白樺小舎便り(しらかばごやだより)

北信濃の田舎暮らしの日々

ハーフマラソンの距離を走ってみた

2018年02月14日 21時32分06秒 | 日記

暖かな日差しに誘われて、千曲川の堤防へランニングに出かけた。

もう雪はすっかり融けて、北陸の人たちには申し訳ないくらい。

北アルプスが衝立になってくれているのだろう。

飯縄山、戸隠連峰、黒姫山も厳しさが抜けて、どこかのどかに見える。

1月の半ば、ランニングのデーターを分析して気が付いた。

ピッチが165/分が自分の刻むリズム。

だが、標準は180~200だという。

そこで、ランニングスタイルの変更に取り組んだ。

ともすれば、先祖返りしそうになるのを耐え、180/分のリズムを体に刻む努力を続けた。

さらに、大殿筋と太ももの後ろ側の筋肉を使った走りというのを今日は意識した。

なんでも、太ももの全面とふくらはぎは疲れやすい筋肉だという。

車があまり通らない田舎道を走った。

飯山線をディーゼル機関車が走って行った。

千曲川と高社山がいい感じに見えていた。

ランニングはハーフマラソンの21.0975kmを目指した。

結果はこれだ。

走行距離 21.32km

タイム 2:03:50

ペース 5:49/km

ピッチ 182/分

歩幅 0.92m

 

5月20日のカチューシャマラソン、ハーフの部に参加を申し込んだ。

あと三ヶ月と少し。

もう少し走り込みを増やそう。

この努力が、これからの登山に役立つと信じる。

この夏には、信州百名山でも登り残した手強い山が沢山待っている。

あと29座。楽しみだ。

 

 


杉の古木と交感する少女(をとめ)

2018年02月12日 19時37分28秒 | 登山

杉の古木の前に立ち、両の手を幹に押し当て、じっと立っていた女性がいた。

多分二十歳を少し過ぎたくらいの、背筋がすっきり伸びた人だった。

筑波山の男体山からの下山路、その人は圧雪と氷の悪路をアイゼンを付けてしなやかに膝を屈伸させながら下って行った。

見とれてしまうような見事な歩き姿だった。

そのあと、曲がりくねった道の先で、大きな杉の古木の前に立ち、両手を幹に押し当てたその女性の姿が見えた。

近づくのさえはばかられて、樹の陰からそっと見ていた。

最初はブナの樹でよくやるように、水を吸いあげる音を聴いているのかと思った。

だが、顔は幹に向けたままで、それはまるで祈っているようにも、木と交感しているようにも見えた。

一分ほどもそうしていただろうか。

樹齢数百年もあるような古木が現れるたびにそれを繰り返した。

少し離れてついていきながら、あれは一体何なのだろうと考えた。

そのようなことが流行っているのだろうか?

それを何と表現すべきなのだろう?

そもそもその女性をどう書けばいいのだろう?

あの落ち着きはおそらく二十歳を少し過ぎているだろう。

漂わせている雰囲気は少女と言っていいほどの初々しさを持っていた。

お嬢さんと呼んでしまうにはある種の樹品も感じられてはばかられる。

一本の古木の前で、それを真似てみた。

すると、杉の樹と自分が一体になったような不思議な感覚を味わった。

それとともに、女性をどう書けばいいかの解答も浮かんだ。

 

こころざしつつ たふれし少女(をとめ)よ  新しき光の中におきておもはむ       土屋文明

 

教え子の伊藤千代子が、暗黒の時代に権力によって殺されたも同然に二十四歳の若さで逝ったのを悼んだ歌だ。

少女と書いて、をとめと読ませるのが一番ふさわしい気がした。

筑波山はいろいろな体験をしたけれど、この霊山でもっとも印象深いできごとだった。

 

