パートナーシップで起きる出来事には
普通では考えられない意味がある
パートナーシップが深くなればなるほど
二人の間の境界線がなくなる
お互いの波動域が一緒なので
同じ瞬間に、同じ思いが行き交うため
テレパシーで会話をしたり
電話をかけるタイミングが一緒だったりする
個々の人生の課題をクリアするため
相手をそのまま映し出す
例えば自分が、行動派で、考えていることを行動に移さないと
気が済まないタイプだったとする
パートナーは元々、とても慎重派で、新しいことを取り入れるのに時間がかかる
すぐに落ち込むが、忍耐強く同じことを何年も繰り返すことができる
大体、パートナーシップを組むのは、同じタイプは一緒にはならないので
こういう組み合わせができあがる
親密さが増すほど、不思議なことがおきる
それは、お互いの部分がまったく逆バージョンになって
行動派が慎重派になり、慎重派がどんどん行動的になるという現象だ
自分にない部分が統合されていくためだが
それ以上に不思議なことも起こりえる
どちらかが得をし、どちらかがそのために犠牲になる
この犠牲というのは、自らの意識が、相手の問題をクリアするために
自ら進んで、それを行うというものだ
これは極端な話だが、
自分のパワーや、持っている徳、よきカルマを
相手に渡すことで、問題をクリアにする
これがツインにおいて、起きてくる出来事の中で
大変な問題になる
相手の問題が片付くと、自ら選んだ犠牲者を終了させ
お互いに遊べる領域に入る
この統合の関係になると、他の人に影響を与えるパワーを持つ
二人の関係が、周りにインスピレーションを与え変化させていくのだ
もし、パートナーシップで、自分がとんでもない体験をし、
相手が人生をうまくやっていけているという体験をしていたら
それはツインソウルの関係かもしれない
勿論、お互いが自分の問題をクリアできていれば
このように大変な出来事をどちらかが引き受けるということは起きないが・・・
私達が考えている問題は、単体で自分の問題だと思っているが
実は家族や家系、パートナー、集合意識による問題に関わっているということに
殆どの人は気づいていない
集合無意識と呼ばれる場所では、すべては同じ存在であり
源のフォースから、それぞれという個が解き放たれた
しかし、個は常に繋がっている集合体に影響される
集合意識がどのように私達個に影響するかは、
法則のようなものが存在する
これについては、今年始めていく、ある媒体で発信していこうと思う
2018年はスピリチュアルの枠を外れ
長い時間をかけて構築してきた世界、自分の地位を捨て
自分の存在する場所を離れた
まるで、生まれて初めて世界を見たようだった
様々な領域にいる人たちと触れ合うことで
自分がヒーラーであることや
こういう人間だという定義から自由になり
そこで世界を捉えていくことは
ある意味、新鮮でもあり、そして混乱の連続でもあった
自分の居場所もなく、自己を見つけることができず
すべてのものを失くすという体験を
自らに課すことは
自分の身を守ることなく、大海に掘り込まれて
どう反応するかを楽しんでいるようにも思える
ゼロになること
無になること
これが私の2018年の達成だったのだろう
いや、達成さえもどうでもよく
自分の思うがままに
無限の可能性に広がり続ける大いなる意思の意図のままに
私は自然であり、風の流れの中に
揺れながら
どこに流れつくかも分からない不確定さの中に
身をおいてきた
よく精神が破壊しなかったものだ
いや、何度も破壊したかもしれないし、
破壊寸前で、救われてきたのかもしれない
年々、未来を確定することが不可能になり
何が起きるかが、予測不可能になっている
通常の私達の意識は、
予測することで、備えをし、
自己を確定することで、自我は守られている
成功哲学と世間で呼ばれている思想は
目的を作り、それを達成することで
自己を確認する
これが自我の安定と呼ばれるものだ
この自我の安定ができなくなるような
突拍子もないことが起きていくのが
今後の世界である
世界は不確定さの中で、自我を固定することはできなくなる
子供達はそれをいち早く取り入れている
子供には、自分はこうだという概念も
こうしなければならないという執着もなく
柔軟にすべてを受容し、そこで生きることができるからだ
私の2番目の師にあたる彼女は、私を世界に押し出すときにこう言った
「悪いものを手放そうというのは誰でもそう思し、そうしようと思う。でもよいものも手放しなさい。すべてを手放し今に生きるのです」
大海で起こる出来事をかまえるのではなく、恐れることを恐れず、
完全に今に存在するのです
これが2019年に問われていくことになるだろう
2018年は「禅」で多くの人との交流があった
様々な仕事に関わる人と、ヒーラーとしてではなく
一人の人間として関わり、話をしてきた
色々な人の噂も聞いた
色々な知識を持っている人もいた
でも人はどんなに知識を持っていても
それを生きていなければ、ただの傍観者にすぎない
惹かれるのは、知識ではない
泥臭い、人生体験だ
人間らしい感情
弱さを隠さず、攻撃的でありながら
保守的な部分をそのまま表現する
どんな瞬間も自分のまま
