌再建設事業を担当していた張氏は全国から資材と人材を集め、期限内に工事を終えた。
金総書記は張氏を「努力英雄」として称賛し、1989年に三大革命小組部長、1995年に朝鮮労働党組織指導部第1副部長等に抜擢した。
また、同時期に張氏の長兄・張成禹(チャン・ソンウ)次帥は平壌防衛部隊の第3軍団長に昇進し、次兄・張成吉(チャン・ソンギル)中将は戦車軍団政治委員として活動する等、張3兄弟は順調に出世した。
しかし、張成沢氏は2004年初め、側近の豪華な結婚式に出席したことが問題になり、派閥形成の疑いで再び失脚した。当時の朝鮮労働党で「張成沢人脈」とされた幹部も全て左遷された。張氏は1978年の時とは異なり地方には追放されなかったが、全ての職位を失った。
2年間公の場から姿を消した張氏は2006年、組織指導部第1副部長として復帰したのに続き、2007年末には行政部長に昇進して司法・公安機関を統括した。
韓国治安政策研究所のユ・ドンリョル先任研究官は

「金総書記が張行政部長を牽制しながらも右腕として使ったのは、同母妹の金敬姫軽工業部長の夫だからではないか。金総書記は晩年を迎えるほど、親戚や金日成(キム・イルソン)主席の側近の子孫にあたる革命第2世代を重用する傾向を見せた」

と分析した。


■No.2か?簒奪者か?

金総書記は生前、派閥の形成を全く許さなかった。しかし、張行政部長には2度も警告しながらも「金正恩の後見役」を任せた。
対北朝鮮消息筋は

「義弟である張行政部長の能力を知っていたため、妹の敬姫氏とともに若い後継者を守って欲しいという意味だ」

と分析した。
しかし、張行政部長が金総書記の意志を最後まで貫くかどうかはわからないとの見方も少なくない。国防委員会副委員長兼行政部長として公安機関を掌握しているため、反対派の監視と支持勢力の拡大にも有利な地位にあるためだ。
張行政部長は軍の将軍だった2人の兄の威光を背景として、李英鎬(リ・ヨンホ)総参謀長や金永春(キム・ヨンチュン)人民武力部長たち軍の実力者にも近い。
張行政部長は2002年には経済視察団の一員としてソウルを訪れたこともある他、中国にも人脈があるとされる。また、張行政部長は改革・開放に積極的だとの見方もある。
こうした理由から、韓国情報当局者からは

「(張氏が)首陽大君になることもあり得る」

という分析も聞かれる。
2001年まで13年間金総書記の料理人を務めた藤本健二氏は

「2000年頃、張成沢氏の役職が組織指導部第1副部長から(ヒラの)副部長へと降格されたことがあったが、誰も張氏を『副部長』と呼ぶことが出来ず、『部長』と呼んでいたほど威勢があった」

と話した。
張行政部長の性格についての評価は分かれる。
張行政部長と一緒に朝鮮労働党内で働いたことがある脱北者は

「ユーモアのセンスに優れ、ソフトな方だ。相手の気持ちに合わせるスタイルだ」

と語った。
しかし、ある幹部出身の脱北者は

「冷たい」

と証言した。
張行政部長のライバルだった李済剛(リ・ジェガン)組織指導部第1副部長は昨年5月末、張行政部長が国防委員会副委員長に昇進する数日前に疑わしい交通事故で死亡している。

【首陽大君】
15世紀に朝鮮王朝の第6代国王・端宗から王位を奪い、自ら王位についた。



※「親北勢力は胸に手を当てて考えて欲しい。もし、あなたの子供たちが食べ物に飢えて栄養失調になり、骨だけの痩せ細った体で勉強を諦め、市場のゴミ捨て場を漁っていたら、どんな気持ちになるだろうか。そうせざるを得ない社会に憧れを持つことなど出来るだろうか」
(脱北者Aさん。脱北者手記集より)

