goo blog サービス終了のお知らせ 

生命の声を聞く者

インディアンネーム「生命の声を聞く者」のヒーリングブログ

音と匂いは記憶を呼び覚ます

2014-11-05 01:06:25 | セッション記録
娘の状態も落ち着いてきた

赤ちゃんの存在がどれだけ私を救っているか・・・



最初は、夜は赤ちゃんを預かると言っていたが、娘は赤ちゃんが傍にいないと

気が狂いそうになると言って、余計に眠れないらしく

二階の部屋を用意してあるが、下のリビングに来てベッドで一緒に寝ることが多い


ある日、朝目が覚めると娘と孫は、上の部屋に行ってしまっていた

目が覚めて、こんなにも空虚感は泰三さんがいなくなって以来だ


二階にいるのは分かっているが、一人で目が覚めることの寂しさは

説明ができないくらいの痛みを伴っている


赤ちゃんと娘は、私に喜びを与えてくれている

私は赤ちゃんと娘に依存しているのだ


子供たちにご飯を作り、買い物をし、洗濯をする

何気ない普通のことが、私に生きる意味を与えてくれていたのだった


そして特に好きなのは洗濯

天気のいい外に出て、干すのが好き


今までの私には到底考えられない

田んぼの稲刈りの後の雑草や

虫の声

夕陽が道路や街路樹を染める時間


私はしっかりと大地に根を下ろし

今を生きている



ワンピースの海賊の服を着た結愛ちゃん


夕方、泣くとねねちゃんが抱っこする
すぐに泣き止む
隣にいるのは息子





この頃は踏ん張って、ウンチをいっぱいして、毛布や洋服を洗うはめに・・・
真っ赤な顔をしてウーン、ウーンって・・・

何をしてもかわいい


泰三さんが亡くなった痛みが、ドンドン楽になってきたと思っていた

赤ちゃんパワーすごし


でも今日テレビを見ていたら、ミスチルのものまねで、「糸」という歌が流れ

思わず涙が・・・・

泰三さんが、まるで近くにいて語りかけてくるようだった


それから次々と思い出の曲がかかる

まるで、泰三さんが魔法をかけて、私に訴えているかのようだった

今も愛してる

そんな風に聞こえていた

匂いや音は、記憶を蘇らせるというが

なるべく思い出さないように、遠ざけていた思いが蘇ってきた


私は泰三さんを心の深い海に沈め、浮き上がらないようにしていただけだった


内なる声はこう告げていた


「今を生きなさい

この瞬間を最高のあなたという反映にしなさい

あなたを通して現れる神を

地上に映しなさい・・・・・・」


「この瞬間にすべての存在からの贈り物を受け取ることこそが

人間としての醍醐味であり、肉体を持っている意味だ」


「息を吸ってごらん。それがどんなにすごいことか教えてあげよう」


私は自分の内なる音と一つになり、地球に声を反射していた







魂と肉体意識

2014-10-26 18:52:24 | セッション記録
集中治療室に入り、少しずつ病状が落ち着いてきた娘は無事退院した

沢山の方がヒーリングのエネルギーを送って下さった

どれだけ心強かったか・・・


脳のCTを撮りに、11月に通院するのだが、しばらくは薬で血圧を管理することになった

夕方、頭が痛いというとドキドキして、心配になる

意識がちゃんとあるか部屋に見に行ってみたり

しばらく状態が落ち着くまで、赤ちゃんと、娘から目が離せない


私自身、心配性という傾向は一切なかったのに
こんなにしんどくなるのは、やはり泰三さんを看取っているからなのか・・・・

色々なものに動じない私が、娘の命を心配するあまりに、しんどくなる

そして泰三さんの写真を見ることを避けている自分を発見

やっぱり、かなりの衝撃を受けていたんだと、自分のことなのに今ごろ気づく


生と死は宇宙の創造主の領域・・・

死は大いなる存在に再び繋がる

理解はできるが、私の肉体意識は、分離することの悲しみを感じているのは事実だ


家の前の畑から、鈴虫やコオロギが鳴いている

夕陽が並木道を照らし、そのあまりの美しさに

高揚し、そして静かになる

私は私として生きている


魂と肉体の組み合わせは奇跡のようなものだ

世界の美しさの中に神を見ることは

私にとっていいようのない至福の中に入ることであり

同時に感じる恐れさえも、静かになっていく・・・


魂は恐れをもたない

どこへ辿り着くのか・・・



師の言葉が私の中で響く

「人生を創っているのはあなただ・・・何を信じるか、何を見るのか・・・」


私達は見たいものだけを見る
見たくないものは見ない

魂が主権を持っているということがどういうことか


「あなたの許可なくして、誰もあなたを傷つけることはできない」エリナー・ルーズベルト

私はこの言葉が好きだ


今後の世界は大きく分離されていくと言う

何を見るのか・・・・どのように世界を映すのか・・・・

人の体験や見方を変えることはできない


それは時にお別れを意味することもあれば、対立を意味することもある

新しい世界に入った今、今までと違うあり方が問われる

何を指針とし、何を信じ、どんな世界を創っているのか?

