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白雲楼、起雲閣、日本タイプライター、康楽寺

白雲楼、起雲閣、日本タイプライターは全て父桜井兵五郎の資産からなり、父個人の寺「康楽寺」に寄付したものである。

康楽寺本殿の敷地が百万石文化園に横領された経緯

2005年06月21日 09時42分40秒 | 桜井芳忠

  財団康楽寺            西武発展(コクド、西武鉄道、プリンス・ホテル)の資金源になったのが、財団 康楽寺である

昨日のブログは昭和51年の父の戸籍上の妻子と相手に、康楽寺の本殿の敷地と康楽寺の 父の資産を横領するために起した訴訟である事は既に述べたが、、その現場検証で弁谷貞造が江戸村の建物と康楽寺の敷地が明確でないとしている。 既にこの頃は江戸村の建物が康楽寺の本殿の敷地内に建築されていたのである。 このブログの写真は現場検証の時のものである。 一番上に見えるのが康楽寺であり、康楽寺から手前までの広場は康楽寺本殿の建つ場所である。 従って金澤市湯涌町へ19番地で、整地がしてあったが山林となっていた。 ところが桜井能唯が江戸村を建設する際、各地がら古い家を移築してきたのであるが、 その建物をこの康楽寺本殿の敷地に移築、この写真の一番手前にある移築した建物が 撮影されえいない。 上記の検証が終わってからの昭和63年にこの移築した建物の所在を金澤市湯涌町へ32-2に変更した。 それまでは移築した当初から金澤市湯涌町へ19番地となっていた。 康楽寺ほ本殿の敷地である。 上記の裁判の後、康楽寺の敷地を勝手に文筆、併合して、康楽寺の本殿の敷地や康楽寺の建物の敷地の位置を勝手に動かしている。 江戸村に移築された山川家、松下家は金澤市内にあった建物で、昭和41年に移築されたがその 当初は金澤市湯涌町へ19番地に登記されているが、昭和63年に上記のように地番が変更され ており、その原因は錯誤だとしている。 この様にに勝手に敷地の公図を変えることは許される事ではない。 これは明らかに詐欺であり、横領である。 これを許した金澤法務局、石川県、金澤市の責任である。 法務局から公図を盗んで差し替えたものであろう。 この昭和63年は桜井能唯が日本観光から資金を流用して江戸村をつくり、それを百万石文化園 として会社を創立、この会社を自分個人の会社とし、日本タイプライターの日本観光の持ち株や 康楽寺の持ち株をこの百万石文化園のものとしたのである。 この後日本観光を売却、倒産に至らしめたことはこれまで述べた通りである。


桜井能唯が康楽寺の境内を不法に取得した経緯

2005年06月17日 11時18分48秒 | 桜井芳忠

  財団康楽寺            西武発展(コクド、西武鉄道、プリンス・ホテル)の資金源になったのが、財団 康楽寺である

ブログの写真は桜井能唯が康楽寺の建物を撤去しよとして平成6年4月1日金澤地裁へ原告として百万石文化園が,被告宗教法人康楽寺を相手に訴を提起した時の証拠写真である。この両方の法人とも桜井能唯が代表役員であるため,自分の娘桜井康子を文化園の代表とし、被告康楽寺の代表は前田住職でるがただ飾りものでかなく、実質は弁谷貞造が訴訟を追行していた。この頃は桜井能唯は日本観光を売り渡し、今度は江戸村を金澤市に売る話が進行中であり、金澤市の要請もあったと思われるが、今まで江戸村の見世物として利用していたが、建物だけはどうしても文化園の所有に出来なかった。建物は父個人の所有物で所有を証明する書面がなかったからである。康楽寺の建物は父個人の寺として認可をえており、この寺に父は自分の全財産を寄付していた。父の財産の一部は北陸銀行に信託していたが、不動産等大部分はコクド等資本関係が蜜であった関係で、故堤康次郎を通じて安田信託等信託会社に委託してあったものである。従って本訴の当事者はこの事実を隠し、お互い馴れ合いの裁判を提起したのである。昭和51年に戸籍上の妻子を相手として東京地裁に於いて、父名義の康楽寺の建物の土地を裁判によって、康楽寺名義としたが、康楽寺の建物は未登記であり、登記書類は前述のように信託されていたから、建物の名義を宗教法人康楽寺の名義に出来なかったのである。昭和51年には江戸村ができており、康楽寺の敷地の中にも建物が移築されて、康楽寺の建物と江戸村の建物の境界線が不明確な状況にした。父の土地に不法侵入して江戸村の建物を建てた上で、この訴訟を東京地裁におこしたのである。この昭和51年の裁判では弁谷貞造が現場検証に立ち会って説明をしている。戸籍上の妻子は父の実の妻子ではないので、全て原告の言うままに裁判は終結している。康楽寺の土地はその後宗教法人康楽寺から、日本観光に名義変更し更に桜井能唯の百万石文化園に名義変更し金澤市に売却したのである。桜井能唯は康楽寺の建物の所在地をこのブログの図面の番地に変更、康楽寺の建物の所在地を無くしたのである。従って康楽寺はその所在を失った幽霊建物とした。土地の地番を分筆したり、合筆したりして康楽寺の所在を不明にしてしまった。建物の登記がないので勝手な事をしている。昭和28年宗教法人にしてから父の資産を横領する計画が着々と進行していたのである。この写真のブログと前日のブログの写真を比較すれば明白である。


