5日間ほど、帰省していました。
実家の母親も、夫の母親も、とりあえず元気に過ごしていましたので、安心しました。
帰省の往復は、新幹線を利用したのですが、その道中に、太宰治の「斜陽」を読みました。
高校生の頃、私は太宰治に傾倒していましたので、「斜陽」は2回は読んだと思います。
しかし、傾倒していたとはいえ、小説の中の出来事は、戦後間もない昔のこと。
そして、登場人物の織りなす人間模様は、全て大人の出来事で、
10代の私には、実感の湧かない絵空事のようでした。
ですから、解った振りをして読んでいた、と言ってもよいでしょう。
まさに精一杯背伸びして、太宰治を読んでいる自分に、酔っていたのかも知れません。
それから私は大人になり、気が付けば、人生の折り返し地点も過ぎてしまいました。
そして今回、改めて「斜陽」を読んだ感想は。。。
登場人物の行動が危なっかしくて、ハラハラしながら読みました。
そんなことをしちゃダメでしょ! 自暴自棄にならないで!
そんな思いを抱きながら、読んだのでした。
文学を味わうよりも、お母さん目線で物語を追っている自分に気づき、
なんだか複雑な思いになりました。
「斜陽」を読むことにより、自分の成長?を感じたのは確かですが、
もしかしたら、文学を味わう瑞々しい感性も、枯れてしまったのかな?
これからしばらく、太宰治の他の作品も読みながら、
そんなことも検証してみようと思ったのでした。