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生命の声を聞く者

インディアンネーム「生命の声を聞く者」のヒーリングブログ

覚醒、黄金比、すべての意味

2018-10-25 13:25:12 | スピリチュアル
出会いは偶然か、必然か

不思議な出会いが沢山ある

その中でも、その人に会うと

何か不思議と力が湧いてくるとか、

人生が変化していくという人がいる



それは、その人が持つエッセンスの中に

自らの神聖さが映るからだ


私の師の一人がこう言っていた

「相手の完全なる鏡として自らを差し出す」

この意味が、全然分からなかった

物事は、ある時、ふっと理解できるようになっているのだと思う


ニュートラルでいればいるほど

大自然の一部として機能し

「相手の完全なる鏡として自らを差し出す」ことになる



そういうニュートラルさを持つ人に会えるのは

人生の中でもそう多くない


昨晩は、そういう出会いが訪れた



ずっと私に会わせたかったと

その人を紹介してくれた友人も

かなりニュートラルな人だが

友人とその人が話す内容は、

まるで覚者が対話をして

じゃれあっているかのようだった


話の中で面白かったのは、

私が光の体験をしたそのままの話に

近い話だった


信号機の赤を見たとき、

その赤があまりにも美しく、「赤だー」と言って

青になると「青だー」と言って

感動して走り出したというものだった


そして話は続いて、十字がどうして十字なのか

その形の意味も、説明できないが分かったと

話していた

まったくの共感だ


一昔前は、スピリチュアルのツアーでも

よく行われていた、幻覚キノコを使った

人工的な覚醒である

日本では許されないが、海外のとある場所で

それを使うと、一時的に覚醒する

そして、すぐに普通の状態に戻るが


体験があまりにも凄すぎて、

鮮明に記憶される

私の光の体験は、薬やキノコではなく

インドのサイババによる恩窮によるものだ


一度、そのような体験をすると、

魂が呼び覚まされ、

その領域の人を見つけることができる


そして、それは言葉の領域を遥かに超えた

テレパシーだったり、魂的な言語を交わすことになる


私達は自然の中に溶けていて

黄金比の数字的な神秘さや

すべての中にある本質的な意味を知る


そして覚醒といったら、

彼女を抜きに考えられない


孫娘のゆあちゃんだ


彼女はきっと、私達大人が見失った世界を

そのまま見ている一人だろう





四歳のお誕生日おめでとう




バドルソドル ポアとお経

2018-10-11 21:40:48 | スピリチュアル
10月9日の夕方、娘の父親が急死した。

彼は脳卒中で、ばりばり働いていた仕事を辞めざるおえない状況になり
身寄りがないため、生活保護をうけながらある施設でお世話になっていた。

意識不明が何日も続き、命は助からないと言われていたのだが
回復し、話ができるようになり、食事も食べることができるまでになっていた。

その後、何度も誤嚥性肺炎で、施設から病院へ入退院を繰り返していた。

病院では、看護士がオムツをかえてくれないと、文句を言っては我侭とみなされ
相手にされなかった。

施設では、とてもよくしてもらっていて、穏やかだった。

最期は、誰もいない一人部屋で、施設の人が見回りにいくと
亡くなっていたそうだ。

前日、娘は、なぜか父親のところに行かなきゃと思っていたと言っていた。

虫の知らせなのだろう。


私は急遽、東京から金沢に帰り、手続きをしてあげなくてはならなかった。

紹介してくれた葬儀社の方は

生活保護の方の亡くなった後のことを、丁寧に教えてくれた。

葬儀はできないし、お坊さんを呼んでお経をあげることもできない。

市で厳しい取り決めがあるそうだ。


彼は生前、日蓮宗で、熱心にお寺に通い、忠実に教えを守り、何かあればお伺いをたてていた。

だから、彼の意思は知っていたし、彼の望む形で見送ってあげたかった。

唯一、85歳の彼のお姉さんが、心配して、戒名とお墓や、お経のことを聞いてきたが

無理なことを伝えるしかなかった。


11日が焼き場で遺体を焼くということは決まった。

死後3日間は、肉体意識が肉体の中に留まるため

焼いてはいけないということは、授業でも伝えていたし

ちゃんとポアして、肉体から意識を抜いてあげるためには

どうしてもお経が必要だった。


11日、彼の遺体を焼き場の火葬炉に入れるために、お棺と共に歩いた。

お棺の中の彼の中には、まだ肉体意識があった。

困ったな~。でもなんとなく、心配いらない気がしていたが

現実にはまだ意識が抜けていない。


火葬炉の前の天上は円形になっていた。

私はもう願うように、彼の肉体から意識が抜けることを祈っていた。


すると、どこからかお経が聞こえてきた。

このお経の声は私にしか聞こえない。

神戸の山の上にあるお寺の、彼がお世話になったお上人の声だった。

ああ~。

よかった~。

85歳のお姉さんが、神戸のお上人にお願いをして、お経をあげてもらったのだと思った。

「お別れの時です」火葬場の人が炉にお棺を入れる前だった。

天上に、すう~と意識が抜けていった。

お迎えがきたのだ。


すごい!


