中年おじさんの散策part2-3

東京都内・海外の散策を楽しんでいる叔父さん。いろいろなところを散策し記憶として記録しています。よろしかったらご覧ください

散策 「東京南西部-574」 日蓮宗 福聚山 新宿鬼子母神 成子子育地蔵尊

2022-04-25 06:11:49 | 東京 南西部

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日蓮宗 福聚山    新宿鬼子母神

新宿鬼子母神(常泉院)

常円寺の門前にある新宿鬼子母神は常泉院といい、常円寺とは別の日蓮宗寺院である。
寛文年間(1661~1672年)に創建され、常円寺の子院だったとも、隠居寺だったともいう。
こちらの寺は戦災焼失を免れており、近代(戦前)に建てられた本堂と鬼子母神堂が現存する。
(エリアガイドには不掲載。)

常円寺

Joenji常円寺は、東京都新宿区の、JR新宿駅より北西へ徒歩8分の地にある日蓮宗の寺院。西新宿の超高層ビル街に隣接する。
創建年代は不詳だが、天正13年(1585年)に幡ケ谷から当地へ移った。
諸堂は第二次世界大戦の空襲でほぼ焼失し、庫裏(現・書院)として日野市から養蚕農家の邸宅が移築された。
なお、門前にある新宿鬼子母神は、常泉院という別の日蓮宗の寺院で、こちらの本堂と鬼子母神堂は戦前のものが残る。

 

 

20160226  東京南西 梅
東京都新宿区西新宿
                  常圓寺
      新宿鬼子母神
 常圓寺(じょうえんじ、常円寺)は、東京都新宿区西新宿七丁目にある日蓮宗の寺院。山号は福聚山。旧本山は平賀本土寺。奠師法縁(奠統会)。 
  創建年代は不詳。1585年(天正13年)頃、渋谷区幡ヶ谷近辺より青梅街道沿いの現在地に移されたと伝わる。常圓寺出身の僧には高僧が多く、日蓮宗の最高学府に当たる中村壇林の能下(学長に相当)などが輩出した。1945年(昭和20年)の戦災で諸堂、寺宝の多くを失ったが、順次復興した。

 

 

20140622 東京南西・紫陽花
東京都新宿区西新宿
柏照山 常泉院
  新宿鬼子母神
  寛文年間(1661-1673)に日俊上人が創建。新宿鬼子母神(成子の子育て鬼子母神)、浄行菩薩(心身を清める水かけボサツ)が祀られており、地域住民をはじめサラリーマンやOL、さらには外国人らの参詣もある。またお題目修行を中心にした誰でも参加出来る「幸せを願う感謝のお題目会」を毎日午後2時より無料で行っているらしい。
 日蓮宗常園寺と隣接しているが別なお寺産のようである。初夏には、紫陽花が美しく咲いていた。

 

 

 

 

 

 

 

20140622 東京南西・紫陽花
東京都新宿区西新宿
柏照山 常泉院
  新宿鬼子母神
  寛文年間(1661-1673)に日俊上人が創建。新宿鬼子母神(成子の子育て鬼子母神)、浄行菩薩(心身を清める水かけボサツ)が祀られており、地域住民をはじめサラリーマンやOL、さらには外国人らの参詣もある。またお題目修行を中心にした誰でも参加出来る「幸せを願う感謝のお題目会」を毎日午後2時より無料で行っているらしい。
 日蓮宗常園寺と隣接しているが別なお寺産のようである。初夏には、紫陽花が美しく咲いていた。

 

 

 

 

 

 

 

散策 「東京南西部-573」 鯨塚

散策 「東京南西部-572」 品川浦・梨田神社

散策 「東京南西部-571」 富岡八幡宮(深川七福神)

散策 「東京南西部-570」 布多天神社

散策 「東京南西部-569」 武者小路実篤記念館

散策 「東京南西部-568」 武蔵小山温泉清水湯

散策 「東京南西部-567」 法蓮寺

散策 「東京南西部-566」 北沢八幡宮

散策 「東京南西部-565」 北馬込寺郷公園

散策 「東京南西部-564」 満願寺

散策 「東京南西部-563」 妙福寺 (大田区)

散策 「東京南西部-562」 妙法寺 おおくら大佛

散策 「東京南西部-561」 無量寺 (世田谷区)

