財団康楽寺 西武発展(コクド、西武鉄道、プリンス・ホテル)の資金源になったのが、財団 康楽寺である。
之まで康楽寺が如何に乗っ取られたかを詳しく述べたブログは、2005年6月16日
「弁谷栄の作成した康楽寺の敷地図面」同年6月17日「桜井能唯が康楽寺の境内を
不法に取得した経緯」同年6月20日「弁谷貞造が康楽寺本殿と指定した場所」
同年6月21日「康楽寺本殿の敷地が百万石文化園に横領された経緯(1)~(3)」
同年6月21日~同年6月23日の通りであるが、今回のこの裁判は康楽寺の建物
のみどうしようもなく、裁判で決着をつけ、判決で建物を撤去させようとする桜井能唯
の目論見と、康楽寺を管理していた弁谷貞造が最後に父の資産の取り分の争い
と見ることも可能である。
桜井能唯は日本観光の50万株の過半数25万5千株を取得したとした、日本観光を
桜井清次が、裁判認知をしてこれまで温存しておいて切り札として利用価値がある、吉田宏明に渡し、桜井能唯が社長の座を降り
シュガーアイランドに会社の土地を抵当にして、60億の借り入れをし、桜井能唯は
42億円を取り、3億円はシュガーアイランドに手数料として渡し、残りは吉田広明が
取得、平成3年には桜井能唯が株式売却益の所得税として5億数千万円を納税、石川県高額所得者第一位になっている。
その娘桜井康子は百万号文化園の社長として、2億円の所得税を支払った。この資金は日本観光が倍額増資し際、第三者割り当てを日本タイプライタ-に割り当て、日本タイプライターがキャノンに身売りする際、桜井清次、桜井繁雄、太田秀雄、逸見取締役等が日本タイプの父の持株(三和や安田信託が所有していた信託株)をキャノンに売り渡し、桜井能唯は日本タイプ所有の日本観光株を日本観光の資金で買い取ったのでであるが、桜井康子の壇風園の名義としたものでである。日本観光の代表取締役桜井能唯が、自己取引で自社株を取得して日本観光を乗っ取ったのである。
吉田宏明も同じく同年、1億数千万円の所得税を支払った。
上記会社の資産を抵当にした金の分配金である。
しかしここに弁谷貞造の名前がない。
康楽寺の建物だけはどうしても自分の物に出来なかったので、康楽寺の存在を
地上から消すため、桜井能唯と弁谷貞造が馴れ合いでこの訴訟を起こしたもの
である。
この訴訟で康楽寺の存在自体が、霧散し檀家、信徒の存在が元々ないのだから、
ウヤムヤになり、ここが裁判の欠点で、和解に至ったところで原告が訴訟を取り下げ決着している。
この過程で康楽寺の資産である西武鉄道関連の株式その他株式等が、処分されたか
事業投資組合に資金として投資をし、その残余分が弁谷貞造に渡ったものである。
この中には弁谷昌造も入っている。
この分け前は弁谷貞造の妻智子の相続に見せ掛けて、支払われた。または康楽寺が担保とした日本の四季を5億円の譲渡担保金としたり、日本観光株売却代金60億から、桜井能唯に渡った42億円の差額18億円等が弁谷貞造に入り、妻智子の相続として処理した。又康楽寺所有の10万株を桜井能唯が自分名義とし、合計25真万5千株を取得したのであり、自分の会社に抵当権とつけた60億円を分配したのである。これは吉田宏明が行った事になっている。しかし日本観光には200億以上の借財が残っており、日本観光の破産管財人が日本観光を放棄したのである。ここに管財人と弁谷智子、昌造の了解が存在している。
弁谷昌造と智子は、父が私に信託受益金としてつけた康楽寺建設財団の受益権利を、弁谷ハシを使って私から白紙委任状を騙し取り、父の康楽寺資産を日本観光の200億円以上もある借金と棒引きをたくらんでいる。
平成5年には弁谷智子は5億円の相続税を支払っている。桜井能唯に次いで、石川県高額所得者となっている。
これは上記の企みがあり、これまでの白雲楼の倒産はあくまでも見せ掛けだあって、実際は康楽寺の資産と横領である。
このカラクリはライブドアーと同じく、事業投資組合を使ったのである。弁谷智子の実家は桜井能唯や弁谷貞造等が投資している投資組合の社長に売却している。弁谷智子の実家は堤義明の麻布の家の直ぐ裏にあり、桜井能唯等の投資したこの会社は前阿部総理の側近であった。