中年おじさんの散策part2-3

東京都内・海外の散策を楽しんでいる叔父さん。いろいろなところを散策し記憶として記録しています。よろしかったらご覧ください

散策 「東京南西部-572」 品川浦・梨田神社

2022-04-22 07:14:20 | 東京 南西部

このブログは「中年おじさんの散策」3の継続版です 

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何か後審問があれば、コメント欄 or sosamu@ya2.so-net.ne.jp にご連絡ください。

 

品川浦 舟だまり

江戸から平成まで、水辺の歴史が漂う風景

かつて品川浦は「御菜肴八ヶ浦」という、とれた魚を江戸城へ納める漁村の一つに決められていました。豊富な水揚げを誇り、海苔の主要な産地でしたが、東京港建設のため昭和37年(1962)に漁場権利を東京都に譲り渡し、翌年品川周辺の海苔養殖は幕を閉じました。
現在では、つり船や屋形船が舳先(へさき)を並べています。早朝や夕暮れ時は独特の風情があり、撮影や写生、吟行にもおすすめです。水辺と背景の品川の古い家並み、その向こうの品川駅周辺の再開発のビル群との対比は東京を象徴する風景です。水路にかかる石造りの北品川橋は大正期末のもの。

 

東京都品川区東品川
      梨田神社  鯨塚
 利田神社は、品川区東品川にある神社です。利田神社は、寛永3年(1626)に、東海寺の沢庵が弁財天を勧請したのが始まりとされます。当地一帯は安永3年(1774)から天保5年(1834)にかけて、南品川宿名主利田吉左衛門により開発されたことから利田新地と呼ばれ、当社も利田神社と称します。当社内には寛政10年(1798)5月に暴風雨で品川沖に迷い込んだ鯨の供養碑鯨碑があります。
  利田神社は、寛永3年(1626)に、東海寺の沢庵が弁財天を勧請したのが始まりとされます。当地一帯は安永3年(1774)から天保5年(1834)にかけて、南品川宿名主利田吉左衛門により開発されたことから利田新地と呼ばれ、当社も利田神社と称します。
  鯨塚(右の画像)は富士山のような形をした石碑です。碑文は鯨碑ですが、鯨塚として呼ばれています。鯨碑と横書きで記された下には当時の俳人谷素外の句「江戸に鳴る冥加やたかし夏鯨」と刻まれていました。

 

20161108 東京南東 
東京都品川区北品川            
品川船溜まり近辺
江戸時代に栄えた海へと続く水辺の風景
 JR品川駅からほど近い北品川には、今も木造の古い家並みが続いています。ここはかつて、水揚げの豊かな 漁村だった品川浦。当時の面影が船溜まりとして残り、釣り船や屋形船などが繋留されていて、北品川橋の上からは、これらの船を眺めることができます。船溜まりの向こうには木造の家屋があり、その向こうには高層ビルが建ち並びます。今と昔が混在した、ちょっと不思議な景色を見ることができます。 
 北品川駅近くにある、屋形船の乗船場。周囲の横丁も含めて、ノスタルジックな撮影スポット。

 

 

 

散策 「東京南西部-514」 品川インターシティ

 

コロナウィルスが終息すれば再開します。状況になって変化します。詳しくは問い合わせください。9月からは再開できそうです。

「一級建築士とお食事も楽しみながら!⑯」 セブンカルチャー「東京・有名建築散歩」 再開予定202009

「一級建築士とお食事も楽しみながら!⑮」 セブンカルチャー「東京・有名建築散歩」 再開予定202009

 

20180612  東京南東 見学
東京都品川区北品川
    品川浦  品川船溜
江戸から平成まで、水辺の歴史が漂う風景
かつて品川浦は「御菜肴八ヶ浦」という、とれた魚を江戸城へ納める漁村の一つに決められていました。豊富な水揚げを誇り、海苔の主要な産地でしたが、東京港建設のため昭和37年(1962)に漁場権利を東京都に譲り渡し、翌年品川周辺の海苔養殖は幕を閉じました。
現在では、つり船や屋形船が舳先(へさき)を並べています。早朝や夕暮れ時は独特の風情があり、撮影や写生、吟行にもおすすめです。水辺と背景の品川の古い家並み、その向こうの品川駅周辺の再開発のビル群との対比は東京を象徴する風景です。水路にかかる石造りの北品川橋は大正期末のもの。 品川観光協会

