白樺小舎便り(しらかばごやだより)

北信濃の田舎暮らしの日々

北信五岳の末っ子 斑尾山

2020年10月25日 21時31分15秒 | 日記
何十年か前まで、ジャズフェスティバルが開かれていた高原。
冬はスキー場になる。
それは斑尾高原。
標高は900メートル位だろうか。
ここには斑尾山(1,381m)がある。
北信五岳の中では一番低い山で、末っ子。
登山口はいくつかあるが、今回は斑尾高原のかえでの木コース。

最初はスキー場のゲレンデを行く。
写真ではなだらかに見えるが、実際に登ってみるとかなりの急坂。

横手を見ると高社山が霞の上に浮かんでいる。
薄がいい感じ。のどかな日本の秋の風情。


足元には色鮮やかな薊の花?
先行者も数人。背中が汗ばむくらいの速度で歩いていたのであっという間に追い越してしまう。




スキー場を抜け、稜線に出ると紅葉の樹林帯。
向こうに雪化粧した妙高山が見えた。

木漏れ日の樹林帯。大好きだ。

この山頂は展望が良くない。


展望の良い場所に移動。

左から飯縄山、黒姫山、右の小さなピークは地蔵山。
手前は野尻湖。
穏やかな日差しの中で、棒ラーメンを作り、持参したおにぎりとともに食べる。山で食べる食事は何でこんなに旨いのだろう。

十分堪能して下山。



登山口に戻ると、十数人の女性たちがラジオ体操。これから登るようだ。見るともなく見ていると、二組に分かれガイドの女性が先導して出発していった。
コースタイムはおよそ二時間。休憩も入れると三時間と言ったところだろうか。既に十二時過ぎなので、下山は多分三時過ぎになる。晩秋の夕暮れは早い。他人事ながら心配になる。駐車場の車をみると伊豆、川口、熊谷、長岡などバラバラ。多分現地集合型のツァーなのだろう。

帰路、斑尾の湯立ち寄り汗を流した。
その後、近くにある涌井集落へ。ここはそばの里として有名なところ。三軒ほどの蕎麦屋がある。お気に入りは北沢という蕎麦屋。こじんまりしているが安くて美味しい。車で通ってみると昼時とあって店の外で待っている人たちがいた。もう一軒の蕎麦屋も満員で外で待つ人の姿が。
もちろん、並んで待つということが嫌いな質でスルー。今度平日に食べにこよう。




ハックルベリージャムの伝道師

2020年10月24日 21時32分48秒 | 日記
ハックルベリーといえば、ハックルベリー フィン。
トムソーヤーの友達。
それくらいしか知らなかった。
昨年、知り合いからブルーベリーに似た実を3キロほど貰った。
それがハックルベリーだった。


ナス科の植物で、緑色の未熟のものは毒を含んでいて食べられない。ブルーベリーと違うところだ。
熟しても灰汁が強くてそのままでは食べられない。
ジャムにするしかない。このジャムが、アントシアニンを多量に含んでいて目に良いという。
そこでジャムにしてみた。


実に美味しそうではないか。




ラベルも作ってみた。
左側のはバランスが悪い。名刺用の紙を使用したので仕方がない。

既に注文もいただいているのだが、非売品なので。

畑にはまだ大量のハックリベリーが収穫されずにある。
そこで、ジャムを作りそうな人をピックアップしてアタックをかけている。
レシピと試食品を添えて10人くらいに広めただろうか。
既に作った人もいて、『感動だった』という感想や『おいしく出来た』という声が届いている。
我家では毎朝ヨーグルトに入れて食べている。

作るうえで大変なのは灰汁抜きで、重曹を入れて煮る。数度水洗いをする。
砂糖、レモン汁、塩を混ぜて煮込む。
以上なのだが、前にやってみてうまくいかなかったという人が居て、このやり方で作ってみたらうまくいったとメールが届いた。どうやら灰汁抜きをしっかりやらなかったらしい。
しばらくハックルベリーの伝道師が続く。

学術会議『6人排除』 私は反対です

2020年10月19日 22時46分10秒 | 日記
生物の世界では多様性の重要さがはっきりしています。
政治の分野でも多様性は必要です。
時の政権に異を唱えるものを排除すべきではないし、学術会議に税金を出しているのだからと、問題をすり替えるのは変です。
俺の言うことを聞けないのか、という姿勢がはっきりしてきました。独裁に道を開かせてはないません。
早く退任願います。

