白樺小舎便り(しらかばごやだより)

北信濃の田舎暮らしの日々

春の予感

2021年02月19日 21時02分51秒 | 日記
この2日ほど、寒気がやって来て雪が降った。あたりが白くなった。
強い日差しの中で瞬く間に融けてしまった。
久しぶりに千曲川の堤防にランニングに行った。
正面に中野市の名山、高社山が見える。この山を見ながら自転車で高校に通ったのは半世紀以上も前のことだ。
思えば、ずいぶんと長く生きてきたものだ。少し長く生き過ぎたのかもしれないなあ。マスク姿が日常なんて、考えもしなかった。
右側の堤防下は一昨年の水害で水位が上がり堤防を乗り越えて大災害になったところだ。少しづつ復旧が進み、元に戻ってきた。
今日はゆっくりランニングの日。走り始めてすぐに脚が痺れて感覚がなくなっていく。多分脊柱管狭窄症の症状なのだろう。歩を止め、少し休むと感覚が戻る。再び走る。
この橋まで4キロほど。この辺りまで来るとやっと足に感覚が戻ってきた。
これまでの経験から、つらい時期を通り過ぎると快調になるということが分かっている。動いて治す、動くことで治す、をモットーにしている。
だが、正直に言うと走り始めて3キロくらいまでは、今日は走り続けることなんてできるのだろうか、というような状態だった。
走るのはほとんど車が走らない裏通りで、正面に高社山、右に千曲川、左に飯山線というこの上ないロケーション。ガツガツ走らなければいいと腹を決めれば、走るにはこの上ない環境だ。
立ヶ花駅のおいこっと。
tokyo-東京の対極にあるド田舎を走る列車ゆえ、反対から読んでoykot-おいこっと。毎回この列車が走るわけではない。1日に何回か走るだけだ。だから、この列車を見れると幸せな気持ちになれる。
列車が通り過ぎてしまえば、だれもいない無人駅だが、明かりい日差しのせいで少しも侘しさを感じさせない。

次の駅、上今井。トランクを持って寅さんが立っていそうな駅だ。

この風景を独り占め。

春になれば、この岸辺は桜並木。何度も走りに来てしまう。

替佐の駅。時には駅員がいることもある。
すぐ近くにグランメールという洋食屋がある。ここはオムライスで有名なところだ。今度自転車で来た時にでも立ち寄ろう。

帰路、ゴールの小布施橋まであと3キロと少しのところにある千手観音。水害の時に、ここからさらに2メートルくらい水位が上がった。
右側の新しい碑にその水害のことが記されている。

堤防に戻り、右側に飯綱山を見る。
この山も高校生の僕が朝な夕なに眺めながら通学した。

妙高山も名前の通り、くっきりと天に頭をもたげている。
ゴールも近い。

25.5キロ。3時間8分。7分22秒/キロ。
これが今日の結果。

ハーフマラソンの予想タイムが昨日より1分20秒ほど早くなった。

コロナ太りで困っている人も多いらしい。こんな天気の良い日、ランニングでなくても、自転車、散歩、何でもいい、体を動かすことをお勧めする。
その後とても気分が良くなること請け合いだ。
ちなみに僕は最低1日1万歩以上を歩くことに決めている。雨の日も風の日もそれは変わらない。定職を持たない身にはそれほど大変なことではない。

オリンピックの組織委員会のトップが変わった。
人生のすべてをかけてオリンピックを目指してきたというアスリートの気持ちも分からなくはない。
過去、戦争で開催されなかったこともある。開催されてもボイコットで参加できなかったこともある。個人のアスリートの気持ちなど踏みにじられて来た歴史がある。
今は人類が新型コロナと戦っている最中だ。十分な収束も見通せない中、開催を強行するのはやはり無理がある。
メンツや体面を捨てて、科学的に問題と向き合うべきだと思う。
中止、延期の結論は早く出したほうがアスリートにとっても良いのだと思う。
オリンピックだけがすべてではないと僕は思っている。





自分の感受性くらい   蕎麦の会2月例会

2021年02月14日 22時06分19秒 | 日記
自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ

自分に向けた言葉なのだろうか、自分でもよくわからない。
なぜかこんな言葉がふと浮かんできた。
茨木のり子さんの『自分の感受性くらい』の一節。

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて 

痛い。
東京オリンピック狂想曲と新型コロナ騒ぎの中で、気持ちに潤いがなくなって来つつある。
そんな中での二月の蕎麦の会例会。
今回は新しい女性の参加者が1名。
なんと半世紀以上前の小中学校の同級生。
小学校の同級生だというのは覚えていたが、中学校でも同級生だったと、卒業写真を見て確認したと彼女は言う。
もう昔のことだとは言え、覚えている人は何人もいる。
ということは、お互いにさほどの関心を持ってはいなかったのだろう。意中の人は別にいたのだ。まあいい、昔のことだ。


初めてにしては手つきが良い。

蕎麦打ち台はアカシアの集成材を買ってきて自作。

この蕎麦打ち台は蕎麦打ちを始めた時にセットで購入したもの。

まな板と駒板も自作。包丁の扱い方が上手い。さすが主婦。

麺棒も米ヒバで自作。手が荒れているというので手袋着用。

初めての参加者がいるので、自宅で打って持参した蕎麦を茹でる実演。
一人半人前ずつ試食。
こんなにコシがある蕎麦、初めて。香りもすごい。
好評でよかった。

  

この蕎麦粉は妙高の農産物直売所トマトで購入したもの。
小出農場のもので、1キロ1,200円。
店頭で蕎麦粉を見てひとめぼれ。
打ってみていい蕎麦粉だと自分の感受性が告げる。
食べてみてさらにそのおいしさに好感度アップ。

今は加水率が表示されている蕎麦粉を教材に使っているが、時には旅先で蕎麦粉の目利きをして購入し、自分の感受性で加水率を特定し蕎麦を打つこともとてもいい刺激になる。
参加者も自分の感受性で加水率を見極め打てるようになって欲しいものだ。












節分メニュー

2021年02月02日 19時34分17秒 | 日記
雨で明けた朝、今日は節分。
隠れ家のストーブに火を入れ、ダッチオーブンでジャガイモと白菜の煮物を作る。

小さなダッチオーブンだが、ふたが重いので圧力鍋のような働きがある。
美味しい温野菜が摂れるのでありがたい。
暖かくなった小屋で蕎麦打ち。


節分といえば豆撒き。豆は昨年栽培した落花生。家中に鬼は外と豆を撒き、外には福は内と豆を撒く。
恵方巻はかみさんの手作り。
とろろ汁も外せない。
玄米ご飯に蕎麦を添えて、節分メニューの出来上がり。

とろろご飯にとろろそば。コタエられない。

もうすぐ春が来る。(暦の上では)
この地で本当の春を感じるのはフキノトウが顔を出した時だ。
頻繁に見回っているが、雪は消えたけれどまだ見つからない。
通常三月半ば頃だろうか。
二月は光の春。晴れた日にはきらめくような太陽が青い空にある。風は冷たいけれど、その中に希望が宿っているように感じられる。暑さも寒さもともに含んでたゆたいながら春へと向かっていくこの季節が好きだ。
自然界は多様性が奪われたときに衰退し、滅んでいく。
人間社会もまた同じ。と要請が否定される社会が長く続くはずがない。人類が到達した最高地点からの後退は見過ごせない。特に何ができるというわけではないが、民衆を弾圧する政府などくたばっちまえ。ミャンマーよ、ロシアよ、中国よ、君らは回れ右して後ろへ歩き出すのか。これくらいのことは書かせてもらおう。

多様性が否定される社会が