究極は自分へと辿り着く旅なのだが・・・・


私は宇宙の旅人
地球の懐で自らを知る植物のように
私はこの地上に下り、自らを知っている









神の計らい 「娘の病状」

2014-10-21 10:50:18 | セッション記録

18日土曜日に娘は、赤ちゃんと退院してきた。
産後、1ヶ月は実家に帰ってくる予定だったが、その日は旦那が休みなので一緒にいたい
と言う事で、車で5分の場所に住んでいる娘の家に
通い家政婦をする予定にした。

朝から自転車で御飯を届け、洗濯をして、娘の様子をみていた

昼頃、娘から電話があり、熱があって頭が痛いから風邪ひいたかも?薬買ってきて…と言っていた

母乳が沢山出るから、少し頭が痛くても薬を飲まなかったのに、よほどしんどいのだと思っていた。

薬と夜御飯を持って、娘の家に行くと、娘は、自分が誰でどこにいるのか、分からなくなって、トイレでたちつくしていた

こっちにき来て座りな…って言っても、自分ではそれが出来ない

意識障害だった

急いで、産婦人科に電話したら、様子を見てと言う事で、
様子見てたら、娘が大変な事になると思い、大病院の緊急救急外来へ連れていった

あまりにも沢山の患者さんで、40分くらい待っ診察、検査へ…

血圧210以上、CTを何度かに分けて撮った
脳に異常はなく、産後の中毒症によるものらしい
帰って様子を見て下さいと言われた後、けいれんが起き、意識がなくなった

集中治療室に入り、人口呼吸機器をつけ、
血圧を下げる薬を点滴からいれた

発作が何回か続いているので、入院、検査、を行う

泰三さんが亡くなって以来、めっきり弱くなった私は、
娘の姿を見ていられず、倒れそうになっていた

生後6日目の赤ちゃんを抱っこして、病院通いになった

夜中にもが関わらず
皆さんにヒーリングして頂いた

妹も祈りを送りはじめたと言って
ラインで、送られてきた

「ミキに、エネルギーを送ろうとしたら、あちこちから、強い光が、四方八方から来て、暗闇が押し出されている。
すごいパワー。暗闇が小さくなって入る隙間がない
大丈夫だよ」

