9月も終わりに近づいていた。
7月に餓鬼岳、8月に唐松岳、霞沢岳、9月初めに立山三山に登った。冬が来る前に、もう少し登っておきたい。
さて、どこにしようか。
信州百名山で残った山を頭に浮かべる。
北アルプスは烏帽子岳、野口五郎岳、鷲羽岳、三俣蓮華岳の4座。これは裏銀座の縦走コースにある。槍を目指して一気に登ってしまいたい。4日くらい欲しい。
天気予報を見ると、4日連続で晴れる並びはない。来年に回そう。
木曽山群は小秀山。日帰り可能だが、遠いので他の山と併せて登りたい。
中央アルプスは空木岳、南駒ケ岳の2座。ここは泊りで味わいたい。さらに安平路山、富士見台の合計4座。
南アルプスは鋸岳、赤石岳、池口岳の3座。鋸岳は難コースらしいので日が長い時期に登りたい。赤石岳は聖岳から三伏峠までの縦走に位置付けたいので数日必要。
富士見台は義姉とかみさんを連れていくことになっているので除外。残された山は、小秀山と安平路山の二つを安宿で泊まって登ってくる案と、池口岳か中央アルプスの空木、南駒の2座を登る案の3つに絞られた。
信州百名山は残り12座。『楽しんで、惜しみつつ登る』ことを肝に銘じて、じっくり中央アルプスの空木岳と南駒ケ岳の2座を目指すことにした。
コースは色々ある。駒ヶ根からロープウェーで千畳敷に登り、空木へ縦走するコース。これはできるだけ自分の足で、という観点から除外。池山尾根から空木に登り、南駒往復して下山するコース。これはつまらない。
伊那谷側のコースの反対、木曽谷側に目を向けると、伊奈川ダムから周回するコースがある。この辺りにテント場はなく、営業小屋が2軒と山岳会が運営する素泊まり専用の小屋が1軒、避難小屋が2軒ある。
営業小屋に泊まれるほどの身分でもないので、避難小屋を利用することも考えた。だが、コースから外れていること、さらにそのうちの一つは怪談じみた話がネット上に流れていて、心霊現象や怪談などあまり信じるほうではないのだが、知ってしまえばそこの好んで泊まるわけにはいかない。そこで、空木岳直下の山岳会運営の駒峰ヒュッテに泊まることにした。
登山口のある伊奈川ダム上の駐車場までの道は昨年の台風の影響で車通行不可で、2キロ以上下の路肩に駐車。朝7時。車は数台泊まっていた。空木岳は深田百名山の一つ。金曜日でも登山者はいる。渓間のこととてまだ日は射さず、伊奈川の澄んだ水がいかにも秋の気配を漂わせ、瀬音も高く流れていた。ザックの重さは多分12キロと少し。さあ、出発だ。今日の予定は木曽殿越から空木岳、その直下の駒峰ヒュッテまで。少し前かがみになり、長い林道歩きが始まる。歩くこと1時間45分。ウサギ平に着く。ここから本当の登山道が始まる。
前を行く単独行者。同じく駒峰ヒュッテに泊まるという。ヒュッテで話したところによると、浜松の人で、明日は南駒から越百山経由で下山するとのこと。同じコースだ。
山道に入っても長い上り下りが続くだけで、なかなか標高が上がらない。今日は標高差1,989メートルを登るのだ。それでも歩く。歩き続ける。途中仙人の泉という湧き水がある。細い流れが黒いホースから流れ落ちている。飲んでみると冷たくてうまい。まさに頑張ったことへのご褒美だ。この先にも義仲の力水という水場があったが、そこは枯れていた。12時に木曽殿山荘の前に出た。
木曽義仲は一体どんな靴でここを超えたのだろう。そんなことを考えながら通過。
眼前には花崗岩の岩場が急な傾斜を持って上に続いている。
山のグレーティングではC難度にランクされているコースだ。
右側には南駒ケ岳から越百山に続く稜線が見える。
第1ピークを越えるとその先にもピークがある。そこも頂上ではない。
左下に駒峰ヒュッテが見える。
13時11分、空木岳山頂2,864メートルに登頂。
