白樺小舎便り(しらかばごやだより)

北信濃の田舎暮らしの日々

夏の宿題を果たす

2016年08月28日 21時05分35秒 | 日記

 知り合いの民宿の看板が、余りにひどい状態になっていたので、作ってあげると約束した。

構想を練り、加工をし、ひと月余りかけて、少しづつコツコツと作り上げてきた。

今日、最後の仕上げをして、完成した。

完成を祝って、黒姫へ焼きモロコシを食べに行った。

通称戸隠街道に、焼きモロコシの店がある。

 

90歳を超えるおばあさんが焼いているモロコシは取り立てで、とてもおいしい。

 

 

サービスの漬物や煮物もおばあさんの手作り。

秋の気配が漂い始めると、この焼きモロコシが食べたくなる。

背景の黒姫山は山頂付近に夏雲がかかり、付近の畑には白いそばの花が揺れていた。

生モロコシは売り切れになっており、今、畑へ採りに行っているという。

この新鮮さがたまらない。

モロコシは、採ってから急速に味が落ちていく。

たくさんの客が立ち寄り、繁盛していた。

 

 

夕方、看板を設置しに行った。

 

背景の桜は、延命桜という古木。

杉板を焼き、文字を彫り込んだ。

古い温泉街によくなじんでいると思う。

この温泉街には大湯がある。

その他に、地元の人や宿泊客専用の滝の湯という温泉がある。

 

ここは番人もいないし、そんなに入っている人もいないので、ゆったり入れるし、何よりもうれしいのは源泉かけ流しの熱い湯が出ていること。

大湯は温度を調整した湯が出ているし、肌の合わない入浴客の常連もいる。

そこで、この滝の湯は、鍵さえ借りれば、気持ちよく入れるので、とても気に入っている。

時たま鍵を借りているので、そのお礼の意味もあって、看板作りとなった。

 

夏休みはないので、夏の宿題ということで取り組んできた仕事が、今日で一段落。

宿題をやり終えた解放感に浸っている。

 


便利すぎるものには まがい物の匂いがある

2016年08月24日 21時37分49秒 | 日記

コーヒーは焙煎して数日で香り成分が抜けてしまうという。

それなら、自分で数日分ずつ焙煎すればいい。

そして、自家焙煎を始めた。

豆を焙煎して、淹れる直前に挽く。

これで、香り高いおいしいコーヒーが飲める。

もちろん、ブラックだ。大人だから。

最近、コーヒーミルが不調になった。

もう、随分長い間使い続けた為、回転軸のガイド部分がガタになった。

新しく購入した。もちろん、ネットで安いものを探して。

 

カリタクラシック。

鋳鉄が、いかにもクラシックで、いい感じだ。

同じ豆だが、このミルで挽いたコーヒーは、格段に旨かった。

電動ミルもある。挽いた粉だってある。

自家焙煎に、手挽きのミルにこだわるのは、それが間違いなく旨いからだ。

便利すぎるものには、まがい物の匂いがある。

正当に手をかけたものだけが、本物の匂いがする。

 

 

 

 

 

 


遥かなる高みを越えて

2016年08月22日 21時41分35秒 | 登山

『もう、駄目だ、と思った。頂上へ着く前、ふらふらしてまっすぐ歩けなかった。』

かみさんが言った。

 

20日から21日にかけて、小諸駅から浅間山の車坂峠を越えて嬬恋村のつつじの湯まで、31キロを歩くウォーキング大会があった。

アサマスタークロスウォークという名で、午後6時出発。夜に歩くことになる。

このコースは、小諸駅の標高が663メートル、車坂峠の最高点が1,973メートル。標高差が1,310メートルもある。この間の距離、17キロメートル。

この標高差は北アルプスの山に登るくらい、ある。

下りはつつじの湯の標高が1,115メートル。距離は14キロメートル。858メートル下ることになる。

つまり、距離が長い分、山に登るよりきつい。

参加者は700人ほど。

遠く南は沖縄から、また北は秋田からの参加者もある。最高齢は79歳。

頂上までの17キロコースと、つつじの湯までの31キロコースがある。

もちろん、31キロコースに参加。

 

僕は昨年参加しているので、様子が分かっているが、初参加のかみさんと次男は、歩き通せるかなあ、とやや不安顔。

先に行っていいと許可が出たので、時速6キロくらいのペースで歩く。ところどころに給水所が設けられており、漬物やスイカが置いてあった。

汗をかいた身には、漬物がとてもおいしく感じられた。

頂上には8時50分に着いた。2時間50分。まあまあのペース。

頂上にはチェックポイントがあり、豚汁やミニトマトのサービスがあった。

建物ではストーブが焚かれていた。

再スタートは10時と決められていたので、1時間10分ほど、ストーブで汗に濡れたシャツを乾かした。

さすがに標高2,000m近い夜の高原は霧が巻いてそのままいると寒かった。

 

