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【みんな生きている】張成沢編[失脚]/産経新聞

2013-12-18 12:45:24 | 日記
北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)第1書記の叔父で、朝鮮労働党行政部長等の要職を務めた実力者の張成沢(チャン・ソンテク)国防委員会副委員長(67歳)が失脚し、半島情勢が急速に緊迫化している。正恩氏が側近たちを一斉排除して恐怖政治をエスカレートさせ始めたことで、配下の者たちの間で忠誠心競争が激化。危うい独裁者が核武装を加速させ、暴走を始める危険が出てきた。

軍服姿の係官に両脇を抱えられ、会議場を後にする張成沢氏。
北朝鮮の朝鮮中央テレビが9日に公開した映像は、かつてナンバー2の地位にあった実力者が失脚する瞬間を映し出していた。
朝鮮中央通信は、張氏がすべての役職を解かれたことを伝え、その処分の理由として、自らの派閥をつくる「分派」活動や、女性関係の乱れ、麻薬の使用等の「不正腐敗」を挙げた。
ロイヤルファミリーの一員で、情報機関から警察、検察、裁判所までを手中に収める絶大な権益を握っていた張氏。肥大化し過ぎた権力が失墜の背景にあるようだ。

『コリア・レポート』編集長の辺真一氏は

「部分的な市場開放等の経済改革を主導してきたのが張氏だ。正恩氏の教育係のような役割も果たしてきた。それが正恩氏には目障りだったのだろう。決定打となったのは昨年11月に発足した『国家体育指導委員会』。張氏は了承なしに委員長に就任し、正恩氏の逆鱗に触れた。張氏の更迭は、誰であっても権力を奪えない、という正恩氏のメッセージだ」

と指摘する。
張氏の代わりにナンバー2の座に就くとみられるのが、崔竜海(チェ・リョンヘ)朝鮮人民軍総政治局長。核ミサイルの開発を進める軍政治部門のトップが序列2位に上り詰めたことで軍部の発言力が高まるのは必至だ。

「軍部が台頭することで、核ミサイルの開発を急ぎ、拉致被害者問題でも態度を硬化させかねない。ただ、前任者の失敗を見ている崔氏は正恩氏に逆らわず、偉大なるイエスマンとして振る舞うだろう。正恩氏が完全な独裁体制を敷いたといえる」
(辺氏)

心配なのは、核ミサイルで周辺諸国を恫喝する「先軍政治」の暴走だ。
辺氏は

「張氏の失脚で、ブレーキ役はいなくなった。強硬路線に走って、核ミサイルの開発を進める可能性がある。早ければ金正日氏の誕生日を迎える来年2月にも再び人工衛星と称するミサイル発射に踏み切るのではないか」

と危ぶんでいる。



《参考・張成沢行政部長って、どんな人?》

【忠臣?簒奪者?張成沢行政部長って、どんな人?(2011年)】

「側近とのパーティーで酔った金正日(キム・ジョンイル)が、理由はわからないが張成沢(チャン・ソンテク)の頬を殴った。他の側近ならば『自分は終わりだ』と感じ手足が震えるはずだ。しかし、張成沢は私のほうを見て笑った。度胸があり、カリスマもある」
韓国に亡命した故ファン・ジャンヨプ元朝鮮労働党書記は「北朝鮮で金正日の他に自分の名前で人を使う唯一の人物が張成沢だ」と語っていた。


■2度の失脚と復活

金総書記の妹・金敬姫(キム・ギョンヒ)軽工業部長の夫である張成沢行政部長は周りを自分の側近で固めようとしたため、金総書記によって2度失脚した経験を持つ。
張成沢氏は1978年、東平壌外交招待所で週1回自分の側近たちとパーティーを開いていたことから保衛部に摘発された。
報告を受けた金総書記は「おまえはなぜ私の真似をするのか?」と責め、張氏を降仙製鋼所の作業班長へと追放した。張氏はそこで2年間の「革命化教育」を受けた。
当時、張氏を救ったのは金総書記の妻で金正男(キム・ジョンナム)氏の母にあたる成恵琳(ソン・ヘリム)氏だ。成氏は1980年2月16日、金総書記の誕生日に張氏を強引に呼んで金総書記の前に立たせ、「張成沢を許して欲しい」と頼んだという。
張成沢氏が金総書記の信頼を取り戻したのは1989年の平壌世界青年学生祝典の前後だ。当時、平壌再建設事業を担当していた張氏は全国から資材と人材を集め、期限内に工事を終えた。
金総書記は張氏を「努力英雄」として称賛し、1989年に三大革命小組部長、1995年に朝鮮労働党組織指導部第1副部長等に抜擢した。
また、同時期に張氏の長兄・張成禹(チャン・ソンウ)次帥は平壌防衛部隊の第3軍団長に昇進し、次兄・張成吉(チャン・ソンギル)中将は戦車軍団政治委員として活動する等、張3兄弟は順調に出世した。
しかし、張成沢氏は2004年初め、側近の豪華な結婚式に出席したことが問題になり、派閥形成の疑いで再び失脚した。当時の朝鮮労働党で「張成沢人脈」とされた幹部も全て左遷された。張氏は1978年の時とは異なり地方には追放されなかったが、全ての職位を失った。
2年間公の場から姿を消した張氏は2006年、組織指導部第1副部長として復帰したのに続き、2007年末には行政部長に昇進して司法・公安機関を統括した。
韓国治安政策研究所のユ・ドンリョル先任研究官は

「金総書記が張行政部長を牽制しながらも右腕として使ったのは、同母妹の金敬姫軽工業部長の夫だからではないか。金総書記は晩年を迎えるほど、親戚や金日成(キム・イルソン)主席の側近の子孫にあたる革命第2世代を重用する傾向を見せた」

と分析した。


■No.2か?簒奪者か?

