白樺小舎便り(しらかばごやだより)

北信濃の田舎暮らしの日々

秋たけなわの中央アルプスは深く静かに心に沁みた 信州百名山89座目ー空木岳 90座目ー南駒ケ岳

2019年10月01日 20時29分33秒 | 登山

9月も終わりに近づいていた。

7月に餓鬼岳、8月に唐松岳、霞沢岳、9月初めに立山三山に登った。冬が来る前に、もう少し登っておきたい。

さて、どこにしようか。

信州百名山で残った山を頭に浮かべる。

北アルプスは烏帽子岳、野口五郎岳、鷲羽岳、三俣蓮華岳の4座。これは裏銀座の縦走コースにある。槍を目指して一気に登ってしまいたい。4日くらい欲しい。

天気予報を見ると、4日連続で晴れる並びはない。来年に回そう。

木曽山群は小秀山。日帰り可能だが、遠いので他の山と併せて登りたい。

中央アルプスは空木岳、南駒ケ岳の2座。ここは泊りで味わいたい。さらに安平路山、富士見台の合計4座。

南アルプスは鋸岳、赤石岳、池口岳の3座。鋸岳は難コースらしいので日が長い時期に登りたい。赤石岳は聖岳から三伏峠までの縦走に位置付けたいので数日必要。

富士見台は義姉とかみさんを連れていくことになっているので除外。残された山は、小秀山と安平路山の二つを安宿で泊まって登ってくる案と、池口岳か中央アルプスの空木、南駒の2座を登る案の3つに絞られた。

信州百名山は残り12座。『楽しんで、惜しみつつ登る』ことを肝に銘じて、じっくり中央アルプスの空木岳と南駒ケ岳の2座を目指すことにした。

コースは色々ある。駒ヶ根からロープウェーで千畳敷に登り、空木へ縦走するコース。これはできるだけ自分の足で、という観点から除外。池山尾根から空木に登り、南駒往復して下山するコース。これはつまらない。

伊那谷側のコースの反対、木曽谷側に目を向けると、伊奈川ダムから周回するコースがある。この辺りにテント場はなく、営業小屋が2軒と山岳会が運営する素泊まり専用の小屋が1軒、避難小屋が2軒ある。

営業小屋に泊まれるほどの身分でもないので、避難小屋を利用することも考えた。だが、コースから外れていること、さらにそのうちの一つは怪談じみた話がネット上に流れていて、心霊現象や怪談などあまり信じるほうではないのだが、知ってしまえばそこの好んで泊まるわけにはいかない。そこで、空木岳直下の山岳会運営の駒峰ヒュッテに泊まることにした。

登山口のある伊奈川ダム上の駐車場までの道は昨年の台風の影響で車通行不可で、2キロ以上下の路肩に駐車。朝7時。車は数台泊まっていた。空木岳は深田百名山の一つ。金曜日でも登山者はいる。渓間のこととてまだ日は射さず、伊奈川の澄んだ水がいかにも秋の気配を漂わせ、瀬音も高く流れていた。ザックの重さは多分12キロと少し。さあ、出発だ。今日の予定は木曽殿越から空木岳、その直下の駒峰ヒュッテまで。少し前かがみになり、長い林道歩きが始まる。歩くこと1時間45分。ウサギ平に着く。ここから本当の登山道が始まる。




前を行く単独行者。同じく駒峰ヒュッテに泊まるという。ヒュッテで話したところによると、浜松の人で、明日は南駒から越百山経由で下山するとのこと。同じコースだ。


山道に入っても長い上り下りが続くだけで、なかなか標高が上がらない。今日は標高差1,989メートルを登るのだ。それでも歩く。歩き続ける。途中仙人の泉という湧き水がある。細い流れが黒いホースから流れ落ちている。飲んでみると冷たくてうまい。まさに頑張ったことへのご褒美だ。この先にも義仲の力水という水場があったが、そこは枯れていた。12時に木曽殿山荘の前に出た。

木曽義仲は一体どんな靴でここを超えたのだろう。そんなことを考えながら通過。
眼前には花崗岩の岩場が急な傾斜を持って上に続いている。
山のグレーティングではC難度にランクされているコースだ。
右側には南駒ケ岳から越百山に続く稜線が見える。
第1ピークを越えるとその先にもピークがある。そこも頂上ではない。
左下に駒峰ヒュッテが見える。