妹は、ヒーリングの仕方も知らないし、みえるわけでもない
でも彼女が祈り始めたら、こんな風だった
って、連絡がきた

その後、娘の意識が戻った

赤ちゃんの記録を毎日撮ってあげようと思う

みんなが助けてくれている

一人じゃない

心配して、赤ちゃんのお世話をし、カレーを作って持ってきてくれたり
電話してきてくれたり…

精神不安定だが、赤ちゃんがいる事で生きる意味が見いだせる

家族と共に…みんなを見守りながら、一緒に生きていける
幸せを感じる事ができる

娘が意識不明になる日の朝、私に今朝見た夢の話をしてくれた。
「親族が亡くなる夢で、夢占いを見たら、いい夢だって書いてあったのー」

この結果がこれか…

けいれんの発作で何度か意識を失う
何度も時間の経過と共にCT室へ…
脳の障害は大丈夫だった

まだ、集中治療室だから心配は、つきまとうが
一歩前に進んだ気がしている


長年、私を守ってくれたヒーラーの友人は、
これが神の計らいなんだね…って電話で言っていた

一人の生命が、一人の生命を救う

赤ちゃんと、娘を思う気持ちが私を再び、地上に戻している




愛は地球を救うと言うが、愛する存在がいる事が、
生きる意味を与えてくれた

「泰三さん、ずっと一緒…あなたも私達の家族だからね」


結婚記念日

2014-10-14 20:21:15 | セッション記録
今日は、結婚記念日

「泰三さん。私と結婚して幸せだった?
私はずっとあなたのお嫁さん…
ずっと傍にいるからね。一緒だよ…」

泰三さんが近くにいて笑っているようだった






娘がお母さんになりました

2014-10-13 23:56:19 | セッション記録
10月13日、娘に女の子が生まれました。
母子共に元気です。

子宮口全開から、いきみはじめて三時間半

赤ちゃんの顔の向きが、逆で
なかなか下に下りれなかった

今日生まれなければ、帝王切開…って言われたのですが、
無事生まれました。

泰三さんを亡くしているので、
亡くしてしまう恐れが心配にかわり
立ち会っていたのですが
途中しんどくなってしまいました。

それで、フェイスブックで皆さんに祈りと
ヒーリングを送ってもらいました。

それから、すぐに生まれました。
本当に皆さんありがとうございました。

娘は忍耐強く、痛いとひとことも言わず、
静かに痛みに耐えていました。

「今までで一番幸せ」って言ってました。

沢山の人に見守られ、本当に幸せです。






マスターの言葉よりも…

2014-10-10 23:30:48 | セッション記録

窓から空を見て、星や月をみ見るのが小さい頃からの夢だった

今は窓から月が見え、月の灯りで眩しくて眠れない

蛍光灯が嫌いな私は、夜になるとロウソクをつけ、
部屋を暗くするのが好き


ここ数日落ち着かないのは、
予定日を4日もすぎているのに、
娘の陣痛が始まらず
生まれないから…

このままいくと、孫の誕生は私の誕生日と同じ日になるかも?…

もうすぐ私達の結婚記念日

10月は私達にとって思い出が沢山ある月で
泰三さんも気にかけてくれているのか
よく繋がれる

嬉しい

ずっと本棚にあった本を取り出し読み始めた
とてもいい本で、先日エックハルトトールと
対談したウェインWダイアーの著書だったが、
おもしろい現象が起きた

Being
ただありのままでいて、委ねて、何もする必要がない

それを説いていた


勿論大事な事が沢山書かれてあったが

BeingとDoingのバランスの事については触れていなかった

本を読み、瞑想に入っていこうとした瞬間
泰三さんの声が入ってきた

「子供の時の傷は癒せる。だから子供には頑張れ、頑張れでいいんだ。」

それは人間体験をせよという事だった

傷つき、悩み、迷い、盲目で進む

不安、自己不振、上がったり下がったり…

そういう沢山の体験を通して、道は繋がれていく

私は泰三さんと笑いあっていた


そして師の言葉も同時に響いていった

「どんなマスターの言葉よりも、一人ひとりの人間体験は偉大だ」

どこにも正解はない
あるのは、その瞬間、自分の内側で何を感じるかだけだ…

「あなたの人生を思いっきり、自分のまま生きなさい」

そんなふうに内側で響いていた


娘はお母さんとして、もうちゃんと生きていた

月の灯りと共に、私は泰三さんと一緒に空を飛んでいた

地上に下りてくる魂に、すべての魂が祝福し、
準備をしている

それらを見ながら、私の心はいつの間にか、静かな気持ちになっていった


サンシュルピス教会 結婚式 聖歌 

2014-10-04 21:47:07 | セッション記録
サンシュルピス教会にて


ここ数日、私の誕生日や二人の結婚記念日が近いからか、泰三さんのエネルギーを感じることができる

去年の誕生日は、泰三さんは忘れていて、私は朝から機嫌が悪かったこととか
結婚記念日だねとか、色々話をしている

彼の愛を感じる

この動画はフランスでの最後の日のサンシュルピス教会に行ったとき
聖歌を歌って、結婚式を挙げていた生の声・・・

聖歌を聴きながら、教会内部を歩いた動画

泰三さんが私に、様々なメッセージを送ろうとしてくれているのが
分かる

日本に帰ってきてから、眠れない日が続き、死にたい衝動が続いている

そんな中で、泰三さんを感じることができるのが、救いになっている


美しい声に魅せられながら、私はより一段と泰三さんの声を聞きはじめている

泰三さんと繋がるたびに「泰三さん愛してるよ・・・」って何度も何度もつぶやく

そんな中、少しだけインスピレーションが下りてくる

私が生きれるように、彼が見守って働いているのが伝わってくる








ブログコメントについて (隠れることはできない)

