緩和ケアで行こう

へなちょこ緩和ケアナース?!のネガティブ傾向な日記です。

金魚の赤ちゃん

2011-03-26 21:29:35 | 緩和ケア病棟

病棟で飼っていた金魚ちゃんが、卵を産んで、3/24に誕生ラッシュを迎えましたっ!


その数、いったい、いくら??
これから、どうするかというところですが、とりあえず。

親である金魚たちとは別の水槽に移し、稚魚はたくさん酸素がいるということなので、「ぶくぶく」を水槽に設置して見守ることになりました。

患者さんの面会に来てくださるご家族や患者さんが、水槽を覗き込む姿を多々見かけるようになりました。


この金魚を、飼うことになったきっかけは、後日にお伝えすることとして。


いったい、何匹いるの????というくらいの稚魚をかかえて、どう飼育したらいいのか、ネットで調べつつやっている状態です。


何匹がちゃんとした「大人金魚」になるかはわかりませんけど、できるだけ赤ちゃん金魚ちゃんが快適に暮らせるようにやってみるつもりです。



あ。

仕事をさぼってやっているわけではありませんからね…。

こういう「命の誕生」やら、「生き物との触れ合い」やら、「誕生を喜ぶ」やら、「成長を見守る」やら、人として普段に感じる感覚を、病棟でも患者さんやご家族に感じていただくこと。
これは、単なるパフォーマンスとか、偶然というよりも、生活とはかけ離れた「病院」という環境に置かれた患者さん、そしてご家族には、かえって病院らしくないというところでは、大切だと思っています。


患者さんの病状を不安に思っているご家族が、水槽を必死に腰をかがめて覗き込んで、稚魚を眺めている姿が病棟にあるって、なんだかいい感じ



自分の癒しにもなってます

かつての「ある日」の記録

2011-03-22 01:34:30 | 日々の「ケア」

 今日は、どうか平穏に勤務が終わりますように…。

 日勤(朝から夕方までの勤務)からの申し送りが始まります。日勤も手一杯というくらい忙しくて、それぞれの担当から順序よく申し送りが始まりません。
 私は夕方から消灯あたりの時間までの勤務です。

 外来時間はもうとっくに終わっているけれど、入院患者さんの外来受診の時間が時間外にずれ込むことはよくあることです。
 「あ、患者さんのお迎えを呼ばれた…。」 
 入院患者さんには自分で歩けない患者さんがとても多いです。だから、病棟から外来までの道のりを往復するのって、夜勤帯の人数が少なくなる時にこなすのって、ちょっと大変。

 そろそろ食事の時間。食事の準備を整えつつ、夕方の点滴を配って歩く。それと同時に、糖尿病の患者さんの食前の血糖測定をする。8人分。そしてそれと同時に、自分の担当の患者さんの部屋をのぞく。
 部屋を回りながら、自分ひとりでは食事をできない患者さんをいつものように、ナースステーションにお連れする。患者さんをベッドから車椅子へ移動してもらう。患者さんはまったく動けません。すべて介助。
 ナースコールはその間、鳴り続けています。
 低血糖の影響で認知障害のある患者さんが輸液ポンプ(点滴を落としてくれる器械)がつけてあるのをお構いなしにトイレに行こうとする。消化吸収障害のために、下痢が止まらない患者さんです。トイレに着いたときにはおむつは既に汚れていて…。
 とにかく、トイレで用を足してもらう。
 「ああ、業務はなかなか前に進まないな。」
 食事のために、認知症のある患者さんをナースステーションにお連れする。4名。
 食事を乗せたワゴンが運ばれてきた。
 食事を運ばなくてはならない時間に、ある患者さんの緊急手術が決まった。
 「一人は手術の手続きに取られるから、自分のチームの患者さんは(病棟は2つのチームにわけて患者さんをケアしています。)私一人がやりくりしないといけない…。」