康楽寺本殿建築計画の資金の流用

2005年05月20日 12時48分25秒 | 桜井芳忠

  財団康楽寺            西武発展(コクド、西武鉄道、プリンス・ホテル)の資金源になったのが、財団 康楽寺である

父が大東亜寺現康楽寺本殿建築計画を発表したことはこれまでも述べてきた。 しかし昭和41年頃より、金沢市郊外の白雲楼の前の山の上にある康楽寺の敷地には、江戸村そ称して殆どが明治時代の建物であろうが、文化財として認められた古い建物がズラリと並び、オゾマシイ風景を公開した。 私はそう思えたので一度も見に行ったことはない。父が建てた康楽寺の前に文化財と称する建物が並んでいるのを、日本観光が倒産して江戸村を日本観光の社長桜井能唯が金沢市に売却した後、わたしは始めたて江戸村なるものを見た。 その配置図面がこの写真である。一番手前が白雲楼ホテルで一番上の隅にあるのが康楽寺である。その前横に並ぶのが文化庁から文化財として登録されている建物が点在している。 父が康楽寺の敷地として、将来本殿を建築する敷地50万坪の境内としていたものである。昭和56年に桜井能唯が父の戸籍上の妻子をあいてどり、父の建てた康楽寺の父名義の土地は日本観光のものだとして訴訟を提起し、日本観光に名義変更し、つぎに自分が社長をしている江戸村の土地に名義変更、さらに金沢地裁に訴訟を提起、康楽寺の移転請求をしてきたのである。金沢市に江戸村を高く売るための工作である。この江戸村にしろ日本観光の過半数の株式を桜井能唯は自分の物ににたのであるが、そのカラクリは前のプログでの日本タイプライターの中で述べた、桜井繁雄日本タイプライター社長の手口と同じである。 ただ違うのは桜井能唯は日本観光を倒産に落としいれた事である。日本タイプライターの桜井繁雄社長はキャノンに売却したのである。いずれにしろ父の康楽寺の財団である名義株を自己のもし、詐取したことには変わりはない。


日本タイプの崩壊(12) 白雲楼とシュガーアイランドの提携

2005年05月14日 11時30分28秒 | 桜井芳忠

  財団康楽寺            西武発展(コクド、西武鉄道、プリンス・ホテル)の資金源になったのが、財団 康楽寺である

北国新聞平成2年4月9日白雲楼ホテルとシュガーアイランドの提携を発表した。3月8日の株主総会で役員の交代があり、桜井能唯と父の死後裁判認知を受けた
桜井宏明(旧姓吉田)の社長交代があった。
その後役員会議で60億円の借り入れの承諾があり、シュガーアイランドの子会社那須観光の佐藤充男社長が60億借り入れの保証を行なう那須観光の取締役会の決議があり、この金で桜井能唯の偽の日本観光の株式の受け渡しがあり、シュガーアイランドの役員が全員日本観光に乗り込んできたのである。
シュガーアイランドは日本観光の新社長桜井宏明の親友としているが、これは嘘で前のプログで書いた様に、弁谷貞造の妻の実家の川崎財閥の関係である。この後シュガーアイランドは三菱商事と合弁会社を作っている。南鳴子リゾート開発株式会社で資本金4億円の会社がが設立されていれている。ゴルフ場やホテル経営を目的として、設立が平成2年7月である。
即ち白雲楼とシュガーアイランドの提携の後である。
中曽根政権時代のリゾート法によるものである。
中曽根氏と日本観光を倒産させた桜井能唯は、海軍の兵学校の同期で親しかった

シュガーアイランドは豊富な資金もないのに、バブル崩壊の時期に次から次えと開発を進め平成7年には倒産している。
その資金は足利銀行の子会社北関東リースである事は既に述べた。
平成元年からバブルが崩壊し始め、日本観光の桜井能唯は会社を売ることを弁谷貞造等と話を進め、日本観光の倒産劇のプロットは出来ていたのである。日本観光は桜井能唯が造った江戸村等で既に数十億の借財があり、会社は父の戸籍上の子供により総会屋の棲窟となっており、会社を売却することばかりを考えていた経営陣は会社を倒産することに決めたのである。父は遺言を残し康楽寺の本殿を建築することの役員からの言質をとってあり、当時の経営陣は父の意向に反して、会社を潰すことにしたのである。延命順作が弁谷貞造の嫁を世話したのもその魂胆からである。
 父が経営していた北陸毎日新聞は北国新聞と対等合併しており、父は北国新聞の
大株主であるのに、日本観光の倒産については北国新聞は何ら真実を報道して
いないのである。
シュガーアイランドの提携には新聞紙上で花々しく報道し、リゾート法を悪用した
提携後についての白雲楼の倒産については、社会の公器としての新聞の役割を
放棄している。