
この仕事をしていてつくづく思うのは、自分の心身のコンディションによって、ケアの内容が違ってくることがあるということです。
そんなことは、どの仕事でも同じようにいえることかもしれません。
が、しかし。
終末期の患者さんとのいろんな場面での時間の共有は、二度と取り戻せないものです。「あの時、ああすればよかった、こうすればよかった。」という後悔の念を持たなくて済むように、できることはできる時にやりたいものです。
そんなことはわかっているはずなのに。
時に、自分の心身に余裕がなくなると、患者さんのケアにうまく結果がでているようであっても、そのプロセスは「雑」であったりします。
また、思うように結果が出ないときには、疲労が増してしまうときがあります。
疲労している時に限って、患者さんの要望に応えようと、その要望が理不尽なものであってもとにかく受け止めようと努力するのですが、「振り回されている」という感覚しか持てないことがあります。
普段から、スタッフには、「振り回されている」という状況は、現状をきちんと分析できていれば、それは「気持ちの揺れに寄り添う」ということなので、自分達のケアに自信を持ってください、と話しているくせに。

うまくケアすることも必要。だけど、なかなか結果が見えないことも多い。自分の提供するケアは、患者さんを尊重しているつもりであっても、患者さんにとってはそうでないことが多々ある。患者さんのケアには、その人らしさを尊重しようとすると、「正解・不正解」というのは、はっきりいって、ないに等しいことが多いと思います。
樹海に放り込まれたような感覚に悩まされることもしばしばですが、とにかく、続けること、そこそこの根気を持ち続けることがとても大切だと思います。
いかに、自分の心身に休眠と肥やしをやれるか…。
これ、私の課題です。

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