2月27日に最高裁で注目すべき判決が下されました。入学式で君が代の
伴奏を拒否した音楽の先生が処分され、そのことを最高裁まで争ったケース
です。新聞やテレビでも取り上げられたので、おやっ?!と思った方も多い
と思います。
そもそもこの事案は、東京の小学校の音楽教諭が入学式の国歌斉唱の際に
君が代のピアノ伴奏を行うべしとの校長の職務命令に従わなかったことを
理由として戒告処分を受けたことに対し、そもそも君が代のピアノ伴奏を
すべきとする職務命令自体が憲法19条(思想良心の自由)に違反だと
この戒告処分の取消しを求めたワケです。
結果的に最高裁は、君が代の伴奏が自らの思想良心に反すると主張する
音楽教諭に対し、いやフツー音楽の先生が君が代を演奏するっていう役割は
わかってたんでしょ、伴奏くらいたいしたことないよね、君が代が侵略戦争
のイメージだっていうあんたの内心の思いは勝手やけど、君が代を演奏する
からといって、あなたが君が代支持ですって言ってることにはならないし、
子供たちに強制してることにもなんないでしょ、それに公務員として、
全体の奉仕者として公共の利益のために勤務してるんだから、国が決めた
学習指導要領で入学式では君が代歌うって決まってんだから、
もう勝負決まってんだから伴奏したっていいよね、勝手なこと言っちゃ困る、
そういうことだから、校長に逆らって演奏しないあんたが悪いよ、やっぱ。
ってな感じの多数意見で最高裁は判決を下したのでした。
この判決のとっても大切な部分は、最高裁多数意見の考え方について、
「もっと言わせんかい」と、踏み込んだ意見を述べている那須裁判官に
よる補足意見と、「いや、やっぱ疑問やわ」という藤田裁判官による反対
意見が出されていることなんですね。
那須裁判官は、ピアノ伴奏というもんは、手足を動かしてるだけでは
なくて、内面の音楽的な感覚や感情とかの働きも使ってはじめて演奏が
できるんだということは認めてるんですね。
そして、こういう職務命令が出されると、この音楽教師の人の内心に葛藤が
生じるかもね、っていうことも認めている。
その上で、でもねえ、教師がそんなことを一人ひとりが言ってたら、
収拾つかないでしょ、君が代を歌いたいっていう人の立場もあるでしょ、
学校ってのは統一的な意思決定とその確実な遂行が必要なんだし、
校長先生の言うことは聞かないと駄目じゃない、嫌なのは分かるけどさ、
だからといって嫌だってだけで許してたんじゃねえ、
子供たちが入学式に参加して国家を斉唱することを通じて新たに始まる
学年に向けて気持ちを引き締め、学習意欲を高めるための絶好の機会を
奪ったり損ねたりすることになる(注:本当にこう書いてある!!)よね。
学校全体でやることなんだし、前から言われてわかってるんだから、
協力する義務があるってことで、ひとつご理解お願いしますよ。
って感じなんですよ。
これに対して、反対意見を書いた藤田裁判官は、次のように述べます。
多数意見は疑問なんだよねえ、だって、この音楽教師の信条として
君が代を伴奏することが極めてツライということなんだから、
それにもかかわらず強制することが許されるかってことこそが本質
なんだもん。「入学式での君が代の伴奏に参加してはいけないんだ」って
いう信念・信条を持つことが憲法による保護を受けないってことでいいの?
そういう信念・信条に反する行為を(不利益処分をもって)強制するって
ことが憲法違反にならないか、もうちょっと吟味すべきなんじゃないの?
やっぱ、本人の信念・信条そのものに対する直接的な抑圧でしょ、こり。
いや、それもね、明らかに国民一般からみて「信じられねー」ってな
こと言ってるんならあれだけどさ、君が代に関しては、国民の間にも
いろんな意見があるのは事実だしね。
またさ、公務員が全体の奉仕者だ、公共の利益だ、って言うけどさ、
伴奏しないときに備えてテープまで用意してて(実際にテープを使って
斉唱して)、その上で強制的に伴奏させる公共の利益って何なの?
ってこと、やっぱ考えるべきでないですかねえ。
多数意見は、大切なことなんだから我慢しろよ、って言うけど、
学校教育の上で、ホントそんなに大切なことって言えるのかなあ、
他にも音楽の先生はいたんだし、テープだって用意してたんだし、
生演奏じゃなきゃ教育目的が達成できないって証明できるの?
疑問なんだよなあ。だから、音楽教師の思想・良心の内容とそれを
制約する公共の福祉・公共の利益の関係はもうちょっと具体的に検討
されるべきだと思うんだ。
よって、原判決を破棄しちゃって、差戻しって感じならいいんだけどね。
ってな感じです。どう思われます、皆さん??
是非一度、私のいいかげんなオチャラケ文ではなく、判決本文をお読み
下さい。そんなに長くはありません。↓
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20070301113512.pdf
私は、個人的には藤田裁判官の反対意見の方に魅力を感じます。
最高裁のHPでプロフィールを見てみると↓
http://www.courts.go.jp/saikosai/about/saibankan/index.html
藤田裁判官は若いときからピアノをやっておられたとか。
そういうバックグラウンドも関係があったのかもしれません。
藤田裁判官は、とても判り易い行政法入門という本を書いておられ、
そこには学者としての先生の魂が感じられます。
それから。藤田先生は弓道部の大先輩でもある。もう、これだけでも
私は藤田裁判官を全面的に支持します!!