13時11分、空木岳山頂2,864メートルに登頂。

『今駒ケ岳は、ロープウェイの開通によりスラックス、サンダルの大衆の山となってしまったが、空木岳.南駒ケ岳はともに、本当に山旅を愛する私達の山のままである。高さは駒ケ岳には及ばないが、独立の堂々とした姿をもった山である。駒の頂上から高低の少ない長い尾根が南につながって、木曽殿乗越まで降りると、そこから一挙にこの山は盛り上がって、ややもすれば冗長に流れる木曽山脈に強い喝を入れている。』
信州百名山の著者はこのように書く。

確かにこの山の登山者はもう北アルプスは卒業し、南アルプスにも足を踏み入れ、八ヶ岳も登り尽くしたといったような人たちのようにみえる。若いころは目もくれなかった山が、まだ登るべき山がここにあった。-そんな風にしてここに来た。全体のスケールは北や南に較ぶべきもない。だが、侮ってはいけない。木曽殿山荘から空木岳へのコースは結構ハードな岩場である。初級程度の岩登りの技術がなければ登れない。北アルプスの一般コースなどよりはるかに厳しい。
その分静かで成熟した山なのだと思う。
空木岳、日本百名山の一つ、そして信州百名山でもある。自分にとっては89番目の信州百名山。
明日辿る南駒への稜線が早くおいでと招いている。
だが、本日はここまで。13時20分、直下の駒峰ヒュッテに着いた。
山岳会手作りの小屋だそうだが、丸太小屋でとてもいい。








早く小屋に着いたので、のんびり昼寝をした。夕暮れまでに次々に登山者がやってきて、2階の宿泊者スペースがいっぱいになった。30人くらいだろうか。
自炊スペースは1階にある。湯を沸かし、カップラーメンとおにぎりで昼食兼夕食とする。行動食としてソフトサラダ、かりんとう、柿の種。しょっぱい、甘い、辛いの3種。
これを適宜摂っていたので、それほど空腹ではない。
夜、駒ケ根の灯が見えた。

朝、3時ころから出発の準備を始める人たちの物音で目が覚めた。十分に寝たので眠くはなかった。まだ起きだしても仕方がないので寝袋の中で丸くなっているとまた寝てしまった。山ではとてもよく眠れる。5時過ぎに起きた。さすがに3千メートル近いこの場所は寒い。次第に空が茜色に染まり、それが刻々と変化し、夜明けが近づいた。





遂に日が昇った。



昨日は御嶽山の惨事から5年目。あのニュースは高妻山の山頂付近でラジオから聴いた。まだ5人の不明者がいるという。合掌。
自然が悪いわけではない。登山者に責任があるわけでもない。それでも事故は起きる。自然を甘く見てはいけない。先日、モンベルの野外活動保険に加入した。捜索費用500万円。年間7千円台。いろいろな保険が今は、ある。かつては保険料も随分高かった。入りたくても入れなかった。今は1日500円の保険もある。どれを選んだらよいのか迷うような時代になった。もちろん保証は大きい方がいい。その分保険料も高い。そのバランスをどこで取るのか。自分の活動内容と、財政状況と見極めねばならない。こればかりは自己責任だ。ボーと生きてはいられない。


このような草紅葉がざわつく心をいやしてくれる。



厳しい岩場と、美しい植物。これも自然の絶妙なバランス。

空木から南駒に向かう稜線は花崗岩の岩場とハイマツ帯のミックス。適度の上り下り。右側には御嶽山、左側には南アルプスの大パノラマ。その向こうにうっすらと富士山。
途中で、小屋で一緒だった女性とすれ違う。彼女は千畳敷から縦走して、空木から南駒まで往復して池山尾根を下りるという。そのため朝早くに小屋を出た。50~60代くらいの女性が一人でこのコースを歩くというのはかなりの経験者で、よほどの山好きなのだろう。ハイタッチして互いの無事を祈って別れた。
人影は少なく、前を行く一人の高齢の男性に追いつく。昨夜は空木の避難小屋に泊まったという。二人だけだったという。その小屋は空木からかなり下ったところにあるせいだろうか。埼玉の人だが、長野県の御代田町に別荘があり、そこに立ち寄っていこうと思っているという。あの辺はこれからカラマツの黄葉がいいですねえ、黒斑山、篭ノ登山辺り。そんな会話を交わしながら先に行く。





