白樺小舎便り(しらかばごやだより)

北信濃の田舎暮らしの日々

静かに一年が終わっていく

2023年12月31日 22時02分52秒 | 日記
この三日間、そばを打っていた。
そば会で年越しそばの指導をし、自宅で皆さんに配るそばを打った。

新しく大きめのそば打ち台を作った。

五人前でも余裕の大きさ。

そば粉は高山製粉の最難関と言われる「玄挽」という粗挽き粉。

太すぎず細すぎず、程よい切り方を心掛ける。
ちなみに、カミさんは細い方が好き、私はやや太めが好き。

全部で三十九三人前を打った。
毎年楽しみにしてくれる人がけっこういる。
簡単にヤメルわけにはいかない。

午前中にそばを配り終え、ほっとひと息。
静かな大晦日だ。

年越しそば。

おめでとう、タイガース。

今年は孫たちも来なくて落ち着いた大晦日の夜。
そばの会便りの新年号を作っている。
編集長がいつか偏執長と脳内変換され、こだわり過ぎるなと警報音が鳴り響く。編集後記も編集後期と何やら後期高齢者を想起させるような言葉に変換。何しろ編集長とはいえ、何もかも一人作業、リレーエッセイもなかなかバトンが渡せず自分が書く羽目に。先ほどやっと稿了。あとは印刷に回すだけだ。

一年を振り返ると、タイガースも日本一になったし総じて良い一年だった。
来年は孫も一年生になる。新しいステージが始まる。ジジババも澱んではいられない。

明日は四十五回目の元旦に飯縄登山。
新し年の始まり。
みなさん、この一年ありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。



雪形

2023年12月27日 20時25分59秒 | 日記
朝に夕に眺める山がある。

左と右がほぼ対称の優美な山。
山頂が白くなっているのが飯縄山。
右のピークは霊仙寺山。
その中腹にスキー場がある。
そこの白い雪形が、天空の城ラピュタの庭園で花や小鳥の世話をするロボットに見える。
更に見ていると色々なものが浮かんでくる。
今度は黒が主役だ。
ロボットの顔と左腕の間に魚がいる。
右腕と胴の間にニワトリがいる。
左腕と胴の間にはペンギン。
その右には蝶がいる。
一度解析してしまうとそのようにしか見えなくなる。
ひとつの場所にこんなにもたくさん潜んでいる場所が他にあるだろうか。
それにしても今年は雪が少ない。
元日はあの頂に登る予定だが、過去最少の積雪になりそうだ。


自分へのプレゼント。
普段履きの靴。
山に行くときも、ランニングをするときも、街道歩きをするときも履いているのはトレランシューズ。二万円近くもする靴だ。
靴底が減っていくのでもったいない。
そこで普段履きとして五千円程度の靴を買った。
新しい年になったら履くとしよう。


甲州街道最終章

2023年12月24日 21時05分01秒 | 日記
2018年1月4日、信州下諏訪からそれは始まった。
信州から越後の北国街道、日本橋から京都三条大橋への中山道、そして東海道を歩き終え、次に選んだのは甲州街道。約210キロの旅。
何回か歩き継ぎ、相模湖まで歩いた時、代風18号による小仏峠の通行止めで1年待機。そしてコロナ化による県外への外出禁止令。ようやく再開できたのは今年の春。小仏峠を超え、高尾の駅まで歩いた。次いで高尾から府中が前回。今度は府中から新宿駅まで。なお新宿から日本橋までは前回の東海道歩きで踏破してあるので、今回が最終章。距離は約18キロ。
今回は青春18切符で立ヶ花から高尾経由で京王線飛田給駅までがアプローチ。
5時55分の長野行はまだ明けない夜の中を律儀にやってくる。ここは飯山線。

わさびそば。松本駅で乗り換え待ちの時間。ほっと一息つく。

車窓から甲斐駒。

飛田給駅から13時50分頃出発。
新選組の功罪は置くとして局長の近藤勇の生誕の地だそうな。


都会で花屋を見るとほっとする。

街道歩き定番のマンホール。

同じ距離でも都会の中を歩くのはとても疲れる。
後ろから歩道を自転車が音もなく近づき猛スピードで横をすり抜けていく。
事故にならないのが不思議(実際には多いらしいが)。
ヒャっとすることがしょっちゅうだ。
夕方になり、下高井戸駅に到着。実歩行距離13キロ以上。

