白樺小舎便り(しらかばごやだより)

北信濃の田舎暮らしの日々

蕎麦打ち三昧の日

2017年12月29日 20時43分54秒 | 日記

 

年末のこの時期、たくさんのそばを打つ。

仲間が集まって、餅つきをするときに、手打ちそばをふるまうのが恒例になっている。

明日が餅つきの日だが、今年は十数人が集まる予定。

大晦日には知り合いなどに、配る分が、20人前くらい。

例年、四十人分くらいのそばを打つ。

今年はそばを栽培した友人が、そばを打ってくれと、玄そばを持ってきた。

そこで、石臼で粉を挽いた。

ふるいにかけて、使える粉にするには、500グラム摂るのに2時間くらいかかる。

その粉を使ってそばを打ってみた。

殻ごと挽いたそばなので、色は黒い。

いわゆる田舎そばだ。

食べてみると、風味豊かで、コシがある。

手間をかけた分だけのことはある。

これは3人前だけで、残りは製粉所から仕入れた二種類のそば粉を使って、18人前のそばを打った。

明日は午前中餅つき、午後はそば打ち。

こんな風に年の瀬を過ごせるなんて、幸せなことと言わねばなるまい。

あの3.11の、まるで、作り物の映画の中の一場面のような津波の映像、そしてそれに続く原発事故の、日本の終わりのような狂騒曲のことを、片時も忘れることはない。

昔風にいえば、もうすぐ一つ歳をとる。

正月は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし

そろそろ、人生の逆算を始める年齢になった。

無から生じて無に帰る。人生は差し引きすればゼロだ。

何かを残そうなんて思ってはいない。

ただ、花鳥風月を楽しみ、山に登り、ローカル線に乗って旅をしたいだけだ。

自分の中には隠遁生活者の嗜好が色濃く住み着いている。

それと相反するように、社会の不合理が目について、そうもいかない状況の中に、僕はいる。

ノーベル賞授賞式でのサーロ節子さんの演説を読んだ。

アメリカの意向を忖度して歯切れの悪い安倍首相の演説と較べれば、深い感動を覚える名演説だ。

戦争ができる国へと、アクセルを踏む阿部さんにブレーキをかけねばならない。

戦争をして喜ぶのは軍需産業だけ。泣くのはいつも庶民だ。

 

ともあれ、新しい年になれば、38回目の飯綱山元旦登山。

登山靴の手入れをした。これも、40年近い相棒だ。

元旦登山に続いて、2~3日の箱根駅伝のテレビ観戦が待っている。

今年の夏、東海道歩きの箱根越えの折、駅伝コースを歩いたり、箱根にある駅伝ミュージアムに立ち寄ったり、芦ノ湖のゴール、スタート地点に立ったりした。

これまでになく、箱根駅伝が身近なものになった。

そして、4~6日は東海道歩きの最終章、水口宿から石部宿、そして最後の草津宿まで歩く計画になっている。

日本橋を出てから数年かかってようやく完歩することができる。続けてさえいれば、いつか終わる。そんな当たり前のことを改めて思う。

次の街道歩きの旅は、下諏訪から日本橋までの44宿、甲州街道の予定。春には旅立てるだろう。

 

来年から、プールデビューの予定。

水着と水中眼鏡を購入した。

買ってしまったからには、覚悟を決めて行かねばなるまい。

陸上の動きとは別の動きが、腰痛の体にいい影響を与えてくれるだろうか。

来年の5月に行われるカチューシャマラソンの案内が届いた。

来年もハーフマラソンに参加するつもり。

その為に体つくりをしよう。

 

 

 

 


ちょっと それはないよ   へっぽこさん 

2017年12月24日 19時38分23秒 | 登山

富山の3人の女性がへっぽっこアルピニスタというブログを綴っていた。

山登りに目覚めた3人が、それぞれの山登りを、持ち回り風に綴っていた。(頻度が違うけれども)

遭難騒ぎになりそうな失敗もやらかしたこともあり、ハラハラドキドキしながら見守っていた(つもり)。

それでも果敢に山に挑んでいく姿に、自分が山を始めたころの初心を思い出したりして、ワクワクしていたのであった。

アルプスばかりでなく、マラソンにもチャレンジを広げ、トレランにも活躍の場を広げた。

親近感を覚えたのは、実は、僕の走る記録と、ほとんど変わらない走力によるものだった。

元々、山登りが専門の爺さんには、ロードのランはかなり辛いものがあって、長距離を走るのは6分/kmくらいなのだが、ちょうど同じくらいのペースなのだった。

隊長のはるみんさん、セレブさん、シングルさんの流しそうめんセットを背負っての登山など、ずいぶん楽しそうだなあと思わず笑ってしまうほど。

ところが、8月31日、突然につぎのようなメッセージが掲載された。

※へっぽこアルピニスタは永久に不滅ですが、ブログは暫くの間 お休みすることになりました。
楽しい登山は絶賛継続中ですので、どこかでお会いしたら 是非 声かけて下さいね(^-^)
ありがとうございました。

