私は17歳の時、金沢国立病院で種村龍夫院長の下、鼻の手術をうけた。其の時私の手術をした飯田高校教師の偽医師中村晃章がメスで頭蓋骨を私の頬の肉を切り開き、頭蓋底から頭蓋骨を強打し、私は驚愕して執刃医を見ると薄っすらと汗をカキナガラ、力を込めて私の頭蓋骨を強打するその男の顔を見たのである。確かに飯田高校の教師の中村晃章であった。このような行為は普通の神経では出来ない。過去に何度もこのようなことを行ったとしか思えない。恐怖に襲われながら、頭蓋骨が叩かれている現実に驚愕した。このことは何度も記述したけれど、この病院は731部隊と大変関係深いことを私の手術した種村院長を調べるうちに知ったのである。 新宿の国立病院の跡地から何十体もの人間の骨が出てきた事など極最近のことであったが、そこが731部隊の本部であった。そこで生体実験を戦前行っていたのを隠すため、解剖した遺体を隠したのが工事中に出てきたのである。 731部隊のことは極最近まで真相ははっきりしなかったが、ここ10年に極めて詳細な研究が色々発表されている。極最近ではキャノンの創立者が731部隊に所属、していたと報道されている。 そうゆう関係では、海軍中尉桜井芳忠は海軍軍政部のあったセレベス島のマッカサル病院長であった金沢国立病院長の種村氏と私の手術した男の三人は既知の間柄であったのである。 特に金沢は731部隊とは関係が深かった。731部隊の隊長で陸軍軍医中将の石井四郎は、四校、京大を出て陸軍軍医となり、その後731部隊を創設、金沢医大の講師として731部隊の活躍を医学校の生徒たちに講義した。その医学校の生徒の中に私を手術した男もいたのである。731部隊の石川太刀雄丸は生体実験の標本800本を持参して、金沢医大の教授に昭和18年に就任している。同じく金沢出身の二木秀夫や増田知貞などは、内藤良一とミドリ十字を設立しておりハルピンでの生体実験の成果である、乾燥血清や血漿の技術を企業化したといわれている。
白雲楼をデザインした武田五一氏は、日本観光や日本タイプライターの取締役であった福島行信邸を設計しているが、福島氏の妻の弟である清野謙次邸を設計した関係からといわれており、云うまでもなく清野謙次は731部隊創設者石井四郎の恩師と言う関係である。従って海軍中尉桜井芳忠は戦後日本観光取締役となり、白雲楼支配人として、731部隊との関係が戦後も続くこととなり、私の鼻の手術が金沢国立病院で行われたのである。