『今駒ケ岳は、ロープウェイの開通によりスラックス、サンダルの大衆の山となってしまったが、空木岳.南駒ケ岳はともに、本当に山旅を愛する私達の山のままである。高さは駒ケ岳には及ばないが、独立の堂々とした姿をもった山である。駒の頂上から高低の少ない長い尾根が南につながって、木曽殿乗越まで降りると、そこから一挙にこの山は盛り上がって、ややもすれば冗長に流れる木曽山脈に強い喝を入れている。』
信州百名山の著者はこのように書く。
確かにこの山の登山者はもう北アルプスは卒業し、南アルプスにも足を踏み入れ、八ヶ岳も登り尽くしたといったような人たちのようにみえる。若いころは目もくれなかった山が、まだ登るべき山がここにあった。-そんな風にしてここに来た。全体のスケールは北や南に較ぶべきもない。だが、侮ってはいけない。木曽殿山荘から空木岳へのコースは結構ハードな岩場である。初級程度の岩登りの技術がなければ登れない。北アルプスの一般コースなどよりはるかに厳しい。
その分静かで成熟した山なのだと思う。
空木岳、日本百名山の一つ、そして信州百名山でもある。自分にとっては89番目の信州百名山。
明日辿る南駒への稜線が早くおいでと招いている。
だが、本日はここまで。13時20分、直下の駒峰ヒュッテに着いた。
山岳会手作りの小屋だそうだが、丸太小屋でとてもいい。
早く小屋に着いたので、のんびり昼寝をした。夕暮れまでに次々に登山者がやってきて、2階の宿泊者スペースがいっぱいになった。30人くらいだろうか。
自炊スペースは1階にある。湯を沸かし、カップラーメンとおにぎりで昼食兼夕食とする。行動食としてソフトサラダ、かりんとう、柿の種。しょっぱい、甘い、辛いの3種。
これを適宜摂っていたので、それほど空腹ではない。
夜、駒ケ根の灯が見えた。
朝、3時ころから出発の準備を始める人たちの物音で目が覚めた。十分に寝たので眠くはなかった。まだ起きだしても仕方がないので寝袋の中で丸くなっているとまた寝てしまった。山ではとてもよく眠れる。5時過ぎに起きた。さすがに3千メートル近いこの場所は寒い。次第に空が茜色に染まり、それが刻々と変化し、夜明けが近づいた。
遂に日が昇った。
昨日は御嶽山の惨事から5年目。あのニュースは高妻山の山頂付近でラジオから聴いた。まだ5人の不明者がいるという。合掌。
自然が悪いわけではない。登山者に責任があるわけでもない。それでも事故は起きる。自然を甘く見てはいけない。先日、モンベルの野外活動保険に加入した。捜索費用500万円。年間7千円台。いろいろな保険が今は、ある。かつては保険料も随分高かった。入りたくても入れなかった。今は1日500円の保険もある。どれを選んだらよいのか迷うような時代になった。もちろん保証は大きい方がいい。その分保険料も高い。そのバランスをどこで取るのか。自分の活動内容と、財政状況と見極めねばならない。こればかりは自己責任だ。ボーと生きてはいられない。
このような草紅葉がざわつく心をいやしてくれる。
厳しい岩場と、美しい植物。これも自然の絶妙なバランス。
空木から南駒に向かう稜線は花崗岩の岩場とハイマツ帯のミックス。適度の上り下り。右側には御嶽山、左側には南アルプスの大パノラマ。その向こうにうっすらと富士山。
途中で、小屋で一緒だった女性とすれ違う。彼女は千畳敷から縦走して、空木から南駒まで往復して池山尾根を下りるという。そのため朝早くに小屋を出た。50~60代くらいの女性が一人でこのコースを歩くというのはかなりの経験者で、よほどの山好きなのだろう。ハイタッチして互いの無事を祈って別れた。
人影は少なく、前を行く一人の高齢の男性に追いつく。昨夜は空木の避難小屋に泊まったという。二人だけだったという。その小屋は空木からかなり下ったところにあるせいだろうか。埼玉の人だが、長野県の御代田町に別荘があり、そこに立ち寄っていこうと思っているという。あの辺はこれからカラマツの黄葉がいいですねえ、黒斑山、篭ノ登山辺り。そんな会話を交わしながら先に行く。