   *   *   *   *   *

修験者が登る山ということで、奇岩もたくさんあった。

登山道には中腹から積雪もあって、アイゼンを付けている人もたくさんいた。

驚いたことには、みんな同じアイゼンを付けている。

鎖のチェーンのようなもので靴に留めていて、自分が持っているものとはずいぶん違う。

登山用品店にはそのようなものがたくさん売られているのだろう。

白蛇をみると財をなせるという白蛇弁天。

女体山から見た男体山。

女体山の山頂。

弁慶七戻り、大仏岩、陰陽石、国割石、屏風岩、母の胎内くぐり、北斗岩、ガマ石等々色々あるが、観光案内を書く気はないので割愛。

冒頭の一件の後、つくば神社に下山すると、豆まきが行われていた。

沢山の群衆に交じって、かみさんと二人で7個のお菓子を手に入れた。

境内ではガマの油売りの実演をしていた。

保存会の人の熱演だった。

ガマの油という落語でお馴染みだが、生で見られたのは幸運だった。

ちなみにガマの油は三遊亭圓生のものが一番好きだ。

 

建物の外壁は少し古びてはいるが、表通りからは少し入った筑波温泉ホテルで泊まった。

あまり気取っていない対応で、とてものんびりできた。

温泉には何度も入った。

鄙びた感じが最高だった。

 

梅の花がちらほら咲き始めていた。

 

左が男体山、右が女体山。

『なかよく並んで、というより絶妙な距離を保って、と言った方がふさわしいような...』

『だからいいんじゃない』かみさんが言った。

 

翌日、千葉に住む孫に会いに向かった。

 

 


一体何を考えているのだろう

2018年02月09日 20時28分35秒 | 日記

公立小学校でアルマーニの制服を導入するという。

学校が推奨するものをすべてそろえると8万円。

そういうことを決めた人たちは、業者から付け届けでも貰っているのか。

しばらく前のことだが、友達の娘さんが保育士になり、卒園式の衣装は羽織袴で、と言われたそうだ。

それも公立の保育園だ。

さらに、10年ほど前のわが娘の、高校の卒業式はみんな袴姿だという。

大正時代に戻ってしまったのか?

少し前、成人式の晴れ着は、ほとんど他人に着せてもらって、七五三と変わらないではないか、と書いた。

おかしいじゃないか。

誰がそんなことを決めたんだ。

業者から裏金をもらって仕組んでいるとしか思えない。

公立なのだから、本来制服を決めるなら公費で賄え。

義務教育なら給食費だって親に負担させるな。

貧しい家庭の子が恥ずかしい思いをしないよう計らうのが、大人の責任だ。

1日で140億円近い軍事費がこの国では使われている。

もっと教育や福祉に回したっていいじゃないか。

 

ことほど左様に、このアルマーニ制服問題はわが怒りに火をつける。

ホントに何を考えているのだ。

 

明日の早朝、筑波山の登るために、3時起きで出かける。

信州からは高速道路を使うので、4時前に高速の乗れば、深夜割引が適用になる。

温泉で一泊して、7ヶ月半になる孫の顔を見に千葉に回る。

世の中の理不尽さを忘れられるだろう。

 

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本日の走行距離 10.07km 2月の走行距離 49.19km 本年の走行距離 169.62km

30日チャレンジ 第7クール 18日目 165回

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第2回甲州街道歩き すずらんの里駅~信濃境駅

2018年02月07日 21時12分23秒 | 街道歩き

 

諏訪湖に御神渡りが出来たというニュース。

これは見に行かねばなるまい。

ついでに甲州街道も歩いて来よう。

諏訪サービスエリアから見る諏訪湖は全面結氷していたが、御神渡りらしい筋は化すあに見えるだけ。

車で前回歩き終えたすずらんの里駅まで行った。

すずらんで有名な入笠山の最寄り駅だ。

少し離れた国道20号線。ここが甲州街道。

お世話になっている街道歩きの先人に倣ってマンホールの撮影。(面識はないけど)