東府中に宿を取ってあるので、京王線で戻る。
これ以上都心に宿を取る気にはどうしてもなれない。

東府中の駅で夕食。

宿は駅前。

部屋はゆったり。

翌朝下高井戸駅まで戻る。
新宿駅まで6キロほどの行程。


玉川上水。

高尾までがいかにも旧甲州街道の雰囲気があるが、高尾からはただ都会を歩いているだけで、オマケの気分。一応完歩の気分を味わいたい一心で我慢して歩いたのが正直なところ。

290円の朝定食。

新宿駅西口入口に到着。

京都の三条大橋に着いた時のような感動は湧いてこなかった。

帰途、乗り換えのため高尾駅に下車。
最初南口に出てしまい、依然来た時と違うなと思い反対の北口に出てみると、小仏峠を越えてたどり着いた懐かしい高尾駅だった。
断然北口の方が好きだ。

車窓からの富士山。
45年前の正月、あの山頂にいたんだなあ。
この中央線もとりあえずこれが最後。
もうすっかり駅の名前も諳んじてしまった。
歩き切って、それらの土地も風景も自分のものになった。
さらば江戸、さらば相模、さらば甲州。色々なものをありがとう。

何をおいても東北復興に惹かれて購入。
美味しかった。

この旅は12月19、20の二日間。
青春18きっぷは1枚余っているので1月10前に雪国に出かけようと思っている。

甲州街道の旅を終えて、次の旅を夢見ている。
月日は百代の過客かかくにして、行きかふ年もまた旅人なり。 (奥の細道)
日光街道から奥州街道へと大好きな東北への旅。
五街道の完全踏破。

かみさんはひざを痛めて極めてスローな歩きになっている。
自分自身も右脚の神経痛上の痛みに苦しめられている。
旅に病んで夢は枯野を駆け巡る 芭蕉

旅に病んでいるわけではないが、夢は枯野を駆け巡っている。
日光街道は140キロ余り。
老人らしくゆっくり行けばいい。



近況報告

2023年12月12日 14時34分11秒 | 日記
慈雨のような雨が降っています。
心の中に沁み込むような雨です。
もう冬枯れと言っていいような庭ですが、山茶花やビオラが咲いています。
少し遅めに播いた白菜やキャベツも活き活きしているようです。
本来ならこの季節、雪になっていてもおかしくはないのに。
ミニハウスにキンギョソウとビオラを植えました。
小松菜のタネも播いてみました。
もちろん暖房などありません。
ここにはキャベツ、ニンジン、ニンニク、タマネギ、小さな温州ミカンの木、イチゴなどが育っています。
北信濃では、無暖房のハウスではミカンなど無理だと思っていたのですが、この温暖化でもしかするとイケルのでは、とも思っています。
一冬で数度、氷点下七度くらいになる日があります。
その時は何か対策をしようと思います。

長いこと投稿をしませんでした。
また具合でも悪いのかと心配してくださる人もいるかと思いますが、単に怠けていただけです。
つらつら考えてみると、退職後、自由になる時間が増えて、やりたいことをやって好きに暮らしていたのですが、『毎日なにしてるの?』と他の人に訊いた自分の一言にハッとしたのです。
そういえば、そう聞かれたとき自分は何と答えるのだろう?
毎日何をしているのかとっさに答えられないのです。
もちろん好きには暮らしているのですが、この日は何をしていた、あの日はそれをしていたと整理されていない。
自治会の仕事、趣味のそば打ちや山歩き、家庭菜園等何かと忙しいことは忙しいのです。
振り返ったときに何も残っていない。自分は毎日を無為に過ごしていたのではないか。そんな思いに囚われてしまったのです。
そこで、毎日何をしたのか簡単にOneNoteというデジタルノートに記入することにしました。自分は有意義に過ごしているんだと言い訳のように。

記録としてのブログ、想いの一端を吐露するブログ、読む人に共感を呼び起こそうと思って書くブログ、いろいろあっていいと思うのですが、OneNoteに書いてしまうともう改めて書こうという気も起きなくてこのような状況になっているのです。何といっても下書きをすればもうそれで終わり、仕上げなど書きたくないという困った男なので。一発勝負です。

実は何も書かなくても毎日数十人の方が訪れてくれているのを見ると少し困惑しながら申し訳ない気持ちにもなっているのです。
当面の予定は甲州街道歩きの最終章。
府中と調布の境あたりから新宿駅まで約十七キロ歩けば完結です。
十九、二十の二日間、青春(気持ちだけ)十八切符で旅をします。
元旦には四十五回目の飯綱山登山です。
あっ、年末にはそばの会で年越しそば打ち、それとは別に個人でかなりたくさんのそばを打ちます。楽しみにしてくれている人がたくさんいるのです。

同年代の訃報がいくつかありました。
お体に気を付けて。
又お便りします。