第6回そば教室

2020年10月18日 21時35分42秒 | 日記
密を避け、ひっそりと始めたそば打ち教室。
前回から参加の女性が、昨日の雨でりんご取りが今日になったと朝訪ねてきた。そば打ち教室には参加できないので、自宅で打ってみたいから粉を都合して欲しいとのこと。
取り寄せたばかりの、北海道産のそば粉があったので、500g、それと打ち粉を少し分けてあげた。道具も自作したばかりのそば打ち台と麺棒があったので貸してあげた。
前回打ったそばが美味しくて、実家にも持っていって喜ばれたとのこと。意欲満々で頼もしい。
そば打ち教室は今回で6回目となる。参加者は3人。もう何回か参加されているので、ある程度は慣れている。自前の道具を揃えて持ってきてくれる人もいる。
何人かに声をかけてあるが、来てくれる人は大体決まっている。それでも他の人が来ないとも限らないので、そば打ち台と麺棒、まな板、押さえ板等を自作した。道具は大切だ。ひとつひとつ手に馴染むように丁寧に仕上げる。それでも実際に使ってみて、細かく修正する。そんな作業も楽しい。もう一組くらい作ってみたい。


水回し。この工程が一番大事だということがよくわかっていて、『真剣勝負だ』という言葉が飛び出す。


この人の使っている打ち台と麺棒は僕が自作したものだ。
この人も今度自前の道具を揃えるつもりだという。
前回打ったそばを友人に持っていったところ、美味しいと、とても喜ばれたという。年末には自分で年越しそばを打つと張り切っている。



そばを細く切るのが難しいと言う。
これは普段料理などしたことがないおじさんたちにとっては当然のことだ。
練習するしかない。


今回は1時間半ほどで作業は終了した。これまでそばの茹で方の実習もしていたが、もうその必要もないので今回は省略。
そばを丸く伸して、それを四角にする工程が今ひとつ理解し難いようなので、改めて説明をして終了。
今回使ったそば粉は北海道産の新そば。信州産のそば粉は多分11月ころにならないと出回らないのだろう。新そばは風味が違う。出始めたばかりの新そばは待ちかねていたのでうれしいのだが、新そばが本当に美味しくなるのは厳冬期だという。そばの蘊蓄は色々あって、同好の士で語り合うのも楽しい。

目標に掲げた『今年は年越しそばを自分で』というスローガンも実現まであと一歩のところまで来ている。あと2回の教室でなんとか仕上げなければならない。自分で打てるように内容を考えよう。

そば打ちは楽しい。来年はそば同好会にして、あわよくば補助金をせしめて、もっと多くの人々にそば振る舞いなどしてみたい。そんな事も考えている。

志賀高原のシンボル 笠岳(2076メートル)

2020年10月15日 21時33分37秒 | 日記
『昭和十一年七月、白根山に登る途中、万座峠からドーム型の笠岳を初めて間近に見た。ついで八月横手山の覗きから、その立派な尖峯を山日記にスケッチして、すっかりそのとりことなり、すぐに翌日笠岳の登ろうとしたが、途中で体調をくずし泣く泣く引き返さざるを得なかった。その翌年の三月、横手山のスキー登頂を果たした時も、覗きから真っ白な来たアルプスを背景にした剽悍な笠岳の姿に、意欲を燃え立たせたのであった。全く笠岳は志賀高原のシンボルであり、こんな登高欲を駆り立てる山は、上信国境にも少ないと思われる。』
信州百名山の著者、清水栄一はこのように書く。


この笠岳は、信州百名山であるばかりではなく、日本三百名山のひとつでもある。
この山は、実は登山口から三十分もあれば楽に登れる。
紅葉が山を包み始めたので、笠岳に登りに行った。
日本のサンモリッツと呼ばれる山田牧場を見下ろす。

県外からの訪問者も多い。

笠岳の全景。

ここが登山口。
山小屋任せのトイレだが、主は店を閉めて、勤めに出ているという。
北アルプスにあるようなバイオトイレを村は設置して欲しい。
ここには水もない、電気もない。だが、車道はある。素晴らしい山もある。
工夫とやる気次第で不可能ではないはず。一億一千万円もかけて、少し下の山田牧場に足湯を作る計画は中止すべきだと強く思う。
全国の登山愛好者の皆さんには是非笠岳に登りに来て欲しい。
そして、ここに公共のトイレをという声を上げて欲しい。

登山口から十一分五十秒で山頂。

新しく看板が付けられていた。
なかなかいいじゃないか。
ただ、日本三百名山だけじゃなく、信州百名山の文字も入れて欲しかった。





全く素晴らしい紅葉。

この山は急な階段がある。
全部で四百段近くある。





この日、車に自転車を積んで行った。
千九百メートル付近からのダウンヒルを楽しもうという目論み。
火野正平さんではないが、人生下り坂最高!


紅葉の中を自転車で下った。
美しかった。そして寒かった。



一日たって、気温はさらに下がった。
紅葉は里にも迫っているのだろう。
夕暮れの鹿島槍が美しかった。