ポルトガルの空の下で

ポルトガルの町や生活を写真とともに綴ります。また、日本恋しさに、子ども恋しさに思い出もエッセイに綴っています。

ポルトのダウンタウン:「サンタカタリナ通り」(1)

2019-05-12 10:44:28 | ペット
2019年5月12日

ダウンタウンをポルトガル語では俗にBaixa(=バイシャ。下の意味)と言います。 そのダウンタウンの目抜き通りが歩行者天国のサンタ・カタリナ通りです。

クリスマスの時期には、人でごった返し、通りは身動きができないほどのにぎやかさでしたが、郊外の大手ショッピングセンターの数軒もの出現で、往年の賑やかさはなくなっていました。

が、ポルトは2014年に、ヨーロッパで一番訪れてみたい都市に選ばれるなどして、ここ数年、観光客がうなぎのぼりに増え、サンタ・カタリナ通りは再び賑わっています。

ブティックが軒を並べている中、古い歴史を持つハイライトも幾つかあります。そのひとつが、Capela das Almas(カペラ・ダス・アルマス。Capela=礼拝堂 almas=魂、精神)です。



18世紀初期に建てられた小さな礼拝堂ですが、外部を覆うAzulejo(=アズレージュ。青タイル絵)が完成したのは20世紀に入った1929年。総数15947枚のアズレージュが語るは、サンタ(聖女)・カタリナとアッシジのサン・フランシスコの生涯です。
 


さて、聖女カタリナとは?と、わたしはこういうことにすぐ興味をそそられるのです。カトリック信者が多い国には、聖人聖女がたくさんおり、これらの名前と伝説を整理して覚えるのは生半可なことではありませんが、それを知らずしてこのアズレージュを見てなんとしよう!というので、以下。

★サンタ・カタリナとは?

聖人、聖女の名はあまたあり、国によっては同じ聖人聖女なので呼び方が違ったりします。わたしはカトリック信者ではありませんが、現代に残る気になる名前の由来をたずねるのが好きで、よく調べます。

「カタリナ」はポルトガル人の女性名にもよく使われのですが、サンタ(聖)・カタリナはどうも二人いるようです。

そのひとりは、アレキサンドリアの聖女カタリナ、もうひとりがイタリア、トスカーナ地方、シエナの聖女カタリナです。二人の物語は一部似通ったところもあり、混乱を招くようです。

アレキサンドリアのカタリナは4世紀に名家に生まれ、高い教育を受けました。才女と美貌の誉れ高く、皇帝からの改宗命令を拒み投獄されます。車輪に手足をくくりつけられて転がされるという拷問が命じられますが、カタリナが車輪に手を触れると車輪はひとりでに壊れてしまったがため、斬首、19歳で殉教しています。サンタ・カタリナのシンボルは、壊れた車輪、足元の王冠、剣、本、異教の哲学者と論争する女性、などなど。

もう一人、シエナのカタリナは14世紀の人で幼児期から幻視体験を持つといわれ、長じてドミニク修道女となります。興味のある方は検索してみてください。

で、件のアズレージュ絵はシンボルから、アレキサンドリアのサンタ・カタリナであると判断します。

シンボルの剣と本をもっている。  

下は異教の哲学者との論争場面と推察。
 

聖女サンタ・カタリナ伝説は、場所がアレキサンドリアということ、才女と美貌の誉れが高い、ということ、惨殺されたという点から、わたしは、4世紀のアレキサンドリアの数学者、天動説に疑問をいだいた天文学者であり、新プラトン主義哲学者でもあった女性「ヒュパティア(Hypatia)」を思いおこします。

分裂していた東西ローマ帝国を統一して治めたただ一人のローマ帝国皇帝テオドシウス1世はキリスト教徒でした。哲学学校の校長であり、学術的、科学的な哲学を持つヒュパティアはキリスト教徒からすると、異端とみられていました。皇帝の異端迫害方針により、エジプトの非キリスト教宗教施設や神殿、有名なアレキサンドリア図書館と共にヒュパティアの学校も破壊され、彼女は修道士たちに惨殺されます。これにより、多くの学者たちがアレキサンドリアを後にします。学問が繁栄したアレキサンドリア凋落の引き金になったのです。

ヒュパティアについては、2009年カンヌ映画祭で受賞した「Agora」(芳名:アレキサンドリア)があります。タイトル「Agora」についても、知ってみるとなかなか面白い。 「アゴーラ」と読み、語源はギリシャ語。古代ギリシャの政治的人民集会や、その広場の意味になりますが、スペイン語では「予言する」の動詞、さらにポルトガル語の「agora」は「今、現在」の意味です。なんとも意味深な映画のタイトルではありませんか。 

中世期にヨーロッパを制覇したキリスト教ですが、実は異端教(キリスト教以外の全ての宗教)から拝借していることも多いのです。最たるものは「イースター(復活祭)」です。イースターは元来は古代ヨーロッパ人の女神Osteraを崇め、春の到来を祝った祭りだといわれます。


それを考えると、アレキサンドリアのサンタ・カタリナの伝説はひょっとして異教徒であり哲学者であったヒュパティアをモデルにしたのではないかと、思ったりするのですが、果たしていかに。

下記は「Agora」予告編です。






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