空木から約1時間。南駒ケ岳2,841メートルに着いた。信州百名山90座目。
深田久弥が空木と南駒のどちらを百名山に選ぶか迷った末、遂に高さにおいて勝空木を選んだという。『私はその男性的な堂々とした山の姿の南駒の方が、数段好きである。この山は北アルプスの五竜岳に似て、王者の風格をもっている。』といゅう百名山の著者、清水栄一は書く。『初めて空木岳の山頂に立って南を眺めた時、私はこの南駒ケ岳のどっしりした姿にすっかり圧倒されてしまった。その岩で鎧われたいぎりすの儀杖兵のように堂々とした風格は、北で五竜岳、南では塩見岳のきりっとした美しさを連想させた。(略)登山は一般大衆や老齢のかつてのアルピニストのためにも開放されねばならないだろうが、しかしすべての山を、そうしてはならない。やはりロープウェイのある駒ケ岳の隣には、うつぎやみなみこまのような山を、本当に山を愛する者のために、そのまま残しておいてもらいたい。』とも書く。全く同感だ。
雲海の向こうに南アルプスの峰々が島影のように浮かぶ。来年こそは南部縦走を完成させよう。それにしても見アルプス北部縦走をしてから40年。ずいぶん時が流れた。こんなにも長く山旅を続けていられることに感謝しよう。
南駒からの道は険しい。花崗岩の岩場の下りがあり、登り返しがある。仙涯嶺(2,734メートル)のピークには7時50分着。ここから越百山までの稜線は一転して穏やかなハイマツの道となる。まさに岳が山に変わる。岩場も好きだがたおやかな稜線もいい。うららかな秋の陽射しの中、どこまでも歩いていけそうな気がする。
8時50分、越百山(2,613メートル)に到着。ここから先に安平路山へ続く稜線がずっと伸びていた。田中陽希さんが、安平路山から南駒に向かう途中、藪の中で遭難者のザックを発見した場所がある。そんなすごい藪漕ぎはしたくない。安平路山は反対側から登り、同じ道を引き返すことにした方が賢明。ここで周囲の山々に名残を惜しみ、下山開始。ここから1,989メートルの下りが待っている。
少し下ったところに越百山荘。小さな昔の面影を感じさせる小屋だ。スルーして下る。そしてまた下る。途中数組のパーティとすれ違う。土曜日のこととて、入山者も多いのだろう。
林道都の合流点、福栃橋に着いたのは11時25分。あとは林道歩きとなる。伊奈川の清流に沿って下っていくだけだ。
ふと日本アルプス横断レースの最後のシーンを思い浮かべた。あんな過酷なレースをしてきた後で、制限自覚との戦いが待っている。それで、何とかじかんないにゴールしようと痛ましいまでの姿で、必死に走る。それなら、自分も制限時間を設け、それに向かって走るのも悪くない。
12時までに車まで戻る関門を設けた。ここから通常の駐車場まで約3キロ。今回はさらに下まで2キロ以上はある。ザックを背負って5キロ余りを35分。関門を通過できるだろうか。そんな状況を設定して走り始めた。伊奈川の水は透明で、岩を噛みながら流れ下っている。走る。そしてまた走る。
街では足が痺れ感覚がなくなることもよくあるのに、ここではどうしてこんなに体が動くのだろう。『俺たちゃ街には住めないからに-』雪山賛歌の一節が浮かぶ。これは単なる比喩だと思っていた。だけどそうではない。実際にそうなのだ。
旅の終わりが近づいていた。11時51分に伊奈川ダムサイトを通過。関門に間に合うだろうか。必死で走る。走る。走る。
車止めのゲートに11時55分着。車まであと少し。
11時56分、4分を残してゴール。
充実した山旅だった。
木曽の駒の湯に浸かり、しみじみと充足感を味わう。
そば切り発祥の地、本山宿でそばを堪能。
安曇野のワサビ漬けを買い、一般道を通り、帰宅したのは午後6時だった。