金総書記は生前、派閥の形成を全く許さなかった。しかし、張行政部長には2度も警告しながらも「金正恩の後見役」を任せた。
対北朝鮮消息筋は

「義弟である張行政部長の能力を知っていたため、妹の敬姫氏とともに若い後継者を守って欲しいという意味だ」

と分析した。
しかし、張行政部長が金総書記の意志を最後まで貫くかどうかはわからないとの見方も少なくない。国防委員会副委員長兼行政部長として公安機関を掌握しているため、反対派の監視と支持勢力の拡大にも有利な地位にあるためだ。
張行政部長は軍の将軍だった2人の兄の威光を背景として、李英鎬(リ・ヨンホ)総参謀長や金永春(キム・ヨンチュン)人民武力部長たち軍の実力者にも近い。
張行政部長は2002年には経済視察団の一員としてソウルを訪れたこともある他、中国にも人脈があるとされる。また、張行政部長は改革・開放に積極的だとの見方もある。
こうした理由から、韓国情報当局者からは

「(張氏が)首陽大君になることもあり得る」

という分析も聞かれる。
2001年まで13年間金総書記の料理人を務めた藤本健二氏は

「2000年頃、張成沢氏の役職が組織指導部第1副部長から(ヒラの)副部長へと降格されたことがあったが、誰も張氏を『副部長』と呼ぶことが出来ず、『部長』と呼んでいたほど威勢があった」

と話した。
張行政部長の性格についての評価は分かれる。
張行政部長と一緒に朝鮮労働党内で働いたことがある脱北者は

「ユーモアのセンスに優れ、ソフトな方だ。相手の気持ちに合わせるスタイルだ」

と語った。
しかし、ある幹部出身の脱北者は

「冷たい」

と証言した。
張行政部長のライバルだった李済剛(リ・ジェガン)組織指導部第1副部長は昨年5月末、張行政部長が国防委員会副委員長に昇進する数日前に疑わしい交通事故で死亡している。

【首陽大君】
15世紀に朝鮮王朝の第6代国王・端宗から王位を奪い、自ら王位についた。



※「親北勢力は胸に手を当てて考えて欲しい。もし、あなたの子供たちが食べ物に飢えて栄養失調になり、骨だけの痩せ細った体で勉強を諦め、市場のゴミ捨て場を漁っていたら、どんな気持ちになるだろうか。そうせざるを得ない社会に憧れを持つことなど出来るだろうか」
(脱北者Aさん。脱北者手記集より)

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【みんな生きている】張成沢編[分析]/NHK

2013-12-18 12:42:00 | 日記
張成沢(チャン・ソンテク)国防委員会副委員長(朝鮮労働党行政部長)の解任と朝鮮労働党からの除名について、専門家に聞きました。


■伊豆見教授「大きな影響なし」

朝鮮半島問題に詳しい静岡県立大学の伊豆見 元教授は、NHKのインタビューに対し、北朝鮮の体制に大きな影響はないという認識を示しました。
この中で伊豆見教授は、
「金正恩(キム・ジョンウン)体制を張氏が1人で支えていたとは考えられず、父親が金日成(キム・イルソン)の側近であった崔竜海(チェ・リョンヘ)や、張氏の妻で金第1書記の叔母の金敬姫(キム・ギョンヒ)もいる。体制が動揺する可能性は小さい」
として、張氏の失脚によって北朝鮮の体制に大きな影響はないとの認識を示しました。
また、今回の失脚の原因について、
「張氏の姿勢、政策が軍部とは相いれなかった可能性がある。また、健康問題を抱える金敬姫氏が、血のつながる金王朝を維持するために、自分が亡きあとに、張氏が金ファミリーを牛耳ることがないよう、排除したとしてもおかしくない」
と分析しました。
そして、
「張氏の力の源泉は金敬姫氏の夫であったことだが、この3か月間、動静が一切伝わらない金敬姫氏が、12月17日の金正日(キム・ジョンイル)総書記の命日に表舞台に出てくるかどうかで、状況が読める部分が出てくる」
として、今月17日の北朝鮮の動きが注目されると述べました。


