白樺小舎便り(しらかばごやだより)

北信濃の田舎暮らしの日々

静かな静かな冬の暮らし

2016年01月30日 22時40分17秒 | 日記

 

雪がすべての音を吸い込んでしまった。

時折聞こえる小鳥の声がこの景色が静止画でないことを教えてくれる。

手作りの小屋の屋根にも雪が積もった。

合掌式の屋根には梁などはない。

それでも1メートル位の積雪にも耐えるはずだ(多分)。

 

この雪景色の中で、頼まれた小屋の解体で出た材木の整理をした。

 

ほどほどの長さに切り積み上げた。

乾燥させて、太いものは鉈で割り、ロケットストーブの燃料にする。

これはまだ解体のとっかかりなので、材木はこれからたくさん出る。薪を置く場所を作らねばなるまい。

ロケットストーブは一斗缶で作った。

とても性能が良くて、今のところ豆炭を起こすのに使っているだけだが、調理にも使ってみたいものだ。

ただ、鍋が煤で黒くなるので専用のものを用意しないとかみさんがうるさい。できれば大きな鉄鍋が手に入るといいなあ、などと夢想している。

ともあれ、赤く揺れる炎を見ていると幸せな気分になる。

人間本来の、何か本質的なものを揺り動かす力があるのだろう。

はやりのIHなどは使おうとは思わない。ガスの揺れる炎がいい。この点では頑ななまでに保守的だ。

 

そういえば、夏の終わり、キャンプファイァーの灯があの人の瞳に映ってゆらゆらと揺れていたっけ。僕らの気持ちのように。

高原にはもう秋の気配が色濃く忍び寄り、あの人はことさらに勇気にふるまっていた。

それでも僕らは十分に気付いていた。季節がもう移り替わって行こうとしていることに。

ふと黙り込んで、キャンプファイヤーを見つめるあの人の眼の中に温かく燃え上がる炎が映っていた。

僕らはただ寄り添って座っていた。季節が夏から秋に移ろうのを留めようもなく、哀しみの中でいつまでも燃える炎を見つめていた。

あの人は年上の人だった。もう40年以上も昔のことだ。

僕は今でもあの炎の色を鮮やかに思い出す。

 

静かな雪景色の中で、ロケットストーブで燃える炎を見つめていると、僕はあの頃のことを思い出して暖かな気持ちになる。

 

庭先で堆肥作りを始めた。

落葉を入れて、糠を混ぜ、生ゴミを入れる。

冬でも湯気を立てて発酵している。

 

このところの雪と雨で水分過多の状態になっているが気にしない。

本当は覆いを掛けておけばいいのだろうが、冬は乾燥するのでじきに渇くだろう。

雪に覆われた畑が、やがて緑に替わりふかふかの土に作物が豊かに実っていることを夢想する。

今年はどんな種を播こう、新しい苗も植えてみよう、そんなことを考えながらスコップでかき回すと、発酵のいい匂いがしてくる。

この雪の中でも希望の種が少しづつ育っている。

 

 

 

 


冬ごもり

2016年01月29日 21時39分52秒 | 日記

北信濃では記録的な雪の少なさの中で1月の後半を迎えた。

一時的に雪は降るものの長くは続かない。

それでも我が家の庭は10センチ程度の積雪がある。

1月は10日ほど仕事をしたが、あとは冬ごもりの日々を送っている。

昨日は半年ぶりにヨガ教室に行った。

この教室は年配者ばかりなので、かなり緩い。

先生は年配の女性で、食事は夕食のみの一日一食だという。

朝食を摂らないと一日の活動エネルギーが担保されないと現代栄養学は言う。

だが、野生動物は労働をして餌を採り(あるいは獲り)、その後に食事にありつく。

人間だって長い間そのようにしてきた筈だ。体がそのようにできている。

僕は小中学校のころ、朝食を摂ると、だるくなり眠くなった。

食べないほうがはるかに調子が良かったのだ。

『頭脳労働の人はしっかり朝食を摂って脳にブドウ糖を送ってやらないと、脳が働かないのでは?』と他の参加者が言う。

『断食をしたことがあって、食べないほうがはるかに頭がすっきりするし、冴えわたるのがわかる』と僕が言う。

先生も道場で一週間の断食をしたことがあるそうだ。そのときは3日目の頃が動けないほど具合が悪くて大変だったそうだ。

僕は自宅で一週間の断食をした。

その時の経験から現代栄養学をあまり信用していない。

会場から自宅までは19キロほどあるのだが、大体ランニングで帰ることにしている。

途中千曲川を渡る。遠くに後立山連峰や上信国境の山々、善光寺平周辺の里山が雪をかぶって白く輝いている。

次第に登り勾配が急になる。最高傾斜度は12.9%。

これは水平距離100メートル行く間に、役13メートル高度を上げるということだ(多分)。かなり急な傾斜だ。

これが数キロ続く。途中何度も心が折れて歩きそうになる。だが、その度に自分との戦いに勝ちついに自宅にたどり着いた時の達成感は何物にも代えがたい。

 