空木から約1時間。南駒ケ岳2,841メートルに着いた。信州百名山90座目。
深田久弥が空木と南駒のどちらを百名山に選ぶか迷った末、遂に高さにおいて勝空木を選んだという。『私はその男性的な堂々とした山の姿の南駒の方が、数段好きである。この山は北アルプスの五竜岳に似て、王者の風格をもっている。』といゅう百名山の著者、清水栄一は書く。『初めて空木岳の山頂に立って南を眺めた時、私はこの南駒ケ岳のどっしりした姿にすっかり圧倒されてしまった。その岩で鎧われたいぎりすの儀杖兵のように堂々とした風格は、北で五竜岳、南では塩見岳のきりっとした美しさを連想させた。(略)登山は一般大衆や老齢のかつてのアルピニストのためにも開放されねばならないだろうが、しかしすべての山を、そうしてはならない。やはりロープウェイのある駒ケ岳の隣には、うつぎやみなみこまのような山を、本当に山を愛する者のために、そのまま残しておいてもらいたい。』とも書く。全く同感だ。


雲海の向こうに南アルプスの峰々が島影のように浮かぶ。来年こそは南部縦走を完成させよう。それにしても見アルプス北部縦走をしてから40年。ずいぶん時が流れた。こんなにも長く山旅を続けていられることに感謝しよう。




南駒からの道は険しい。花崗岩の岩場の下りがあり、登り返しがある。仙涯嶺(2,734メートル)のピークには7時50分着。ここから越百山までの稜線は一転して穏やかなハイマツの道となる。まさに岳が山に変わる。岩場も好きだがたおやかな稜線もいい。うららかな秋の陽射しの中、どこまでも歩いていけそうな気がする。


8時50分、越百山(2,613メートル)に到着。ここから先に安平路山へ続く稜線がずっと伸びていた。田中陽希さんが、安平路山から南駒に向かう途中、藪の中で遭難者のザックを発見した場所がある。そんなすごい藪漕ぎはしたくない。安平路山は反対側から登り、同じ道を引き返すことにした方が賢明。ここで周囲の山々に名残を惜しみ、下山開始。ここから1,989メートルの下りが待っている。



少し下ったところに越百山荘。小さな昔の面影を感じさせる小屋だ。スルーして下る。そしてまた下る。途中数組のパーティとすれ違う。土曜日のこととて、入山者も多いのだろう。

林道都の合流点、福栃橋に着いたのは11時25分。あとは林道歩きとなる。伊奈川の清流に沿って下っていくだけだ。
ふと日本アルプス横断レースの最後のシーンを思い浮かべた。あんな過酷なレースをしてきた後で、制限自覚との戦いが待っている。それで、何とかじかんないにゴールしようと痛ましいまでの姿で、必死に走る。それなら、自分も制限時間を設け、それに向かって走るのも悪くない。
12時までに車まで戻る関門を設けた。ここから通常の駐車場まで約3キロ。今回はさらに下まで2キロ以上はある。ザックを背負って5キロ余りを35分。関門を通過できるだろうか。そんな状況を設定して走り始めた。伊奈川の水は透明で、岩を噛みながら流れ下っている。走る。そしてまた走る。
街では足が痺れ感覚がなくなることもよくあるのに、ここではどうしてこんなに体が動くのだろう。『俺たちゃ街には住めないからに-』雪山賛歌の一節が浮かぶ。これは単なる比喩だと思っていた。だけどそうではない。実際にそうなのだ。

旅の終わりが近づいていた。11時51分に伊奈川ダムサイトを通過。関門に間に合うだろうか。必死で走る。走る。走る。
車止めのゲートに11時55分着。車まであと少し。
11時56分、4分を残してゴール。

充実した山旅だった。
木曽の駒の湯に浸かり、しみじみと充足感を味わう。
そば切り発祥の地、本山宿でそばを堪能。
安曇野のワサビ漬けを買い、一般道を通り、帰宅したのは午後6時だった。





















 

 

 



島々から徳本峠、霞沢岳へ  信州百名山88座目

2019年08月27日 20時12分52秒 | 登山
その昔、北アルプスの黎明期、かのウォルター.ウェストンも辿ったクラシックルート、島々から岩魚留小屋を経て徳本峠に至る山路を辿った。

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登山の記録はヤマレコという山登りの記録を集めたサイトに書いた。
上記のコードを張り付ければ閲覧可能とのことだが、実際には使ったことがないのでうまくいくかどうかわからない。
(うまくリンクが貼れていないですね。改めて勉強しなおします)




