白樺小舎便り(しらかばごやだより)

北信濃の田舎暮らしの日々

沖縄は誰のもの  そして雁田山へ

2015年03月30日 22時01分58秒 | 日記

辺野古を巡る政府の茶番劇にはほとほとあきれかえる。

沖縄は誰のもの?

政府のものでもなければアメリカのものでもない。

沖縄県民のものだ。

沖縄県人が、すなわち持ち主がノーと言っている。

政府は居直り強盗か。

選挙でことごとく否定された米軍基地を、民意を無視して強行する安倍内閣は、民主主義否定の内閣だ。

早期に退陣願うしかない。

 

 

春のように暖かな一日。

そんなもやもやを振り払おうと隣町にある雁田山に登った。

  

 

雁田山は標高786メートル。

里山だが、すべり山登山口という名前が示す通り、かなり急な登りが続く。

 

      

 

       

 

所々に大きな岩がある。

そして熊ベルも、ある。

 

 

       

 

ほぼ山頂の展望台(というのも、この先にもう少し高い最高地点が別にあるのだが、そこは林の中で展望が無い)まで、時速4キロ位のペース。

春霞の中で、北アルプスは見えなかったが、北の方に高井富士と呼ばれる高社山が優雅な姿を浮かばせていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まだ芽吹き前の冬枯れ色の木々の中、黄色の花を付けている木がある。

春に、まず咲くというところから名付けられたマンサクの花。

カタクリの花も咲き、この花にしか来ないというギフ蝶も生息する山だが、今はまだカタクリは葉が出ているだけだ。

 

        

 

一汗かいた後、山頂で食べるうまさ、歓び。

見渡す風景は限りなく優しい。

 

 

そんなことを一生懸命考える必要が、どこにあるのだろう。

北信濃の春はこんなにも穏やかで、こんなにも優しい。

ともすれば、眠り込んでしまいそうな危機の意識。

僕は本来花鳥風月を愛し、隠遁生活を夢見る人間だ。

ときにはこのような時間を持つことも許されよう。

それをいつまでも許さない現実がある。

まさにこのひと時が至福の時。

 

 

 

 

落葉の中で、カナ蛇が日向ぼっこ。

人間どもよりも、本当はずっと、ずっと賢いのかもしれないなあ。

 

 

 

下山口は、葛飾北斎の鳳凰の天井絵で有名な岩松院。

北信濃としてはかなり早い紅梅がきれいに咲いていた。

ここでも、人間の営みを憐れむように、自然の摂理にのっとって有るがままに自然を謳歌しているように見えた。

 

 


北陸新幹線延伸のお祭り騒ぎの蔭で

2015年03月25日 21時48分42秒 | 日記

長野駅が新しくなり、色々な店が並んで、まるで都会の駅みたいと、長野に行った時に立ち寄ったかみさんが少し興奮気味に言った。

多くの人たちがいたという。

北の飯山駅もあたらしくなったとテレビのニュースが伝えた。

もうじき七年毎の、善光寺の御開帳が始まる。

そんな訳で、長野の善光寺平周辺の人たちは何処か浮かれているようにみえる。

お祭りを前にわくわくそわそわしているような風情を感じる。

桜の季節を前にしたいつもの春先とは違う。

だが、へそ曲がりの僕は新しい長野駅に行ってみようとは思わない。

あてにしている観光客は、御開帳の後、果たして増えるのだろうか。

東京~金沢間は速くなった。

だが、これまで終着駅だった長野は途中駅になった。

影が薄くならざるを得ない。

さらに困ったことには、在来線がJRから切り離されて第三セクターに任されることになった。

青春18切符も使えなくなる。

赤字路線はどんどん切り捨てられる。

地域の人たちにとっては新幹線ではなく在来線が生活の足なのだ。

長野新幹線が出来た時も信越線の横川~軽井沢間の運行がバスに切り替わり、電車で東京へ行くには高い運賃の新幹線しかなくなってしまった。

一見便利そうに見えるものは、その蔭で大きな不便を産み出している。

僕が北陸新幹線で金沢まで行くのは、多分一生に一度か二度くらいなものだ。

在来線を乗り継ぎ、青春18切符で金沢まで行ったことがある。数年前の正月だった。

雪の舞う、どんよりとした日本海を眺めながら僕はしみじみと人生のことを思っていた。

ゆっくりと駅弁を食べた。

そんな旅の良さを、新幹線は奪っていく。

時代の流れとはいえ、僕は効率最優先のこの国の風潮にとても同調できない。

 