策 「東京南西部-560」 目黒雅叙園

散策 「東京南西部-559」 目黒区古民家

散策 「東京南西部-557」 目黒不動尊 滝泉寺前不動堂

散策 「東京南西部-556」 目黒不動尊

散策 「東京南西部-555」 野毛大塚塚古墳

散策 「東京南西部-554」 薬師如来瑠璃光院

散策 「東京南西部-553」 祐天寺阿弥陀堂

散策 「東京南西部-552」 用賀プロムナード

散策 「東京南西部-551」 用賀駅

散策 「東京南西部-550」 養玉院如来寺

散策 「東京南西部-549」 龍子記念館

散策 「東京南西部-548」 六郷温泉

散策 「東京南西部-547」 六地蔵のめぐみ黄金の水

 

 

 

 

 

 

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散策 「東京南西部-573」 鯨塚

2022-04-23 05:25:47 | 東京 南西部

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東京都品川区東品川
      梨田神社  鯨塚
 利田神社は、品川区東品川にある神社です。利田神社は、寛永3年(1626)に、東海寺の沢庵が弁財天を勧請したのが始まりとされます。当地一帯は安永3年(1774)から天保5年(1834)にかけて、南品川宿名主利田吉左衛門により開発されたことから利田新地と呼ばれ、当社も利田神社と称します。当社内には寛政10年(1798)5月に暴風雨で品川沖に迷い込んだ鯨の供養碑鯨碑があります。
  利田神社は、寛永3年(1626)に、東海寺の沢庵が弁財天を勧請したのが始まりとされます。当地一帯は安永3年(1774)から天保5年(1834)にかけて、南品川宿名主利田吉左衛門により開発されたことから利田新地と呼ばれ、当社も利田神社と称します。
  鯨塚(右の画像)は富士山のような形をした石碑です。碑文は鯨碑ですが、鯨塚として呼ばれています。鯨碑と横書きで記された下には当時の俳人谷素外の句「江戸に鳴る冥加やたかし夏鯨」と刻まれていました。

 

 

20161108 東京南西 紅葉・塚(史跡)
東京都品川区東品川
      利田神社  鯨塚
 利田神社は、品川区東品川にある神社です。利田神社は、寛永3年(1626)に、東海寺の沢庵が弁財天を勧請したのが始まりとされます。当地一帯は安永3年(1774)から天保5年(1834)にかけて、南品川宿名主利田吉左衛門により開発されたことから利田新地と呼ばれ、当社も利田神社と称します。当社内には寛政10年(1798)5月に暴風雨で品川沖に迷い込んだ鯨の供養碑鯨碑があります。
  利田神社は、寛永3年(1626)に、東海寺の沢庵が弁財天を勧請したのが始まりとされます。当地一帯は安永3年(1774)から天保5年(1834)にかけて、南品川宿名主利田吉左衛門により開発されたことから利田新地と呼ばれ、当社も利田神社と称します。
  鯨塚(右の画像)は富士山のような形をした石碑です。碑文は鯨碑ですが、鯨塚として呼ばれています。鯨碑と横書きで記された下には当時の俳人谷素外の句「江戸に鳴る冥加やたかし夏鯨」と刻まれていました。

 

 

 

 

20160922 東京南西 ツツジ
東京都品川区東品川
      利田神社  鯨塚
 利田神社は、品川区東品川にある神社です。利田神社は、寛永3年(1626)に、東海寺の沢庵が弁財天を勧請したのが始まりとされます。当地一帯は安永3年(1774)から天保5年(1834)にかけて、南品川宿名主利田吉左衛門により開発されたことから利田新地と呼ばれ、当社も利田神社と称します。当社内には寛政10年(1798)5月に暴風雨で品川沖に迷い込んだ鯨の供養碑鯨碑があります。
  利田神社は、寛永3年(1626)に、東海寺の沢庵が弁財天を勧請したのが始まりとされます。当地一帯は安永3年(1774)から天保5年(1834)にかけて、南品川宿名主利田吉左衛門により開発されたことから利田新地と呼ばれ、当社も利田神社と称します。
  鯨塚(右の画像)は富士山のような形をした石碑です。碑文は鯨碑ですが、鯨塚として呼ばれています。鯨碑と横書きで記された下には当時の俳人谷素外の句「江戸に鳴る冥加やたかし夏鯨」と刻まれていました。

