広島旅行最終日。最後に訪れたのは平和記念公園です。
皆さんご存知の通り広島は世界で始めて原爆が投下された街でもあります。
原爆により多く尊い命が失われてしまいました。
慰霊碑
こちらには過去帳と呼ばれる原爆の被害に合われた方々の名簿が納められています。碑を囲む家型に作られたドームは犠牲者の霊魂を雨露から守りたいという思いがこめられているそうです。
平和の鐘
こちらの鐘の表面には「世界は一つ」を象徴する国境の無い世界地図が浮き彫りされているそうです。
予備知識が無かったので気がつきませんでした。もしも訪れる機会があればじっくりと見てみてください。
そして池には遺跡から発掘された2000年も前の種を発芽させた大賀ハスが植えられています。
これは被爆時にハスの葉を傷口にあてて痛みをしのいだという被爆者の霊を慰める為だそうです。
原爆の子の像
こちらには各地から送られた千羽鶴が納められています。
世界平和の念をこめられて折られたであろう鶴。
その鶴は厳重な箱の中に入れられ管理されています。
数年前、この千羽鶴が燃やされた事件があったのをご存知ですか?
犯人は大学生だったらしいです・・・。
実はこのモニュメント建造にあたりモデルとなった人物と悲しいエピソードがあります。
佐々木貞子さん
サダコさんは2歳の時、原爆の被害に合い被爆してしまいました。
幸い奇跡的に無事に生き延びたサダコさん。
終戦から数年、今後75年は草木も生えないと言われていた広島の町も徐々に復興の
兆しをみせはじめ、サダコさんも今まで大きな病気もせず成長していました。
終戦から10年後、サダコさんの体に異変が起きます。
検査の結果は白血病。
余命1年を宣告されてしまいます。
死の恐怖と闘うサダコさん。
病室に名古屋の高校生から送られた千羽鶴。
鶴を千羽折ったら願いが叶う。
サダコさんはこの言い伝えを聞いて自ら鶴を折り始めます。
頭が痛く起きているのも辛い日も。毎日、毎日折り続けました。
「げんきになりたい」
ただ、これだけを願い折り続けました。
しかし、そんな願いも届かず12歳という若さで命の火は消えてしまいました。
そんなサダコさんの死に衝撃を受けた同級生達が全国の原爆被害で亡くなったすべての子供達の為に慰霊碑を建てようと全国に呼びかけ全国3100校の生徒たちと世界9カ国の支援により建造されたのです。
原爆ドーム
1945年8月6日8時15分
人類史上初の実戦で投下された原爆がここ旧広島産業奨励館のほぼ直上600mの空中で爆発しました。
まさに一瞬だったことでしょう。辺り一体が焦土と化し約20万人の命が一個の爆弾により消えてしまったのです。
当初、この廃墟となった建物をみると戦争の悲劇が思いかえされるという意見もあり、取り壊しの案もあったようです。
しかし、戦争の悲劇を後世に伝えるべきとの強い要望で国内外から沢山の基金があつまり保存工事を着工。
そして原爆ドームして、戦争、原爆の悲惨さを伝える為に残されているのです。
昨今の日本では毎日の様に残酷な事件がニュースで報じられていますが多くの人々は平穏な日々を過ごしている事でしょう。
平和記念公園とは、戦争を経験していない我々に伝えられるメッセージそのものだと思います。
世界の国には核爆弾を所持している国もあります。
それは言わば武力としての"脅し"世界の均衡を保つ為の手段なのかもしれません。
昨年は九州、長崎の平和記念公園にも行きました。
広島平和記念公園も今回紹介した場所だけでなく他にも沢山のメッセージがあります。
原爆を落とされた唯一の国、日本
このメッセージを多くの人たちに感じて貰えたらと思います。
~おわり~