勝手にしあわせになってるかも 〜旧、明日はもっとしあわせにするぞ〜!〜

今日はマヤ暦的にはどんなエネルギー?
日々の暮らしの気づきとともに綴るマリマヤ便り

〈マヤ暦 K207〉 信じるということ“ルルドの奇跡”

2017-12-16 06:06:17 | 不思議な話
最近、楽しんでいるエンジェルナンバー。
昨日のブログ閲覧数111

111が表すものは………
エネルギーの通り道が開きました。
あなたの思考はすばやく現実のものとなります。
この時期は、思考を賢く選んでください。
必ず思考が願望と確実に一致したものであるようにしてください。
そして恐れには一切エネルギーを使わないように。
そうしないと、恐れさえも現実のものとなってしまいます。
積極的にポジティブな思考を選択しましょう。

このエンジェルナンバーは、
落ち込んだ気持ちを持ち上げたいときに、
すごく役に立つ。

当たるの?
と聞かれるが、それに対しては、
このサイトの方がこう答えている。

『当たるんですか?迷信ではないんですか?』
という質問についてですが、
信じる人にとっては真になり、
信じない人にとっては偽になるというのが
正解かと思います。

信じるという気持ちは、
本当に強いパワーを持っている。

娘は疑いなく信じる「白い魔法使い」なのだが、
小学生の時、指にイボができたことがあった。
そのイボを取るために、
ある病院では、液体窒素で焼いていたのだが、
その痛さが半端ないらしく、
病院のトイレに隠れて、
出て来なかったことがあったくらいだ。
(ああ、この時も、都合が悪いと、隠れてたんだった。)
結局、その病院は、やめて他の皮膚科に行ったら、
全く違う治療法で、
無理やり焼ききるのではなく、
薬でウイルスを表面に集めて取る??
という気長に治療する方法に変えた。

それは、痛くないからいいのだが、
イボは大きくなる一方だった。
そんなときに、フランスのルルドに行く機会があった。
ルルドの奇跡の泉の前で、娘に
「ルルドのお水ってすごいんだよ。
奇跡が起きるんだって。
病気の人もたくさん来てるでしょ。
病気や怪我が治るんだって。」
という話をした。
すると娘は目をキラキラ輝かせて、
「じゃあ、私のこのイボも治るよね。」
っていうから、
「治る、治る」
って言ったが、本気でそう思っていたかといえば、
ごめんなさい……って、ところだ。

何でも信じる娘は
「イボが治りますように」
って必死で祈りながら、水をかけていた。
もう、数ヶ月もこのイボに苦しんで来たから、
必死の思いだったに違いない。

ルルドの泉には、
そんな思いで訪れている人がたくさんいる。

そう言えば、結婚してすぐの頃、
主人と二人でオーストラリアに行ったときに
出会ったフランス人の男性と
ルルドの話をしたことがあった。
彼はクリスチャンだったが、
ルルドの奇跡について信じられないと言っていた。
「治る人と治らない人がいるなんて、おかしい。
神様が差別をするはずがない。」
という意見だった。
なるほど……と妙に納得した。

その夜は、ルルドの街で1泊した。
夜に行われた盛大なミサは、
とても素晴らしかったが、
観光客気分で来ている自分が
何となく場違いな気がした。

翌朝、娘がびっくりして飛び起きた。
「イボが、とれた!!」
本当にイボがきれいにとれていた。
病院の先生が
「いつかぽろっととれますよ。」
とは言っていたが、
まさかこのタイミングで取れるとは
思ってもみなかった。

信じる力って、すごい!!と思った瞬間だった。

今、もし、あのフランス人の彼に会ったら、
こう自信を持って言える。
「神様が差別しているのではなくて、
受け取る人がどれだけ心から信じられるか
その違いがあるだけ。」

それは、ルルドの奇跡だけでなく、
何事においてもそうなんじゃないかな。

マヤ暦でも前世療法でも数秘でもタロットでも
エンジェルナンバーでも、
自分が信じたいことを信じる……
そのパワーが大きな力を発揮するのだろう。

今、娘はある奇跡を信じて、挑戦している。

私は、あの時と同じように
自分は半信半疑だけれど、
娘の信じる気持ちは尊重したいと思う。
そして、できれば娘の信じたことが、
本当であれば……と願っている。
ここが、私のウィークポイント……
絶対そうだと言い切れない弱さ。
でも、これが私なんだと認めることにした。

今年のクリスマスには奇跡が起きるという。
楽しみにしておこう。

☘️ 12月16日(土)☘️
K207 青い手・黄色い戦士・音12

献身的に尽くし、チャンスを掴む「青い手」
ピンチを救うことの大切さを教える「黄色い戦士」
相談に乗り、人を安心・安定させる「音12」

自分の関わる範囲を増やす日。
多少、でしゃばりと思われても、
協力を申し出てみよう。
その見返りは、どれだけ自分がやり切れたか
その満足感の中にある。