 

 

 

20160421 東京南西 ツツジ
東京都品川区東品川
      利田神社  鯨塚
 利田神社は、品川区東品川にある神社です。利田神社は、寛永3年(1626)に、東海寺の沢庵が弁財天を勧請したのが始まりとされます。当地一帯は安永3年(1774)から天保5年(1834)にかけて、南品川宿名主利田吉左衛門により開発されたことから利田新地と呼ばれ、当社も利田神社と称します。当社内には寛政10年(1798)5月に暴風雨で品川沖に迷い込んだ鯨の供養碑鯨碑があります。
  利田神社は、寛永3年(1626)に、東海寺の沢庵が弁財天を勧請したのが始まりとされます。当地一帯は安永3年(1774)から天保5年(1834)にかけて、南品川宿名主利田吉左衛門により開発されたことから利田新地と呼ばれ、当社も利田神社と称します。
  鯨塚(右の画像)は富士山のような形をした石碑です。碑文は鯨碑ですが、鯨塚として呼ばれています。鯨碑と横書きで記された下には当時の俳人谷素外の句「江戸に鳴る冥加やたかし夏鯨」と刻まれていました。

 

 

 

天王洲アイルで食事「野立(のだて)」膳2,625円  「つきじ植むら 天王洲郵船ビル店」 

...東品川散策-目黒川(分岐)-天王洲運河-東品川海上公園-天王洲公園-天王洲アイル天王洲アイルで食事「野立(のだて)」膳2,625円 「つきじ植むら 天王洲郵船ビル店」第31回 品川から芝浦,レインボーブリッヂ・お台...
中年夫婦の外食 2016/04/22 06:08:00

ratuko00.exblog.jp

 

第8回  熊谷カルチャーセンター
品川から水族館めぐり(品川宿・品川水族館)
平成26年3月14日(金) 
池袋ヤマダ電気入り口10時集合
「東京の宿場街、
    旧跡・七福神を散策」
  品川駅--品川新都市街「散策」-(北品川巡り)-品川浦船だまり-鯨塚-土蔵相場跡-寄木神社-(旧東海道)-品川神社「品川富士登頂」(青物横丁)-旧網元の家-浜川橋(深橋)-鈴ヶ森刑務所跡-品川区民公園-品川水族館「見学」-大森駅 

 

 

 

 

 

「丸富」、丼。種民的な豪華な食事を久々に体験。

...品川宿を歩いてみた。当初から①②天ぷら③蕎麦を昼食と考えていたが、参加者の雰囲気を見ると何かしっかり食べたい。その上、リーズナブルなこの地ではのものという感じ。そうなれば庶民的な店。頭に浮かんだのが「丸冨」。  以前は、テイクアウトの店と...
中年夫婦の外食 2014/03/30 04:47:00

ratuko00.exblog.jp

 

20140314  東京南西・鯨塚
東京都港区東品川
利田神社(鯨塚)
  鯨碑(鯨塚)は、寛政十年(1798)5月1日、前日からの暴風雨で品川沖に迷い込んだところを品川浦の漁師達によって捕らえられた鯨の供養碑。鯨の体長は九間一尺(約16.5m)高さ六尺八寸(約2m)の大鯨で、江戸中の評判となった。ついには11代将軍家斉(いえなり)が浜御殿(現、浜離宮恩賜庭園)で上覧するという騒ぎもなったという。
 全国に多くの鯨の墓(塚・塔・碑など)が散在するが、東京に現存する唯一の鯨碑(鯨塚)。また、本碑にかかわる調査から品川浦のように捕鯨を行っていない地域での鯨捕獲の法を定めていることや、鯨見物に対する江戸庶民の喧騒ぶりを窺い知ることができる貴重な歴史資料となっている。

 

 

 

 

 

散策 「東京南西部-572」 品川浦・梨田神社

散策 「東京南西部-571」 富岡八幡宮(深川七福神)

散策 「東京南西部-570」 布多天神社

散策 「東京南西部-569」 武者小路実篤記念館

散策 「東京南西部-568」 武蔵小山温泉清水湯

散策 「東京南西部-567」 法蓮寺

散策 「東京南西部-566」 北沢八幡宮

散策 「東京南西部-565」 北馬込寺郷公園

散策 「東京南西部-564」 満願寺

散策 「東京南西部-563」 妙福寺 (大田区)

