白樺小舎便り(しらかばごやだより)

北信濃の田舎暮らしの日々

ジジババ孫に会いに行く

2020年07月27日 16時47分25秒 | 日記
最近再び感染者数が増えている首都圏。、コロナの第二波到来も言われる中、二番目の孫が生後一ヶ月を迎えたのを機に千葉まで会いに行った。
高速道路全盛の時代、それを使えば三時間半~四時間位で着けるのだが、旅というにはあまりに風情がない。
全部一般道で八時間~九時間かけて行った。
菅平を超え、吾妻渓谷を通って、色々と問題があった八ッ場ダムを見て、渋川に出て、上部道路、ルート16経由で行った。
出来るだけ余計なところに立ち寄らないように、最低限立ち寄る場合でもマスク着用で、十分用心しながらの旅。もう、これが日常になってしまったのかな。
go to キャンペーン というあまり評判の良くないものが始まり、四連休の二日目と三日目の移動となった。行きは朝早かったこともあり、道路も比較的空いていて、スムーズに着いた。

初めてのお目通り。
女の子だ。美人になれるかな。

三歳になったばかりのお兄ちゃん。
春から保育園に通う予定だったが、コロナ騒ぎで延期になり、つい最近二時間ほどのお試し保育に行き始めたところで、今度は夏休みに入ってしまった。
近所の公園、神社などで遊ぶ毎日。雨が多いので、外遊びが出来ない日も多い。
三ヵ月前にも行ったが、少し見ない間にずいぶんと成長した感じがする。その分、ジジババも歳を取ったのだな。

もう限界がはっきりした新自由主義の社会。
経済じゃなく人間が第一の未来社会の一員として、元気に育って行って欲しいものだ。こんな社会しか引き継げない世代の一人として慚愧に堪えない。それでも、何とか変えようとして、微力ながら頑張ってきたのだよ。

帰って来て、伸びた菜園の草との格闘の日々が始まった。


環境にやさしい菜園

2020年07月26日 21時31分02秒 | 日記
異常に雨が多い梅雨が、まだ明けそうにない。
我家の菜園は草が生い茂り、隣りの草ひとつない畑とは好対照。
時たまにビーバーや鎌で刈ってはいるが、とても追いつかない。
そんな菜園で、色々な野菜が採れる。


モロコシはこれが初収穫。
とても甘くておいしい。
基本的に消毒はしない。化成肥料は使わない。

夏大根はほとんどの人が作っていないので、おすそ分けするととても喜んでくれる。

きゅうりは普通のきゅうりと、郷土の伝統野菜である八町きゅうりが採れる。八町きゅうりは太くなっても柔らかくておいしい。消えそうになっていたが、何とか復活させて、今は人気となっている。


カボチャのような形のコショウはボタンコショウという郷土の伝統野菜。辛味があるが、旨さもある。これも最近の人気品種だ。

畑にはテントウムシがたくさんいる。二つ星と七つ星の益虫だ。例年に比べてもたくさん目に付く。彼らがアブラムシを退治してくれる。
消毒をして殺してしまいたくない。虫が死んでしまうような毒薬をかけた野菜などとても口に入れたくはない。

最近よく聞く言葉。『コロナとの共存』。
自分だけが勝ち残るという発想はもう通用しない。
それは菜園でも同じではないだろうか。
益虫と害虫が自然の中で絶妙なバランスで共存している。そこにそっと我々も混ぜてもらう。自然は征服する対象ではない。


この美しい花は何の花?
分かる人はいるだろうか。
通常は白い花が一般的だ。
食べられる実がなるが、観賞用に少しだけ庭に播いてある。
自然を痛めつけることなく、痛めつけられることもなく、絶妙なバランスで付き合っていけたら最高だ。
行き過ぎた人間の振る舞いに、神が洪水を起こして罰を下すという昔からの大洪水神話がある。最近の災害を見るとあながち神話だとばかり言っていられない。

歳を取ったせいだろうか。
自然と溶け合いたいと切に思う。それは例えば、独りで登った山の頂上で、何も考えずただ緩やかな風に吹かれている時、不思議と感じる宇宙との一体感。自分が自然と一体になったような感覚。最近そういう登山をしていない。
コロナ騒ぎのせいもある。雨が続くせいもある。かみさんや知り合いのご婦人たちのお供をしているせいもある。
もうひとつ、内臓脂肪を減らした(多分)せいもあって、自分の持久力がどうなってしまったか不安なせいもある。体重は6キロくらい減らした。それは多分自給的なエネルギー源を減らしたということだ。自慢するわけではないけれど、田中陽樹さん並みだねとか、古くは単独行の加藤文太郎さんのようだとか言われていた。それは多分にそのエネルギー源が関与していたのだと思う。それを無くしてしまった今、自分はどれくらい歩けるのだろう。頻繁に補給することでカバーできるとは思うが、やってみなければわからない。
雨の季節が終わったら、山に行こう。たったひとりの山に。
妙高、火打あたりは第一候補だ。白馬三山は第二候補。爺ヶ岳、鹿島槍が第三候補。
取り敢えずは菜園の草取りに専念。

