白雲楼、起雲閣、日本タイプライター、康楽寺

白雲楼、起雲閣、日本タイプライターは全て父桜井兵五郎の資産からなり、父個人の寺「康楽寺」に寄付したものである。

白雲楼倒産及び康楽寺の敷地、建物の収去事件の真相

2006年04月10日 08時29分46秒 | 桜井芳忠

  財団康楽寺            西武発展(コクド、西武鉄道、プリンス・ホテル)の資金源になったのが、財団 康楽寺である

 

桜井能唯は昭和47年に日本観光株式会社の社長になった。
それまでは桜井清次が社長であったが、日本観光株式会社が違法な
二倍半の増資をした時に、桜井清次より桜井能唯に変わったののである。
これを主導したのは辨谷貞造である。
それと同時の富士銀行から来ていた日本タイプの高見社長が相談役
に格下げされ、桜井繁雄が日本タイプの社長となったのである。
この目的は何かと言えば、日本タイプと日本観光の分離を図ることに
あった。
日本観光が日本タイプの親会社になっていることに、上記の関係者は
危惧を持っていたのである。このまま行けば父の子供に、両会社を渡さななければならないからである。
日本観光が違法な倍額増資の背景には、父の遺言があったからである。
会社を分離し会社を倒産させれば、父の資産を自分の物と出来る。
これが彼等の発想である。
従って日本タイプは桜井繁雄が、日本観光は桜井能唯が主導して
父の資産を横領する手はずを整える必要があったのである。
先ず最初に上記の日本観光の日本タイプえの、違法な株式割当である。
これによって桜井能唯が日本観光の過半数の株式を取得することが可能うとなったのである。。父の個人の寺である康楽寺を乗っ取るため、上記の康楽寺収去事件を起こし、康楽寺の日本観光株式
十万株と、日本タイプに割り当てた株式十四万株及び父が桜井能唯名義とした株式一万数千株で、日本観光の過半数の株式二十五万五千株を自分名義として、父の資産を横領したのである。
一方桜井繁雄は日本タイプはキャノンに身売りすることが可能となったのである。日本観光と日本タイプの取締役は兼務であったから、お互いに牽制しながらも、会社を分割し父の資産を横領する話し合いが、出来たのである。
しかし日本観光の桜井能唯、辨谷貞造はモット欲深かったのである。
 桜井能唯が社長になるや、江戸村を日本観光の資金を流用して立ち上げ、父の康楽寺の敷地に古い屋敷を移築、文化財と称して展示し始めるのである。
また壇風園と称して、広大な土地を日本観光の資金を流用して取得、
百万石文化園としたのである。
これらは全て日本観光の資金で賄われ、日本観光は莫大な借り入れをし、一年の売り上げ二十億で安定していたが、
、借り入れ金の金利だけで、年間一億円以上の金利を払い、会社の利益は僅か八百万円となったのである。
それから平成初年に掛けて、違法に取得した株式を桜井能唯は自分のものとし、会社の株式の過半数を取得したとして、会社を売却するのである。
日本観光の資金を違法に流用し、百万石文化園を創立し、会社を以上のような違法な手段を使って、
桜井能唯の個人のものとしたのである。
しかもこの違法に取得した父の資産である白雲楼や康楽寺を、金沢市に五億四千万円で売却、同時に日本観光を倒産させたのである。
金沢市は文化財と称する建物は寄付せよとして、金沢市のものとしたのであるが
こんな違法な取引を地方自治体がするとは、自治体の遵法精神を
踏みにじるものでしかない。
地方自治法では、法律に違反した自治体の取引は無効としているのである。