■韓国の専門家は

韓国の情報機関で長く北朝鮮を担当したカン・インドク元統一部長官は、張行政部長や、金総書記の妹の金敬姫書記に支えられて、金第1書記が権力を強化していくだろうとするこれまでの見方と異なり、今回の動きは、権力に就いてからの2年間で自信を深めたキム第1書記が後見人なしに自力で権力基盤を構築していく決意を示したものだと分析しています。
また、張行政部長に異例の厳しい批判を浴びせたことについては、道徳や倫理面で問題のある古い世代がいては、政権維持の障害になると判断したのではないかという見方を示しました。また、金第1書記は、公安組織や党の組織指導部を掌握しているようだとして、今後、人事等で多少の混乱はあっても、基本的には安定した政権運営をしていくと予想しています。
さらに、金第1書記は、経済の立て直しには外国の知識や資本が必要だと理解しているとしたうえで、改革開放的な思考を持ち、中国との関係も深かったとされる張行政部長が失脚したからといって、強硬姿勢を直ちにエスカレートさせることにはならず、外国の事情や経済をよく知る同世代の若手を起用していくと予測しています。
一方、北朝鮮問題が専門のトングク大学のコ・ユファン教授は、張行政部長が連行される写真まで公開されたことについて、
「不名誉に連行される姿まで公開され、張氏は北朝鮮の歴史から完全に消し去られる人物になるだろう」
と述べ、今後復権するのは難しいのではないかという見方を示しました。
また、
「北朝鮮の市民は相当な衝撃を受けただろうし、内部の他の勢力への影響も大きい。“誰であっても野心を見せたり、金正恩体制の障害となれば、張成沢と同じ運命をたどる”ということを見せつけたのではないか」
と述べ、絶対的な権力を示すねらいがあったと分析しました。
そのうえで、コ教授は、
「金正恩体制になってから北朝鮮の統治スタイルが大きく変化していて、今回も意思決定の公開性と透明性を示す意味があったと言える。粛清が個人の決定ではなく、党の集団的決定であることをアピールしており、父親の金総書記とは明らかに異なっている」
と述べました。



《参考・張成沢行政部長って、どんな人?》

【忠臣?簒奪者?張成沢行政部長って、どんな人?(2011年)】

「側近とのパーティーで酔った金正日(キム・ジョンイル)が、理由はわからないが張成沢(チャン・ソンテク)の頬を殴った。他の側近ならば『自分は終わりだ』と感じ手足が震えるはずだ。しかし、張成沢は私のほうを見て笑った。度胸があり、カリスマもある」
韓国に亡命した故ファン・ジャンヨプ元朝鮮労働党書記は「北朝鮮で金正日の他に自分の名前で人を使う唯一の人物が張成沢だ」と語っていた。


■2度の失脚と復活

金総書記の妹・金敬姫(キム・ギョンヒ)軽工業部長の夫である張成沢行政部長は周りを自分の側近で固めようとしたため、金総書記によって2度失脚した経験を持つ。
張成沢氏は1978年、東平壌外交招待所で週1回自分の側近たちとパーティーを開いていたことから保衛部に摘発された。
報告を受けた金総書記は「おまえはなぜ私の真似をするのか?」と責め、張氏を降仙製鋼所の作業班長へと追放した。張氏はそこで2年間の「革命化教育」を受けた。
当時、張氏を救ったのは金総書記の妻で金正男(キム・ジョンナム)氏の母にあたる成恵琳(ソン・ヘリム)氏だ。成氏は1980年2月16日、金総書記の誕生日に張氏を強引に呼んで金総書記の前に立たせ、「張成沢を許して欲しい」と頼んだという。
張成沢氏が金総書記の信頼を取り戻したのは1989年の平壌世界青年学生祝典の前後だ。当時、平壌再建設事業を担当していた張氏は全国から資材と人材を集め、期限内に工事を終えた。
金総書記は張氏を「努力英雄」として称賛し、1989年に三大革命小組部長、1995年に朝鮮労働党組織指導部第1副部長等に抜擢した。
また、同時期に張氏の長兄・張成禹(チャン・ソンウ)次帥は平壌防衛部隊の第3軍団長に昇進し、次兄・張成吉(チャン・ソンギル)中将は戦車軍団政治委員として活動する等、張3兄弟は順調に出世した。
しかし、張成沢氏は2004年初め、側近の豪華な結婚式に出席したことが問題になり、派閥形成の疑いで再び失脚した。当時の朝鮮労働党で「張成沢人脈」とされた幹部も全て左遷された。張氏は1978年の時とは異なり地方には追放されなかったが、全ての職位を失った。
2年間公の場から姿を消した張氏は2006年、組織指導部第1副部長として復帰したのに続き、2007年末には行政部長に昇進して司法・公安機関を統括した。
韓国治安政策研究所のユ・ドンリョル先任研究官は

「金総書記が張行政部長を牽制しながらも右腕として使ったのは、同母妹の金敬姫軽工業部長の夫だからではないか。金総書記は晩年を迎えるほど、親戚や金日成(キム・イルソン)主席の側近の子孫にあたる革命第2世代を重用する傾向を見せた」

と分析した。


■No.2か?簒奪者か?

金総書記は生前、派閥の形成を全く許さなかった。しかし、張行政部長には2度も警告しながらも「金正恩の後見役」を任せた。
対北朝鮮消息筋は

「義弟である張行政部長の能力を知っていたため、妹の敬姫氏とともに若い後継者を守って欲しいという意味だ」

と分析した。
しかし、張行政部長が金総書記の意志を最後まで貫くかどうかはわからないとの見方も少なくない。国防委員会副委員長兼行政部長として公安機関を掌握しているため、反対派の監視と支持勢力の拡大にも有利な地位にあるためだ。
張行政部長は軍の将軍だった2人の兄の威光を背景として、李英鎬(リ・ヨンホ)総参謀長や金永春(キム・ヨンチュン)人民武力部長たち軍の実力者にも近い。
張行政部長は2002年には経済視察団の一員としてソウルを訪れたこともある他、中国にも人脈があるとされる。また、張行政部長は改革・開放に積極的だとの見方もある。
こうした理由から、韓国情報当局者からは

