白樺小舎便り(しらかばごやだより)

北信濃の田舎暮らしの日々

嵐の日々

2016年04月21日 19時00分33秒 | 日記

わが村は枝垂れ桜の里。県外ナンバーの車がたくさん入り込んでいる。

普通なら、とてもいい季節で、ゆっくり桜巡りなどしているところだが、14日の熊本の大地震と、それに続く本震、余震の数々に、桜を楽しむ気分ではなくなっていた。

加えて、この大地震の朝、娘が1年ぶりにオーストラリアから帰って来た。

インフルエンザというお土産を持って。

僕は3日後にひどい状態になった。

それから5日間、何とか熱は37度台に下がったが、夜は38度近くまで上がる。

ただ、今は峠を越しつつある感じ。

 

この娘が、今度行こうとしていた先が、何と熊本だ。

球磨川のラフティングのガイドだという。

球磨村という、人吉市の近くの村だ。今度の地震で直接の被害はなかったらしい。

ただ、こんな時に、、、、、

昨夜、夜行バスで長野駅から羽田までの夜行バスに乗って出発。翌日飛行機で鹿児島空港へ向かうはずだった。

 

バスの出発時間間際に電話がかかって来た。

『高速バスの乗り場が分からない!』

『その辺の人に聞いてみれば?』

『タクシーの人に聞いたんだけど、感じ悪くて教えてくれないだよ』

『バス会社に電話してみれば?』

 

僕はパソコンでその会社のバス乗り場を調べた。こちらから連絡すると、まだわからないらしい。

近くのビルの名前など教えるが、なかなか見つけられない。出発の時間は迫るし、かなり焦っているのが感じられた。

ようやく見つけ出したとき、バスはもうそこにいた。

 

僕の熱は再び上がった。

嵐の日々。

こんな状態で、世界の各地を、よく旅することができるものだなあ。

僕が律儀すぎるのだろうか。ある程度適当で良しとしなければ、冒険など出来ないのかもしれない。

 

熊本の地では、どんな状況が待ち受けているのだろう。

子供たちが、校庭に書いた次の言葉が、やたらに胸に沁みる。

「のみ水ありがとう がんばるけん」

椅子で書いたSOSも素晴らしかった。

僕も残雪期の山でよくやるのだが、雪の上に登頂年月日などを書いて、写真に撮る。

非日常の中で、生きる知恵や力が試されるのだろう。

ともかくも、一つの嵐は去って、少しほっとしている。

がんばるけん。がんばるけん。何度もつぶやいてみる。


体温38.6度を押して 

2016年04月18日 18時39分44秒 | 日記

どうもインフルエンザらしい。

鼻水と、咽喉の痛み、そして体温計の値は38.6度。

娘が先日オーストラリアから一年ぶりに帰って来た。

その娘から移ったらしい。このところ風邪すら曳いたことがなかった。久しぶりの高熱に、体がだるくて、頭が痛い。

それでも、ただ寝ていることができなくて、一日中動いていた。根っからの貧乏性なのだ。

 

 

で、作り上げたのが、これ。ちょっとおしゃれで気に入っている。

構想から、設計図から、全部合わせると、一週間の製作日数。

この材料は、保育園の飼育小屋を解体したものを流用した。

新しい材木ではないので、少し傷んでいるところもあるが、有効に資源を利用できてよかった。

これまでのセットは長い年月の中で、部分的に腐ったりしていたので、作り変えた。

高熱でも、好きなことをやっている分には、気にならない。

 

 

ベンチの脇には、二輪草が咲いている。

我が家の庭は、今いろいろな花が今を盛りと咲いている。

 

娘は、熊本の球磨川で仕事をすることになっていたが、こんな状況では、それどころではないのだろう。

熊本、大分の被災地に思いを馳せながら、高熱なんかに負けていられないな、と思う。


物哀しい春の夜   春の憂鬱

2016年04月15日 22時30分11秒 | 日記

熊本で大きな地震が、昨夜起きた。

被害にあわれた方々に、心からお見舞いを申し上げる。

今、この地は桜が満開を迎えている。

              

 

              

 

これは、我家からの風景。

背景は北アルプス、後立山連峰。

そして、ブログの名前の由来となった白樺の芽吹き。

春だ、春なんだなあ、と、小椋佳のように呟いてみる。

近くには桜百選にも選ばれた臥竜公園もある。

               

 

申し分なく春の風景。

厳しかった北信濃の冬を過ごし、待ちに待っていた春がやって来たというのに、どうしてなのだろう。この感情は。春の憂鬱とでも呼べばいいのだろうか。

少し甘い感情も確かに含みながら、どこか物哀しいこの想いをどうしたものだろう。気温は暖かいし、吹く風は快い。目に見える風景はどこもかしこも花ばかり。

この地は、地震の影響も無いし、とても穏やかだ。それでも、風に舞う花びらを見ながら、生の無常を感じている。年寄りの繰り言だろうか。

こんな夜は、心に沁みるブログなど読みたいものだ。

こんな感傷に浸る夜も、時には必要なのだろう、多分。

 

さて、このところの手作業だが、庭に設置してあったテーブルと椅子のセットが、長い間の風雪によって、朽ち始めた。

そこで、新しいものを作り始めた。

 

前作は、一体型だったが、今回は分離型とした。

とりあえず、ベンチがひとつ完成した。ちょっとおしゃれで、気に入っている。

物を作っている時は、直に現実と触れ合っていると感じられて、とても充実した時間。

あとは、同じスタイルのテーブルを作る予定。

 