 食事を配るのには少々、時間がかかります。配っている間に食事を終えてしまう患者さんもいます。
 ナースステーションで食事を介助しながら、他の患者さんのところへ…。
 人工呼吸器のついている患者さんの体位変換(体の向きを変える)をしないと…、痰をとってあげないと…。
 食後の薬を配っている間に、食事を終えた患者さんがお膳を下げて欲しいとコールの嵐。
 ナースステーションでは食べ終えた患者さんが「もう帰る!」と立ち上がっている。しっかりと歩けない患者さんが一人で立ち上がって歩こうとすると、転倒してけがをする危険性が高い。だから、一人で歩いて部屋に帰ってもらうわけにはいかない。何とかなだめて居てもらう。
 数人の患者さんの内服のお手伝い、歯磨きのお手伝いをする。
 ナースステーションに帰るたびに患者さんの口に少しずつご飯を運びつつ。その横で「もう帰る」と患者さんが耐え切れず、だだをこねるようになってきた。
 とりあえず、帰って貰う…。
 
 緊急手術の予定が決まり、搬送のお手伝い。患者さんの家族が壁に頭をもたせかけるように、落ち込んでいらっしゃる。
 「大丈夫ですか」
 これくらいしか声をかけれない。またナースステーションに戻って患者さんの口に食事を入れる。
 先ほど部屋に帰って貰った患者さんがトイレに頻繁に通う…。すべて付き添わなくてはならない。お尻が半分みえたままズボンをずらして部屋に向かって歩いている。
 トイレが終わったらボタンを押して呼んでください、とお願いしても、それができない患者さんには何度もこれをお願いすると「わからない!」と怒ってしまわれる。
 とにかく、付いて歩く。

 食事を終えた認知症の患者さんを自室に一人にしておくのはベッドから勝手に降りて危険なのでナースステーションにお連れする。
 「(部屋に)帰らせてくれ!」と患者さんが車椅子でもがきだす。
 「もう少し待ってね、ここでいてもらえないかな??」となだめつつ、食事に1時間はかかる患者さんの口に食事をまた一口運ぶ。
  
 緊急手術の患者さんを手術室に搬送し終えた後、内線電話が鳴る。
 「直入(緊急入院)、お願いします。」

 「なんでこんな大変な時に自分の病棟に緊急を入れるの?他に病棟はなかったの?」ついつい、こころでぼやく。
 すべての患者さんに食事の介助をできていない状況で緊急入院は受け入れられない。15分は待ってもらうことにした。

 勤務を始めて3時間あまり。
 私は悲鳴を上げていました。その後、勤務終了まで、次の勤務者が来るまで何とか持ちこたえなきゃ…、と思いつつ…。
 
 何とか、勤務を終えた後、へとへとでした。

 へとへとなのは、体だけ?
 そうだ、と答えられない自分がいました。

 私だけ?
 私だけ?


 
**************************************************

 かつて、私はこんな勤務をこなしていました。
 そう思うと、今の環境で仕事できること自体が、とてもありがたいことに思えて仕方なくなってきました。

 自分自身や自分が目指すところ、大切にしないといけないことなどなど、振り返ることはたくさんあります。
 
 まだ、時間はある。
 そう言っていていいのだろうか。
 
 そうやって毎日が同じように過ぎ去っていき、結局、以前と変わらない…。
 それじゃ、成長もなければ、結局、面白味すらなくなる気がしてきました。

 何を言いたいのでしょうかね…。
 そろそろ寝ます。
 

嗚呼。

2011-03-21 02:10:18 | 触れ合ってくださる人々

 このところ、自分の所属する病棟では、もう、言葉には言い表せないくらいの「大変だー」な?出来事が頻繁に起こっています。
 
 残念なことに、その原因は、スタッフ間のコミュニケーション不足。

 
 治療やケアの方針は、通常、カンファレンスというフォーマルな場でいろいろ話し合われるのですが、今の病棟の状態はカンファレンス以外のインフォーマルな場でひそひそと話し合われ、愚痴の交し合い、誰かのせいにして、お互いが自分のことを振り返ることができていない状況です。

 そんな状況で、ここ数か月、離職者も数人ありました。
 とても残念なことです。


 今の病棟の状態は、正直にいうと、「ぐっちゃぐっちゃ」。
 

 もちろん、批判の対象には、ポンも含まれていました。
 
 私は、看護部と言って看護師の元締めの部署に属しながらも緩和ケア病棟で活動していたので、スタッフからは「どうして、部署のスタッフでもない人から采配を受けないといけないのか…。」という批判を受けました。
 看護部長からは、そのあたりの権限はいただいていたのですが、スタッフには届かなかったようです。
 「感情」が、そう思わせたのだろうと思えました。

