白樺小舎便り(しらかばごやだより)

北信濃の田舎暮らしの日々

歳の瀬 そば打ち三昧の日々

2022年12月31日 19時20分22秒 | 日記
27日以降毎日そばを打っていた。
お世話になった方たちに配る為に。
以前は31日に集中して打っていた。
それでは大変すぎるので、少し早く渡しても大丈夫な方々には早めに渡すようになった。

29日はそばの会で年越しそばを打った。
30日は友人知人に配る為に蕎麦打ちに専念した。
31日の今日、自分の家の年越しそばを打った。
今回配った蕎麦は『縄文』という銘柄のやや粗挽きの、田舎蕎麦風の粉。
自宅用には『玄挽き』というもっと粗挽きのそば粉。
打つのは難しいが、ぷりんとした食感で、一番人気だ。




息子の盛り付けだが、もう少しきれいにできないものかといつも思う。

年越しそばを食べて無事に新年を迎えられることに感謝。


冬至の頃より少し日没が遅くなり、陽射しが強くなった。
明日登る飯縄山も穏かそうだ。
写真は後立山連峰の唐松岳。
飯縄山はこの右のほうにあるが、山頂付近に雲がかかっていたため掲載中止。

来年は歳男。
『跳躍と向上』の年だという。区切りをつけて、新しい扉を開く年だともいう。
全てのいくさをやめて、多様性を許容しつつ人類の自滅への道から離れていく選択をする年にしたいものだ。


他人の家のことですが スッキリ

2022年12月21日 20時43分08秒 | 日記
終活の準備で、頼まれていた片づけ作業がある。
高齢で自分では片づけられないというので白羽の矢が。
中身は本、雑誌、瀬戸物、その他雑多なもの。
一度にはできないので数回にわたって、持ってきては分別して処分してきた。
何とか年内には一応の形にはしたいと思っていた。
午前中は、これも終活の、庭木の伐採作業を別口で頼まれているので、数本切り倒してきた。


午後の仕事で、この残りのゴッタク(方言?)を片付けた。
といっても、軽トラに乗せて自宅まで運んだだけ。
これから時間をかけて分別せねばならない。
ただ、他人の家とはいえ、キレイになったことはうれしい。
ビフォーは一番上の写真。

これがアフター。
正月を前に、すっきりと片付いた。

もう一つの庭木は、まだまだこれからだが、さらに近所の家から庭木の剪定をお願いされた。
何でも屋になってしまった。
自分の小屋の窓を大きくする改造仕事も抱えているし、年末にはそば打ち仕事も待ち構えている。
頼りにされるのはうれしいことだが、これから先自分たちは誰を頼ればいいのだろうか。少し心配しつつ忙しい年末を過ごしている。
幸い、大雪はこの地から少しずれたので、被害に遭われた北国の人たちにお見舞い申し上げる。

こんな中でも、一日一万歩以上の歩数を確保すべく頑張っている。
元日には四十三回目の飯縄登山が待っている。
クリスマス寒波がやってくるらしい。
どんな積雪があるのだろう。
心配しつつ、楽しみでもある。

円熟の域に 古今亭菊之丞_二番煎じ

2022年12月18日 20時41分37秒 | 日記
須坂市のメセナホール30周年記念公演『正蔵・菊之丞 二人会』に行ってきた。
パンデミックの嵐の中で、落語会も久しぶり。
寄席は開いていても、地方の落語会は減っていた。
噺家の方から見れば、仕事の場が減っていたという事になる。
この時期に、どう過ごしていたかが問われる。
菊之丞はどうだろう。前から巧い噺家ではあった。
マクラでは、相撲の話。溜まり席の妖精の話ですっかり観客の心を掴んでしまった。
この時期にふさわしい『二番煎じ』でご機嫌をうかがった。
すっかり噺に引き込まれ、登場人物が舞台で動き始めた。
もうすっかり円熟の芸。
これを聞いただけで4,000円の価値がある。
もう帰ってもいい。

メセナホールは須坂市が運営する文化ホール。
そこが主催する落語会だが、観客の入りは300人いるかどうか。
大ホールの三分の一も埋まっていない感じ。もったいない。
お役人がやっているせいか、宣伝もイマイチ。
民間なら赤字になっては大変と、死に物狂いの努力をするはずだ。
落語家さんにも失礼ではなかろうか。