浮かれ立つ人々の喜びに水を差すようで、少しばかり声をひそめてそんな独り言を呟いている。

『まったく、ひねくれ者が!』という声が聞こえるような気もするが、、、、


緑が恋しい

2015年03月25日 16時30分14秒 | 日記

冬枯れの里山を歩く。

彼岸が過ぎ、お江戸では桜の開花宣言が出されたというのに北信濃では、小雪が舞い冷たい北風が吹く朝だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

三月には一日一万五千歩以上歩くと決めてほぼ達成してきた。

歩くと言っても毎日同じところではツマラナイ。

たまには近くの里山に登る。

今回は隣の市にある鎌田山。

家から歩いて六キロ位のところにある。

 

山頂からは町並みの向こうに白馬三山をはじめとした後立山連峰が見える。

里山はまだまだ冬枯れで枯葉色一色。

最近緑に飢えているせいだろうか。コンビニの店頭に置かれていた苗を買ってきた。

 

 

 

 

まだ手入れ途中の庭先庭園に植え付けた。

この菜園は赤土と石でまったく耕作地としては不適合だったが、生ゴミや落ち葉を入れ、石を取り除いて三十センチほどは黒土に変えた。

冬の間も生ごみを入れて土とよく混ぜ合わせ土壌菌の助けを借りて土を造った。

寒さの中でも土壌菌はよく活躍してくれて、ほとんど分解した。

ミミズもたくさんいる。

生きた土になった。

土を篩にかけ石や未分解のゴミを除けて培地を造った。

今はまだ半分くらいの進捗度。

その菜園に植え付けた。

レタスは葉だけを摘めば、また次の葉が出てきて長い間収穫が楽しめる。便利野菜だ。

おまけにコンパニオンプランツとして、ブロッコリーやキャベツの害虫を寄せ付けないという作用がある。

まだまだこの地方では早すぎる植え付けだが、幸いこの野菜は寒さには強い。

緑に飢えているので、先行栽培としてスタートラインに立った。

他の苗は冬に屋内で育てた。

こんな物でも緑色が今はうれしい。

サンシュウが可憐な花を付けた。

黄色もまたいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


安倍君は『我が軍』と呼んだ

2015年03月23日 21時42分52秒 | 日記

安倍晋三首相は20日の参院予算委員会で、自衛隊と他国との訓練の意義を説明する中で、自衛隊を「我が軍」と述べた。

政府の公式見解では、自衛隊を「通常の観念で考えられる軍隊とは異なる」としている。

朝日新聞はこう伝えている。

この人は日本をどこに連れて行こうとしているのだろう。

 

  • 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
  • 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

憲法九条は簡潔に述べる。

本来保持しないはずの軍隊を『我が軍』と呼ぶ。

歴来の政権はまだ後ろめたさのようなものが感じられた。

前のめりに危険な方向に突き進んでいく安倍君は程なくつまずいて転んでしまわざるを得ない。

辺野古の基地問題、原発の再稼働問題、集団的自衛権問題、TPP問題、消費増税問題、富裕層優遇問題、どれをとっても庶民の願いとは相容れない。

国会では多数かもしれないが、国民の中では庶民が多数派だ。

強権的に突き進めば突き進むほど抵抗は大きい。

そういう点で僕は絶望なんかしていない。

 

 

