窪田空穂記念館
両親の墓参りのついでに,近くにある窪田空穂記念館を訪ねた。
帰郷のたびに訪れようと思いつつ,長らく館長をしていた畏友上条宏之君の存命中にそれが果たせなかったことを悔いながらの訪問だった。
わたし以外は訪ねるひとはなく,ゆっくりと1時間余り見学し,同郷の歌人の足跡を辿った。
窪田空穂は,1877年長野県東筑摩郡和田村(現松本市和田)に生まれ,松本中学卒業後,郷里を出奔して,東京専門学校(現早稲田大学)に入る。
挫折して一旦帰郷後,再度上京して東京専門学校に入学し,文学を志す。
与謝野鉄幹にその作歌を認められ,歌人,文人の地位を固めていく。また,早稲田大学に教授として迎えられ,学究として古典の研究にも業績を残す。
わたしは,窪田空穂の随筆を文庫本で一冊読んだだけで,その作歌も余り知らないが,いずれも印象に残っている。
『近代秀歌』(永田和弘男著 岩波新書2013年)所収の4首を挙げる。
鉦鳴らし信濃の国を行き行かばありしながらの母見るらむか
もっとも有名な一首。空穂が20歳の時に亡くなった母への挽歌である。松本市の城山公園に歌碑がある。
其子等に捕らえられむと母が魂蛍と成りて夜を来たるらし
空穂は妻を亡くした時,実家に子供たちを預けた。その時に,庭で遊ぶ子らを見て詠んだ歌。
老ふたり互いに空気となり合ひて有るには忘れ無きを思はず
うまいねー
まつはただ意志あるのみの今日なれど眼つぶればまぶたの重し
空穂は1967年,91歳で亡くなっている。死の床でも歌を詠み続け,これは死の4日前に詠んだ絶詠である。
ノスタルジアが癒された一時だった。
窪田空穂記念館
生家
木彫の胸像
STOP WAR!
母は飯より短歌が好きでした。その関係でこの人の名を知った日がありました。
落ち着いた立派な記念館ですね。
和田の歌人窪田空穂、その記念館、館長が我らの同期生上条宏之さんであったことを、改めて教えていただきました。
山人さんの行動力に、ただただ感服しています‼︎
窪田空穂の心に生き続けた故郷の立派な記念館ですね
山人さんの驚異的行動力に圧倒されただ驚くのみ。私は墓参(伊那市高遠町)へは数年行っていません。行かねばとの気持ちはありますが体力がともないません。残念です。