ほんと、よかった。


彼の生前からの意思、「骨を拾ってくれ」

結局そうなるのよね。

初七日まで、毎日、お経を上げてくれるそうだ。


85歳のお姉さんの弟を思う強い意思が

すべてを超えて、彼を救ったのだった。


人生は有限だ。

そしてどの人生も、どの瞬間も神聖な時間であり

一人の存在は、すべての人の中で守られ愛されている。


多くの人の心と手によって、愛され、お世話され

そうやって私達は繋がっている。


感謝のフィーリングが私を包み、娘のねねちゃんが

久しぶりに私にまとわりつき、

なんだか大きなクスクスが私を再び神の元に連れ戻したのだった





人間の再生能力

2018-10-07 08:06:58 | スピリチュアル
一つ一つのお料理に
手を抜かず、感覚を研ぎ澄ます

きっと私は日本のどこかで、
料理人だった事があるのかもしれない

どの仕事も、全体を把握しながら、
今の作業に集中する

素材との対話

時間配分
段取り
空調の調整
居心地よさ

見えない音、声を聞いていく

天気における感情の揺れ
体調
すべてのものを極限まで
研ぎ澄ます


自分の感情が及ぼす影響を減らし
自然の流れの中に身をおく


店をオープンして分かったのは、
どの仕事も、根本は同じ

すべての瞬間に集中し、
そしてすべての瞬間に力を抜き
身を委ねる

この2つの相反することの統合が禅ということになるだろう

調子を崩すというのは、感情なのか、体調が悪いのか、
日々のバランスが大幅に狂う時に
事故や事件、病気に発展する

不調和という

すべてはタイミングだというけれど
タイミングとは、宇宙の流れのシンクロニシティ(共時性)が
あるかないか、流れに乗れているか、いないかということである

波が来ない時は、来るのを待つ

波が来て溺れそうな時は、力を抜き、静かにする

溺れ、水を飲んでしまったら、慌てない

やがて、静かになるまで待つのだ


バランスを崩した時に私はよく怪我をする

店をオープンさせてからは火傷が多い

そして、接客中は、火傷に集中していられないのである


ところが切り傷や火傷も、ケアをしないのに、次の日には、殆どと言っていいくらい
よくなっている

3日もあれば、消えてしまう

あまりの再生の早さにびっくりしてしまうが

本来なら、水ぶくれが起きそうな火傷も

赤みが消え、痛みもなく

治癒しかかっているのを見ると驚く

どうも意思に肉体が反応して、白血球が多くなり

治癒を促しているらしい



水ぶくれになるところが、3日目には、赤みが消えつつある



とかげのしっぽのように切っても、本来は生えてくるのが

自然の治癒らしい

医学的には、ガンは治らないといっているが

ガンは実は3ヶ月以内には治ってしまうものなのだが

日本の医療は、医学会による医療産業になっているため

薬づけにしてしまい、本来の生命力を奪ってしまう


このことは、実際に医学会に出席した友人に聞いた話である


イルミナティによる洗脳は、巧みに行われる

日本人は特に、自分で調べるということをしないので

他者に委ねてしまう


本当に自然に還る必要があるのだ







叶うと信じて疑わないこと

2018-10-05 18:33:37 | スピリチュアル
ランチを始めた私は、早朝6時に起き、仕入れに走り

仕込みを終えると、激動のランチラッシュをやり終える

すぐに夜の仕込み、お店が終わり、家に帰るのは1時


合間にセッション、そして講義と電車での移動

なんとか睡眠時間を確保している


こんな毎日をすごしている


東京は9月中雨に見舞われ、

10月に入り、ようやく天気になり街がオレンジに輝く

それもつかの間、又、雨模様


人生がうまくいかないときは、静かに、できることを丁寧にきちんとして

一瞬に集中する


一人ひとりの出会いが楽しい


引きこもりで、誰にも関わりたくなかった私なのに

けっこう、この生活を楽しんでいる



10月は私の誕生日と孫娘の誕生日


娘からのラインで、誕生日は、ディズニーに行きたいと言っていたのに

風邪を引いて仕事をお休みしたから、お金が大変だから

東京には行かないよって連絡だった


そしたら、隣で孫娘の「ゆあ」が

「ゆあはお金持ってる」

「だから、ばあばとディズニーに行く」

とニッコニコの返答だった


小さな買ってもらったばかりのお財布の中に

100円が入っているのだ

そして彼女は本当に東京に行って、ばあばとディズニーにいけると

思い込んでいる


その純粋さが、私のハートをくすぐり

私は涙が止まらなくなってしまった


大人になった私はいつのまにか現実に浸かり

子供の頃の、なんでもできるという思いを無くしてしまっていた


「ゆあ」は私の魂をまんまと掴み、

一緒に空を飛ぼうよと言っているかのようだった


しばらく声をあげて泣いた私は、自分があと何年生きられるかを考えていた

人生は有限だ


私は、私のやりたいように、生きたい道を生きる




願いは叶う


信じきるということがどういうことなのか


私は孫娘に教えられていた


彼女は私の天使だ


しばらく忘れていたディズニーの夢の世界を


空を飛びながら見ていた