「(張氏が)首陽大君になることもあり得る」

という分析も聞かれる。
2001年まで13年間金総書記の料理人を務めた藤本健二氏は

「2000年頃、張成沢氏の役職が組織指導部第1副部長から(ヒラの)副部長へと降格されたことがあったが、誰も張氏を『副部長』と呼ぶことが出来ず、『部長』と呼んでいたほど威勢があった」

と話した。
張行政部長の性格についての評価は分かれる。
張行政部長と一緒に朝鮮労働党内で働いたことがある脱北者は

「ユーモアのセンスに優れ、ソフトな方だ。相手の気持ちに合わせるスタイルだ」

と語った。
しかし、ある幹部出身の脱北者は

「冷たい」

と証言した。
張行政部長のライバルだった李済剛(リ・ジェガン)組織指導部第1副部長は昨年5月末、張行政部長が国防委員会副委員長に昇進する数日前に疑わしい交通事故で死亡している。

【首陽大君】
15世紀に朝鮮王朝の第6代国王・端宗から王位を奪い、自ら王位についた。



※「親北勢力は胸に手を当てて考えて欲しい。もし、あなたの子供たちが食べ物に飢えて栄養失調になり、骨だけの痩せ細った体で勉強を諦め、市場のゴミ捨て場を漁っていたら、どんな気持ちになるだろうか。そうせざるを得ない社会に憧れを持つことなど出来るだろうか」
(脱北者Aさん。脱北者手記集より)

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【みんな生きている】張成沢編[失脚]/NHK

2013-12-18 12:38:25 | 日記
北朝鮮は12月9日、金正恩(キム・ジョンウン)第1書記の叔父で後見人とされる張成沢(チャン・ソンテク)国防委員会副委員長(朝鮮労働党行政部長)をすべての職務から解任して、朝鮮労働党から除名することを決めたと発表し、国営テレビは会議場から連行される張行政部長の写真を公開しました。
実力者として強い影響力があった張行政部長の失脚によって、北朝鮮の権力構造の再編が進むものとみられます。
これは、北朝鮮の朝鮮労働党の政治局が、8日に平壌で開いた拡大会議で決定し、9日朝、発表したものです。
国営テレビは、9日午後、眼鏡をかけてひな壇に座る金第1書記の姿等、会議の様子を写した多数の写真とともに決定の内容を伝えました。
このなかで、金第1書記は、叔父で後見人とされる張国防委員会副委員長を呼び捨てにし、「張成沢は、反党・反革命的な分派行為を行い、強くて盛んな国、強盛国家の建設や、人民生活の向上のための闘いを阻害した。資本主義に染まって不正腐敗を行い、堕落した生活を送った」等と厳しく糾弾しました。
そのうえで会議では、張行政部長をすべての職務から解任して党から除名することが決定され、国営テレビは、大勢の出席者が見守るなか、会議場から連行される張行政部長の写真も公開しました。
張行政部長を巡っては、韓国の情報機関が12月3日、側近2人が先月処刑され、張行政部長自身も失脚した可能性が高いとする見方を示し、これを裏付ける形で、国営テレビが7日再放送した記録映画の中で張行政部長が映っているシーンが削除されていました。
張行政部長は、2年前に死去した金正日(キム・ジョンイル)総書記の妹の夫という立場を背景に、実力者として強い影響力を誇っていましたが、その張行政部長が失脚したことで、北朝鮮の権力構造の再編が進むものとみられます。


■失脚の理由は

8日開かれた朝鮮労働党政治局の拡大会議での金第1書記の発言から、実力者だった張行政部長が失脚に追い込まれた理由が見えてきます。
この中で金第1書記はまず、「張成沢は、自分に対する幻想をつくり出し、党内に分派を形成しようとした」と指摘しています。
金第1書記を中心とする指導体制に反して、張行政部長が自らの勢力を作ろうとしたと非難したわけです。
また、金第1書記は、「司法・検察・人民保安機関に対する党の指導を弱めた」、「国の経済発展と人民生活の向上のために主要な役割を担う部門を、巧妙な方法で掌握した」と主張し、張行政部長がトップを務め、公安・司法機関を統轄する党の行政部が幅を利かせ、経済利権を独り占めしようとしたことが問われたことが分かります。
さらには、「資本主義に染まって不正腐敗を行い、堕落した生活を送った」として、女性問題や麻薬の使用にまで言及し、張行政部長を「反党・反革命」という最も厳しい言葉で糾弾しています。


■側近の解任相次ぐ

金第1書記は、2年前の父・金総書記の死去を受けて最高指導者となって以降、党や政府、軍において金総書記の時代から仕えてきた幹部を次々と更迭してきました。
一昨年12月、平壌で行われた金総書記の告別式では、棺を載せた車の両側に、金第1書記と側近7人が寄り添って歩き、この8人が新体制の中核になるものとみられていました。
ところが、後見人の1人とされた当時の李英鎬(リ・ヨンホ)軍総参謀長が、去年7月にすべての職務から解任される等、側近たちが次々と第一線から退いていきました。
告別式で金第1書記のすぐ後ろを歩いた張成沢国防委員会副委員長が今回失脚したことで、宣伝と教育を担当する80代の長老2人を除いて合わせて5人が姿を消したことになります。
一方、金第1書記の下で、これまでに党や軍の主要幹部の半数近くが交代したとみられており、新体制になって頭角を現した幹部の代表格である崔竜海(チェ・リョンヘ)朝鮮人民軍総政治局長が、今後、金第1書記を最も近くで支えていくことになるとみられています。