今日は天気が悪かったので冬ごもり。

石臼で粉を挽き、そばを打った。

 

                

 

                

 

そばは新そばがいい。それは間違いないのだが、大寒の寒さの中で甘みを増したそばはもっといい。

石臼で粉を挽く作業は時間を気にしているような時にはできない。

2時間かけてやっと400グラムの粉ができた。もちろん振るう時間も入れてだが。

最初の一番粉を取った後、もう一度挽いた。

程よく殻も挽き込まれて、茹でたとき黒い星が浮かび上がる。これが田舎そばだ。

 

日がな一日、そば三昧で過ごすのはなんという贅沢。

世間では甘利大臣の辞職、SMAPの解散騒動、ベッキーの不倫騒動、原発の再稼働、北朝鮮のミサイル発射騒動と騒がしいが、この、雪に覆われた白樺小舎の中にいるととても静かだ。

先日仕事で行った図書館で、使用期限が切れた本がたくさんあった。『ご自由にお持ちください』という張り紙とともに。

気に入ったものだけ持ち帰り、読み進めている。何冊も同時並行で。

『樹氷』五木寛之。『寅さんがタバコを吸わない理由』大室幹雄、『棋風堂々』大山康晴、『エッセイを書きたいあなたに』木村治美、『41歳寿命説』西丸震哉、『街角で笑う犬』椎名誠、『現代将棋の急所』山田道美。これらが同時進行で読んでいる本だ。

他に『夏の雨』マー.ヴァン.カーン、『コロンブスは何をもたらしたか』ミルトン.メルツァー、『天国と地獄 地球8万キロ自転車の旅』森逸広、『トーマス.マン』村田經和、『猿の証言』北川歩実、『本牧帝の灯は消えず』石井英子、『史上最大の乗り継ぎ旅』種村直樹、『首里』堀場直子,『最後から一人目の読者による「埴谷雄高」論』池田晶子、『ブナの山々』根深誠 他。これらはこれから読む本。

中にはほとんど読まれた形跡がない本もあり、ハードカバーなど買えない身にはとてもありがたい。この冬ごもりの中でだいぶ読めるだろう。

 

 

 


元旦登山

2016年01月01日 18時04分20秒 | 登山

我が家から見えるたおやかな山がある。            

その名も飯縄山。秀麗な双耳峰だ。標高は1917.4メートル。右側は霊仙寺山。

この山に元旦に登って36回目になる。

今年は雪も少なくて1時間20分ほどで山頂。

        

飯縄山は古くからの信仰の山。双耳峰の左側に神社がある。

初詣はこの神社で。

近くにお地蔵様がある。このお地蔵様の前掛けを取り替えることがかみさんから託されたミッション。昨年は雪の中に隠れて見つからなかった。

               

一番上の赤い布は誰かが掛けたものなのでそのままにした。

戦争法が廃止され、人々が穏やかに暮らせる世の中になることを祈った。

雲の流れが速く、北アルプスの峰々があたかも希望のように、見えては隠れた。

今年はどんな年になるのだろうか。野党共闘はなるのだろうか。それしか戦争法廃止の道はない。

余計な飾り物など何も無い。白と青のシンプルな構図が心地よい。

登山のあとは、温泉に行く。

そこは小さな温泉だが、あまり混んでいなくて穴場。

入浴料500円。元日にはタオルをくれる。甘酒のサービスもある。

            

今日は特別にカリン湯。とてもいい香りがしている。

外湯は山々の景色や街の様子がよく見える。

この温泉は隠しておきたい穴場の温泉なので、名前は公表しない。

温めの湯に浸かりながら、今年は何をするのか、どんな風に過ごすのかぼんやりと考えていた。

何よりも自然体でいよう。体と心が喜ぶことをしよう。

もう、そんなに若くはないのだから。残された時間は有限なのだから。

 

今年もこのようにして一年が始まった。良い年でありますようにと願いながら。