上の写真の赤い花は赤そばの花。











変わらない 何も変わらない

2020年07月13日 21時30分10秒 | 日記
新しい生活様式。
もうこれまでのような生活はできない。
もう当たり前の、社会の合意となった。
パンツを履かないで人前に出られないように、マスク無しでは街を歩けない。

だけど、僕の生活は変わらない、何も変わらない。
コーヒー豆の焙煎をし、菜園の草取りと収穫をし、ランニングをし、バイク(自転車)に乗り、蕎麦を打ち、たまに山に登る。図書館に通い本を借りて読む。数独を解く。最近は将棋のタイトル戦の実況をアベマTVで観戦する。17歳の藤井聡太君の活躍をワクワクしながら見ている。時に気が向けば木工工作もする。
何も、変わらない。

ジャガイモの試し掘りをした。


農耕摂食者の僕は、このジャガイモと、なす、甘唐辛子、ゴボウを収穫して、てんぷらにした。

昨日の蕎麦打ち教室で打った蕎麦に添えた。
もちろん、大根おろしの大根、薬味のネギも自家製。
食べるものを自分で作ることは僕にとって、以前からの生活様式。
変わらない。


ネットで注文しておいたコーヒーの生豆が届いた。
自家焙煎で、5日分くらいづつ焙煎している。
コーヒー豆の香りは1週間くらいで逃げてしまうから。
それに、何といっても値段が安く済むから。
さらに好みの炒り具合やブレンドができるから。

リタイヤした年金生活者だが、以前もこれからも何も変わらず忙しい。

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雨が早く収まり、被害が広がらないことを祈るばかり。




初心忘するべからず      第3回そば教室

2020年07月12日 21時14分29秒 | 日記
本日3回目のそば教室を開いた。
メンバーは最初から参加しているOさんと、今回初参加のNさん。
Oさんは蕎麦打ち台、捏ね鉢、麺棒、包丁を調達してやる気満々。聞いてみると、蕎麦打ち台と麺棒は中古で2,000円で手に入ったとのこと。
Nさんにはこちらで用意した道具で打ってもらった。

Nさんは神奈川から移住して3年になる。
登山の趣味があり、以前から親しくさせてもらっている。一頃脊柱管狭窄症で、手術をしたり、膝痛があったりでつらいじきがあったが、今は回復傾向。
蕎麦打ちに誘ったら是非やってみたいとのことで、初めての蕎麦打ち体験。







お二人が打つのをアドバイスしたり、見物したりして、気が付いたことがある。
自分では、普通なんでもないと思っていたことが、初めての人には意外に難しいこともあるのだと。
一人にアドバイスしていると、もう一人の方がおろそかになったりして、なかなか思うようにいかない。
ピザのように手で丸く熨す作業や、風呂敷のように四角に熨す作業は、もう形にこだわらず生地を均一にすることに主眼を置いた。
本当に重要なことは何なのか、一つ一つの作業の意味と、ポイントだけを簡単に説明した。
それでも、なかなかうまくいかず苦労している様子を見ていると、自分も最初はこんな風だったのだろうかと思ったりする。
OさんとNさんは初対面だが、神奈川に住んでいたことがあり、そちらの話で盛り上がった。

打ち上げて、一応繋がったそばができた。最初なので、ボロボロのそばではなく、繋がったそばができれば合格点。
切るのが難しいらしく、かなり太いそばになったが、ともかく自分で打ったそばだ。湯を沸かし試食。
『やっぱり自分で打ったそばは旨い』
濃いそば湯も味わった。

今回は高山製粉の縄文というそば粉を使った。
この粉は粗挽きで、黒い星(そば殻)が入った田舎風のそばが打てる。かなり香りが高く、いかにもそばという感じがする。

細く長くというのがそばではあるが、次回はもう少し参加者を増やしたいと思っている。
教えるのって、大変だ。改めて思い知った次第。

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杉の間伐材が無料で手に入る。
さっそくもらいに行ってきた。


皮を剥いた。
もっとたくさんもらってきて、黒板五郎さんのように丸太小屋を作りたいと、夢想する。
乾燥させなければならないし、置き場所がないので、ベンチか何か作ろうと思う。
そば打ちもそうだが、自分の手で何かを作るのって楽しい。





誕生おめでとう

2020年07月09日 21時55分50秒 | 日記
人が生まれる。
コロナ騒ぎと集中豪雨、台風、地震などの自然災害が多発し、原発の放射能の恐怖がある現代に、生まれてくるのは果たして幸せな事だろうか。
そんな風に考えてしまう。

僕が生まれた時代、それは戦争が終わって六年が過ぎた時だ。
子どもの頃は、戦争は遠い昔のことだと感じていた。今思えば、たった六年前だ。日本の民主化が進み、未来に希望がある、明るさが見えていた時代だった。

今は明らかに違う。
日本は経済も人口も縮小段階に入った。
希望などどこにあるのだろう。
思えば、僕は幸せな時代を生きたのかも知れない。

これからを生きる事は大変なことだろう。
だけど、人は、その時代時代を精いっぱい生き、切り開いていくのだろう。
幼きものの未来に幸いあれ。

千葉に住む長男のところに、女の子が生まれた。


落ち着いたら会いに言って来よう。