つつじの湯への下りは未舗装道路が続く。

暗いし、凸凹しているので走りにくいが、ここは走ることに決めている。

昨年はここで捻挫をして、三ヶ月ほど完治しなかった。

注意してゆるゆると走る。

時速10キロくらいで一定のペースを守りつつ舗装道路へ入っていく。

先行の若者と、抜きつ抜かれつデッドヒートを繰り広げる。

若者は速いのだが、時期に歩いてしまう。

それを一定ペースの僕が追い抜いていくと、若者がまた走って前に出る。

ゴール300m手前、若者が猛然と追い抜いていく。

僕も、もう体力をセーブする必要がないので、全力で追いつく。

しばらく並走するうちに、『もうだめだ』と若者の声が後ろに聞こえる。

僕はラストスパートをかけて全速力でゴールへ走りこむ。

気分はまるでオリンピックの選手の気分。最高だ。

11時20分着。下りは1時間20分。まあまあだ。

ゴールでは、嬬恋村産のキャベツを景品として、完歩賞とともに頂いた。

つつじの湯で汗を流し、思い切り体を動かすっていいものだと、しみじみと思った。

使わなければ退化する。体も頭も。

刻みキャベツのサービスがあって、ドレッシングも置いてある。

何回もお代わりして食べた。シャキシャキして旨かった。

ひと眠りして、かみさんと次男の到着を待った。

2時半近く、無事に姿を現した。

そして、冒頭の言葉。

『もう駄目だ。何度もやめようと思った』

何回も繰り返した。

次男に荷物を持ってもらったという。

それでも、限界を超えた。歩き続けることができた。

一つの壁を越えれば、新しい世界が見えてくる。

僕はそう信じている。

 

『穂高の方が、まだ楽だった』

かみさんが言った。

 

明け方に自宅に戻った。

この日、僕は65歳になった。

 

 


太古の原生林の中をひとり  佐武流山

2016年08月16日 10時19分53秒 | 登山

月15日。終戦記念日。

認めたくない御仁もいるようだが、日本が無謀な侵略戦争に敗北した日。

真田丸の、秀吉による朝鮮出兵の失敗と重なる。

日本が再び右傾化し、おろかな過ちを繰り返さないよう願いながら、信州の秘境、秋山郷に出かけた。

長い間、心惹かれながら、ついに訪れる機会がなかった山。

『信州側の里からも、谷からも、どこからも見えない。里の人には、全然確認されない幻の山』と、信州百名山の著者、清水栄一氏は書く。

その山の名前は佐武流山。さぶるやま、またはさぶりゅうやまと読む。

秘境秋山郷のさらに奥に登山口はある。

平家の落ち武者の里と言われる秋山郷は、確かに人里から遠く離れた、谷の奥にあり、こんな奥深いところに人が住めるのかと思うほどだ。

飢饉で、幾つかのが消えた悲しい歴史もある。

もう、何年も前に、この谷の両側にある、鳥甲(とりかぶと)山と苗場山には登った。

だが、佐武流山はもっと奥深くにある。栄村の最高峰でもある。

かつては、マタギの踏み後くらいの路しかなくて、登るのがとても困難な山とされていた。

何年か前、有志のボランティアによって、登山道が整備された。

『熊くらいしかいないのだから、せめてお盆の頃なら、もしかすればほかの登山者がいるかもしれないから』

かみさんの許可が出たので、朝5時前に出発。

登山口まで2時間半。

7時15分に登山届を書いて、ドロの木平を出発。

 

 

林の中を、熊鈴を大きく響かせながら歩く。

 

白樺の林が美しい。

 

 

林を抜けると長い林道歩きが待っている。

 

 

この山域には面白いネーミングが多い。

この岩は月夜立岩という名が付いている。

もう少しで林道歩きも終わる。

 

 

 

ここから、本格的な登山道が始まる。

檜俣川まで下る。

 

 

 

渡渉点にはロープが張られていた。

靴を脱いで、はだしで渡った。

ここから地獄の急坂が待っていた。

それでも、標高1200メートル台からぐいぐい高度を稼いで登って行った。

 

 

 

花々が迎えてくれる。

 

 

クワガタも迎えてくれる。

このクワガタは、僕の地方では見たことがない。

新種なのだろうか、それとも太古の原生林に住む古代種なのだろうか。

 

