白樺小舎便り(しらかばごやだより)

北信濃の田舎暮らしの日々

年末年始の恒例行事

2019年12月28日 23時38分14秒 | 日記
年末年始の恒例行事といえば餅つき、そば打ちだが、友達家族で持20年ほどやっていた臼と杵での餅つきが、今年からやめようということになった。
その餅つきの折、手打ちそばをふるまっていた20人前ほどふるまっていたのだが、イベント中止につき、年越しそばだけ10人前打って欲しいと注文が入った。その他にも配るので、例年50人前くらい打っている。今年は少し早めに打って順に配り始めている。
色々な種類のそば粉を使う。1キロ2,000円以上するものや、1,300円くらいのものまであり、値段の高いものは自家用、配布用は安いものから中くらいのものまでに限っている。そば粉によって驚くほど食感が違う。打ち方によっても違うし、同じように打ってもそのたびに違う。奥が深いとしか言いようがない。

年末の恒例行事といえばかつては寅さん映画を見に行くこともその一つだった。
今年の年末、50作目の寅さん映画が本当に久しぶりに公開され、さっそく見に行った。人生の大半を寅さん映画とともに過ごしてきた。今回も長野松竹相生座という全国でもトップクラスの歴史を持つ映画館。100年以上続いている。最新式の映画館もできているが、自動発券、座席指定、窓口お姉さんの機械的対応などになじめず、ここに来る。窓口で券を買い、カップに入った暖かいお茶をもらって好きな席に座る。この人間的な対応が心地よい。
過去の寅さん映画のマドンナたちのシーンがスクリーンに映し出されるたびに、その頃の自分たちのことも思い出され、やっぱりこの映画とともに生きていたのだなあと思う。

年始の恒例行事といえば今度41回目となる飯縄山(1,917メートル)の元旦登山。
思えば、色々な年があった。雪が深く胸までのラッセルを強いられたこともあれば、雨降りだったこともある。今年の年末は雪が少ない。ここで少し降ったが数日前までほとんど雪がなかった。これも温暖化の影響なのだろう。
もう何のために登るのか考えることもないほど当たり前の行事になっている。晴れていれば富士山が見えることもある。すると、何となく今年1年がいいことがあるような気がする。山から下りて隠れ家的な小さな温泉でかりん湯に浸かりぼーっとしているのももう長い習慣だ。

箱根駅伝の観戦、そして街道歩き、これもすっかり恒例となった。
そして僕も少しだけ高齢となる。

新しい年には何が待っているのだろう。すこしだけワクワクする。



いにしえの古き良き風景も 甲州街道 猿橋~上野原

2019年12月27日 17時40分55秒 | 日記
色々な災害も身近で起こった今年も、師走になった。
温暖化の影響が、多分などといっていられないほど、目に見えるようになった。
グレタさんの言葉に真摯に耳を傾けるべきだ。儲け優先の社会では、もう地球環境そのものが壊されてしまう。
そんな危機感を抱きながら、恒例の青春18切符を購入して、旧街道歩きの旅をした。
北国街道、中山道、東海道を歩き、今は甲州街道を下諏訪から日本橋に向かって歩き継いでいる。
今回は猿橋~鳥沢~犬目~野田尻~鶴川~上野原の20キロ余り。



この猿橋は日本3大奇橋のひとつ。
下は深い河だった。




鳥沢から犬目への路は登り坂。
途中で見つけた人形たち。
国道から外れた寂れた村にもこんな素敵なものがある。


猿橋、鳥沢、犬目-これはサル、トリ(キジ)、イヌの桃太郎のお供にちなんだ名前で、桃太郎伝説の地だという。犬目は高台で、晴れていれば富士山が見えるという。
眼下には談合坂のサービスエリアが見えていた。
この辺りは自然豊かで、江戸の時代とさほど変わっていないのではないかと思う。
このような場所を歩くのは空間と時間を重層的に旅する気がしてとても好きだ。


仲良きことは美しきかな。
我家は時に対立しながら、時に歩み寄り、絶妙な距離感で歩いているからまあ、ほどほどに美しいのだろう。
かみさんは膝を痛めてから、長い距離を歩くことが少し辛い状態になっている。
登りになるとてきめんにスピードが落ちる。それでも旅は楽しいという。
この旅も全行程208キロ余りあるが、残り90キロ余りとなった。


このような風景がとても懐かしくうれしい。昭和の時代、どこにでもあったような風景に出会う度、懐かしくてたまらなくなる。多分、場所だけでなく、時間にもホームシックといったものがあるのだろう。



旅の途中の足湯。
ここは鶴川宿。
疲れた脚を湯に浸していると、この上ない充足感。
協力金100円だが、街道歩きをする人にとってはありがたい施設だ。

上野原の街はシャッター通りではなくいろいろな商店が営業していた。午後4時、この時期はもう照明が入り、活気があふれている感じがした。
私見では、大型店がないせいだろうか。大型店は中小の商店を駆逐する。街を衰退させる。中野市に大型店がある。台風19号により、床上浸水の被害があった。本部から視察にきて、来年2月に閉店を決めた。買い物難民がまた生まれる。
今、近くの須坂インター付近に、大型のショッピングモールの計画が持ち上がっている。それが、地域に何をもたらすのだろう。もろ手を挙げて賛成とか、便利になるなどといっていられない危うさを感じている。


上野原の駅に着いた時は、もううす暗くなり始めていた。
「やっぱり、あるくのはいいなあ。年明け、また歩きにきたいな」
かみさんが言った。
18切符は5枚つづり。あと3枚ある。次は上野原から相模湖駅まで。2駅分なので距離は短い。その次には笹子峠に次ぐ難所といわれる小仏峠が待っている。日本橋が徐々に近づく。

*********************
災害があった小布施町の千曲川堤防を走りに行った。
河川敷には土砂が厚く積もり、それが乾いて亀の甲羅上にひび割れている。
重機が入り、道路はきれいになったところが多い。ごみの集積所には様々な災害ゴミ。流木をチェンソーでカットし積み上げる作業が続いていた。大河は何事も無かったかのように悠然と流れていた。