■韓国「動向を注視」

韓国統一部のキム・ウィド報道官は、9日の記者会見で、北朝鮮が金第1書記の叔父で後見人とされる張成沢国防委員会副委員長をすべての職務から解任し、党から除名することを決めたと発表したことについて、「これまで張成沢失脚説が出ていたが、きょうの北朝鮮の報道を通じて、公式に粛清が確認できたと言える」と述べました。
またキム報道官は、9日朝の北朝鮮の発表では、張行政部長が、朝鮮労働党に反する分派行為を行った等と極めて詳しく言及されていると指摘し、張行政部長の失脚の原因を、さらに分析していることを明らかにしました。
そのうえで、今後の金正恩体制について、「予測するのは難しいが、さまざまな可能性を念頭に置き、北朝鮮の内部動向や対外関係を注意深く見ている」と述べて、引き続き北朝鮮の動向を注視していく考えを示しました。


■中国「引き続き友好に努力」

中国外務省の洪磊報道官は9日、記者会見で「関連の報道に留意している」と述べ、張行政部長の失脚による現体制への影響など、事態の推移を注意深く見守っているものとみられます。
一方で、洪報道官は、中国への影響については「これは北朝鮮内部の話だ」と述べ、評価を避けました。
そして「我々は友好的な隣国として、北朝鮮の安定と経済発展、人々の幸せを望んでいる。中国は、引き続き北朝鮮との伝統的な友好協力関係の推進に向けて、努力していく」と述べ、中国と関係が深いとされる張行政部長が失脚しても引き続き中・朝関係の発展に努める姿勢を強調しました。


■拉致被害者家族「迅速な情報収集を」

拉致被害者の家族会代表で田口八重子さんの兄の飯塚繁雄さんは、「北朝鮮の権力機構が政権争いのような形で混乱し、拉致問題の解決がさらに遠のかないか心配だし、被害者の身に危険が及ばないか懸念せざるをえない」と話しました。
そのうえで「日本政府の北朝鮮に関わるすべての省庁が至急、情報を収集し、どのような影響が考えられるのかきちんと分析してもらいたい」と述べ、迅速な情報の収集と分析を政府に求めました。



《参考・張成沢行政部長って、どんな人?》

【忠臣?簒奪者?張成沢行政部長って、どんな人?(2011年)】

「側近とのパーティーで酔った金正日(キム・ジョンイル)が、理由はわからないが張成沢(チャン・ソンテク)の頬を殴った。他の側近ならば『自分は終わりだ』と感じ手足が震えるはずだ。しかし、張成沢は私のほうを見て笑った。度胸があり、カリスマもある」
韓国に亡命した故ファン・ジャンヨプ元朝鮮労働党書記は「北朝鮮で金正日の他に自分の名前で人を使う唯一の人物が張成沢だ」と語っていた。


■2度の失脚と復活

金総書記の妹・金敬姫(キム・ギョンヒ)軽工業部長の夫である張成沢行政部長は周りを自分の側近で固めようとしたため、金総書記によって2度失脚した経験を持つ。
張成沢氏は1978年、東平壌外交招待所で週1回自分の側近たちとパーティーを開いていたことから保衛部に摘発された。
報告を受けた金総書記は「おまえはなぜ私の真似をするのか?」と責め、張氏を降仙製鋼所の作業班長へと追放した。張氏はそこで2年間の「革命化教育」を受けた。
当時、張氏を救ったのは金総書記の妻で金正男(キム・ジョンナム)氏の母にあたる成恵琳(ソン・ヘリム)氏だ。成氏は1980年2月16日、金総書記の誕生日に張氏を強引に呼んで金総書記の前に立たせ、「張成沢を許して欲しい」と頼んだという。
張成沢氏が金総書記の信頼を取り戻したのは1989年の平壌世界青年学生祝典の前後だ。当時、平壌再建設事業を担当していた張氏は全国から資材と人材を集め、期限内に工事を終えた。
金総書記は張氏を「努力英雄」として称賛し、1989年に三大革命小組部長、1995年に朝鮮労働党組織指導部第1副部長等に抜擢した。
また、同時期に張氏の長兄・張成禹(チャン・ソンウ)次帥は平壌防衛部隊の第3軍団長に昇進し、次兄・張成吉(チャン・ソンギル)中将は戦車軍団政治委員として活動する等、張3兄弟は順調に出世した。
しかし、張成沢氏は2004年初め、側近の豪華な結婚式に出席したことが問題になり、派閥形成の疑いで再び失脚した。当時の朝鮮労働党で「張成沢人脈」とされた幹部も全て左遷された。張氏は1978年の時とは異なり地方には追放されなかったが、全ての職位を失った。
2年間公の場から姿を消した張氏は2006年、組織指導部第1副部長として復帰したのに続き、2007年末には行政部長に昇進して司法・公安機関を統括した。
韓国治安政策研究所のユ・ドンリョル先任研究官は

「金総書記が張行政部長を牽制しながらも右腕として使ったのは、同母妹の金敬姫軽工業部長の夫だからではないか。金総書記は晩年を迎えるほど、親戚や金日成(キム・イルソン)主席の側近の子孫にあたる革命第2世代を重用する傾向を見せた」

と分析した。


■No.2か?簒奪者か?