楽しい登山は継続中とのことで、ひとまずよかった。

最近富山の木こりさんの記事の中で、はるみんさんに山で会ったとの記述があるので、ああ、山を楽しんでいるんだなあとホッとする。

会ったこともない人たちだが、山を楽しみ、ランを楽しんで、それを率直に綴っていたへっぽこアルピニスタたちに勝手に親しみを覚えていた。

突然のお休み宣言に、ちょっと、それはないよ、と思った。

多分、ブログを綴るのも、かなりの時間と労力を必要としたのだろう。

へっぽこがその域を脱して、立派なアルピニスタに成長していく結節点でもあるのだろう。

やがてまた、お休みが終わって、帰ってきてくれることを、クリスマスの夜に、そっとサンタさんにお願いしてみる。

富山の冷たい風の中、元気に登り、走っているだろうか。

 


酵素の力は偉大だと再認識

2017年12月16日 20時06分17秒 | 日記

今年も残り少なくなった。

恒例(高齢)の大掃除が待っている。

幸いというか、残念ながらというか、今は定職を持たない身なれば、計画的に進めることができる。

照明器具と天井の掃除を済ませ、次はレンジフード(換気扇)に取り掛かる。

今回は、化学洗剤を一切使わず、自家製の秘密兵器を使う。

その名もえひめaiという、納豆菌と、ヨーグルト菌と、イースト菌と、砂糖を発酵させて作ったものだ。

知り合いから大量にもらった現代農業という雑誌にのっていた記事を参考に、自分で作ってみた。

元々は湖や河川の環境浄化用に作られたものだ。

ぼろ切れにえひめaiの原液を浸みこませ、油汚れでべとべとになったレンジフードを拭いてみた。

何回か拭くうちに、油が分解され、ピカピカになって来た。

ぼろ切れも、不思議と汚れない。現役の中で絞ると、少し色が付く程度で、少しも油っぽさを感じない。

素手でやっていても、不快な油っぽさがない。

酵素が油分を分解してくれるのだろう。

このえひめaiは、農業にも使われて、成果を上げているらしい。

有機農業をする上では、強い味方になってくれる。

我が家の家庭菜園も、農薬は使わないし、化学肥料も使わない。

有機農法などとはおこがましくて、昔ながらの農業ということにしているが、土の中で、有用菌が増えて、土壌が豊かになる工夫はしている。そこに、えひめaiが加われば、鬼に金棒。

とにかく菌の力はすごいと、改めて実感した。

台所の壁タイルも、えひめaiで拭き取ると、ピカピカになった。

これまで、化学洗剤を使って掃除していた時は、ぼろ切れに、垢のような油分がべとべとと付着して、ビニール手袋が必需品だったが、全く素手で大丈夫だった。

手も荒れない。それどころか、手ににえひめaiを塗っておくと、しっとりして、ハンドクリームよりいい感じ。

現代農業の記事によると、えひめaiを少しずつ入れると、風呂の水も、2ヶ月換えなくてもきれいだという。

恐るべし、えひめai。偉大なるかな、酵素の力。

思えば、現代の人間は、化学の力にばかり頼りすぎて、大事なものを失ってきたのではないだろうか。

懐古趣味ではないが、色々なものが目まぐるしく変わっていく中で、時間に取り残されたような、風景や思いがもっとあってもいいのではないか。

今日は、畑で育てた大豆を、手間暇かけて、豆腐にした。

機械で大量生産した豆腐は、価格も驚くほど安い。だが、自分で苦労して作ったことを割り引いても、濃厚な大豆の味がして、とても美味い。

蕎麦も打った。以前、『今流行りの不倫というものを我もしてみんとて』と書いた、常陸秋そばの粉を使って打ったものだ。

不倫の結果を何らかの形で、ここに報告せねばなるまい、とは思っていた。

『うん、うまい!』

かみさんと次男は口々に言う。

今日はざるそばだ。もりとかけは、とりあえず避けたい。

確かに、悪くはない。

正直に言うと『今一つ、何か物足りない』

去年収穫した蕎麦ということもあるだろう。加水率が、普通の粉で45%前後なのに、50%近くまで水を欲しがった。

火遊びは一度でいいかな、というのが結論だ。

年末の蕎麦打ち用に、なじみの高山製粉から、信州産の新そばの粉を数種類注文した。

高いものは、1キロ2100円。安いものでも1300円。

中でも気に入っているのは玄挽という粉。

やはり、馴染みの気安さ、一番安心できる。

この年末は、数十人前の蕎麦打ちが待っている。雑にならないよう、丁寧な仕事をしようと思う。

 