春分の日が過ぎたが、『暑さ寒さも彼岸まで』という言葉とは裏腹に朝から冷たい風が吹き雪が降った。

畑の上に少し積もって午後には消えた。

春の淡雪だ。

東京では染井吉野が開花したという。こちらでは後三週間くらい先だ。

その前に近隣ではアンズの名所があって四月上旬には花が咲き始める。

大河ドラマになるという真田幸村のゆかりの街松代にもアンズの里があって、毎年見に行く。

更埴の森のアンズはあまりに有名だが、いかんせんものすごく混みあって僕は行く気にならない。

背景の奇妙山にでも登りながら見下ろせば、見事なピンクのじゅうたん。

早く見たいものだ。

寒い寒いと思っていても、たゆたいつつそれでも確実に、季節はいつか移り変わり、花見のことを思っている。

早いものだ。

そういえば、ブログがクリスマスの記事で止まったままの人がいる。

女性だが、トレイルランニングの達人で、風のように山を駆け抜けて行くのを見送ったことがある。

安曇野に住んで、朝食前に常念岳にちょっと登って来るというようなすごい人なのだが、一児のママでもある。

この人はこんなに長い間ブログを更新しなかったことは無い。

どうしてしまったのだろう。

何か事故にでもあったのだろうか、病気だろうか、などと要らぬ心配をしている。

一度コメントを交わしあっただけなのだが、何故か気になる。

もう、冬というひとつのシーズンが終わろうとしている。

 

 

 

 


山里の集落の最奥で

2015年03月18日 05時25分45秒 | 日記

すっかり春めいてきた北信濃。

北信濃とは言え我が村はその中では南にあるので、いわゆる豪雪地帯ではない。

村から委託を受けている水道メーターの検針を始めた。

五つの、約五百軒分。

最初は比較的狭い範囲に家々が集まっているで、百軒程。

そして、次の日は山際の農業が主の、坂の多い家と家が離れている集落。

前の担当者はバイクを使って検針していたらしいが、僕は歩き。

一日で三万歩以上歩く。

その集落の最奥の家は、水道メーターが倉庫の中にあり、鍵がかけられている。

是が非でも、チャイムを鳴らし家の人に開けてもらわねばならない。

ここの住人は六十代なかば過ぎの婦人と息子さんが一人。

訊けば婦人はシルバー人材センターに所属していたが、自宅の農作業が忙しくて辞めたそうだ。

これまで会社勤めだったが、夫が亡くなって自分が農作業をやらねばならなくなって手探りでやっているという。

まんが日本昔話に登場しそうな、山に囲まれた村落の最奥の地で、周囲には田んぼがあるが、近所の家も少し離れている。

誰も住んでいないような感じの家もある。

そんな中で、平日の昼間も家にいる息子さんは何か事情があるのだろう。

検針を終えても、婦人は話す事を辞めない。

シルバーを辞めた理由、庭木の剪定、農作業のこと、熊が出る話、囲炉裏や炬燵の話、剪定した枝をうまく燃やせない話し、etc。

時はお昼少し前、そろそろ昼食に帰ろうとしていた。

だが、この婦人は、こんな場所で長い冬を過ごし、人と話す事に飢えていたのだろう。

そんなに聞き上手でもない僕を相手に一時間近くもしゃべっていた。

田舎暮らしはのんびりしていて、いいという向きもあろう。

だが、実態はほとんど年寄りしかいなくて、あまり話し相手すらいなくて、なかなか辛いものもあるということを僕も少しは理解している。

耕作放棄地も増えている。

決して田舎暮らしも楽ではない。

それでも、そこに樹が茂り、小川が流れ、鳥が鳴き、花が咲き、稲が実り、野菜ができる場所がある限り、都会よりも好きだ。

また五月に来るとそこを後にした。

あと少しすれば、その集落のもっと奥にある有名なしだれ桜を見に、全国から大勢の人が訪れる。

寂しさも少しは癒されるだろう。

水道メーターの検診は仕事をしながら、ウォーキングもできるのでとてもいい。

ここからは、北信五岳(斑尾山、妙高山、黒姫山、戸隠山、飯縄山)がうららかな日差しの中で白い衣をまとって輝いていた。

 

 

かみさんは伊豆の大島に行き、椿を買ってきた。

赤と緑のコントラストがとてもいい。

リビングから一番よく見える場所に植えた。

そこにあった、僕の挿し木したバラは家のうしろの方に移植した。

 

 

 

やっと雪が融けた庭に、春の花が咲き始めた。

 

 

城山の山頂から見る村の風景にも白い部分が消えた。

もう、本当に春が近いんだなあ。