 

 

この名前も何や曰くがありそうな、物思平に到着。

ここで5分ほどの休憩。

まだまだ急坂が続く。

 

 

この辺りまで来ると、周りの山々の奥深さが一層感じられる。

山の向こうに、また山。その向こうに谷を挟んでまた山。

太古の山々の姿を独り占め。結局、今日山に入っているのは僕だけのようだ。

 

 

苗場山への分岐。ここまで来ても、佐武流山は神秘のベールに包まれたままだ。

 

 

 

坊主平。緊急時のビバーク可能地点。

 

 

10時20分。3時間5分をかけてようやく山頂に到着。

標高2192メートル。ここから、白砂山に続く路が、ある、はずなのだが、藪が深くて、とても歩く気にはなれない。

余りに山が多くて、山の名前を同定することができない。まあ、いいか。

気になって、どれくらいの時が流れたのだろう。

信州百名山は、これで68座目となった。

来た道を戻って、13時に登山口に戻った。

 

 

帰り着いて、水場で冷たい水をたくさん飲んだ。

帰路、飯山湯滝温泉に立ち寄り、手足を伸ばした。

このところ、かみさんや、義姉の同行登山で、思い切り汗を流す登山をしてこなかった。

たまには、独りで山に行くことも必要なのだと、外湯に浸かって千曲川を眺めながら思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


永遠に残るものなど何もない

2016年08月14日 00時08分10秒 | 登山

山の日、奥秩父の国師ヶ岳に登るべく、北佐久で高速を降り、野辺山高原に向かって車を走らせていた。

タイヤから伝わる振動に違和感を覚え、停車してタイヤを見た。

タイヤのサイドが風船のように横に膨らんでいた。

スペアタイヤに交換しようと準備をしていると、大きな音がしてタイヤが破裂した。

タイヤは20センチ程度の長さの切り傷があった。

高速道路上でなくてよかったと、胸をなで下ろした。

千曲川源流の地、川上村の廻り目平から、ひどいガタガタ路が続く。

自足10キロから15キロほどのスピードしか出せない。

タイヤを痛めてはならない。もう替えるタイヤはないのだから。

結局大弛峠まで1時間を要した。

大弛峠は標高2300メートル以上あって、金峰山や国師ヶ岳などに楽に登れるところから、たくさんの車が停まっていた。

長野県側はひどいガタガタ路だが、山梨県側は舗装道路だ。ほとんどの車は山梨県側から来る。

 

 

昔ながらの雰囲気を漂わせる大弛小屋が国師ヶ岳への登山口。

1時間ほどで登れる山だけあって、たくさんの人が登っていた。家族連れも多い。

今回も、かみさんと77歳になる義姉が同行者だ。

奥秩父らしい森林の中、階段の路を歩く。

 

国師ヶ岳は山梨県の看板が出ているが、信州百名山のひとつでもある。

僕にとっては、信州百名山66番目の山だ。

ついでに近くの北奥千丈岳にも登った。

 

 

 

 

 

この山頂は奥秩父の最高峰だけあって、素晴らしく展望がよかった。

心地よい風が吹いていた。今日も暑いであろう下界のことを思うと、ここは天国だった。

岩に上に居る女の子ははるちゃんといって、年長組だという。3年前まで大弛小屋の管理人をしていたというおじいちゃんと来ていた。

人懐っこくて、明るい女の子だった。かみさんと義姉はいろいろ話しながら下山してきた。

「大きくなったら、またどこかの山で会おうね」僕は言った。

 

山の日、のんびり登山を終えて家に帰ると、「テレビのあたりで、ピシッピシッと変な音がする」と息子が言う。

調べてみると、外付けハードデスクからだ。パソコンで認識しなくなっていた。

ハードデスクは寿命が5~6年だという。

これはもう8年目だ。

このハードデスクには写真を保存していた。

何もかも消えてしまった。

いっそすがすがしかった。

永遠に残るものなど何もない。

改めて、今の自分にとって本当に必要なものは何か考えた。

もう終局の準備をしなければならない。

余分なものは捨てて身軽になろう。

そう考えると、よいきっかけになったのだと思う。

 

先日、義姉と同じ歳の田部井さんが富士山に登流番組をみた。

病気をして体力が落ちているという。

それでも、高校生を励ましながら山に登っている姿はすごいと思う。

義姉もそれに負けてはいない。

登れる間は、山に連れて行ってあげたいと思う。

人の命、体力も永遠ではない。

今、できることを精いっぱいやるだけだ。