THE WAY

インディアンネーム「生命の声を聞く者」のヒーリングブログ

新年明けましておめでとうございます

2012-01-01 23:12:06 | セッション記録
静かな幕開けだった
除夜の鐘を聞きながら私は空を飛んでいた

この日世界中が息をのむ瞬間
深夜0時の時計の針がピタリと止まった瞬間
人々は自分自身を再構築する

そう。まるでシンデレラのように・・・
0時の鐘が告げる


祈りの声が聞こえていた
今年はこうしよう
こうなりますように・・・
様々な願いが地球全体をとりまいていた


今年のテーマは自分自身になる
「汝自身を知れ」だ

私達の歴史は、長い間の葛藤と罪の意識を解放するため
自分に呪いをかけ、呪いを解くために様々なことに取り組んできた

そのためバランスを崩し、偏った考えと執着心によって
罰せられること、罰することによる罪の解放を行ってきた

師はよくこう言っていた
「あなた方のラストバリアは自分を許すことだ」・・・と
その意味が今ならよく分かる

師はさらりと何事もなかったかのように
重要なキーワードを私達に告げる
その意味を理解するまでは、様々な体験を通して
自分と向き合い、何年もかかって理解する

師のキーワードをじっくりと何度も考え
自分に問いただしていく
何度も何度も自分の中に入れ込んでみる
そうして一度分解し発見し、又分解し・・・
繰り返し繰り返していくうちに
ある日、それがはっきりと姿を現してくる
その瞬間
すべてがクリアになり、確信として自分の言葉になっていく

これが禅だ!

自分と自分の輪郭として姿を現してくる
そしてその後・・・師と溶けていく
輪郭や言葉さえも溶けてなくなる
それを「超える」と言う


昨年私がとても影響を受けた人物として白洲次郎という人がいる
NHKのドラマシリーズで放映されていたが
私は彼にすっかり惚れ込んでしまった

迷い続け闇を放浪している私に
彼の生き方は、魂に芯が入るような
「ドン!」という音と共に
私の中に魂を再び蘇らせた人である

私は死んでいたのだ

大きな地響きと共に私は自分の肉体の中に入っていった



自分を知るということ
自分の天分を知り、全うすること

このシンプルなことが
私にとっては大きな人生のポイントになっていった
それは私に私とは何なのかをつきつけたのだ

そしてその一説に青山二郎という目利きが出てくるが
彼の存在も又すごかった

「なんとなく感じが分かるっていうのと、物が見えるっていうのは
全然別のこと
素っ裸になって、目玉だけで物を見る
形の魂を目で見るんだ」

それはマスターが言っていた「存在の実存」という言葉と
「汝自身を知れ」という2つの言葉を意味していた

放射体になるということは、どの瞬間も嘘偽りのない
存在としての真のエネルギーと繋がってそれを行うこと

在ることと、行うことが一つであることだ

仏陀の中道とは・・・・
「清濁併せ持つ」
そしてそれを完全に知り、自分であることから始まる

インドに行くと分かることがある
そこには聖なるものと、そうでないものの両方が混在し
どちらも競争ををせず共存している
不思議な国である

自分が自分の闇に出会う時・・・人はそれを排除し戦おうとする
エゴと戦えば、エゴが消えず大きくなる
エゴは消せない
そのエゴこそが、人間である証であり、魂の一部であり、宇宙の一部なのだ

「正しくある必要性を手放しなさい」と師は言っていたが
これは本当に深い意味があるのだと今さらながら思う


存在に溶ける

それは涅槃という境地への近道だということを
私のどこかの部分が知っている


シンデレラの時間・・・
空を飛び存在の光と一つになっていた私の内側で
生命の声が聞こえていた

「今年は実存と・・・存在そのものとの融合へと繋がれていくだろう
さあ。歩き続けなさい
けして歩みを止めてはいけない
あなたは永遠の存在の源へと導かれるだろう
その時、もうあなたはあなたとして自分を認識することはできないその場所で
あなたという存在の源泉を飲むのだ
もうすぐあなたは目撃することになる
あなたと私との完成がどのようになされてきたかのすべてを知るのだ・・・
あなたはいつでも一人でないことを知るだろう
すべての存在、すべての人が、私からの贈り物であることを歓喜の中で知るのだ」


私は全存在と共にマントラを唱えていた
それはまるで地球と、その生命のすべてと歌を歌うかのように
大合唱が始まっていた

「オーム・・・・・・」

天上の音と地上の音が重なり、歓喜と静寂の両方が交差をし十字の文字を作っていた

そしてそれを私はいつまでも見ていた

2012年元旦   






















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