もう一人の落語家は『しじみ売り』。
この人について記すのは、止そう。


ズタズタのオリエンテーリングデビュー 冬のウルトラオリエンテーリング_2022

2022年12月12日 18時11分10秒 | 日記
何を血迷ったか、『冬のウルトラO_2022 四賀のジオめぐり ウルトラオリエンテーリング』に参加を申し込んでしまった。
それというのも、距離が26.5キロ、制限時間が5.5時間なら、自分にも走破可能だと思ったのだ。何といっても、時速5キロで行けば27.5キロ行ける。走らなくても間に合う。
10日の土曜日、自分にはお天気の神様が付いていて、この上ない上天気。絶好のオリエンテーション日和となった。
コースは今は松本市に吸収合併となってしまったが、旧四賀村の役場跡、四賀支所から、四賀のジオ巡りをして、標高1,000メートルを超える刈谷原峠を経て、松本城、そして松本駅がゴール。


地図をもらって、11時にスタート。

最初から上り坂。

ここは善光寺街道の会田宿。

常念岳。

ポイントは10ヶ所ある。
大ポイントを過ぎて、折り返してくるランナー。

第1ポイント。
四賀キャニオン。
タモリさんが喜びそうな地層。

ここが第2ポイントの藤池百体観音。
ここに着くまでの苦闘を少しだけ語ろう。
2万5千分の1の地図は読めるつもりでいた。
山の地図はよく読んでいたから。
ところが、里の地形図や小さな農道の複雑さには閉口した。
走り、歩いていると、すぐに自分の現在地を見失う。
コースアウトして1.5キロ程遠回りしてしまった。
メインの道路を行き過ぎて、曲がるべき杣道を逃してしまったのだ。そのことに気づかず、その先で完全に道迷いの状態になった。小さな農道がいくつもあり、どこに行けばよいのか分からなくなった。
さんざんさまよった末、かろうじて第2ポイントの百体観音の手前まで来たとき、大分後方にいたはずの人たちが、折り返してきているではないか。
百体観音に着いたとき、偶然主催者のメンバーがそこに居た。
オリエンテーションの専門家で、地図の読み方をレクチャーしてもらいつつ、一緒に走った。

色々な地層が合体した豆岩。何故そう呼ぶかはわからない。
ここが第3ポイント。

この山に、クジラの化石!

大きなガラスケースがそのまま建物。第4ポイント。
クジラの骨が、本当に石になっていた!!

地図読みレクチャーの木村さん。
コースアウトしそうになった時声を掛けてくれた。

このコースには峠が二つある。最初の峠はまだ生ぬるい。
ただ走り続けるにはつらいので歩く。



ここが第5ポイント。
写真ではよくわからないと思うが、左側の陰になった部分と日向の部分にまたがって、逆Z型の文字が隠れている。
これが逆断層だという。
ここから最初の峠の下りが始まる。
そして一人旅が始まる。

第6ポイントの四賀化石館。
ここで先行グループに追いつく。

良い目標ができたと追走。
小さな女の子が天使に思えた。
こんな小さな子が軽やかに走っているのだから、遅れるわけにいかない。
道はいよいよ急な刈谷原峠の1,000メートル越えに向かって急になる。
自分にはいっぱいいっぱいの登りだった。
遅れないようについていくのがやっと。

第7ポイント。馬頭観音。
昔、ここを通って善光寺に向かった旅人もいるのだろう。
女の子に歳を聞いてみた。
3年生、9歳と。62歳の差だ。なんだかわからないけど感無量!

峠の頂上まであとひと踏ん張り。

ここはポイントではないけれど、頂上。
1,000メートルを超すとさすがに寒い。少し下まで半そで1枚で来たが、慌ててジャンパーを着る。
ここからは松本城をめがけて下るだけ。
距離も半分以上来ている筈。
未知のコースは、どれほど体力を温存してよいのか判断がむづかしい。

山道を走り、里入口に第8ポイントはある。
ここからアスファルト道。
古の古き良き時代の面影。

岡田神社参道が第9ポイント。
ケヤキだろうか、太い太い樹。
車が走ってる!街だ。

最後のポイント。北門大井戸。
飲んでみた。
非常に滑らかな口当たり。
少し生ぬるい感じが残念!