散策 「東京南西部-562」 妙法寺 おおくら大佛

散策 「東京南西部-561」 無量寺 (世田谷区)

策 「東京南西部-560」 目黒雅叙園

散策 「東京南西部-559」 目黒区古民家

散策 「東京南西部-557」 目黒不動尊 滝泉寺前不動堂

散策 「東京南西部-556」 目黒不動尊

散策 「東京南西部-555」 野毛大塚塚古墳

散策 「東京南西部-554」 薬師如来瑠璃光院

散策 「東京南西部-553」 祐天寺阿弥陀堂

散策 「東京南西部-552」 用賀プロムナード

散策 「東京南西部-551」 用賀駅

散策 「東京南西部-550」 養玉院如来寺

散策 「東京南西部-549」 龍子記念館

散策 「東京南西部-548」 六郷温泉

散策 「東京南西部-547」 六地蔵のめぐみ黄金の水

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散策 「東京南西部-572」 品川浦・梨田神社

2022-04-22 07:14:20 | 東京 南西部

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品川浦 舟だまり

江戸から平成まで、水辺の歴史が漂う風景

かつて品川浦は「御菜肴八ヶ浦」という、とれた魚を江戸城へ納める漁村の一つに決められていました。豊富な水揚げを誇り、海苔の主要な産地でしたが、東京港建設のため昭和37年(1962)に漁場権利を東京都に譲り渡し、翌年品川周辺の海苔養殖は幕を閉じました。
現在では、つり船や屋形船が舳先(へさき)を並べています。早朝や夕暮れ時は独特の風情があり、撮影や写生、吟行にもおすすめです。水辺と背景の品川の古い家並み、その向こうの品川駅周辺の再開発のビル群との対比は東京を象徴する風景です。水路にかかる石造りの北品川橋は大正期末のもの。

 

東京都品川区東品川
      梨田神社  鯨塚
 利田神社は、品川区東品川にある神社です。利田神社は、寛永3年(1626)に、東海寺の沢庵が弁財天を勧請したのが始まりとされます。当地一帯は安永3年(1774)から天保5年(1834)にかけて、南品川宿名主利田吉左衛門により開発されたことから利田新地と呼ばれ、当社も利田神社と称します。当社内には寛政10年(1798)5月に暴風雨で品川沖に迷い込んだ鯨の供養碑鯨碑があります。
  利田神社は、寛永3年(1626)に、東海寺の沢庵が弁財天を勧請したのが始まりとされます。当地一帯は安永3年(1774)から天保5年(1834)にかけて、南品川宿名主利田吉左衛門により開発されたことから利田新地と呼ばれ、当社も利田神社と称します。
  鯨塚(右の画像)は富士山のような形をした石碑です。碑文は鯨碑ですが、鯨塚として呼ばれています。鯨碑と横書きで記された下には当時の俳人谷素外の句「江戸に鳴る冥加やたかし夏鯨」と刻まれていました。

 

20161108 東京南東 
東京都品川区北品川            
品川船溜まり近辺
江戸時代に栄えた海へと続く水辺の風景
 JR品川駅からほど近い北品川には、今も木造の古い家並みが続いています。ここはかつて、水揚げの豊かな 漁村だった品川浦。当時の面影が船溜まりとして残り、釣り船や屋形船などが繋留されていて、北品川橋の上からは、これらの船を眺めることができます。船溜まりの向こうには木造の家屋があり、その向こうには高層ビルが建ち並びます。今と昔が混在した、ちょっと不思議な景色を見ることができます。 
 北品川駅近くにある、屋形船の乗船場。周囲の横丁も含めて、ノスタルジックな撮影スポット。

 

 

 

散策 「東京南西部-514」 品川インターシティ

 

コロナウィルスが終息すれば再開します。状況になって変化します。詳しくは問い合わせください。9月からは再開できそうです。

「一級建築士とお食事も楽しみながら!⑯」 セブンカルチャー「東京・有名建築散歩」 再開予定202009

「一級建築士とお食事も楽しみながら!⑮」 セブンカルチャー「東京・有名建築散歩」 再開予定202009

 

