建国記念日である。この日は小学校の同級会の開催日となっていた。同級会の名称は「和田/奥沢小学校同級会」である。
わたしは昭和17年(1942年)に村立の和田国民学校に入学し,同じく村立の和田小学校を23年に卒業している。3年生の時に,東京都世田谷区の奥沢国民学校の生徒が集団疎開してきた。3年生から6年生まで,各学年20名あまりだったろうか。お寺の本堂が宿舎だった。20年の初秋に東京へ帰っていった。約1年半の滞在であったが,親元を離れての厳しい生活は察するに余りある。
ところが,この方々は和田村(現在は松本市に併合)のことを第2の故郷といってくださり,折に触れ村民との交流を重ねられてきた。もちろん,苦難の時を思い出し,2度と足を運びたくないとおっしゃる人もおられることは無理からぬことではある。
そんな経緯の中で,「和田/奥沢小学校同級会」は形成され,コロナで中断しているが,今に至るまで継続している。わたしは,疎開してこられた方々に何かしらの負い目を感じている。当時の苦難をわたしたちのせいにはせずに思い出話として語り,疎開先を提供してくれたことへの感謝すら表明される奥沢小学校の皆さんのお気持ちは,本当に尊いものだとありがたく思っている。
(疎開にまつわるエピソードは,折に触れ書いていきたい。)
今日の紙面から:朝日新聞2面「ひと」
ガーナのカカオ生産者の大部分はチョコレートを味わったことがないそうだ。典型的な食料生産における疎外だと感じる。
する事が出来る事は「時の流れ」が全てを解決して
お察しします。こんなことはもうあってはならないですね。
女子大生が、ガーナに、チョコレートをつくったとは、凄い、偉い!
自分の娘がこんなことをすると言い出したら,心配するけど,大したものですね