手作業といえば、もうひとつ。

長い間、陶芸というものに憧れてきた。それが、とうとう、体験する機会に恵まれた。

コーヒーカップを作る予定。粘土をこねて、底の部分を作り、うどん状にこねた粘土を周りに積み上げていく。つなぎ目を均し、平面にしていく。

ん!なんと、次第に大きくなってしまうではないか。うどん部分をつぶして、均していけば、当然、肉が余り、外側に膨らんでいく。そのことに気付いた時には後の祭り。

で、コーヒーカップから、抹茶茶碗か、お茶漬け丼のようなものに変更した。

 

これで、素焼きをしてもらい、来月、釉薬を塗る。それから乾かし、本焼きをしてもらう。出来上がるのは秋風が吹き始めるころだろうか。

それでも、初めての陶芸体験はとても楽しかった。自分が、縄文の頃の、まだ、人間が十分素朴だった時代に戻ったような気がした。

 

明日は、久しぶりに、選定の仕事が入った。さあ、現実に立ち戻らねば。


三百六十度の展望

2016年04月13日 22時26分25秒 | 登山

待ちに待った桜の開花がわが村でも始まった。

もう、登山シーズン開幕と言ってもいい頃だ。

信州百名山を登ってみようと意識したのは昨年の終わり頃のことだ。

数えてみると、これまで登った山は59座。

今回は東信の名峰、御座山(おぐらさん)と天狗山を目標にした。

かみさんと、義姉が同行することになっている。

義姉は七十八歳になる。田部井淳子さんと同じ歳だ。

朝五時に出発。登山口の南相木村に着いて、栗生コースに向かおうとしたら、何と、道路が冬季閉鎖中。

少し左側の林道に入り、終点まで行くとそこが別の登山口になっていた。

気持ちよく手入れされたカラマツ林の中を登る。

朝の気温は多分氷点下7度くらいまで下がったようだ。

霜柱があちこちにあった。

途中に不動滝があった。

 

名前の通り、少し怖そうだが、何かユーモラスな感じもする不動さんがいた。

 

 

 

自然の芸術がそこにある。

水は、気持ちにも潤いを与えてくれる。

 

山頂にはとてもいい感じの看板。

 

 

御座山の標高は2112.1メートル。

周囲にこれより高い山は無い。従って、三百六十度の展望が開けている。

北アルプス、浅間連峰上越国境の山々、上州の山、秩父の山々、南アルプスの山々、名前を知っている山、知らない山。

色々あるが、中でも、八ヶ岳の山々は、素晴らしかった。

 

山の向こうに来た相木の村が見えた。あの山の向こう側辺りに、日航機が墜落した御巣鷹山があるのだな。もう、二十年以上も経つのだろうか。一度は慰霊の登山に行ってみようと、ふと思った。

昼少し過ぎに、下山した。

次に向かうのは天狗山。この道路も、冬季閉鎖中だった。仕方がないので、大きく迂回して立原高原に向かった。

目指すのは、馬越峠コース。ところが、ここも道路は冬季閉鎖中。

急遽、予定を変更して、立原高原コースを登ることにした。

時刻は午後1時40分。登り2時間くらいのコースなので、行くことにする。

白樺の林を抜け、苔の石の上を歩く。

男山からの縦走コースと合流すると、北側から少し冷たい風が吹いた。

午後の日差しがし少し弱まった。

先ほど登った御座山が無効に聳えていた。

頂上手前は急な岩場。鎖やロープの危険個所が続く。

頂上は1882メートル。両線の向こうに男山が頭をもたげていた。

御座山は日本200名山の一つ。そして、ここと同じように信州百名山の一つ。

眺望が素晴らしくいい。

 

  

あまり、写真をアップしたくはないのだが、それでも信州百名山を目指す以上、これから登る山は登った証として記録しておこう。

午後4時少し前、無事下山。

早速、温泉に向かった。

温泉は、犬ころの滝を眺めながら入れる滝見の湯。もっとも、滝が見えるのは男湯だけらしい。

平日のせいか、温泉はがら空きで、数人がいるだけだった。

ここで思い切り手足を伸ばし、かみさんと義姉はブルーベリーサンデー、僕は抹茶のサンデーを食べた。

義姉は疲れてくると何も食べたくなくなるのだが、ソフトクリームなどは喜んで食べる。

 

一日で2座登るというのは、少し大変だったとは思うが、義姉はまだまだ登る気満々で、次の山を楽しみにしている。

筋肉痛が出ると思うが、痛めたのと違って、2~3日で治る、と意気軒高。

これで、信州百名山は61座となる。

次も、信州百名山の中から、二つほど選んで登りに行く予定。

 

写真もたくさん撮った。だが、写真ばかりたくさん載せるのは好きではない。どんなにいい写真でも、同じような写真ばかり載せるのは、見る方がうんざりする。

選んで、選んで載せるのも、楽しみの一つ。

それと、山には登るが、克明に綴るのも好きではない。ガイドブックを書くわけではない。

書くことで、感動が変質してしまうこともある。

この間、僕は東海道歩きをしてきた。三河から尾張のあたり。そして、その後、飯山線の終点まで行き、カタクリやショウマなどが咲く幸せの三十三番巡りというトレッキングコースを歩いてきた。とてもいい旅をした。あんずの花見もした。

それだけで十分満足してしまったので、わざわざ、記事にする気が起きなかった。

まあ、単なるズバラなのだろうが、書くことで変質してしまうというのはたしかにある。

僕はひと頃、書くことによってのみ、かろうじて自分を保っていたというような時期があったような気がする。

何も書かないでいられる、というのは幸せなことでもあるのだろう。