20180612  東京南東 見学
東京都品川区北品川
    品川浦  品川船溜
江戸から平成まで、水辺の歴史が漂う風景
かつて品川浦は「御菜肴八ヶ浦」という、とれた魚を江戸城へ納める漁村の一つに決められていました。豊富な水揚げを誇り、海苔の主要な産地でしたが、東京港建設のため昭和37年(1962)に漁場権利を東京都に譲り渡し、翌年品川周辺の海苔養殖は幕を閉じました。
現在では、つり船や屋形船が舳先(へさき)を並べています。早朝や夕暮れ時は独特の風情があり、撮影や写生、吟行にもおすすめです。水辺と背景の品川の古い家並み、その向こうの品川駅周辺の再開発のビル群との対比は東京を象徴する風景です。水路にかかる石造りの北品川橋は大正期末のもの。 品川観光協会

 

 

 

20161108 東京南東 紅葉・史跡
東京都品川区北品川           
品川浦の船溜まり
江戸時代に栄えた海へと続く水辺の風景
 JR品川駅からほど近い北品川には、今も木造の古い家並みが続いています。ここはかつて、水揚げの豊かな 漁村だった品川浦。当時の面影が船溜まりとして残り、釣り船や屋形船などが繋留されていて、北品川橋の上からは、これらの船を眺めることができます。船溜まりの向こうには木造の家屋があり、その向こうには高層ビルが建ち並びます。今と昔が混在した、ちょっと不思議な景色を見ることができます。 
 北品川駅近くにある、屋形船の乗船場。周囲の横丁も含めて、ノスタルジックな撮影スポット。

 

20160922  東京南西
東京都品川区北品川
品川浦船溜り付近
 かつて品川浦は豊富な水揚げを誇り、海苔の主要な産地でもあった。現在ではつり船や屋形船が舳先(へさき)を並べ、釣り人や納涼に繰り出す人々でにぎわっている。たくさんの屋形船と釣船がもやい、その間を水鳥が泳ぎ回る光景は、都会ではもはや得難いもの。品川区内でも最大の観光スポットのひとつ。早朝、夕暮れ時など、独特の風情があり、撮影や写生、吟行にもおすすめ。
 水辺と、背景の品川の古い家並み、その向こうの品川駅周辺の再開発のビル群との対比は、21世紀初頭の東京を象徴するシーン。水路にかかる北品川橋は大正期末の石造りで、デザインも作りも重厚。釣り人には、昔からおなじみのスポット。・屋形舟は貸し切りが基本だが、最近では相乗りの屋形船もある。また、南の天王祭の海中渡御を見物できる船も好評。桜見物、花火見物、東京湾めぐりなど、豊富なコースメニューが用意されている。カモメにえさを投げ与えるパフォーマンスは子どもにも人気。 

 

20160421 東京南西 ツツジ
東京都品川区北品川
品川浦船溜り付近
 かつて品川浦は豊富な水揚げを誇り、海苔の主要な産地でもあった。現在ではつり船や屋形船が舳先(へさき)を並べ、釣り人や納涼に繰り出す人々でにぎわっている。たくさんの屋形船と釣船がもやい、その間を水鳥が泳ぎ回る光景は、都会ではもはや得難いもの。品川区内でも最大の観光スポットのひとつ。早朝、夕暮れ時など、独特の風情があり、撮影や写生、吟行にもおすすめ。
 水辺と、背景の品川の古い家並み、その向こうの品川駅周辺の再開発のビル群との対比は、21世紀初頭の東京を象徴するシーン。水路にかかる北品川橋は大正期末の石造りで、デザインも作りも重厚。釣り人には、昔からおなじみのスポット。・屋形舟は貸し切りが基本だが、最近では相乗りの屋形船もある。また、南の天王祭の海中渡御を見物できる船も好評。桜見物、花火見物、東京湾めぐりなど、豊富なコースメニューが用意されている。カモメにえさを投げ与えるパフォーマンスは子どもにも人気。 

 

 

 

 

 

