緩和ケアで行こう

へなちょこ緩和ケアナース?!のネガティブ傾向な日記です。

緩和ケアが見失ってはいけないこと

2011-08-30 03:17:33 | ぼやき

 経験やエビデンスは、ケアにはとっても大切だと思います。
 
 医療者の誰でもが、緩和ケアをできるようになれるかどうかについては、医療・看護にとってその原点を問われているのではないかと思います。

 私は、緩和ケアを一人でも多くの人に伝えていこうと思うけど、その内容は緩和ケア独自とか、緩和ケアなりの高度な技という認識は持っていません。
 確かに、緩和ケアは、医療・看護において専門領域があるくらいなので、それなりの知識と経験が必要なのだと思います。

 
 緩和ケアは、何か特別なことをしようとしているわけではありません。

 緩和ケアは、医療や看護にとってごくごく根本の、大切なことを大切にすることだと思っています。
 おそらく、将来的には緩和ケアはがん患者さん以外にも行われることになるのではないでしょうか。
 なぜなら、緩和ケアはケアの考え方、アプローチの方法のことを述べているのであって、ある疾患にだけ適応させるようなものではないと思うからです。
 
 
 医療や看護において、緩和ケアの考え方、アプローチの方法を広く普及させることにおいて、疾患の特徴や薬剤の使用方法、患者さんのケアの方法などを紐解いた文献は、本屋さんにたくさん置いてあるし、ネットでも情報が得られる状況になってきました。
 これはこれで、とてもいいことだと思います。

 ただ、私が思うのは、この緩和ケアの基本やコツを知識として得て、経験するだけでは不十分ではないかということです。



 今の医療や看護、そして緩和ケアにとっては、知識や経験よりももっと大切な根本を、問いたださなくてはならないのではないかと思えて仕方ありません。


 根本。
 それは、患者さんを思う気持ち。
 「あなたのことを大切に思っています。」という気持ち。


 それがないと、いくら、緩和ケア、緩和ケアといっても骨抜きになるのではないかと思います。


 

 そのケア、本当に、心を込めることができていますか?
 ケアのひとつひとつを、患者さんやご家族のことを思いながら、大切にすることができていますか?


 終末期の患者さんだから、そうするというのはおかしな話です。
 人間はみな、平等に死を迎えます。
 だからこそ、どんな患者さんにも、そしてその方にとって大切な人にも、「あなたのことを大切に思っています」という気持ちを込めてケアは提供されるべきだと思います。


 
 「あなたのことを大切に思っています」ということを、日常のケアの中に込めることが必要なんだということを、人に伝えるのはとっても難しいと実感せざるを得ない日々。
 このことを伝えようとすると、「自分は否定されている」と感じる人がでてくるのは避けられません。
 

 緩和ケアという考え方を、日本でやろう!とされた方は、もっと、もっとすごい苦労をしながら、緩和ケアをこの国に導入してくださったのだと思います。
 (緩和ケアを志している方なら、その方のお名前は容易く想起できることですね…)
 
 

 緩和ケアは、年々、広がっています。
 緩和ケアという言葉、概念、症状マネジメント、心のケア、グリーフケア、在宅療養…などなど、その考え方は着実に広がっています。
 

 でも、その根本を失ってはいけない。
 そのことがどうしても気になる今日この頃です。



 ああ。
 だらだら書いちゃった。
 

久々のお休みだけど

2011-08-28 21:05:55 | offの日

 昨日、今日と東京に行ってきました。
 本来なら、この時間は、明日がやってくるーーっと焦る時間帯なのですが、明日は半年ぶりの有給休暇をもらったので、気分が楽ちん。
 ああ、うれしい。
 

 でもねー。
 やらないといけないことがてんこ盛り。
 

 なんせ、忙しくて、平日にしかこなせない用事がたまっていましてね…。

 そして、そして。
 看護学校の講義の時期が近付いてきているので、講義資料の見直しと、病棟の勉強会の資料を作って、研究計画書もそろそろ作らないと…。
 たまった書類の整理もしたいし。

 ああ、何より、死んだように、一日眠って、ごろごろしてみたい…。

 などなど、妄想にふけりながらも、ふと机の周りをみると、スカイツリーじゃなくて、「書類ツリー崩壊」状態になっているのでありました。

 

寄り添うコツ?