先日、田んぼの会の会長さん宅へ、新米を受け取りに行った。

この里山の、時代から取り残されたような静かさが好きだ。

一緒に行ったくにこさんが、まだ行ったことがないというので、近くにある、宮遺跡にも立ち寄った。

こんな住居が、案外快適なのかもしれない。

一生かかって立派な家を作るなんて、なんか変だ。人間なんて、大したいきものじゃないな。


いまだ、スマホも携帯も持たず、年々偏屈になっていく爺さんなのであった。

 

 

 

 

 


思い込みから 思わぬ方向に

2017年12月12日 22時01分44秒 | 日記

かみさんの実家の義姉から電話。

「電気のアンペアを上げるにはどうすればいいの?」

「中電に電話して、サービスブレーカーを替えてもらえばいいよ」

さっそく電話して、中電の担当者に来てもらったという。

「元の線が細いので、このままではアンペアを増やせない。電気屋さんに太い線に張り替えてもらう必要がある。費用はかなり掛かる。」

そんな話をして帰った、と再び電話があった。

老人の二人暮らし。なぜアンペアを上げる必要があるのだろう?

ブレーカーが飛んでしまうのだという。

我が家の契約容量は30アンペアだ。

それで十分間に合っている。

何かとんでもない電気器具でも増やしたのだろうか。

 

現地に行ってみるのが一番だ。

今日の午後、話を聞きに行った。

まず、どのブレーカーが飛ぶのか聞いてみた。

すると、台所周辺に行っている20アンペアの、分岐回路のブレーカーだけが飛ぶことが分かった。

そこで、契約アンペアを上げなければ、と思ったのだという。

契約アンペアを上げても、何も解決しないことを、丁寧に説明した。

台所の回路だけ集中的に使われていて、他の回路はほとんど使われていないのだ。

特に寒くなったこの時期、電気こたつも、電気釜も、湯沸かし器も、エアコンも、照明も、冷蔵庫も、みんな同じ回路からとっていて、これではブレーカーが飛んで当たり前だ。

中電の担当者も、アンペアを上げて欲しいという真意を確認することもなく、工事業者に頼めというのはいかがなものか。

そのまま、言われたとおりに、工事業者に依頼すれば、かなりの出費になり、肝心の台所用のブレーカーが飛ぶという問題は解決しない。

相手は何も知らない素人。

分岐のブレーカーが飛ぶ。容量が足りない。アンペアを上げなければ。そんな風に思ってしまったとしても仕方がないではないか。

もう少し掘り下げて、なぜアンペアを上げて欲しいのか、丁寧に聞いてあげてもいいのではないか。

仕事というものは、依頼人が喜ぶような、質の高い仕事をしたいものだ。

今はほとんど使われていない2階分のブレーカーから分岐して、台所にコンセント回路を増やしてあげることにした。

 

 

 


数年来の東海道歩きのエピローグ 旅の計画

2017年12月08日 20時32分33秒 | 日記

 

76年前のこの日、太平洋戦争が始まった。というか、始められてしまった。

開戦記念日という向きもあるが、記念日などといって、記念するようなことではない。

僕が生まれる10年前のことだ。

幸いなことに、僕は「戦争を知らない子供たち」だった。

僕が育った時代は、戦後民主主義が花開いた、しあわせな時代だった。

今はまた、軍需産業が多額の献金を送り、極右思想の権化が政権を握っている。

人類が、大きな犠牲を払って、やっと到達した、戦争のない世界への扉が再び閉ざされようとしている。

かつてのフランスの人民戦線のような、反ファシズム統一戦線がわが国でも組織されないものかと、切に願う。

この日、庭の餌台に、今シーズン初めてのヤマガラがやって来た。

ヒマワリの種を置いておいた。

ヤマガラは、数秒で飛び去ってしまうが、すぐに戻ってくる。高い木の上で餌を食べるらしい。

日がな一日眺めていても飽きない。

 

平和な日々が長く続くことを願う。

 

数年前から歩き継いできた、旧東海道の旅も、いよいよ最終章。

残された水口~石部~草津の計画を立てた。

この時期、青春18切符が使えるので、鈍行列車の旅となる。

1月の4日~6日の予定で、中日に残された25キロ弱を歩く。

軽井沢から出雲崎までの北国街道、日本橋から三条大橋までの中仙道を歩ききった時ほどの大きな感動はない。

だが、思い返せば、色々な旅の風物がよみがえり、楽しかったなと思う。

冬の間、山登りは中断して、街道歩きを楽しんできたが、東海道は信州からのアクセスが大変だった。

ただ、太平洋岸のコースは、信州とはずいぶん違って、物珍しかった。

およそ500キロの道のり、コツコツとやり続ければ、たどり着ける。

この次は、甲州街道を歩こうか。

信州諏訪から日本橋まで、中央線の沿線なので、アクセスが便利そうだ。

まだまだ、旅は終わらない。