 
 そして。


 紆余曲折を経て、私は、緩和ケア病棟のスタッフを「部下」とすることを拝命いたしました。 


 本来、私の活動は一つの部署にとどまって行うというよりも、対象となる患者さんやその患者さんがいる部署を対象に幅広く活動を行えれば理想と思っていましたが、今の状況では致し方ないことです。

 
 看護部長も断腸の思いで私のポジションを考えたということは、いやというほど、認識しています。
 
 

 半ば、もう、自分のスペシャリストとしての立場を捨てて、普通のスタッフとして、担当する患者さんのケアのエネルギーを注ぐことをよしとしてもいいのではないかと思う自分もいました。
 今も、それは変わりありません。
 
 かつて、別のサイトで自分のブログをやっていたのですが(今は全く更新していません)、それを、今日、あらためて読み返してみました。
 

 ああ。
 あの時、私はとても苦しんでいた…。
 ああ。
 あの時、あの患者さんとの出会いは、今の私の礎になってるんだな…。


 いろいろな思いがぶわーーーと溢れてきました。


 こんな、自分としてはとても混沌とした環境に放り込まれたような思いに苛まれる今。


 ぽっきり折れそうな自分を支えているものは何か?とあらためて考えてしまいます。

 


 それは、やはり、緩和ケアをやることのつらさと苦しみと、それがやりがいになり、他者と自分との向き合いを続けながら、これといった答えはないからこそ、ずっと自分の行ってきたケアを振り返り続けることが大切だと教えてもらった「緩和ケア仲間」の存在かもしれない…。
 もちろん、つらさ、苦しみ、やりがいを感じるには、患者さんや家族がいないとありえないことなので、患者さんや家族さんとの出会いにも感謝をしてもしきれないくらいの気持ちでいます。

 
 
 今の苦しみが、無駄ではないと信じたい。
 でも、苦しみの類を感じるのはどこの職場でも同じとしても、今の職場で感じる必要はないのではないか?と思えるくらいの理不尽さにも苛まれながら…。


 私は現状を少しでも前向きにするために…。
 大げさな言い方ですが。
 この部署を「変える」ために。


 へなちょこですが、本分である「チェンジエージェント」にならなければ、と思っています。

 

心が軋む

2011-03-15 05:13:58 | 日々

 先週末から、テレビの前から離れられなくなり、ネットでは震災関連の情報をいやというほど、読みました。
 津波に飲み込まれる街の映像をみていると、こちらまで息苦しくなるくらいです。
 
 
 
 今日、仕事から帰ってきて、テレビをふとみると、小学生くらいの女の子がインタビューを受けてました。

 確か、
 「帰るところがあることがどれだけ幸せなことか…、家族がいることがどれだけ幸せなことか…。」

 そんなことを話していたと思います。





 いやいや、そんな感謝の気持ちを持たなければならないのは、私たちのほうだ…。

 
 生きていることに感謝しないといけない…。




 
 普通に生活できていることを申し訳なくも思いつつも、自分にできることは何か?ということを考えずにはいられません。

 
 被災地に飛んでいきたいと思っている医療者はきっと多いことでしょう。
 何か、手助けになることをしたいと思っている人も多いことでしょう。

 もどかしくて、マスコミの報道や関係者のあり方に憤りを感じるのも仕方のないことかもしれません。


 
 自分にできることは、被災地の方々に、直接的なお手伝いをすることだけではないと思っています。

 
 考えてみると、自分にできることは結構あるのではないかと思います。


 亡くなられた方の冥福を祈ること、一人でも多くの人が助かることを祈ること。
 何より、日々の生活が「在る」ことを感謝すること。
 
 これも、自分にできること、だと思っています。

 