カルチャーセンター「建築散策と東京散策」②
第3回品川から水族館めくり
(宿場宿・品川水族館)
9月22日(木) 集合:品川駅10時30分(中央口・みどりの窓口)
「東海七福神と品川宿(東海道)を垣間見るたび」
再開発地域の計画・宿場を考える
解散:大井町15時  
青物横丁で食事(すし) 1500円程度
品川駅-品川新都市街「散策」-(北品川巡り)-品川浦船だまり-鯨塚-土蔵相場跡-寄木神社-(旧東海道)-品川神社「品川富士登頂」(青物横丁)-旧網元の家-浜川橋(深橋)-鈴ヶ森刑務所跡-品川区民公園-品川水族館「見学」-大井町駅
○主な建築①品川新都心開発②船泊の形式・用途・歴史③宿場町(歴史的建造物・美観条例等)


すししながわ 葵   第3回品川から水族館めくり(宿場宿・品川水族館)   カルチャーセンター「建築散策と東京散策」②_f0388041_10473862.jpg



すししながわ 葵   第3回品川から水族館めくり(宿場宿・品川水族館)   カルチャーセンター「建築散策と東京散策」②_f0388041_10474457.jpg



すししながわ 葵   第3回品川から水族館めくり(宿場宿・品川水族館)   カルチャーセンター「建築散策と東京散策」②_f0388041_10475179.jpg





すししながわ 葵   第3回品川から水族館めくり(宿場宿・品川水族館)   カルチャーセンター「建築散策と東京散策」②_f0388041_10480543.jpg

 

セブンカルチャー「東京・有名建築散歩」②                  第3金曜日実施
                「一級建築士とお食事も楽しみながら!」
第5回品川から水族館(宿場宿・品川水族館) 平成29年2月17日(金)
「東海七福神と品川宿(東海道)を垣間見るたび」再開発地域の計画・宿場を考える
集合:品川駅10時30分   解散:大井町14時30分
 品川駅中央コンコース「みどりの窓口前」
青物横丁で食事・イタリアン   2500円程度
 品川駅-品川新都市街「散策」-(北品川巡り)-品川浦船だまり-鯨塚-土蔵相場跡-寄木神社-(旧東海道)-品川神社「品川富士登頂」(青物横丁)-旧網元の家-浜川橋(深橋)-鈴ヶ森刑務所跡-品川区民公園-品川水族館「見学」-大井町駅
○主な建築①品川新都心開発②船泊の形式・用途・歴史③宿場町(歴史的建造物・美観条例等)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
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散策 「東京南西部-571」 富岡八幡宮(深川七福神)

2022-04-22 07:05:39 | 東京 南西部

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富岡八幡宮(深川七福神)
  深川と言えば,どうしても「不動尊」。影は薄いが,地元に愛され御利益があるとされているのが子の神社である。不動の参拝路から少し外れた場所に位置している。簡素で気持ちの良い下町の信者である。 
富岡八幡宮  伊能忠敬像 鳥居近くに
 富岡八幡宮は寛永4年(1627年)、当時永代島と呼ばれていた現在地に御神託により創建されました。周辺の砂州一帯を埋め立て、社地と氏子の居住地を開き、総じて六万五百八坪の社有地を得たのです。世に「深川の八幡様」と親しまれ、今も昔も変わらぬ信仰を集める「江戸最大の八幡様」です。
 江戸時代には、源氏の氏神である八幡大神を殊の外尊崇した徳川将軍家の手厚い保護を受け、明治維新に際しては朝廷が当宮を准勅祭社に御治定になり、勅使を遣わされ幣帛を賜り、新しい御代の弥栄を祈念されました。
 また、庶民の信仰は江戸の昔から大きな歴史の変転を経て現代に至まで変わることなく篤く受け継がれ、今も善男善女の参拝は絶えず、特に毎月1日、15日、28日の月次祭は縁日として大変な賑わいを見せています。

 

深川不動尊(成田山)
  「門前仲町」という駅名でも解るように,このあたりは深川不動尊の門前町として栄えてきた。当然地元の人々が生活と共に築いてきた待ちである。その中心に不動尊はある。規模もなかなかの物であり,現在でも施設の充実を図っている。
深川めし  江戸の「めし」と言えば,『目黒のサンマ』『深川めし』が思い出される。当然うまい飯があることが条件であるが,庶民が愛したアサリ飯は,江戸時代地元でとれた素材をどの家庭でも味割っていた事には代わりはない。

