雪がすべての音を吸い込んでしまった。
時折聞こえる小鳥の声がこの景色が静止画でないことを教えてくれる。
手作りの小屋の屋根にも雪が積もった。
合掌式の屋根には梁などはない。
それでも1メートル位の積雪にも耐えるはずだ(多分)。
この雪景色の中で、頼まれた小屋の解体で出た材木の整理をした。
ほどほどの長さに切り積み上げた。
乾燥させて、太いものは鉈で割り、ロケットストーブの燃料にする。
これはまだ解体のとっかかりなので、材木はこれからたくさん出る。薪を置く場所を作らねばなるまい。
ロケットストーブは一斗缶で作った。
とても性能が良くて、今のところ豆炭を起こすのに使っているだけだが、調理にも使ってみたいものだ。
ただ、鍋が煤で黒くなるので専用のものを用意しないとかみさんがうるさい。できれば大きな鉄鍋が手に入るといいなあ、などと夢想している。
ともあれ、赤く揺れる炎を見ていると幸せな気分になる。
人間本来の、何か本質的なものを揺り動かす力があるのだろう。
はやりのIHなどは使おうとは思わない。ガスの揺れる炎がいい。この点では頑ななまでに保守的だ。
そういえば、夏の終わり、キャンプファイァーの灯があの人の瞳に映ってゆらゆらと揺れていたっけ。僕らの気持ちのように。
高原にはもう秋の気配が色濃く忍び寄り、あの人はことさらに勇気にふるまっていた。
それでも僕らは十分に気付いていた。季節がもう移り替わって行こうとしていることに。
ふと黙り込んで、キャンプファイヤーを見つめるあの人の眼の中に温かく燃え上がる炎が映っていた。
僕らはただ寄り添って座っていた。季節が夏から秋に移ろうのを留めようもなく、哀しみの中でいつまでも燃える炎を見つめていた。
あの人は年上の人だった。もう40年以上も昔のことだ。
僕は今でもあの炎の色を鮮やかに思い出す。
静かな雪景色の中で、ロケットストーブで燃える炎を見つめていると、僕はあの頃のことを思い出して暖かな気持ちになる。
庭先で堆肥作りを始めた。
落葉を入れて、糠を混ぜ、生ゴミを入れる。
冬でも湯気を立てて発酵している。
このところの雪と雨で水分過多の状態になっているが気にしない。
本当は覆いを掛けておけばいいのだろうが、冬は乾燥するのでじきに渇くだろう。
雪に覆われた畑が、やがて緑に替わりふかふかの土に作物が豊かに実っていることを夢想する。
今年はどんな種を播こう、新しい苗も植えてみよう、そんなことを考えながらスコップでかき回すと、発酵のいい匂いがしてくる。
この雪の中でも希望の種が少しづつ育っている。