2011-08-21 16:43:18 | 日々の「ケア」

 患者さんのお世話をさせていただいていると、私たち自身が無力感を感じることがよくあります。
 
 なにせ、何かの薬剤を使用したからといって、私たちが寄り添ったからといって、患者さんの病気自体がよくなることはないのですから…。


 ああ。
 難しいな…。


 そう感じる患者さんのそばにいると、連日の勤務の疲労が重なり、「疲れるぅ~~」と感じるときもしばしば。

 お部屋に行きたくないな…。
 そんな風に感じるときもあります。

 それでも、そばにいさせていただいている、その患者さんの生きる姿にじかに触れさせていただくことが、どれだけ自分にとっての人間力(勝手に作った言葉です)につながるか…。
 そんなこんなで、やっぱり、患者さんのもとに行こうという気持ちがにょきにょきっと湧いてきます。

 
 死に様は生き様。
 生き様は死に様。

 
 終末期の患者さんに寄り添っているとそう感じることが多いものです。
 「難しい患者さん」とは、たぶん、病態のこと以上に、その方の性格、考え方、これまでの生きてきた歴史や家族関係にあるのではないかと思われます。

 
 医療者として、自分は真剣に患者さんやご家族とおつきあいをしていく所存でありますが…。
 


 これが。
 いつも真剣そのもの、直球勝負では精根尽き果ててしまうことがあります。


 最近、スタッフと一緒にケアをしていて思うことがあります。
 その、「精根尽き果てそうな」状態にある自分が、「難しい患者さん」に寄り添うときに、その状態をどう、捉えるのかということで。


 それは、そんな状況にあっても、「くすっと笑える」場面を見つけること、です。
 そのためには、一緒にくすっと笑ってもらえるスタッフがいることが大前提です。
 具体的にいうと、「おもろいなー」ってことや「かわいいとこ、あるやん」というところを見つけることです。
 思わず、目を細めちゃうような場面ってことでね…。


 どんな状況でも、探せば、状況に慣れてくると、必ずあるものです。
 ま、そのためには、患者さんをよしよししてあげたくなるような愛情を持っていることも大前提です。
 
 
 最近、とっても「難しいな」と思える患者さんがいてはりまして。
 それでも、その方の反応や言葉を発するタイミングをみていると、面白いなーと思えるところがあるんですね。

 つまり、その方が面白くしてくれているというわけではなく、どんな状況にあっても、人間の面白味というものがあるのではないかと…、勝手に考えています。
 患者さんの部屋からナースステーションに帰ってきて、「あはは」と笑っていることもよくあります。
 
 これは、決して、患者さんの尊厳を傷つけるような内容ではありません。


 あははと笑っているかと思えば、ナースコールが鳴って部屋に行き、その患者さんに寄り添いながら、鼻水を垂らして息を切らし、涙でぼろんちょになりながら患者さんのそばにいさせていただいている自分がいます。


 
 いつも直球勝負ではなく、うまく状況をやり過ごす術を持っておくことは大切ですなぁ。

 
 以前に、うちの主任に、その「難しい患者さん」に対するミッションを出しました。
 「主任。●●さんの鼻毛が気になる。今日、切ろうと思ったけど、私はできんかった。様子を見て、切っておくように!せっかくのハンサムな顔が台無しやっ。」と。
 (髭をそるにもタイミングがいるくらい、とってもしんどさが強い患者さんでね…)


 主任も「そうやねーん、気になってんねーん」とげらげら笑いながら、ミッションを快諾してくれ、先日、ミッションは終了しました。
 
 ちなみに一緒に笑っていたうちの主任も、その患者さんのそばで、汗を垂らし、鼻水垂らして涙を流して、その患者さんに寄り添っている人であります。