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【みんな生きている】張成沢編[処刑]/NHK

2013-12-20 13:44:22 | 日記
北朝鮮は、金正恩(キム・ジョンウン)第1書記の叔父で後見人とされた張成沢(チャン・ソンテク)前国防委員会副委員長に対し、12月12日、特別軍事裁判が開かれ、「祖国に反逆した逆賊だ」として死刑判決を言い渡し、直ちに死刑を執行したと発表しました。
これは、北朝鮮が13日朝、国営メディアを通じて発表したもので、それによりますと、金第1書記の叔父で後見人とされた張成沢前国防委員会副委員長に対して、12日、特別軍事裁判が開かれました。
裁判では、2年前の金正日(キム・ジョンイル)総書記の死去後、張氏が政治的な野心を実現させようと本格的に動き始めたと指摘したうえで、首相になることを夢見ながらみずからが経済部門を握って内閣を無力化させることで、国の経済と人民生活を破局に追い込もうとした他、石炭をはじめとする貴重な地下資源を外国に売り飛ばす売国行為を行った等の罪が列挙されました。
そして、「謀略と卑劣な手法で国家を転覆させようとする極悪な犯罪を行った逆賊だ」として張氏に死刑判決を言い渡し、直ちに死刑が執行されたということです。
張氏を巡っては、12月8日に金第1書記も出席して開かれた朝鮮労働党政治局の拡大会議で「反党・反革命的な分派行為を行った」等として、すべての職務から解任し党から除名することが決定され、議場から連行される張氏の写真も公開されていました。
北朝鮮としては、実力者だった張氏を速やかに処刑することで、名実ともに金第1書記を頂点とする指導体制が確立されたとアピールすると同時に、張氏をいわば見せしめにして国内の引き締めを一段と強化するねらいがあるとみられます。


■張氏の写真掲載

13日朝の朝鮮労働党の機関紙『労働新聞』で、張氏を「逆賊を断固と処断した」として、厳しい処罰を与えたという見出しで報じました。
記事には、法廷とみられる場所に座る裁判官や、両脇を抱えられてうなだれる張氏の姿を撮影した写真が掲載されています。


■アメリカ国務省「極めて残忍」

北朝鮮が張成沢前国防委員会副委員長の死刑を執行したと発表したことについて、アメリカ国務省のハーフ副報道官は12日、「事実だと確認されれば、北朝鮮の体制が極めて残忍だということを示すものだ。関係国と連絡を取りながら事態を注視している」とするコメントを発表しました。


■韓国大統領府が緊急会議

張氏が処刑されたことについて、韓国の大統領府は午前7時30分からキム・ジャンス国家安保室長が主催して緊急の安全保障政策調整会議を開き、閣僚たちが北朝鮮の現在の状況を分析するとともに今後の対応について協議しています。



《参考・張成沢行政部長って、どんな人?》

【忠臣?簒奪者?張成沢行政部長って、どんな人?(2011年)】

「側近とのパーティーで酔った金正日(キム・ジョンイル)が、理由はわからないが張成沢(チャン・ソンテク)の頬を殴った。他の側近ならば『自分は終わりだ』と感じ手足が震えるはずだ。しかし、張成沢は私のほうを見て笑った。度胸があり、カリスマもある」
韓国に亡命した故ファン・ジャンヨプ元朝鮮労働党書記は「北朝鮮で金正日の他に自分の名前で人を使う唯一の人物が張成沢だ」と語っていた。


■2度の失脚と復活

金総書記の妹・金敬姫(キム・ギョンヒ)軽工業部長の夫である張成沢行政部長は周りを自分の側近で固めようとしたため、金総書記によって2度失脚した経験を持つ。
張成沢氏は1978年、東平壌外交招待所で週1回自分の側近たちとパーティーを開いていたことから保衛部に摘発された。
報告を受けた金総書記は「おまえはなぜ私の真似をするのか?」と責め、張氏を降仙製鋼所の作業班長へと追放した。張氏はそこで2年間の「革命化教育」を受けた。
当時、張氏を救ったのは金総書記の妻で金正男(キム・ジョンナム)氏の母にあたる成恵琳(ソン・ヘリム)氏だ。成氏は1980年2月16日、金総書記の誕生日に張氏を強引に呼んで金総書記の前に立たせ、「張成沢を許して欲しい」と頼んだという。
張成沢氏が金総書記の信頼を取り戻したのは1989年の平壌世界青年学生祝典の前後だ。当時、平壌再建設事業を担当していた張氏は全国から資材と人材を集め、期限内に工事を終えた。
金総書記は張氏を「努力英雄」として称賛し、1989年に三大革命小組部長、1995年に朝鮮労働党組織指導部第1副部長等に抜擢した。
また、同時期に張氏の長兄・張成禹(チャン・ソンウ)次帥は平壌防衛部隊の第3軍団長に昇進し、次兄・張成吉(チャン・ソンギル)中将は戦車軍団政治委員として活動する等、張3兄弟は順調に出世した。
しかし、張成沢氏は2004年初め、側近の豪華な結婚式に出席したことが問題になり、派閥形成の疑いで再び失脚した。当時の朝鮮労働党で「張成沢人脈」とされた幹部も全て左遷された。張氏は1978年の時とは異なり地方には追放されなかったが、全ての職位を失った。
2年間公の場から姿を消した張氏は2006年、組織指導部第1副部長として復帰したのに続き、2007年末には行政部長に昇進して司法・公安機関を統括した。
韓国治安政策研究所のユ・ドンリョル先任研究官は

「金総書記が張行政部長を牽制しながらも右腕として使ったのは、同母妹の金敬姫軽工業部長の夫だからではないか。金総書記は晩年を迎えるほど、親戚や金日成(キム・イルソン)主席の側近の子孫にあたる革命第2世代を重用する傾向を見せた」

と分析した。


■No.2か?簒奪者か?

