穂高岳山荘で夢のような一夜を過ごし、朝五時から朝食。
昔の山小屋の食事に比べれば、隔世の感がある。三千メートルの高度で炊くご飯は芯があったものだが、今ではとてもおいしく炊けている。
コンロで火を入れた朴葉味噌をご飯に乗せれば、もう他には何もいらないくらいおいしい。
この小屋はトイレもきれいで、休憩室にも本がたくさんあり、とても過ごしやすい。
常念岳方面から朝日が昇った。
眼下には涸沢カール。
これから、ザイティングラードを通ってそこに降りていく。
前穂北尾根。
そこを攀じたのは、もう40年近く前のことだ。
一緒に行った岳友はもういない。さらば友よ、青春の日よ。
梓川の谷の向こうはピラミダルな常念岳。ここにも思い出がある。
振り返れば、北穂と奥穂の間にある涸沢だけの尖塔。別名涸沢槍。
昼食の朴葉寿司。飛騨の名物。
穂高よさらば また来る日まで
僕らはザイティングラードを降っていた。
半分くらいまで来た時に、涸沢から小走りに登って来る青年。
すれ違ってふと顔を見ると、そこにはまぎれもなく、日本百名山一筆書き踏破、二百名山一筆書き踏破の田中陽希さんがいた。
田中さんですか、と声をかけると、はい、そうですとさわやかに答えた。
みんな、このさわやかさや嫌みのない笑顔にやられちゃうのだろう。
僕は追っかけではない。どちらかというと、そんなことは嫌いだ。
だが、偶然の出会いというのは素直に喜ぶだけの柔らかさも持っている。
涸沢から、僕らとは逆のコースで奥穂から、前穂、岳沢、上高地と辿る。
上高地でまた会えるかもしれませんね、と走り去って行った。
涸沢、横尾、徳沢と小刻みに休みながら、明神に辿り着き、ソフトクリームなどをなめながら休んでいた時だった。
河童橋方面から、小走りにやって来て明神館に入る田中陽希さんを見た。
朝出会ってから五時間半、僕らが二日間で辿ったコースを、いとも簡単に走破した。
一般的には二泊三日コース。
これから、涸沢に戻ります、と、あの人懐こい笑顔を残して去って行った。
辿り着いた河童橋は、観光客でにぎわっていた。
この日、関東甲信越は梅雨明け宣言が出た。
河童橋名物の河童コロッケは、ここに行くたびに食べる。わさび味がおいしい。
天気にも恵まれ、僕らが行く前日は土砂降りの雨ということで、登山者も少なく、いい時期に登れた。
割合、いつもお天気には恵まれ、その点では山の神様に愛されているのかもしれない。
山の神様、お天気の神様、ありがとう。
「本当に、前穂、奥穂なんて行けるのかしら」と言っていたかみさんも、「この歳になってもやればできるんだ」と言った。
「これで、北穂、奥穂、前穂と登ったから、残るのは西穂だね」と言うと、「行く、行く」と二つ返事で答えた。
帰路、乗鞍高原に回り、そこの温泉で汗を流し、手足を思い切り伸ばした。
「あー、いい山旅だったな」
硫黄の湯船の中で、達成感に浸っていた。