石川拓治
『新宿ベル・エポック 芸術と食を生んだ中村屋サロン』
小学館 2015年
ブログにも書いたが、先日久しぶりに新宿中村屋の印度カレーを食べて、この本のことを思い出し、書棚から引っ張り出して再読した。
新宿中村屋に関してはこのほかに2冊読んでいる。
ひとつは、臼井吉見著『安曇野』(ちくま文庫1~5巻所集)で、信州安曇野の青春群像を描いた大河小説である。新宿中村屋に集う人々の動きが、小説の柱になっている。
もうひとつは、中島岳志著『中村屋のボース インド独立運動と近代アジア主義』(白水社)で、新宿中村屋に寄食したインド独立運動家のスバス・チャンドラ・ボースのことを記したドキュメントである。
わたしは父が旧高家村の生まれで、血の半分が安曇であるため、臼井氏の『安曇野』は、一種憧憬の念をもって読んだ。もう一回通読したいと思っている。
石川氏によるこの本は、新宿中村屋の創設者相馬愛蔵とその妻黒光(良)との結婚から説き起こし、2014年の新宿中村屋ビルの完成までの歴史を記している。
安曇野東穂高村の旧家の生まれで蚕種業を営む相馬愛蔵と、仙台藩家老の家柄ではあるが家運が傾いた家に生まれた星良(のちの黒光)が東京で知り合って1892年に結婚し、二人は信州での生活を始める。
愛蔵は現在の早稲田大学で学んだクリスチャンで、地元では禁酒会を組織して、自宅を若者の集うサロンとして開放する。その中に、後に碌山の名前で不世出の彫刻家となる荻原守衛がいた。
明治女学校で高度な教育を受けた良は、こうした安曇野の文化に馴染むことができなかったが、東京にあこがれ画家あるいは小説家を目指す守衛との会話には安らぎを感じていた。二人の間に育つプラトニックラヴが、この本の大きなテーマの一つになっている。
良の気鬱を心配した愛蔵が東京に一戸を構え、1901年に良とともにパン屋を開業して成功し、新宿に進出して1909年、現在の場所に中村屋本店を開く。
一方、荻原守衛はアメリカにわたって苦学し、さらにパリで勉強を重ねてロダンに私淑し、彫刻家碌山として帰国して中村屋本店の近くにアトリエを構える。
中村屋は、碌山の友人らの集まるサロンとなり、良は黒光と称してその中心的な役割を果たす。
愛蔵の女性関係に悩む黒光を知って、碌山は黒光に思慕を寄せるようになり、黒光もそれを知り碌山を愛するようになる。愛蔵はそのことに気づきながら、泰然としてそれを許容する。
碌山は自分の気持ちを彫刻に託し、「女」という畢生の大作を残して、1910年に急逝する。
この愛蔵、黒光、碌山の関係についての著者の記述は詳細を極め、中村屋の歴史に単なる社史とは言えない深い彩りをもたらしている。
碌山亡きあとも中村屋サロンは継続する。そして、中村屋はインド独立運動家のボースの助言で本邦初のインドカリーを売り出し、1927年喫茶部(レストラン)を開設し、これが現在に至っている。
愛蔵は1954年に、黒光はその翌年に亡くなっている。
著者は愛蔵と黒光が、新宿に古きよき時代、ベル・エポックをもたらしたと総括している。
信州安曇野で出会った3人が新宿に作り出した文化の息吹を、わたしはインドカリーを食べながら感じていた。機会を作ってまた行きたい。そして、今度は中村ビル3階の美術館で、「女」をゆっくりと鑑賞したい。
STOP WAR!
中村ビル3階の美術館で、「女」をゆっくりと鑑賞したいですね♪♪
丹羽さんのここを読ませてもらい、何だか改めてこの本の魅力がわかった気がします。