金総書記は生前、派閥の形成を全く許さなかった。しかし、張行政部長には2度も警告しながらも「金正恩の後見役」を任せた。
対北朝鮮消息筋は

「義弟である張行政部長の能力を知っていたため、妹の敬姫氏とともに若い後継者を守って欲しいという意味だ」

と分析した。
しかし、張行政部長が金総書記の意志を最後まで貫くかどうかはわからないとの見方も少なくない。国防委員会副委員長兼行政部長として公安機関を掌握しているため、反対派の監視と支持勢力の拡大にも有利な地位にあるためだ。
張行政部長は軍の将軍だった2人の兄の威光を背景として、李英鎬(リ・ヨンホ)総参謀長や金永春(キム・ヨンチュン)人民武力部長たち軍の実力者にも近い。
張行政部長は2002年には経済視察団の一員としてソウルを訪れたこともある他、中国にも人脈があるとされる。また、張行政部長は改革・開放に積極的だとの見方もある。
こうした理由から、韓国情報当局者からは

「(張氏が)首陽大君になることもあり得る」

という分析も聞かれる。
2001年まで13年間金総書記の料理人を務めた藤本健二氏は

「2000年頃、張成沢氏の役職が組織指導部第1副部長から(ヒラの)副部長へと降格されたことがあったが、誰も張氏を『副部長』と呼ぶことが出来ず、『部長』と呼んでいたほど威勢があった」

と話した。
張行政部長の性格についての評価は分かれる。
張行政部長と一緒に朝鮮労働党内で働いたことがある脱北者は

「ユーモアのセンスに優れ、ソフトな方だ。相手の気持ちに合わせるスタイルだ」

と語った。
しかし、ある幹部出身の脱北者は

「冷たい」

と証言した。
張行政部長のライバルだった李済剛(リ・ジェガン)組織指導部第1副部長は昨年5月末、張行政部長が国防委員会副委員長に昇進する数日前に疑わしい交通事故で死亡している。

【首陽大君】
15世紀に朝鮮王朝の第6代国王・端宗から王位を奪い、自ら王位についた。



※「親北勢力は胸に手を当てて考えて欲しい。もし、あなたの子供たちが食べ物に飢えて栄養失調になり、骨だけの痩せ細った体で勉強を諦め、市場のゴミ捨て場を漁っていたら、どんな気持ちになるだろうか。そうせざるを得ない社会に憧れを持つことなど出来るだろうか」
(脱北者Aさん。脱北者手記集より)

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【みんな生きている】張成沢編[失脚]/NHK

2013-12-18 08:35:31 | 日記
北朝鮮は12月9日朝、金正恩(キム・ジョンウン)第1書記の叔父で後見人とされる張成沢(チャン・ソンテク)国防委員会副委員長(朝鮮労働党行政部長)をすべての職務から解任し、党から除名することを決めたと発表しました。
張行政部長は実力者として強い影響力を誇っていただけに、指導部内部で生じた軋轢や権力闘争の結果、失脚に追い込まれたという見方が広がっています。
これは、北朝鮮の朝鮮労働党の政治局が、金第1書記も出席して8日、平壌で開かれた拡大会議の決定として9日朝、国営メディアを通じて発表したものです。
この中で、金第1書記は、叔父で後見人とされる張国防委員会副委員長について、「張成沢は反党反革命的な分派行為を行い、強くて盛んな国、強盛国家の建設や人民生活の向上のための闘いを阻害した。資本主義に染まって不正腐敗を行い、堕落した生活を送った」等と厳しく糾弾しました。
そのうえで、会議では張行政部長をすべての職務から解任して一切の称号を剥奪するとともに、朝鮮労働党から除名することを決定したとしています。
張行政部長を巡っては、韓国の情報機関が12月3日、側近2人が先月処刑され、張行政部長自身も失脚した可能性が高いとする見方を示していました。
張行政部長は、2年前に死去した金正日(キム・ジョンイル)総書記の妹・金敬姫(キム・ギョンヒ)書記の夫という立場を背景に、実力者として強い影響力を誇っていただけに、北朝鮮指導部の内部で生じた軋轢や権力闘争の結果、張行政部長が失脚に追い込まれたという見方が広がっています。



《参考・張成沢行政部長って、どんな人?》

【忠臣?簒奪者?張成沢行政部長って、どんな人?(2011年)】

「側近とのパーティーで酔った金正日(キム・ジョンイル)が、理由はわからないが張成沢(チャン・ソンテク)の頬を殴った。他の側近ならば『自分は終わりだ』と感じ手足が震えるはずだ。しかし、張成沢は私のほうを見て笑った。度胸があり、カリスマもある」
韓国に亡命した故ファン・ジャンヨプ元朝鮮労働党書記は「北朝鮮で金正日の他に自分の名前で人を使う唯一の人物が張成沢だ」と語っていた。


