ゴールデンウィークは今日で終わりですね。お休みの日が過ぎていくのはあっという間です。
先日、写真展に行ってきました。
以前に緩和ケア病棟で奥さんを看取られた、花井さん(仮称、花井パパと呼ばせていただきます)から写真展のお誘いを頂いてたので、必死に時間を作っていってきました。
花井パパは、写真の撮影のプロではありませんが、写真が出来上がるまでの工程(現像など)のプロさんです。
でも、撮影の技術はプロ並み!!!ということを、今回の写真展で実感してきました。
写真の舞台は東アジアのお国。この国の写真の題材になりそうなのは、戦争、地震、貧困など、負の場面が多いそうです。
花井パパはいいます。
「僕は、そんな影の、暗い写真を撮りたくなかったんだよ。」と。
写真は、人物や風景など、30枚くらいはありましたが、確かに、どの写真をみても、人が住んでいる街の温もりや穏やかな日常が生き生きと在りました。
花井パパは7年かけて、この国に通い詰め、写真を撮り続けたそうです。
何度か訪れていると、現地の人から声をかけられるそうです。
写真には、ある幼い女の子が7年の歳月をかけて、成長している姿がありました。
花井パパからはその国の街並や文化、風習などのお話を聴きました。
何より、花井パパのお話に感動したのは、写真のすべてに、花井パパの感性に直結した意図が込めらていたことでした。
写真を撮るのに7年、写真を選ぶのに3ヶ月、写真の並びを考えるのに3ヶ月もかかったそうです。
その意図とは、写真を撮る人の意図とは思わせない直感のようなものが込められていました。
写真や絵画って、みる人なりに、さまざまなことを想像しながら楽しむのがいいんだよねぇ、なんて思っていましたが、
ここまで作者の意図を耳にすると、写真が自分に語りかけてくるような実感がありました。私のような素人なら、尚のことです。
そして、あらためて、花井パパのすごさを感じました。
ありきたりだけど、私は花井パパに、「すっごいねー」と声をかけました。
花井パパは、いいます。
「ポン、言っただろ、俺はすごいんだって。」と。
花井パパは、奥さんの介護のために、悩みぬいた結果、仕事をすべてキャンセルし、結果として仕事を失いました。かなりの規模の損失だったのではないかと思います。
でも、その時期から花井パパは言ってました。
「俺は、すごいんだから、必ず、仕事は取り戻してみせる。俺を(仕事関係の人が)放っておくはずがない。」
最初に花井パパの「俺はすごい」節を聞いたときには目を丸くしましたが、今では、「はい、その通りです。」としかいいようがないくらい、
すごいんです。
4年前になります。花井パパが奥さんを看取ったのは。
その当時、私は花井パパの奥さんこと患者さんの担当看護師をしていました。
今でも、花井さんとの思い出は、忘れられないものがあります。
奥さんを看取った後、病棟に来ていただいたときの花井パパは、少しやつれて、スタッフと話をしているとぐっと涙をこらえておられました。
その後…。
年月が過ぎるにつれ、花井パパは海外に飛び回って仕事をこなし、輝いて、それまでの花井パパ節が復活し、今まで以上に「ノリノリ」です。
花井パパは、年に一度は必ず、緩和ケア病棟に来てくださいます。
「ポンさんはいますか?」って、私の勤務に合わせてきてくださいます。
去年、花井パパに頂いた言葉は、
「ポン、目じりに皴があるよ、年とったんじゃないの?」と…
今年は、いつ、来てもらえるかな??
写真展に行ったのは、花井パパの写真を見たかったのもありますが、これも遺族ケアだわ、と思っていたからというのが大きいです。
いつもすごい花井パパですが、どんな花井パパであっても、ちらっとでも、そのお姿を見守ることが私の役割だと思っています。
いえ、影ながらそのお姿を見守らせていただきます…というほうが正しい言い方かもしれません。