快適だー

2011-03-06 23:23:31 | offの日

 パソコンが、とうとう!
 Cドライブが満タンになり、最適化やウイルス定義の更新ができなくなり、買い替えることになってしまいました。

 もう、10年近くも経ったパソコンは救いようがないようで…。


 今は、快適に作業してます。
 いやー、今のパソコンはすごいねー。

 機能を使いこなせないのはいつものことながら、これからもっと、パソコンの機能を楽しめるかしら…、と、わくわくしているのでありました。



 ああ。
 出費が痛いのだけどねぇ。
 

お誕生日には間に合わなかったけど・・・

2011-03-05 04:39:06 | 患者さん

 「あと、3日、待ってほしい…、いててほしい…。」

 一般病棟でお手伝いをさせてもらっていた、藪下さん(仮称)の病状はどんどん進行して、うとうとする時間がとても長くなっていました。「しんどい、しんどい・・・」、そういい続けていた時間から幾分、解放されるようにはなってきたものの、あと、何日生きていてもらえるのだろう、そんな時期になっていました。

 奥さんに病状をお伝えするとともに、いろいろとお話をしました。
 
 「あと、3日したら、誕生日なんやけど…。いててくれたらええけど、私はあかんかもと思います。もう、覚悟できてます…。」という奥さん。
 私はそれを聞きつつも、「私はいててもらいたいから、お祈りするわ…。」とお伝えして…。

 その日の日勤の夜、早速、病棟にあった色紙でバースデーカードを描きました。
 
 バースデーカードを作ったのは、誕生日にいててもらいたい…、そんな願いを込めて。21時に仕上がったカードをもって、一般病棟に駆け上がっていって、スタッフにメッセージを書いてほしいとお願いしました。



 その翌日。
 藪下さんは旅立ちました。


 なんだか一回りくらい小さく見える奥さん。
 号泣する娘さん。
 ありがとう…と涙を流しながらお礼をいっているお孫さん。

 みんなに囲まれて、藪下さんは逝きました。


 看取りにはなんとか私は間に合ったものの、お見送りの時には、どうにもこうにも業務が忙しくて、立ち会うことができませんでした。
 しかも、バースデーカードも渡せてないまま…。


 短い間だったのですが、藪下さん自身の生き方に、ご家族も、私たちも支えられていたような気がしています。

 ちゃんとお礼も言いたかったし、お祝いもしたかったし・・・、なので、悔やまれました。


 
 「間に合わんかってん。カードも渡せんかったし、見送りにも間に合わんし…。」
 そう緩和ケア医に呟いていたところ…。
 
 「そりゃー、そこまで心を込めてカードを作ったんやったら、どうにか届けんとー。」と言ってもらい…。


 バースデーカードを、誕生日である今日、燃やして思いを届けることにしました。


 さてはて。


 日が落ちて、真っ暗になった時間帯に、バケツに水を汲んで、周りに木がなくて、燃やしても安全な場所に行こうと準備してましたが…。
 ひとりで火を扱っていたら、怪しまれると思って、緩和ケアのせんせに一緒にいってもらいたいとお願いしました。
 けれど、男女の二人で火を扱っていても怪しいぞなーとのことで、その場に残っていた緩和ケア病棟のスタッフがついてきてくれることになりました。

 緩和ケアのせんせも、スタッフも、藪下さんとは面識がないのですが、快く付き添ってくれたこと、とっても嬉しかった…。


 3人で、寒さに震えながら安全な場所(駐車場でした…)に歩いていき、バースデーカードを祈りと感謝を込めて、燃やしました。
 
 寒さの中、炎のそばにいると、足元がとても暖かかったのが印象的でした。
 
 事を終えて、帰ろうとしたところ、遠くから副院長が駐車場に向かっきてました。


 「おつかれさまー。」と声をかけてくれたのですが、面子を見た副院長は、


 「なにかの、儀式ですか?」


 といい…。


 3人とも、「いえいえ」なんていいつつ、「緩和ケアのスタッフは怪しい」と思われたのではあるまいか…、と苦笑いしてました。
 「実際には、儀式やってんけどなー。」と、ぼそっと呟きつつ…。
 
 さっさと退散、退散。
 

 こんな笑い話も藪下さんとの思い出に加わり…。


 今は、お手伝いをさせていただいた藪下さんへの感謝の気持ちでいっぱいです。