もう大分傾き始めた西日の中に、松本城。
ここから松本駅までもう少し(のハズ)。
時刻は15時23分。
制限時間は16時30分なので十分間に合う。
車を置いてきた四賀支所まで戻るバスの時間は、バスターミナル発15時40分。それを逃すと19時しかない。バスは午後2本しかない。
バス発車迄17分。間に合うだろうか。

ゴール。松本駅。
時間は15時33分。
電話でゴールの連絡を入れ、バス乗り場の場所を訊く。
なんと駅前の大通りを渡ったその先にある。
信号はなかなか変わらない。時は過ぎる。そして、時は過ぎる。
長い信号待ちがようやく終わり、ダッシュでバスターミナルに駆け込む。
若い女性が二人、半そで1枚で走る姿を見て『さむー!』と思わず叫んだ!
そんなことには構っていられない。
バスはすぐに見つかった。
そのままバスに駆け込む。
慌ててマスクをして時計を見る。
15時38分。2分前だ!

出発地点の四賀支所に到着。
このバスに乗った参加者はいなかったから、多分この後開かれる忘年会に参加するのだろう。
未来図という会社が企画したこのイベントには常連さんらしき人がたくさんいたから、楽しく今年を振り返るのだろう。

近くにあった松茸山荘という温泉で汗を流し、ひと息ついた。
美人の湯というすべすべした感触の温泉。
暮れていく山の景色を眺めながら、どうしてコースアウトしてしまったのだろうとか、地図読みをもっと習熟しないとな、とか、つらかったけど楽しかったなとかとりとめもなく考えていた。

後に、地図読みレクチャの木村さんにお礼のメールをしたところ、『見ていて、地図を見る頻度が少なすぎると感じた』という指摘を頂いた。
そうだったのか!
走り、歩くことのみに注意が偏り過ぎていたのか。
改めて、もっと地図読みを確かなものにしようと誓った。




イルミネーション

2022年12月09日 20時37分28秒 | 日記
クリスマスが近づき、色々なところにイルミネーションが飾り付けられた。
歳のせいなのか、(まあ、昔からそうなのだけど)どうも好きになれない。
英語では単に照明のことをいうらしいが、日本では電飾をそう呼ぶらしい。
田舎に住んでいるせいか、夜空の星の方がよほどキレイだ。そして、眼下に瞬く遠い街の灯、見ているだけで涙が出そうなくらい。
好きな人もいるのだから、あまりケナスのもナンだが、チャチな作り物感がいなめない。
同じものでも、フランス語のイルミナシオンはちと訳が違う。
かのランボーの詩集の題名だ。
壁飾り、もしくは壁画。ここにはチャチな感じはみじんもない。
そうはいってもクリスマスは嫌いではない。
鶏のから揚げは食べないが、ケーキは食べる。
ジングルベルの音楽や、赤鼻のトナカイ、クリスマスイブ、サイレントナイト、クリスマスキャロルの頃には、恋人がサンタクロースなどの歌も大好きだ。

昨日は日本があの愚かな戦争を始めた日から81年目。
あろうことかこの時期に時の政権は大軍拡、大増税を打ち出した。
軍需産業はさぞお喜びだろう。
泣くのはいつも庶民だ。
過去の悲しい出来事を壁画のように壁に飾って、今後への戒めとするがいい。

身の回りには戦前生まれの人たちがかなりいる。
そして仕舞支度に追われている。
あるものは、旦那さんが先立ち、軽井沢の別荘風にした庭の始末に困って伐採を頼みに来た。またある人は、旦那さんが軽い認知になり、長年住み慣れた家を処分して娘さんのところに行く予定で、たくさんの荷物の処分を頼んできた。親しい人達なので、むげに断るわけにはいかない。少しづつそれらの仕事をしつつ、わが身の行く末のことなど考えたりしている。
もうそういう年齢に差し掛かったのだ。
曲がりなりにも戦争のない時代を生きてきた。
この国がまた戦争準備の方向に行くとすれば、孫たちの未来を心配しないわけにはいかない。



12月。
この1年のことも、昔のことも、少しだけ先のことも色々思う月。