人を傍観して他人を評価する人ではなく
人生を一生懸命に生きている人がいい
私の道を行くのだ
長い時間をかけて構築してきた世界、自分の地位を捨て
自分の存在する場所を離れた
まるで、生まれて初めて世界を見たようだった
様々な領域にいる人たちと触れ合うことで
自分がヒーラーであることや
こういう人間だという定義から自由になり
そこで世界を捉えていくことは
ある意味、新鮮でもあり、そして混乱の連続でもあった
自分の居場所もなく、自己を見つけることができず
すべてのものを失くすという体験を
自らに課すことは
自分の身を守ることなく、大海に掘り込まれて
どう反応するかを楽しんでいるようにも思える
ゼロになること
無になること
これが私の2018年の達成だったのだろう
いや、達成さえもどうでもよく
自分の思うがままに
無限の可能性に広がり続ける大いなる意思の意図のままに
私は自然であり、風の流れの中に
揺れながら
どこに流れつくかも分からない不確定さの中に
身をおいてきた
よく精神が破壊しなかったものだ
いや、何度も破壊したかもしれないし、
破壊寸前で、救われてきたのかもしれない
年々、未来を確定することが不可能になり
何が起きるかが、予測不可能になっている
通常の私達の意識は、
予測することで、備えをし、
自己を確定することで、自我は守られている
成功哲学と世間で呼ばれている思想は
目的を作り、それを達成することで
自己を確認する
これが自我の安定と呼ばれるものだ
この自我の安定ができなくなるような
突拍子もないことが起きていくのが
今後の世界である
世界は不確定さの中で、自我を固定することはできなくなる
子供達はそれをいち早く取り入れている
子供には、自分はこうだという概念も
こうしなければならないという執着もなく
柔軟にすべてを受容し、そこで生きることができるからだ
私の2番目の師にあたる彼女は、私を世界に押し出すときにこう言った
「悪いものを手放そうというのは誰でもそう思し、そうしようと思う。でもよいものも手放しなさい。すべてを手放し今に生きるのです」
大海で起こる出来事をかまえるのではなく、恐れることを恐れず、
完全に今に存在するのです
これが2019年に問われていくことになるだろう
2018年は「禅」で多くの人との交流があった
様々な仕事に関わる人と、ヒーラーとしてではなく
一人の人間として関わり、話をしてきた
色々な人の噂も聞いた
色々な知識を持っている人もいた
でも人はどんなに知識を持っていても
それを生きていなければ、ただの傍観者にすぎない
惹かれるのは、知識ではない
泥臭い、人生体験だ
人間らしい感情
弱さを隠さず、攻撃的でありながら
保守的な部分をそのまま表現する
どんな瞬間も自分のまま
人を傍観して他人を評価する人ではなく
人生を一生懸命に生きている人がいい
私の道を行くのだ

いつもの空が広がり、同じように世界は流れていく・・・
違って見えるのは、2019年の年明けという自分の意識が
空を創りだしている
光は窓から部屋全体に広がり
ギターの音色が、遠い異国の空気に触れさせる
潮の匂いの街の賑わいに
大昔に自分がいたであろう光景が
一瞬にして目の前に広がる
この肉体を通して
過去から未来へと続く時空を
永遠に旅している
自らの内側に宇宙は広がり
無限の可能性に向けて解き放たれた存在である私達は
意識を通して様々なものを信じ、様々な定義をつけ人生を生きている
何かを見るとき、それは私達の中で真実となり
世界を見せてくれる
ネガティブになってはいけないという人達は
ポジティブに変換をし、自分の闇を否定し続けていくだろう
変換し続けていけばいくほど
苦しむことになる
肉体というDNAの存続意識の制約の中で
世界を創っていく人間体験は
2019年は、制約を超えて
多くの人が目覚める年になる
今まで信じてきたものを変化させ
新しいものを受け入れていく
自然の法則に逆らわず
委ねていく意識・・・
おてあげ意識が
次の移行をスムーズにさせていく
シンプルに生きること
今まで絶対無理だと思っていたことが
自分の中で諦めていたことが
何の努力もなく、あっという間に
まるで魔法にかかったように
形になって目の前に現れるかもしれない
そんな年になるだろう
今までも常に
私達は世界を創造してきた
これからは創造の仕方が変化していく
年々、錬金術が可能になっていくのは
人々の意識が、シンプルになっていくからだ
1500年代の錬金術師であるセントジャーメインは
今も生きている
私達の中の細胞の一つとして
新しい幕開けは毎瞬訪れている
イマジネーションこそが、創造の源だ
私という存在の意識はすべての意識と繋がり
人生を織り上げている
織り上げる集合意識は不思議は方程式があるのだ
なぜこんな人生を歩いているのだろう
なぜこんな感情を感じているのだろう
自分では到底コントロールできない領域で
私達は繋がっている
無意識、集合無意識という場所において
そしてそれらを超えたところで
何か偉大なものに出会う
この法則、方程式の中に無限の意思を見ること
最終的には方程式さえも当てはまらないものに出会う
それを伝えていきたいと思う
2019年元旦