2014-10-04 21:47:07 | セッション記録
みなさん、沢山のコメントありがとうございます

かずまさん、泰三さんの本が少しでも役にたてたら、嬉しいです

そして純粋な気持ちを届けてくれて、本当にありがとうございます

泰三さんは長い間、麻痺した右足に神経痛があり、激痛で叫んでいました

それが一日で終わればいいのですが、1週間とか続く時もあって

その度に、自分が何をしたっていうんだーって神に訴えていました

本当に見ていて心が痛かったです


でも彼は生き様を見せ続けました

かずまさん自身も大変な状態なのに、優しいコメント本当にありがとうございます


泰三さんは精髄損傷になって、それだけでなく、4年前に高速バスの事故で首もやられてしまったので

私と出会った時は、殆どトイレに立つことも一苦労だったんです

手の麻痺もあって、サインをよく頑張ってしたなーって思うほどです

亡くなる3ヶ月前から、ベッドから一人で起き上がれなくなり

私がいないと何もできない状態でした


でも、私達は深く繋がっていきました

短い時間しか一緒に生きられなかったけれど

人生の中で一番幸せでした


泰三さんと私はお互いに幼少期から親と離れているので、

幸せという感覚が分からなかったのですが

二人が一緒にいるのが自然になっていって・・・

お互いの存在がお互いを支えたのです


いつも泰三さんは言ってました

「俺はこんな身体なのに、普通に仕事をしているから
みんなは、俺が重度の障害者だってことを忘れるんだ」

それは彼にとっては辛いことでもあったのです

私達のパートナーシップは多くの人を変えました
多くの人が影響を受け、人生を変えていきました

本当の愛と絆は、自分たちだけではなく
多くの人の人生に何かをもたらすことになるのだと
私達は感じていました

これからもずっと彼と一緒です



死ぬのは全然怖くないことがわかりました

フランスの空港で、散弾銃を持った兵隊が、
今にも発砲するぞといわんばかりの体制でウロウロしていますが
恐れを感じませんでした


向こうに行っている時に、フランス政府は脅しを受けていて、市民でも殺すといわれていて

姪っ子は長期滞在なので、フランス大使館からメールが来ていたのです


むしろ守られているとさえ思いました

生と死さえも超える何かがあるのだと思います


ここにコメントのことを書いたのは理由があります

コメントの中に、ひどいコメントを送ってくる人がいます

それでコメントを拒否させていただくことにしました

私を応援し、愛してくれる人たちのコメントまで拒否することになるのですが
これは仕方ないことだと思います

誰だか知らない人・・・というところで隠れることができるのがブログの特徴ですが

この方は、誰かから隠れることはできても、自分からは隠れられない

自分が出したエネルギーは、自分に返るということを知らないのだと思います


人間には、やってはいけない幾つかのことがあります

自分の感情のはけ口に、他人を中傷することに使うこと

自分の問題をやらないで、他人の人生に入り込むこと



汚い言葉を皆さんにさらすことはしたくないので
拒否という結果に至りました

この件については、裁判ということも考えています

今は隠れることができない時代になっています
どんどん色々なことが明るみに出て、はっきりするのです


皆さんとはやり取りができなくなりますが、応援してくれていることは
伝わっています

ブログは自分の心が静まるので書いています

でもこういう形をとる必要があることに悲しみと憤りを感じています

理解されない悲しみではなく、隠れて悪さをする人がいるということに対してです







泰三さんの匂い

2014-10-02 01:36:08 | セッション記録
日本に戻り、妹の家に置いてもらっていた車に乗り

子供が待つ金沢へ向かった

車の中は、懐かしい泰三さんの匂いがした

隣に泰三さんがいるかのようだった

そして色々なことが思い出されてきた



泰三さんは亡くなる2週間前にこう言っていた

「友子には子供がいる・・・でも俺は一人きり。だから友子は帰さない」
「友子を一人占めにするんだ」

今まで愛してる?って聞くと愛が分からないと言ってはぐらかしたり

「俺は依存しないよ。誰にも・・・
依存することは自分でその後生きていけなくなるから」

と言っていた彼が、色々な本音を語ってくれた

ふざけて、愛してる愛してる・・・と独り言のようにつぶやいていた事はあっても

泰三さんはいつも自分の心をはぐらかしていた

その彼が私にこう言った


「俺は友子に依存するよ。いいか?・・・」

それは自分の人生を委ねるよという証でもあり

信頼という深い絆で結びついた証であり

彼が恐れを越えた瞬間でもあった

私達は深く繋がった


泰三さんはお別れするという言葉を言われるのが嫌いだった

喧嘩をするたびに、「別れるって言わないと言え!」って言っていた

最期の2週間は私達にとって、今までにないくらいの結びつきだった


喧嘩をするたびに私は言っていた

「お別れをするのは、あなたが死ぬ時か、私が死ぬ時かどちらかや。それ以外はない」

だから本気で別れを決意するなら彼を殺すか、私が死ぬか、どちらかの選択をすると思うくらい
異常なくらいの愛だった

でもそれは彼が望んでいたことでもあったことを私は知っていた

「友子の俺を好き好きっていう態度・・・結構居心地よかったんだ」


死ぬ前日、彼はポツリと言った


私は彼から一時も離れられなかった
離れたくなかった

彼のすべてが私を惹きつけていた

出会ってからずっと
彼は私の命であり、私の生きる意味だった


泰三さんの商材の動画を作成する時は
私が撮った一枚一枚を動画にしながら
言葉を付け加えていった

本気でブロマイド集を出そうと思っていた
妹に止められた

泰三さんも笑っていた

大谷由里子さんに呼ばれた講演の中で
「私の妻は本気で僕のブロマイド集を出すと思います」と照れくさそうに笑って言っていた


私は泰三さんの写真を撮ったり、動画を作成するのが好きだった

何度も何度も、何日も、一つの動画を作成するのに
繰り返し動画を見ながらの作業・・・・

どこから沸くのか分からないほど、私の内側で、泰三さんへの愛しさが溢れて
泣いてしまっていた

たかが動画作成なのに・・・


私はたまらなく彼が好きだった

そして動画を作成中に涙が止まらなくなると、隣の部屋にいる泰三さんのところに
駆けていって、泰三さんの傍にじっと座って、足腰にもたれかかり離れなかった



ずっと眠れない、一日4時間睡眠があればいい方だった泰三さんが
私と一緒になって、少しずつ眠れるようになっていった

8時間とか寝てくれた時は、本当に嬉しかった


泰三さんのいびきが私は大好きだった

彼が生きていることを確認できる一つの方法だったのもあるが
まるで私には子守唄のように聞こえていた


一緒になった頃は、大きな声でうなされる日々が続いていたが
それも、結婚式が終わると無くなってきた