 

 

 

20161108 東京南東 紅葉・史跡
東京都品川区北品川           
品川浦の船溜まり
江戸時代に栄えた海へと続く水辺の風景
 JR品川駅からほど近い北品川には、今も木造の古い家並みが続いています。ここはかつて、水揚げの豊かな 漁村だった品川浦。当時の面影が船溜まりとして残り、釣り船や屋形船などが繋留されていて、北品川橋の上からは、これらの船を眺めることができます。船溜まりの向こうには木造の家屋があり、その向こうには高層ビルが建ち並びます。今と昔が混在した、ちょっと不思議な景色を見ることができます。 
 北品川駅近くにある、屋形船の乗船場。周囲の横丁も含めて、ノスタルジックな撮影スポット。

 

20160922  東京南西
東京都品川区北品川
品川浦船溜り付近
 かつて品川浦は豊富な水揚げを誇り、海苔の主要な産地でもあった。現在ではつり船や屋形船が舳先(へさき)を並べ、釣り人や納涼に繰り出す人々でにぎわっている。たくさんの屋形船と釣船がもやい、その間を水鳥が泳ぎ回る光景は、都会ではもはや得難いもの。品川区内でも最大の観光スポットのひとつ。早朝、夕暮れ時など、独特の風情があり、撮影や写生、吟行にもおすすめ。
 水辺と、背景の品川の古い家並み、その向こうの品川駅周辺の再開発のビル群との対比は、21世紀初頭の東京を象徴するシーン。水路にかかる北品川橋は大正期末の石造りで、デザインも作りも重厚。釣り人には、昔からおなじみのスポット。・屋形舟は貸し切りが基本だが、最近では相乗りの屋形船もある。また、南の天王祭の海中渡御を見物できる船も好評。桜見物、花火見物、東京湾めぐりなど、豊富なコースメニューが用意されている。カモメにえさを投げ与えるパフォーマンスは子どもにも人気。 

 

20160421 東京南西 ツツジ
東京都品川区北品川
品川浦船溜り付近
 かつて品川浦は豊富な水揚げを誇り、海苔の主要な産地でもあった。現在ではつり船や屋形船が舳先(へさき)を並べ、釣り人や納涼に繰り出す人々でにぎわっている。たくさんの屋形船と釣船がもやい、その間を水鳥が泳ぎ回る光景は、都会ではもはや得難いもの。品川区内でも最大の観光スポットのひとつ。早朝、夕暮れ時など、独特の風情があり、撮影や写生、吟行にもおすすめ。
 水辺と、背景の品川の古い家並み、その向こうの品川駅周辺の再開発のビル群との対比は、21世紀初頭の東京を象徴するシーン。水路にかかる北品川橋は大正期末の石造りで、デザインも作りも重厚。釣り人には、昔からおなじみのスポット。・屋形舟は貸し切りが基本だが、最近では相乗りの屋形船もある。また、南の天王祭の海中渡御を見物できる船も好評。桜見物、花火見物、東京湾めぐりなど、豊富なコースメニューが用意されている。カモメにえさを投げ与えるパフォーマンスは子どもにも人気。 

 

 

 

 

 

カルチャーセンター「建築散策と東京散策」②
第3回品川から水族館めくり
(宿場宿・品川水族館)
9月22日(木) 集合:品川駅10時30分(中央口・みどりの窓口)
「東海七福神と品川宿(東海道)を垣間見るたび」
再開発地域の計画・宿場を考える
解散:大井町15時  
青物横丁で食事(すし) 1500円程度
品川駅-品川新都市街「散策」-(北品川巡り)-品川浦船だまり-鯨塚-土蔵相場跡-寄木神社-(旧東海道)-品川神社「品川富士登頂」(青物横丁)-旧網元の家-浜川橋(深橋)-鈴ヶ森刑務所跡-品川区民公園-品川水族館「見学」-大井町駅
○主な建築①品川新都心開発②船泊の形式・用途・歴史③宿場町(歴史的建造物・美観条例等)


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すししながわ 葵   第3回品川から水族館めくり(宿場宿・品川水族館)   カルチャーセンター「建築散策と東京散策」②_f0388041_10474457.jpg