(ちなみに那須裁判官も趣味弓道って書いてあるな、、、、)
伴奏を拒否した音楽の先生が処分され、そのことを最高裁まで争ったケース
です。新聞やテレビでも取り上げられたので、おやっ?!と思った方も多い
と思います。
そもそもこの事案は、東京の小学校の音楽教諭が入学式の国歌斉唱の際に
君が代のピアノ伴奏を行うべしとの校長の職務命令に従わなかったことを
理由として戒告処分を受けたことに対し、そもそも君が代のピアノ伴奏を
すべきとする職務命令自体が憲法19条(思想良心の自由)に違反だと
この戒告処分の取消しを求めたワケです。
結果的に最高裁は、君が代の伴奏が自らの思想良心に反すると主張する
音楽教諭に対し、いやフツー音楽の先生が君が代を演奏するっていう役割は
わかってたんでしょ、伴奏くらいたいしたことないよね、君が代が侵略戦争
のイメージだっていうあんたの内心の思いは勝手やけど、君が代を演奏する
からといって、あなたが君が代支持ですって言ってることにはならないし、
子供たちに強制してることにもなんないでしょ、それに公務員として、
全体の奉仕者として公共の利益のために勤務してるんだから、国が決めた
学習指導要領で入学式では君が代歌うって決まってんだから、
もう勝負決まってんだから伴奏したっていいよね、勝手なこと言っちゃ困る、
そういうことだから、校長に逆らって演奏しないあんたが悪いよ、やっぱ。
ってな感じの多数意見で最高裁は判決を下したのでした。
この判決のとっても大切な部分は、最高裁多数意見の考え方について、
「もっと言わせんかい」と、踏み込んだ意見を述べている那須裁判官に
よる補足意見と、「いや、やっぱ疑問やわ」という藤田裁判官による反対
意見が出されていることなんですね。
那須裁判官は、ピアノ伴奏というもんは、手足を動かしてるだけでは
なくて、内面の音楽的な感覚や感情とかの働きも使ってはじめて演奏が
できるんだということは認めてるんですね。
そして、こういう職務命令が出されると、この音楽教師の人の内心に葛藤が
生じるかもね、っていうことも認めている。
その上で、でもねえ、教師がそんなことを一人ひとりが言ってたら、
収拾つかないでしょ、君が代を歌いたいっていう人の立場もあるでしょ、
学校ってのは統一的な意思決定とその確実な遂行が必要なんだし、
校長先生の言うことは聞かないと駄目じゃない、嫌なのは分かるけどさ、
だからといって嫌だってだけで許してたんじゃねえ、
子供たちが入学式に参加して国家を斉唱することを通じて新たに始まる
学年に向けて気持ちを引き締め、学習意欲を高めるための絶好の機会を
奪ったり損ねたりすることになる(注:本当にこう書いてある!!)よね。
学校全体でやることなんだし、前から言われてわかってるんだから、
協力する義務があるってことで、ひとつご理解お願いしますよ。
って感じなんですよ。
これに対して、反対意見を書いた藤田裁判官は、次のように述べます。
多数意見は疑問なんだよねえ、だって、この音楽教師の信条として
君が代を伴奏することが極めてツライということなんだから、
それにもかかわらず強制することが許されるかってことこそが本質
なんだもん。「入学式での君が代の伴奏に参加してはいけないんだ」って
いう信念・信条を持つことが憲法による保護を受けないってことでいいの?
そういう信念・信条に反する行為を(不利益処分をもって)強制するって
ことが憲法違反にならないか、もうちょっと吟味すべきなんじゃないの?
やっぱ、本人の信念・信条そのものに対する直接的な抑圧でしょ、こり。
いや、それもね、明らかに国民一般からみて「信じられねー」ってな
こと言ってるんならあれだけどさ、君が代に関しては、国民の間にも
いろんな意見があるのは事実だしね。
またさ、公務員が全体の奉仕者だ、公共の利益だ、って言うけどさ、
伴奏しないときに備えてテープまで用意してて(実際にテープを使って
斉唱して)、その上で強制的に伴奏させる公共の利益って何なの?
ってこと、やっぱ考えるべきでないですかねえ。
多数意見は、大切なことなんだから我慢しろよ、って言うけど、
学校教育の上で、ホントそんなに大切なことって言えるのかなあ、
他にも音楽の先生はいたんだし、テープだって用意してたんだし、
生演奏じゃなきゃ教育目的が達成できないって証明できるの?
疑問なんだよなあ。だから、音楽教師の思想・良心の内容とそれを
制約する公共の福祉・公共の利益の関係はもうちょっと具体的に検討
されるべきだと思うんだ。
よって、原判決を破棄しちゃって、差戻しって感じならいいんだけどね。
ってな感じです。どう思われます、皆さん??
是非一度、私のいいかげんなオチャラケ文ではなく、判決本文をお読み
下さい。そんなに長くはありません。↓
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20070301113512.pdf
私は、個人的には藤田裁判官の反対意見の方に魅力を感じます。
最高裁のHPでプロフィールを見てみると↓
http://www.courts.go.jp/saikosai/about/saibankan/index.html
藤田裁判官は若いときからピアノをやっておられたとか。
そういうバックグラウンドも関係があったのかもしれません。
藤田裁判官は、とても判り易い行政法入門という本を書いておられ、
そこには学者としての先生の魂が感じられます。
それから。藤田先生は弓道部の大先輩でもある。もう、これだけでも
私は藤田裁判官を全面的に支持します!!
(ちなみに那須裁判官も趣味弓道って書いてあるな、、、、)