私と一緒になってから、2回死にかけたことがある

一回目は、一緒に住み始めてすぐ、緑膿菌にかかって、いつ治るか分からず
抗生物質も効かない、下手すると死に直結する病気にかかったこと

そして2回目は今年に入ってすぐだった


とにかく私は泰三さんとの繋がりが強すぎて

自分の仕事は重要なことだけは済ませるが、どんどん仕事を減らし

辞める決意でいた

東京で彼のサポート優先で、あまった時間で自分の仕事をしようと考えていた



子供たちの面倒は見れなかった

でも金沢へ帰れば、泰三さんは子供たちを、とても大事にしてくれた

子供が警察沙汰になった時も、全部処理をしてくれて

子供たち一人ひとりと、私よりも密接に関わり、家族として共に怒ったり喜んだりしてくれた

子供が一番泰三さんに懐いていた

俺は父親にはなれないよって言っていたのに
いつのまにか泰三さんは、時にはよき友人として、父として
男としての生き方を子供達に見せてくれていた

彼はかっこよかった

最期まで、男として私の前でいてくれた


そんなことを思いだしながら、トイレ休憩2回のみのノンストップで
金沢へ辿り着いた

6日の予定日で子供に赤ちゃんが生まれる

だから一刻も早く帰る必要があった


夜、眠れずにベッドの中にいたら
虚空の中に闇が入ってきた

それは孤独、無だった

光の中で体験する無と、闇の中の無

同じなのだけど、私は死にたくなっていた

ロウソクをつけ、外に出て、田んぼにむかって道路に寝そべって
空を見ていた

最初はパラパラ雨が・・・・それでも外にいるのを止めなかった
そしたら、どんどん雲が晴れ、星が出てきた

鈴虫なのか、コオロギなのか、虫の鳴き声に耳を澄ませた

し~んと静まり返った静寂

1時間くらいして、私は諦め、眠れないベッドに入った

次の日の夕方、子供達と買い物にでかけた

夕陽が、あの飛行機の中で見たオレンジ色とまったく一緒だった

一瞬の出来事だった


その後何事もなかったかのように、又、虚無、暗闇が訪れていた

泰三さんを亡くした悲しみが無くなった訳ではない

私は肉体を持った人間なんだ


フランスに行く前から、ずっと頭痛に悩まされていたが
その頭痛が再び私を襲っていた


心を静めたいという気持ちが常に私の中に存在している

呼吸を整え、静かに座り目を閉じる


感情を殺す気はない

記憶喪失なのだ

泰三さんとの記憶を私は魂に刻み込もうとしていた


車の中の泰三さんの匂いは、私の精神を安定させる


私は深い海に潜ったまま出てこようとしていない自分を見ていた

空に向かって、私は叫んでいた

「私を早くあなたの元へ帰してほしい。早く連れていってほしい」

私の叫びは朝まで続いていた


時間は流れる

人間である以上、悲しみがなくなる訳ではない

今を生きていくのが苦しい時もある


私はあのオレンジ色の夕陽を思い出そうとしていた

やがて
泰三さんへの悲しみと、光がゆっくりと織り交ざっていった






フランスとの別れ

2014-09-30 01:29:14 | セッション記録
フランス、パリでの最後の日、私はお気に入りの教会と場所に挨拶するために

サンシュルピス教会を訪れた

教会の前には噴水があるが、催しを行っていたため、噴水は止められていた


教会の門に近づくと、教会の鐘が響いた

ノートルダム大聖堂の時もそうだった

私が訪れると必ず、鐘が鳴りだす

まるで、私を待っていたかのようだった


そしてなんと教会で今から結婚式が行われる前だった

新郎、新婦が歩きだし、家族が集まっていた


不思議なことに、私がいくところは殆どが、結婚式が行われる瞬間だったり
ミサが始まったり、鐘が鳴ったり・・・・

まるでそれらは、もう何百年も前から、この日のこの瞬間を、
私のために準備して待っていたかのように感じさせた

すべての瞬間はパーフェクトに用意され、そのタイミングは
ものすごい奇跡なのだ

人との出会いも、人生そのものも・・・

私は一歩一歩、パリを歩きながら、パリにしばしの別れを告げていた

このフランスは、私をずっと、ずっと待っていたんだ

何百年も何千年も時を超えて・・・・


青く澄んだ空

空気

緑の葉

川の音

教会の鐘

街ゆく人々




最後の夜は勿論、ルーブル美術館のピラミッドへ

最終日は姪っ子とルーブルへ

ぐるっりと回って、建物の上に立って見下ろしている存在たちに
挨拶をして回った

ずっとここにいたかった

魂の故郷、原点がこの地にある

私はこの土地に癒された


遠い過去を思いだすように、私の意識は時空を飛び越え
今と過去の交差の場所にいた

すべてのものと呼吸し、この土地と、地球のすべての生命体の声を聞いていた

大地の鼓動が風に舞い、すべてと一つになっていく

それはまるで地球そのものの声だった


私は守られている

深いところで何の心配もいらないことを知っていた

そしてすべての人の人生が、この地上に降りて流れていくのを見ていた


すべての人が繋がっていて、守られていて
完全なるハーモニーの中でダンスをしているのを
私はずっと眺めてみていた


「生命の声を聞く者」の私の魂が、生命の喜びのダンスを感じていた


なんて美しい世界・・・・

仏陀が最期に遺した言葉
「この世界は本当に美しい・・・」その声が聞こえるようだった


生きていることが、どういうことなのか
地上で肉体を纏い、人間体験をする

それがどれほどすごいものなのか・・・・

「泰三さん、あなたの人生は素晴らしいものでしたか?
泰三さん、この美しい世界をあなたは見ることができましたか?」

私は泰三さんに語りかけていた

彼はこう答えていた

「友子、今、僕は君の目を通してみている
君の感覚、感性、君の触れるものを、僕は感じることができる
この美しい世界を、この天からでなく、地上にいる友子の感覚で感じることができるんだ

これは生きていたら出来なかったことなんだ
友子の中で生き続ける、友子の中に入るよって言った意味が分かったかい?
それが僕と友子との約束・・・友子が生きる意味だよ」

彼の息を感じながら私は、ずっと空を見ていた
空に星が出て、空の色が深く濃くなるまで
ずっと離れることができなかった


飛行機で日本の上空まで来ると
大きなもので包まれているのを感じ始めた

日本のスピリットが大きな手を広げて
受け止めてくれている

飛行機は、その手の中でフワリと着陸した


ようこそお帰り

まるで母の腕の中に帰るようだった


地球と交信し始めた私の魂は、もはや何も恐れることがない

妹が空港で待っていてくれた
最初から最後まで私を見守ってくれた

姪っ子のいづみがラインで一人になって寂しいよ~って
それから、私が帰った後、大雨で寒くなったと連絡があった

妹の旦那の秀ちゃんは、いつものように変わらず
お帰りって・・・

感謝というフィーリングでいっぱいになった


出会ったすべての人にありがとう

それは泰三さんが最期にみんなに遺した言葉と同じだった








人生は運命か?それとも選択か?