すししながわ 葵   第3回品川から水族館めくり(宿場宿・品川水族館)   カルチャーセンター「建築散策と東京散策」②_f0388041_10475179.jpg





すししながわ 葵   第3回品川から水族館めくり(宿場宿・品川水族館)   カルチャーセンター「建築散策と東京散策」②_f0388041_10480543.jpg

 

セブンカルチャー「東京・有名建築散歩」②                  第3金曜日実施
                「一級建築士とお食事も楽しみながら!」
第5回品川から水族館(宿場宿・品川水族館) 平成29年2月17日(金)
「東海七福神と品川宿(東海道)を垣間見るたび」再開発地域の計画・宿場を考える
集合:品川駅10時30分   解散:大井町14時30分
 品川駅中央コンコース「みどりの窓口前」
青物横丁で食事・イタリアン   2500円程度
 品川駅-品川新都市街「散策」-(北品川巡り)-品川浦船だまり-鯨塚-土蔵相場跡-寄木神社-(旧東海道)-品川神社「品川富士登頂」(青物横丁)-旧網元の家-浜川橋(深橋)-鈴ヶ森刑務所跡-品川区民公園-品川水族館「見学」-大井町駅
○主な建築①品川新都心開発②船泊の形式・用途・歴史③宿場町(歴史的建造物・美観条例等)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
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散策 「東京南西部-571」 富岡八幡宮(深川七福神)

2022-04-22 07:05:39 | 東京 南西部

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富岡八幡宮(深川七福神)
  深川と言えば,どうしても「不動尊」。影は薄いが,地元に愛され御利益があるとされているのが子の神社である。不動の参拝路から少し外れた場所に位置している。簡素で気持ちの良い下町の信者である。 
富岡八幡宮  伊能忠敬像 鳥居近くに
 富岡八幡宮は寛永4年(1627年)、当時永代島と呼ばれていた現在地に御神託により創建されました。周辺の砂州一帯を埋め立て、社地と氏子の居住地を開き、総じて六万五百八坪の社有地を得たのです。世に「深川の八幡様」と親しまれ、今も昔も変わらぬ信仰を集める「江戸最大の八幡様」です。
 江戸時代には、源氏の氏神である八幡大神を殊の外尊崇した徳川将軍家の手厚い保護を受け、明治維新に際しては朝廷が当宮を准勅祭社に御治定になり、勅使を遣わされ幣帛を賜り、新しい御代の弥栄を祈念されました。
 また、庶民の信仰は江戸の昔から大きな歴史の変転を経て現代に至まで変わることなく篤く受け継がれ、今も善男善女の参拝は絶えず、特に毎月1日、15日、28日の月次祭は縁日として大変な賑わいを見せています。

 

深川不動尊(成田山)
  「門前仲町」という駅名でも解るように,このあたりは深川不動尊の門前町として栄えてきた。当然地元の人々が生活と共に築いてきた待ちである。その中心に不動尊はある。規模もなかなかの物であり,現在でも施設の充実を図っている。
深川めし  江戸の「めし」と言えば,『目黒のサンマ』『深川めし』が思い出される。当然うまい飯があることが条件であるが,庶民が愛したアサリ飯は,江戸時代地元でとれた素材をどの家庭でも味割っていた事には代わりはない。

江東区にある深川不動尊は、江戸時代中期の町人文化の繁栄とともに誕生しました。成田山のご本尊、不動明王を江戸で参拝したいという気運が高まるなか、元禄16年(1703)、ついにご本尊の出張開帳が実現しました。この開帳の場所が現在の深川不動堂付近(当時は深川永代寺)だったのです。明治時代になり、神仏分離令によって永代寺は廃寺となり明治2年、深川不動堂の名称が認められ明治14年に本堂が完成しました。その本堂は関東大震災と太平洋戦争によって二度、焼失。明治26年、当時千葉県印旛郡のほとりに建っていた龍腹寺を深川に移築して本堂が復興。「宝蔵大日堂」や「四国八十八ヶ所巡拝所」のある「内仏殿」も無料で参拝できますので、ぜひ建物の内部にも入ってみましょう。また、深川不動尊では節分や花祭り、龍神例大祭など年間を通じてさまざまな行事が行われています。

 

 

散策 「東京南西部-570」 布多天神社

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