上高地を挟んで向こうには焼岳、穂高岳があり、反対側の霞沢岳にはほとんどの人は目がいかない。この山に注目するのは、もう槍も穂高も登り尽くした人がほかに面白い山はないかと目を向けるような山だ。
日本二百名山でもあり、信州百名山でもある。徳本峠から辿る稜線は北アルプスの山々をぜいたくに眺めながら、人影も少なく、奥深い山の静寂も味わえる。
久しぶりのテント泊。そして夜明けの前穂のモルゲンロート。信州百名山の88座目。
山の空気を存分に味わった。

世の中に忘れられたような静かな佇まい    信州百名山87座目 餓鬼岳

2019年08月02日 19時18分37秒 | 登山
前から気にはなっていた。

『居ながらにして裏銀の山々を一望に収める豪華な展望を持った北アルプスで最高にぜいたくな小たのなのに、どうしてこんなに訪う人が少ない
のだろう。お陰で私はこの小屋に、昔の静かだった山歩きと小屋泊まりの楽しさを満喫することができた。
 登山の大衆化によって、年ごとに北アルプスが俗化し、穂高の涸沢にも、テント村が出現するのは仕方のないことだけれど、その最も賑やかな北アルプスの銀座コースといわれる燕岳から、一歩北に踏み出すことによって、タイムトンネルに入りこみ、こんな昔のままの山が残されているのは、本当に信じられないような奇蹟である。』

信州百名山の著者、清水栄一はこう書いた。
本当に静かな山らしい山がここにある。だが、燕岳方面から辿る道も、反対の白沢から入る路も日帰りには躊躇する距離があったので後回しになっていた。信州百名山も残すところ14座となった今、日帰り可能な山の一番最初のリストに上がったのはこの餓鬼岳だった。白沢から登るコースは標準コースタイム12時間半、距離12.5キロ。これなら不可能ではない。だが、登山記録を読めば、かなりタフなコースらしい。さらに、10日ほど前、長野市内を10分ほど歩いただけで、足の感覚がなくなり、立っていられない状態になった。いわゆる間欠跛行の状態で、脊柱管狭窄症の代表的な症状だという。これで本当に山など歩けるのだろうか?そんな心配もないではなかったが、それよりも自分がどの程度歩けるのか試してみようという気持ちの方が強かった。梅雨明け宣言も出て、胸おどらせて白沢登山口駐車場に向かった。
 県外の車ばかり数台が停まっていた。ここは日本2百名山のひとつでもあるので、登りに来る人もいるのだろう。

足場板の橋


アジサイの色が涼し気。

足場板の上を登山者が行く。

木製の朽ちつつある橋。






魚止メの滝。

最終水場。


大凪山山頂の看板があったが、斜面に看板が立っているだけで山頂とはとても思えない。









小屋まで30分。記録では何人かが『ここからまだ30分もあるのか。めげた。』と書いていた。














色々な高山植物を堪能。



山小屋の原形のような風情のある山小屋。これから出発するらしい登山者がひとりいただけで、小屋版の姿も見えない。こんな小屋でのんびり泊まってみたい。

あれが山頂らしい。




燕方面からの稜線。

期待していた眺望は霞の向こう。

気になってから既に40年近くが過ぎていた。この餓鬼岳の山頂についに立った。
周りには誰もいなくて、本当に静かな昔のままの山が奇蹟のようにここに残されていた。すぐ隣の燕岳の喧騒と較べれば嘘のようだ。



花を楽しみながら来た道を戻る。



このコースはかなり難度が高い。腐ったはしごあり、岩のへつり、渡渉、鎖場、崩れたがけのトラバース、足を置くたびに石が転がり落ちる急斜面、そして長い道程、一瞬たりとも気を抜くことが許されない。緊張の連続だ。穂高のザイティングラード、重太郎新道なんかより遥かに難易度が高い感じがする。

登りで5人を追い抜いた。
下山途中で二人には出会ったが、後の3人パーティにはなかなか出会わない。どうしたのだろうと心配しつつ降ると、3人のうちの一人が救助隊に背負われて、広い河原まで降りるのに出会った。無線で何所かと連絡を取っていた。ヘリを呼んでいるのだろう。野次馬根性でどうしたのですかと訊くのも憚られて、しばらく様子を見たのち、静かに目礼して脇を通り過ぎた。やがてヘリの音が聞こえてきた。余り重賞出ないことを祈るばかりだ。
 このコースはそのようなことがあってもおかしくない。人があまり入らないため、あまり整備もされていない。他人事ではない。事故の大半は高齢者で、その多くはつまずき転倒だという。自分も高齢者に区分されてしまう年齢だ。