2014-09-27 05:28:53 | セッション記録
今日も青空

残り少ないパリでの時間

お気に入りの場所を何度も訪れ、フランスの土地の風を全身で楽しんでいた

いつもの公園・・・・パソコンで執筆していると

先日会ったおじちゃんが・・・・

今日は2時間以上も話をした

彼と話をすることによって、コミュニケーションがとれることの
面白さと、お互いを理解しようとして、相手の国の言葉を覚えることができることに
喜びを感じていた

食事に誘われたが、さすがにそれは断った


向こうの男性は、女性を女性として扱うことに慣れている

それが相手への礼儀なのだそうだ

友人が沢山いて、チベットのダライラマの国から来た人の事とか色々話してくれた

私はルルドの泉の話をした


夕方、夕陽を見にいつもの場所へ・・・・





















なんて美しい

オーヴも沢山見える

シーンと静まりかえったような空間

この地上のすべての生命が神の創造物・・・・

壮大に生み出される一つ一つのものに生命への畏敬を感じる

ここにすべての始まりと終わりがある


宇宙の始まりと終わりΑ(アルファ)とΩ(オメガ)

私はこの瞬間に立ち会っている

師が言っていた

「すべての瞬間に立会いなさい」

人生のよき時も、悪しき時も、人生はただ通りすぎる

その瞬間に立ち会うのだ



眠れずに昨日の夜はずっと「フォレストガンプ」を見ていた

この映画が大好きで何度も繰り返し見ていた

映画の最後の方の場面で、ずっと好きだったジェニーとようやく結婚した後、
すぐにジェニーが亡くなり、そのお墓の前でフォレストはジェニーにつぶやく

その言葉がずっと頭を離れなかった


「僕は分からない
本当はみんなそれぞれ運命を持っているのか
それともみんな風に吹かれて漂っているだけなのか・・・・
でも僕は両方だと思う
たぶん両方が同時に起きるんだと思うんだ」