■2度の失脚と復活

金総書記の妹・金敬姫(キム・ギョンヒ)軽工業部長の夫である張成沢行政部長は周りを自分の側近で固めようとしたため、金総書記によって2度失脚した経験を持つ。
張成沢氏は1978年、東平壌外交招待所で週1回自分の側近たちとパーティーを開いていたことから保衛部に摘発された。
報告を受けた金総書記は「おまえはなぜ私の真似をするのか?」と責め、張氏を降仙製鋼所の作業班長へと追放した。張氏はそこで2年間の「革命化教育」を受けた。
当時、張氏を救ったのは金総書記の妻で金正男(キム・ジョンナム)氏の母にあたる成恵琳(ソン・ヘリム)氏だ。成氏は1980年2月16日、金総書記の誕生日に張氏を強引に呼んで金総書記の前に立たせ、「張成沢を許して欲しい」と頼んだという。
張成沢氏が金総書記の信頼を取り戻したのは1989年の平壌世界青年学生祝典の前後だ。当時、平壌再建設事業を担当していた張氏は全国から資材と人材を集め、期限内に工事を終えた。
金総書記は張氏を「努力英雄」として称賛し、1989年に三大革命小組部長、1995年に朝鮮労働党組織指導部第1副部長等に抜擢した。
また、同時期に張氏の長兄・張成禹(チャン・ソンウ)次帥は平壌防衛部隊の第3軍団長に昇進し、次兄・張成吉(チャン・ソンギル)中将は戦車軍団政治委員として活動する等、張3兄弟は順調に出世した。
しかし、張成沢氏は2004年初め、側近の豪華な結婚式に出席したことが問題になり、派閥形成の疑いで再び失脚した。当時の朝鮮労働党で「張成沢人脈」とされた幹部も全て左遷された。張氏は1978年の時とは異なり地方には追放されなかったが、全ての職位を失った。
2年間公の場から姿を消した張氏は2006年、組織指導部第1副部長として復帰したのに続き、2007年末には行政部長に昇進して司法・公安機関を統括した。
韓国治安政策研究所のユ・ドンリョル先任研究官は

「金総書記が張行政部長を牽制しながらも右腕として使ったのは、同母妹の金敬姫軽工業部長の夫だからではないか。金総書記は晩年を迎えるほど、親戚や金日成(キム・イルソン)主席の側近の子孫にあたる革命第2世代を重用する傾向を見せた」

と分析した。


■No.2か?簒奪者か?

金総書記は生前、派閥の形成を全く許さなかった。しかし、張行政部長には2度も警告しながらも「金正恩の後見役」を任せた。
対北朝鮮消息筋は

「義弟である張行政部長の能力を知っていたため、妹の敬姫氏とともに若い後継者を守って欲しいという意味だ」

と分析した。
しかし、張行政部長が金総書記の意志を最後まで貫くかどうかはわからないとの見方も少なくない。国防委員会副委員長兼行政部長として公安機関を掌握しているため、反対派の監視と支持勢力の拡大にも有利な地位にあるためだ。
張行政部長は軍の将軍だった2人の兄の威光を背景として、李英鎬(リ・ヨンホ)総参謀長や金永春(キム・ヨンチュン)人民武力部長たち軍の実力者にも近い。
張行政部長は2002年には経済視察団の一員としてソウルを訪れたこともある他、中国にも人脈があるとされる。また、張行政部長は改革・開放に積極的だとの見方もある。
こうした理由から、韓国情報当局者からは

「(張氏が)首陽大君になることもあり得る」

という分析も聞かれる。
2001年まで13年間金総書記の料理人を務めた藤本健二氏は

「2000年頃、張成沢氏の役職が組織指導部第1副部長から(ヒラの)副部長へと降格されたことがあったが、誰も張氏を『副部長』と呼ぶことが出来ず、『部長』と呼んでいたほど威勢があった」

と話した。
張行政部長の性格についての評価は分かれる。
張行政部長と一緒に朝鮮労働党内で働いたことがある脱北者は

「ユーモアのセンスに優れ、ソフトな方だ。相手の気持ちに合わせるスタイルだ」

と語った。
しかし、ある幹部出身の脱北者は

「冷たい」

と証言した。
張行政部長のライバルだった李済剛(リ・ジェガン)組織指導部第1副部長は昨年5月末、張行政部長が国防委員会副委員長に昇進する数日前に疑わしい交通事故で死亡している。

【首陽大君】
15世紀に朝鮮王朝の第6代国王・端宗から王位を奪い、自ら王位についた。



※「親北勢力は胸に手を当てて考えて欲しい。もし、あなたの子供たちが食べ物に飢えて栄養失調になり、骨だけの痩せ細った体で勉強を諦め、市場のゴミ捨て場を漁っていたら、どんな気持ちになるだろうか。そうせざるを得ない社会に憧れを持つことなど出来るだろうか」
(脱北者Aさん。脱北者手記集より)

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【みんな生きている】張成沢編[失脚]/JNN

2013-12-18 08:30:12 | 日記
韓国の統一部は、北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)第1書記が父・金正日(キム・ジョンイル)総書記の死去からの2年間を自らの体制構築に総力を注いできたとする分析を公表しました。
韓国統一部は、金第1書記が2年前に父・金正日(キムジョンイル)総書記が死去して以後、崔竜海(チェ・リョンヘ)軍総政治局長や、叔母の金敬姫(キム・ギョンヒ)氏、それに金元弘(キム・ウォンホン)国家安全保衛部長たちを要職につけるとともに、党や行政、軍で世代交代を進めたと分析。各分野に腹心を置くことで自らを頂点とする権力体制を構築した、としています。
また、核保有については党の公式路線として憲法で明文化し、6か国協議の再開で非核化に取り組むかは疑問と指摘。金第1書記自身については、祖父の金日成(キム・イルソン)主席をモデルにカリスマ性や実用的なイメージ、包容力を演出する一方で、公開処刑等を通じて暴力的なリーダーシップも見せているとしています。