金総書記は生前、派閥の形成を全く許さなかった。しかし、張行政部長には2度も警告しながらも「金正恩の後見役」を任せた。
対北朝鮮消息筋は

「義弟である張行政部長の能力を知っていたため、妹の敬姫氏とともに若い後継者を守って欲しいという意味だ」

と分析した。
しかし、張行政部長が金総書記の意志を最後まで貫くかどうかはわからないとの見方も少なくない。国防委員会副委員長兼行政部長として公安機関を掌握しているため、反対派の監視と支持勢力の拡大にも有利な地位にあるためだ。
張行政部長は軍の将軍だった2人の兄の威光を背景として、李英鎬(リ・ヨンホ)総参謀長や金永春(キム・ヨンチュン)人民武力部長たち軍の実力者にも近い。
張行政部長は2002年には経済視察団の一員としてソウルを訪れたこともある他、中国にも人脈があるとされる。また、張行政部長は改革・開放に積極的だとの見方もある。
こうした理由から、韓国情報当局者からは

「(張氏が)首陽大君になることもあり得る」

という分析も聞かれる。
2001年まで13年間金総書記の料理人を務めた藤本健二氏は

「2000年頃、張成沢氏の役職が組織指導部第1副部長から(ヒラの)副部長へと降格されたことがあったが、誰も張氏を『副部長』と呼ぶことが出来ず、『部長』と呼んでいたほど威勢があった」

と話した。
張行政部長の性格についての評価は分かれる。
張行政部長と一緒に朝鮮労働党内で働いたことがある脱北者は

「ユーモアのセンスに優れ、ソフトな方だ。相手の気持ちに合わせるスタイルだ」

と語った。
しかし、ある幹部出身の脱北者は

「冷たい」

と証言した。
張行政部長のライバルだった李済剛(リ・ジェガン)組織指導部第1副部長は昨年5月末、張行政部長が国防委員会副委員長に昇進する数日前に疑わしい交通事故で死亡している。

【首陽大君】
15世紀に朝鮮王朝の第6代国王・端宗から王位を奪い、自ら王位についた。



※「親北勢力は胸に手を当てて考えて欲しい。もし、あなたの子供たちが食べ物に飢えて栄養失調になり、骨だけの痩せ細った体で勉強を諦め、市場のゴミ捨て場を漁っていたら、どんな気持ちになるだろうか。そうせざるを得ない社会に憧れを持つことなど出来るだろうか」
(脱北者Aさん。脱北者手記集より)

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【みんな生きている】張成沢編[処刑]/ANN

2013-12-20 13:39:40 | 日記
北朝鮮の事実上のナンバー2だった張成沢(チャン・ソンテク)氏が処刑された際、火炎放射器まで使われていたことが分かったと複数の韓国メディアが報じました。


《野村友弘記者報告》
火炎放射器まで使った処刑方式には、恐怖政治の効果をより大きくする狙いがあると分析されています。
韓国メディアは、情報当局や北朝鮮関係筋の話として、張氏の処刑には機関銃に加え、火炎放射器まで使われたとみられると伝えています。
北朝鮮の判決文には、「最高司令官の命令に従わなかった者たちは、死んでもこの国に埋まるところはない」とする文言もあり、埋葬する必要がないくらい痕跡を消すことだというふうにも解釈されています。
また、金正恩(キム・ジョンウン)体制を確立するためにも、張氏の追従勢力や住民たちに対して強い警告メッセージを送ったものだとの分析も出ています。
14日朝の韓国の新聞は、「正恩氏の血の粛清」が始まると大きく見出しを取っていて、韓国では、北朝鮮社会の不安定化を心配する声が広がっています。



《参考・張成沢行政部長って、どんな人?》

【忠臣?簒奪者?張成沢行政部長って、どんな人?(2011年)】

「側近とのパーティーで酔った金正日(キム・ジョンイル)が、理由はわからないが張成沢(チャン・ソンテク)の頬を殴った。他の側近ならば『自分は終わりだ』と感じ手足が震えるはずだ。しかし、張成沢は私のほうを見て笑った。度胸があり、カリスマもある」
韓国に亡命した故ファン・ジャンヨプ元朝鮮労働党書記は「北朝鮮で金正日の他に自分の名前で人を使う唯一の人物が張成沢だ」と語っていた。