彼は人生に対する問いかけをここでする


私の中で大粒の涙がこぼれていた


泰三さんと「人生は運命か?それとも選択か?」
の音声を議論してメルマガで出したのを思い出していた

泣いている私の横で
泰三さんが傍にいて、笑っているような気がしていた

その日の夜は、泰三さんの胸の中、腕の中で私は深い眠りについた






ノートルダムの鐘

2014-09-26 03:18:40 | セッション記録
フランスに帰ってきてホットする

私はこの上なくパリが好き

いつものメトロ
いつもの街並み

でも毎日が新しい

もう既に自分の故郷のように思える

イタリアにいても、パリに帰ってきても
ずっと青い空

こんなことは前代未聞、あり得ないとフランスの人たちは言う

イタリアに生えている樹はあまり美しくない
鈴虫の鳴き声が聞こえたのは嬉しかったけれど
フランスのこの美しさには勝てない

街路樹はプラタナス・・・川べりは菩提樹






この実が鈴なりと呼ばれるプラタナスの樹の実



本当にすべてが美しい


イタリアから帰ってきたら、夏から秋になっていた


スカイプで仕事を済ませ、掃除と洗濯(手洗い)食事の準備を済ませ

姪っ子が帰ってくるまでの間、大好きなノートルダム大聖堂へ・・・・

歩きながら、私は目をうるわせていた


すべてが私のために存在している

大いなる流れが、大いなる意思が、私をここへ導いている

風が、太陽の光が、木々がそして街行く、通り過ぎる人たちが

すべての中に神の息吹を感じる

この美しい街も建物も、川も人も鳥も・・・
すべてと繋がっている

私は完全に一つなんだ



夕陽の中を歩きたかった
永遠に時が止まったかのような時間が流れていった


ノートルダム大聖堂まで、わざわざセーヌ川沿いを歩けるように
少し遠くの駅で下りた

ノートルダムに着いた瞬間、鐘の音が鳴った

それはまるで、祝福されているかのように
私を待っていたかのように
鐘はいつまでもいつまでも、長い時間鳴り続けた

聖堂の前の広場で、私は佇みながら
鐘の音が響いていくのをじっと聞き入っていた

鐘が鳴り終わり、祈りを捧げるために聖堂の中へ

夕方の最後のミサが行われていた

入ったとたんに讃美歌が流れ

ロウソクの光の中を歩いていった




















帰りはまだ明るい

夕陽が青い空から下りている







夜になってもずっと帰りたくなかった





バチカン市国、サンピエトロ大聖堂、最後の審判

2014-09-25 18:25:06 | セッション記録

バチカンは一つの独立国
イタリアとバチカンの2つの国に行ったことになる

初日に着いてすぐ、バチカンへ
サンピエトロ大聖堂へは2日目に午前中と、午後の2回訪れた

大聖堂は十字の形をとっており、その真ん中に聖ペトロが埋葬されている地下がある

聖ペトロはキリストから直接鍵をもらっており、その鍵は天国への鍵だとされていて、
唯一鍵をもらったのがペテロなので
一番の弟子だったということだった

ただ実際はペテロがそこに眠っているかは議論がされているとのこと


システィーナ礼拝堂ではミケランジェロが書いた最後の審判を見た
この礼拝堂は、礼拝堂というより、パワーがありすぎて、静かに礼拝するという感じではなかった

圧巻という感じ


昔、師に言われたことがある

過去生で天上に天使の絵を描いていたことがあるんだ・・・と

私はきっと職人であり、画家でもあったのだろう

とても気難しい、頑固な職人・・・

私はミケランジェロではなかったが

ミケランジェロはきっと、そんな気質を持った人だったんだろうなと思った

残念ながら写真は撮れないので見せられないがこれは資料画像だ



これはラファエロの画







サンピエトロ大聖堂の中














バチカンを守っているスイス兵





サンピエトロ広場のオベリスク





スペイン広場

オードリーヘップバーンの映画でローマの休日という場所が沢山

トレビの泉は修復中。でもコインを投げるプールが用意されていて、そこにコインを投げた

うまく入れば、又ローマに戻ってこれるという言い伝えがある

無事、シュート。

スペイン広場では修復中のものが出来上がったということで
ポリスの楽団が演奏していた

オードリーヘップバーンが、この広場でジェラートを食べた

私もキウイとマンゴーのジャラートを・・・

びっくりするほど美味しい



これがメトロ

ジプシーやスリに会わなかった

ポリスが厳重に見回っていたからかな・・・


私のお気に入り


馬車が多かった

馬は大好き


これが真実の口

ちゃんと写真を撮ってあげるよって・・・

映画の撮影どおりに今も変わらない風景なんだと言っていた




コロッセオは、ここで大変な殺し合いをしていたと伝わっているが
本当はそうではないと言っていた

昔はテレビがなく、娯楽がなかったので、猛獣と戦う剣闘士がいて、
ベンハーという映画に出てくるラッセルクロウのような人は
実際にいたのだそうだ

でもライオンとかトラではなく、像とかキリンとかで、扉を開け像の尻をムチで叩くから
像が鳴いて、みんながびっくりして、それを猛獣と思っていたと言っていた

その戦いを見て、みんなが楽しんでいたということなのだが
実際に、死刑などでは、ここでライオンに襲わせたりとかがあったらしい

歴史が伝えているのが本当なのかは定かではないと常々感じることだ


ローマに来た時に歩きながら、神々のエネルギーでない方を感じることも沢山あった


これを見てほしいのだが、これ悪魔のサイン

そしてここを歩いていたら、鳩が実際に首なしで死体となっていた
それをキジのような鳥が食べていた

バチカンも神のエネルギーと、そうでないエネルギーの両方がある

英語のガイドがいてアメリカのツアーだったと思うけれど
横で耳に入ってしまった


バチカン美術館の入り口あたりにいる、名札を首にかけている人に注意してください
彼らはマフィアです

それを聞いてびっくりしてしまった

実はその前に私も声をかけられていたからだ

私は日本人ということを言って逃れたが・・・・

そのガイドのおじちゃんが言っている後ろに
実際にそのマフィアの団体の一人(唯一の女性だった)がいて
おじちゃんは振り向いて、ごめんなさいと言っていた

清濁併せ持つ

インドのように、聖なるものと暗闇の悪なるものが
交じり合っている

これでいい



サンピエトロ大聖堂では

ただ私は、やはり吸い込まれるように、真ん中へまっすぐに進んでいった
そこだけエネルギーが違っていた

私はカバンから泰三さんの遺骨を取り出して、そのエネルギーを一緒に感じていた