出発から7時間35分で戻ってくることができた。街中での歩行障害が嘘のようだ。
これまでも、腰痛が山行のあとケロッと直ったという経験を何度もしている。山は自分にとって最高のリハビリになっている。肉体的にも精神的にも。

次は上高地のはぐれモノ、霞沢岳にでも行こうか。




信州百名山85座目 経ヶ岳2,296m

2019年05月30日 12時00分03秒 | 登山

春が深まり、もう夏といってもおかしくない日々が続いた。
この間鹿児島の開聞岳の登ってきた。
カチューシャふるさとマラソンのハーフも走った。
春の農作業も楽しみ、田んぼの会の田植えも終わった。
ぐずぐずしていると梅雨に入ってしまう。
そこで、日帰り可能な信州百名山で登り残した山に行くことにした。
「こんな人に忘れられた太古のままのような山が、あの人の混み合う駒ヶ岳の隣りにあるのも妙であった。経ヶ岳の静かな山頂にすっかり満足して、私達は四方に拡がる秋の盛りの眺めを心ゆくまで楽しんだ。」と、信州百名山の著者、清水栄一は書く。
今もその静かさは変わっていない。

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これ以上ない好天気 40年目の飯綱登山

2019年01月03日 20時13分46秒 | 登山

 元日に登り続けて40年目。

今年は最高のコンディション。

一の鳥居の出発点で初日の出。

 

この山は修験道の山。

鳥居やたくさんのお地蔵さまがある。

 

 

 

ここはほぼ中間点。ここまでは尾根道だが、この先は急傾斜の登りとなる。夏道と呼ばれる巻き道もあるが、断固として直登ルートを選ぶ。

ロープの連続だ。

 

夏道と合流して天狗の硯岩に出る。そろそろ森林限界も近い。

 

 

富士山と右側に八ヶ岳。

 

 

中央に槍ヶ岳。左に穂高連峰。

 

後立山連峰と手前に昨年登った堂津岳。

 

 

すべての景色がわが物となる。

自分が山とお天気の神様に愛されているのだと無条件で信じられる。



傾斜がなだらかになる。山頂が近い。


飯綱山は双耳峰だ。お地蔵さんのある所が南峰。向こう側が北方で三角点がある。



元旦の善光寺平も穏やかに、どこかしらのんびりしているように見える。





南峰の飯綱神社で初詣。飯縄と書いていいづなとも読む。

戦のない世界が来ることを強く願う。



雪はよく踏まれて歩き易い。

かつてはかんじきが主流だったが、現在ではスノーシューに取って代わった。

この山では必要ないだろうが岳人の魂、ピッケルも見かけることはない。


 

出発して1時間25分、山頂に着いた。

 

方位盤の上に雪ダルマ。多分高崎のだるま弁当の容器で作ったのだろう。

 

 

鬼が一夜で作ったという鬼無里の一夜山。

 

 

南峰と北峰にお地蔵さんがあり、赤い前掛けを付けてあげる。

明日の朝庭に米俵が届くだろうか。

 

40年の間、この山に登ってきたが、かつてのように大勢のグループで登って来るようなことはなくなった。

大体一人か二人、多くて三人グループだ。

 

 

 

この靴は40年近く前、オーダーメイドで作ったゴローの革靴だ。こんな靴を履いている人もほとんど見ない。自分も雪山以外では履いていない。

 

 

戸隠連峰の西岳。そこに登ったのはもう半世紀近く前だ。

すっかり満ち足りて、下りはランニング。

 

 

飯綱山の全貌。左側の双耳峰と右は霊泉寺山。

 

 

山の後は恒例の温泉。

元日は干支のタオルと甘酒をプレゼントしてくれる。温泉にはたくさんのかりんを浮かべてかりん風呂。

ここは穴場なので誰にも教えない。毎年のひそかな楽しみ。

 

 

 

年末からたくさんのそばを打ち、餅つきをやり、箱根駅伝を見て、明日はいよいよ甲州街道歩きに出かける。

石和温泉から勝沼へ。どんな風景が待っているのだろう。

そして、今年は自分の前途にどんな風景が開けるのだろう。

明日あたりからだんだん夜明けが速くなり始める。春が少しずつ近くなるような気がする。

ともあれ新しい年が始まった。