《参考・張成沢行政部長って、どんな人?》

【忠臣?簒奪者?張成沢行政部長って、どんな人?(2011年)】

「側近とのパーティーで酔った金正日(キム・ジョンイル)が、理由はわからないが張成沢(チャン・ソンテク)の頬を殴った。他の側近ならば『自分は終わりだ』と感じ手足が震えるはずだ。しかし、張成沢は私のほうを見て笑った。度胸があり、カリスマもある」
韓国に亡命した故ファン・ジャンヨプ元朝鮮労働党書記は「北朝鮮で金正日の他に自分の名前で人を使う唯一の人物が張成沢だ」と語っていた。


■2度の失脚と復活

金総書記の妹・金敬姫(キム・ギョンヒ)軽工業部長の夫である張成沢行政部長は周りを自分の側近で固めようとしたため、金総書記によって2度失脚した経験を持つ。
張成沢氏は1978年、東平壌外交招待所で週1回自分の側近たちとパーティーを開いていたことから保衛部に摘発された。
報告を受けた金総書記は「おまえはなぜ私の真似をするのか?」と責め、張氏を降仙製鋼所の作業班長へと追放した。張氏はそこで2年間の「革命化教育」を受けた。
当時、張氏を救ったのは金総書記の妻で金正男(キム・ジョンナム)氏の母にあたる成恵琳(ソン・ヘリム)氏だ。成氏は1980年2月16日、金総書記の誕生日に張氏を強引に呼んで金総書記の前に立たせ、「張成沢を許して欲しい」と頼んだという。
張成沢氏が金総書記の信頼を取り戻したのは1989年の平壌世界青年学生祝典の前後だ。当時、平壌再建設事業を担当していた張氏は全国から資材と人材を集め、期限内に工事を終えた。
金総書記は張氏を「努力英雄」として称賛し、1989年に三大革命小組部長、1995年に朝鮮労働党組織指導部第1副部長等に抜擢した。
また、同時期に張氏の長兄・張成禹(チャン・ソンウ)次帥は平壌防衛部隊の第3軍団長に昇進し、次兄・張成吉(チャン・ソンギル)中将は戦車軍団政治委員として活動する等、張3兄弟は順調に出世した。
しかし、張成沢氏は2004年初め、側近の豪華な結婚式に出席したことが問題になり、派閥形成の疑いで再び失脚した。当時の朝鮮労働党で「張成沢人脈」とされた幹部も全て左遷された。張氏は1978年の時とは異なり地方には追放されなかったが、全ての職位を失った。
2年間公の場から姿を消した張氏は2006年、組織指導部第1副部長として復帰したのに続き、2007年末には行政部長に昇進して司法・公安機関を統括した。
韓国治安政策研究所のユ・ドンリョル先任研究官は

「金総書記が張行政部長を牽制しながらも右腕として使ったのは、同母妹の金敬姫軽工業部長の夫だからではないか。金総書記は晩年を迎えるほど、親戚や金日成(キム・イルソン)主席の側近の子孫にあたる革命第2世代を重用する傾向を見せた」

と分析した。


■No.2か?簒奪者か?

金総書記は生前、派閥の形成を全く許さなかった。しかし、張行政部長には2度も警告しながらも「金正恩の後見役」を任せた。
対北朝鮮消息筋は

「義弟である張行政部長の能力を知っていたため、妹の敬姫氏とともに若い後継者を守って欲しいという意味だ」

と分析した。
しかし、張行政部長が金総書記の意志を最後まで貫くかどうかはわからないとの見方も少なくない。国防委員会副委員長兼行政部長として公安機関を掌握しているため、反対派の監視と支持勢力の拡大にも有利な地位にあるためだ。
張行政部長は軍の将軍だった2人の兄の威光を背景として、李英鎬(リ・ヨンホ)総参謀長や金永春(キム・ヨンチュン)人民武力部長たち軍の実力者にも近い。
張行政部長は2002年には経済視察団の一員としてソウルを訪れたこともある他、中国にも人脈があるとされる。また、張行政部長は改革・開放に積極的だとの見方もある。
こうした理由から、韓国情報当局者からは

「(張氏が)首陽大君になることもあり得る」

という分析も聞かれる。
2001年まで13年間金総書記の料理人を務めた藤本健二氏は

「2000年頃、張成沢氏の役職が組織指導部第1副部長から(ヒラの)副部長へと降格されたことがあったが、誰も張氏を『副部長』と呼ぶことが出来ず、『部長』と呼んでいたほど威勢があった」

と話した。
張行政部長の性格についての評価は分かれる。
張行政部長と一緒に朝鮮労働党内で働いたことがある脱北者は

「ユーモアのセンスに優れ、ソフトな方だ。相手の気持ちに合わせるスタイルだ」

と語った。
しかし、ある幹部出身の脱北者は

「冷たい」

と証言した。
張行政部長のライバルだった李済剛(リ・ジェガン)組織指導部第1副部長は昨年5月末、張行政部長が国防委員会副委員長に昇進する数日前に疑わしい交通事故で死亡している。

【首陽大君】
15世紀に朝鮮王朝の第6代国王・端宗から王位を奪い、自ら王位についた。



※「親北勢力は胸に手を当てて考えて欲しい。もし、あなたの子供たちが食べ物に飢えて栄養失調になり、骨だけの痩せ細った体で勉強を諦め、市場のゴミ捨て場を漁っていたら、どんな気持ちになるだろうか。そうせざるを得ない社会に憧れを持つことなど出来るだろうか」
(脱北者Aさん。脱北者手記集より)

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