ずっと離れられなくなっていた

最後に訪れた時は、なんだか涙が止まらなかった




何が起きているのか分からず、ただただ、柱にもたれかかり、祈りを捧げていた

「すべての人に神の恩寵が注がれますように・・・

そして私の魂が行くべき道を示してください」


私の魂は完全に静かになった



すべての人と繋がっていることを深いところで感じていた

そして完了のフィーリングで満たされていた



私がここに存在するのは、すべての人との完全なる融合で成り立っていること

その交差するフィーリング・・・

宇宙から・・・そして地球のスピリットからの

音楽が聞こえてくるようだった



イタリアからフランスへの帰りの飛行機の中で
あの何とも言えない美しい光が差し込んできた

それはオレンジ色にさらに美しい光がオーラのように輝きを増したような
光だった

泰三さんはこれを見ているんだ

この美しい光の中で、彼は存在している


まるで天国のように、機内の中が光でいっぱいになっていった

一瞬の出来事だった

でも永遠の時間がそこに存在していた


私は大きく息を吸い、目を閉じた

私は一瞬、泰三さんと同じ天国に行ったんだ

そう思った


「もう大丈夫・・・・
私はもう大丈夫

残りの生きている時間を、私の魂が指し示す方向へ

私の一瞬一瞬を・・・・
魂の放射していく

泰三さんと離れることはない

現世で色々なことも起こるだろう

でも、それでも命がある限り・・・
放射し続けるよ」

泰三さんに向かって何度も何度も

「愛してるよ」

そう言いながら・・・・

私は再びパリに
フランスに帰ってきた



帰ってきたら、妹に奇跡が起きていた

「すべてはタイミングだ・・・・」

と泰三さんの声が聞こえてきた


その日はお彼岸だった









新しい魂たち

2014-09-24 12:19:15 | セッション記録
イタリアに来て様々な出会いがあった

イタリアは物価がフランスより安く、日本人に対して、本当に優しい

私に合わせて、根気よく話しを聞いてくれるし、
ぶつかっても、笑って大丈夫だよって言ってくれる

英語が通じるのが何よりも嬉しい

買い物も自然にできる

今回は日本人の現地ツアーに参加したりして、
新婚旅行のご夫婦や、フルムーンなど、色々な人と
会話した

カナダのトロントに留学していた26才の女性には、
飛行機のチケットの印刷をお願いするために、夜遅いツアー到着だったのにも関わらず、ホテルから遠いのに、
到着近くのホテルに、パソコンを使わせてくれるように、交渉してくれた。
結局、日本のメールにアクセス拒否がかかっていて、出来なかったのだが、優しさが伝わってきた

あるご夫婦は、最後に私の手をとり、来年はいい事がありますように…と去っていった

みんな一期一会の出会いだった

日本でのトラブルは沢山あって、その度に国際電話をする
でも一番、色々な事を助けてくれてるのは、いつでも妹なのだ

その他沢山の人が応援し助けてくれている

イタリアを後にする為、タクシーを待っていたら
、私の中を静かな声が流れてきた

「すべての人は自分の道がつけられている
その道に進めるように、地球上のすべての魂が
協力をしている
後はただ…与えられるものを受け取るだけでいい
絡み合い、影響をお互いに受け取りながら
私達は、ダンスをしているのだ」

これが人間である事の由縁だ

今からの子供たちは、新しい魂で、葛藤を私達のようにはもっていない

彼らは、常に自分の可能性へ向けて瞬間を生きている
私達の時代は、規律や、礼儀があり、人に合わせる事を教えられ、自主独立する事に罪悪感がある

子育てが大変なのは、時代が違うゆえに魂の持って生まれた役割が違う魂たちが、
今いる私たちを変容させていくからだ

時代の変容の架け橋となっている我々の時代は、古いものと新しいものの両方を見ることができる
見届けるみたいなものだ
ところが、ずっと同じところに維持し続けようとする変化への恐れで
それを異物とみなす・・・
ようするに、ゴミのように扱ったり、批判的にみたり、イジメや批判がそれにあたる

古い時代に変化したくない魂たちは、大抵、社会から邪魔者扱いされるのだ
違う人種とみなす
そしてそれを強制して直そうとする

でも彼らは彼らのままなので、古いところへは戻りたくないのだ

そして、こういう現象が現在の教育の場で見られる

教育者が、ノイローゼになってしまうのだ

もし、周りでちょっと変わっているなとか、学校へ行けないとか、イジメにあっているとか
そんなことがあるのなら、もっとも違う視点で見てみてほしい

彼らは今後の時代をどのように担うのか・・・

けして現在の社会に強制されてはならない

これは社会と喧嘩をしろということではない

闘ってはならない

自分であり続けていいのだということなのだ

社会の現象は、いづれ変化していくだろう

そしてきっと未来に、今の時代は前へ習えで大変だったんだねって
伝わっていくことだろう

見届ける私たちができることは、彼らを彼らのまま、見ること
そしてできるだけ、自分の内側で何を表現したいのかを
私たち自身が模範となり体現すること


こどもたちの世界は、実はずっと自由で進んでいて、次の世界を創りあげるのだ

子供を信じ、それを認めるならば、その子供は
真の自由と自己確立へと向かうだろう

妹の子育ては、頭が下がる

彼女の子供たちは、自分の道を見つけ、進むだろう

彼らは、世界を担う若者であり、泰三さんがやりたかった事なのだ


イタリアで、私は色々な気づきを得た

私は今、自由で、そして・・・満ちている



イタリア サンピエトロ大聖堂

2014-09-21 18:40:02 | セッション記録

イタリアに到着♪
フランスとイタリアは、協定条約を組んでいるため、
税関を通らないから、スムーズに到着
飛行機で二時間

ここに来た理由はハッキリしている

バチカンに来る事

ホテルのチェックインがまだなので、メトロに乗って
バチカンへ

着いたら、スゴい人…人…人…

ローマ法王が話しをしていて、画面に映し出された

前にはオベリスク

泰三さんの遺骨を取りだし、一緒に参加


讃美歌が美しく、録画しようとしたら、

またしても、画面が勝手に動く現象が…




しばらく佇み、祈りを捧げた

イタリアは、英語が通じるので、買い物がしやすい

しかも安い

ただ街並みは、あまり綺麗ではない
フランスがいかに美しく、住みやすいが分かる

人がよく、人なつこい

人間性は好き

沢山の人種の人の中にいるのが当たり前になっていて、
この感覚が居心地がいい

明日はシスティーナ礼拝堂

今日はもう寝る