入笠山には富士見パノラマスキー場があり、斜面で滑っている人の姿が小さく見えた。

両側の畑にはせきせつがあったが、道路はおおむね乾いていた。

国道から外れる場所もかなりあって、のどかな田舎の風情を醸していた。

これはいかにも昭和の、僕らが子供だった頃に見た風景。

昭和も遠くなりにけりだ。

平成ももうじき終わる。

天皇に合わせて元号を変えるのはそろそろ終わりにしてはどうかな。

天皇個人の問題にしても、たまたまそこの家系に生まれたというだけで、生涯を縛り付けられてしまうなんて変だ。

今の天皇に悪感情は持っていないし、前天皇の贖罪を立派に果たしている方だと敬意すら覚える。

もう、人類史の発展段階として、そろそろそういう制度をなくしてもいいんじゃないかな。

まあ、ともかくものんびりと歩こう。

僕の住む北信濃の地は、一応日本海気候の影響下にあることになっている。

だが、コウモリのように、時によっては太平洋気候の影響下に入る。

なにしろ、すぐ東側は志賀高原の山があり、噴火したばかりの本白根山から向こうは関東平野だ。

だけどやっぱり、この諏訪盆地に比べれば、空が暗い感じがする。

立春になり、日差しが強くなったこともあるが、乾いた空気の中で空が底抜けに明るい。

これが、その地に住む人の気性にも影響を与えるのだろう。

街道を歩いていると、民家の庭にいたおじさんが声をかけてきた。

街道歩きのテレビ取材があった時、案内役をしたという。

一里塚の大きなケヤキの木を見て来たかと問う。

それは前回見てきたところだ。

単なる田舎ではなく、甲州街道という何百年も続く街道筋に暮らしてきた人として、街道歩きをする人に声をかけずにはいられないのだろう。

右側に里山とは違うギザギザの山が見えた。

地図で確認したわけではないので確かなことは分からないが、これは多分、鋸岳ではないだろうか。

信州百名山にも数えられている。また今度登らねばなるまい。

遠くに富士山が見えた。

ここは富士見町だ。

古い宿場の風情を感じる建物が続く。

駅から駅までの行程で旅を組み立てている関係で、今日の予定は十数キロの歩き。

少し軽すぎるが、中央線は近づいたり離れたりしてうまくいかない。

甲州街道からは2.6キロほど横にそれるが、信濃境駅までと決めた。

コンビニもなく、飲食店の看板もない。

お腹も空いて来たころ、ドライブイン赤石という店があった。

味噌ラーメンと餃子でホッと一息。

道端で見つけた福寿草。春なんだなあ。

街道歩きのガイドブックを作っているわけではないので、宿についての詳細は記すつもりはないが、看板には蔦木宿とある。

この辺りが、信州の終わりなのだろう。

一応、蔦木宿本陣の写真。

少し先に道の駅蔦木宿。

ここには温泉もあったが、歩き終わった後下諏訪温泉に立ち寄ることにして、甲州街道はここまで。

この先数百メートルで信州から甲州に入るはずだ。

ここからは少し戻って信濃境駅に向かう。

 

 

南八ヶ岳の編笠山、権現岳が近くに見えた。

多分、今年は雪が少ないのではないだろうか。

かなり急な坂道を登って信濃境駅に向かう。

僕は見なかったが、青い鳥探してというドラマのロケ地になったらしい。

標高は900メートル以上あって、夏にくれば、いかにも高原の駅という感じでいいんだろう。

甲斐駒ヶ岳の雄姿が斜めになった冬の太陽光線に浮かんでいた。

2時13分発の松本行の列車がやって来た。

さあ、戻ろう、現代へ。北信濃へ。

 

この旅は立春の2月4日だったが、ブログにアップするのが今になってしまった。

もちろん、自分がずぼらだというのが大きな原因だが、もうひとつの言い訳がある。

僕は基本的に写真を多用したブログを書くのを潔しとしない。

だから、本当の事を言えば、写真は3枚から5枚に収めたかった。

だが、どうしても写真を選びきれなかった。

不本意ながらこのような仕儀と相成った。

自分は、、、、古い人間でございます。

 

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本日の走行距離 9.01km   1月の走行距離 120.42km 2月の走行距離 28.78km  本年の走行距離 149.20km

恐怖の30日チャレンジスクワット 7巡(7クール) 16日目 155回

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