江東区にある深川不動尊は、江戸時代中期の町人文化の繁栄とともに誕生しました。成田山のご本尊、不動明王を江戸で参拝したいという気運が高まるなか、元禄16年(1703)、ついにご本尊の出張開帳が実現しました。この開帳の場所が現在の深川不動堂付近(当時は深川永代寺)だったのです。明治時代になり、神仏分離令によって永代寺は廃寺となり明治2年、深川不動堂の名称が認められ明治14年に本堂が完成しました。その本堂は関東大震災と太平洋戦争によって二度、焼失。明治26年、当時千葉県印旛郡のほとりに建っていた龍腹寺を深川に移築して本堂が復興。「宝蔵大日堂」や「四国八十八ヶ所巡拝所」のある「内仏殿」も無料で参拝できますので、ぜひ建物の内部にも入ってみましょう。また、深川不動尊では節分や花祭り、龍神例大祭など年間を通じてさまざまな行事が行われています。

 

 

散策 「東京南西部-570」 布多天神社

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散策 「東京南西部-570」 布多天神社

2022-04-21 08:32:52 | 東京中心 北

このブログは「中年おじさんの散策」3の継続版です 

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布多天神社

御祭神
少名毘古那神(スクナヒコナノカミ)
 神産巣日神(カミムスビノカミ)の御子神であられます。大国主神(オオクニヌシノカミ)と兄弟神となり、相協力してこの国を作り堅められました。諸国を巡り、人々に多くの知恵や技術を授け、助け導かれました。経営の神、酒造の神、温泉の神、医薬の神として広く崇め祀られています。 当社では古くより虫封じ、病気平癒、健康祈願、商売繁盛の神事が行われております。また、大国主神(大黒さま)と手を携える、恵比寿さまとして知られています。

菅原道真公(スガワラノミチザネコウ)
 承和十二年(845年)6月25日、京都菅原院にてご生誕。幼き頃より秀で、33歳で文章博士になるほどの学者であられました。宇多天皇のご信任を受け右大臣にまで出世されましたが、藤原氏に怨まれ、太宰権師へ左遷となりました。大宰府では天を怨まず人を憤らず、誠の心をもって罪の晴れる日を待っておられましたが、延喜三年(903年)2月25日、配所で59歳の生涯を閉じられました。 学問、特性ともに高かった菅公は、死後も人々に尊敬され、今もなお学問の神、書道の神、天神さまとして親しまれ、広く仰ぎ祀られています。

御由緒
 布多天神社の創建はあまりに古く定かではありませんが、延長五年(927年)に制定された「延喜式」という法典にその名を連ねる、多摩地方有数の古社で、社伝によれば第十一代垂仁天皇の御代、約1940年前の創建といわれております。 文明九年(1477年)に多摩川の洪水をさけ、古天神というところより現在地へ遷座され、その時に、御祭神、少彦名命(すくなひこなのみこと)に菅原道真公を配祀されました。
 江戸時代に甲州街道が作られ、上石原、下石原、上布田、下布田、国領の五宿ができ、布田五宿と呼ばれました。 当時、布多天神社は布田五宿の総鎮守であり、五宿天神と崇め祀られておりました。そして布田五宿は、明治二十二年に飛田給、上ヶ給と合併して調布町となり、当社は調布町総鎮守となりました。

 

 

 

20160712 東京南西 シンボル・像
東京都調布市布ヶ丘      
        布多天神社
  平安時代の中頃に制定された法典・延喜式にも名を連ねる多摩地方有数の古社で、社伝によると1940年も昔に創建されたといいます。室町時代の中頃に現在の地に移され、その時に主祭神・少名彦命と合わせて菅原道真公をお祀りしました。江戸時代には甲州街道の宿場である上石原、下石原、上布田、下布田、国領の五宿の総鎮守として五宿天神として大いに崇敬を集めました。現在は学問成就、商売繁盛などのご利益で知られ、多くの人がお参りに訪れます。最近はテレビでパワースポットとして紹介され、境内の「御神牛」はそのパワーをいただこうと毎日多くの人が撫でるため鼻がピカピカになっています。また、境内には調布市内で最も古い狛犬もあります。なお、「墓場鬼太郎」第5巻「おかしな奴」という話の中で、神社の奥の雑木林に鬼太郎が住んでいるとされています。
KEIOのhpより

 

 

 

 

 

 

 

 

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