■2度の失脚と復活

金総書記の妹・金敬姫(キム・ギョンヒ)軽工業部長の夫である張成沢行政部長は周りを自分の側近で固めようとしたため、金総書記によって2度失脚した経験を持つ。
張成沢氏は1978年、東平壌外交招待所で週1回自分の側近たちとパーティーを開いていたことから保衛部に摘発された。
報告を受けた金総書記は「おまえはなぜ私の真似をするのか?」と責め、張氏を降仙製鋼所の作業班長へと追放した。張氏はそこで2年間の「革命化教育」を受けた。
当時、張氏を救ったのは金総書記の妻で金正男(キム・ジョンナム)氏の母にあたる成恵琳(ソン・ヘリム)氏だ。成氏は1980年2月16日、金総書記の誕生日に張氏を強引に呼んで金総書記の前に立たせ、「張成沢を許して欲しい」と頼んだという。
張成沢氏が金総書記の信頼を取り戻したのは1989年の平壌世界青年学生祝典の前後だ。当時、平壌再建設事業を担当していた張氏は全国から資材と人材を集め、期限内に工事を終えた。
金総書記は張氏を「努力英雄」として称賛し、1989年に三大革命小組部長、1995年に朝鮮労働党組織指導部第1副部長等に抜擢した。
また、同時期に張氏の長兄・張成禹(チャン・ソンウ)次帥は平壌防衛部隊の第3軍団長に昇進し、次兄・張成吉(チャン・ソンギル)中将は戦車軍団政治委員として活動する等、張3兄弟は順調に出世した。
しかし、張成沢氏は2004年初め、側近の豪華な結婚式に出席したことが問題になり、派閥形成の疑いで再び失脚した。当時の朝鮮労働党で「張成沢人脈」とされた幹部も全て左遷された。張氏は1978年の時とは異なり地方には追放されなかったが、全ての職位を失った。
2年間公の場から姿を消した張氏は2006年、組織指導部第1副部長として復帰したのに続き、2007年末には行政部長に昇進して司法・公安機関を統括した。
韓国治安政策研究所のユ・ドンリョル先任研究官は

「金総書記が張行政部長を牽制しながらも右腕として使ったのは、同母妹の金敬姫軽工業部長の夫だからではないか。金総書記は晩年を迎えるほど、親戚や金日成(キム・イルソン)主席の側近の子孫にあたる革命第2世代を重用する傾向を見せた」

と分析した。


■No.2か?簒奪者か?

金総書記は生前、派閥の形成を全く許さなかった。しかし、張行政部長には2度も警告しながらも「金正恩の後見役」を任せた。
対北朝鮮消息筋は

「義弟である張行政部長の能力を知っていたため、妹の敬姫氏とともに若い後継者を守って欲しいという意味だ」

と分析した。
しかし、張行政部長が金総書記の意志を最後まで貫くかどうかはわからないとの見方も少なくない。国防委員会副委員長兼行政部長として公安機関を掌握しているため、反対派の監視と支持勢力の拡大にも有利な地位にあるためだ。
張行政部長は軍の将軍だった2人の兄の威光を背景として、李英鎬(リ・ヨンホ)総参謀長や金永春(キム・ヨンチュン)人民武力部長たち軍の実力者にも近い。
張行政部長は2002年には経済視察団の一員としてソウルを訪れたこともある他、中国にも人脈があるとされる。また、張行政部長は改革・開放に積極的だとの見方もある。
こうした理由から、韓国情報当局者からは

「(張氏が)首陽大君になることもあり得る」

という分析も聞かれる。
2001年まで13年間金総書記の料理人を務めた藤本健二氏は

「2000年頃、張成沢氏の役職が組織指導部第1副部長から(ヒラの)副部長へと降格されたことがあったが、誰も張氏を『副部長』と呼ぶことが出来ず、『部長』と呼んでいたほど威勢があった」

と話した。
張行政部長の性格についての評価は分かれる。
張行政部長と一緒に朝鮮労働党内で働いたことがある脱北者は

「ユーモアのセンスに優れ、ソフトな方だ。相手の気持ちに合わせるスタイルだ」

と語った。
しかし、ある幹部出身の脱北者は

「冷たい」

と証言した。
張行政部長のライバルだった李済剛(リ・ジェガン)組織指導部第1副部長は昨年5月末、張行政部長が国防委員会副委員長に昇進する数日前に疑わしい交通事故で死亡している。

【首陽大君】
15世紀に朝鮮王朝の第6代国王・端宗から王位を奪い、自ら王位についた。



※「親北勢力は胸に手を当てて考えて欲しい。もし、あなたの子供たちが食べ物に飢えて栄養失調になり、骨だけの痩せ細った体で勉強を諦め、市場のゴミ捨て場を漁っていたら、どんな気持ちになるだろうか。そうせざるを得ない社会に憧れを持つことなど出来るだろうか」
(脱北者Aさん。脱北者手記集より)

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