緩和ケアで行こう

へなちょこ緩和ケアナース?!のネガティブ傾向な日記です。

久々の…

2008-11-30 18:34:40 | offの日

 今日は、4ヶ月ぶりに髪を切りにいきました。
 お休みは週末しかないのですが、近隣のヘアーサロンは、予約の電話を入れると、いつも「今日は無理です」とのお返事でした。
 おかげさんで、髪が今までにないくらい、「ロングヘア」になっていたので、今日こそは!という気分でした。
 ネットでヘアーサロンを調べて、「大丈夫かな?」という不安を抱えつつ、とにかく、切りたい!という思いがあったので、予約がとれたので、予約時間にお店に向かいました。

 初のヘアーサロンだったので、最初はお互いのコミュニケーションをとることから始まります。

 このヘアーサロンの店主さんは結構、トークが「関西のノリ」の方だったので、げらげら笑いながら、カットしていただく時間を過ごす事ができました。
 仕上がりもOK(普段から、あまりチャレンジがいらない髪型だからねー)。


 で。
 今回、お伝えしたかったのは。
 その店主さんとお話をしていた時のこと。
 私はお店に入ったのっけから「自己開示」をいたしまして、自分が看護師であることを伝えました。
 だってですね、仕事をするときに、どんな髪型をするかってね、大切なんですよ。見た目ではなく、患者さんのケアのために、患者さんやご家族からどうみられるかということのために。

 私の自己開示は結構、踏み込んだものでした。
 「私は、緩和ケア病棟で勤務しています。」とお話しました。
 (実際にはそれだけじゃないけど。)

 一般の方には、緩和ケア病棟というものは、聞きなれない名称ですね。
 その店主さんは言いました。
 
 「かんおけ病棟?」

 …悶絶…。
 洒落ならん。

 
 そうか、そうか。聞き間違えるくらい、聞き間違えても、知っている言葉を想起して、考え直すほどには普及されていない言葉なのだ、緩和ケア病棟は。
 でも、ちょっと、かなちい…。

 初トライのヘアーサロンでしたが、また、行こうと思っております。
 大切なのは、このことだぁ!!!

 

涙が止まらない

2008-11-26 21:21:54 | 日々の「ケア」

 実は、看護師をしていて、自分がかかわった患者さんすべてが記憶に残っているかというと、(何らかの形で想起できない限り)そうではありません。

 が。
 忘れられない患者さんというのは、必ず、ずっとずっと、自分の心に留まっているものだと思います。

 おそらく、この患者さんは、私の心にずっとずっと留まり続けるだろうな、と思われる患者さんが、今日、亡くなられました。
 今が働き盛りというお年の方でした。

 今日の朝、出勤をして、助手さんから矢継ぎ早にこの患者さんの死を知らされて、すぐにお部屋に向かいました。
 部屋には、これまで何度お話をさせていただいたかというご家族がいらっしゃいました。
 とにかく、患者さんは、よくがんばられたということを伝えつつ、私は涙が止まりませんでした。
 患者さんが横たわっている布団に、たくさん、たくさん、自分の涙が「ぼとっ!」と音を立てて落ちていきました。


 私の涙の理由。
 それは、その患者さんが亡くなられたからということだけではありませんでした。
 そのことは、ご家族が知る由もなく…。

 私の涙の理由は、自分の不甲斐なさと、患者さんへの申し訳なさと、そして考えると止め処もなく押し寄せてくる、患者さんとのやりとりの記憶と…、でした。

 
 ある理由があって、私は何度もこの患者さんの部屋へ行くことを止めようと思いました。この患者さんの部屋へ行こうとすると、とてつもなく体が重くなって、足が向かない日も多々ありました。
 患者さんの日々の情報を聞くと、心が「ぎりぎり」と痛んで、その場にいる自分を消したくなる時もありました。

 しかし。なぜか、私の心の重たさとは裏腹に、私は患者さんの部屋に行く機会が与えられていました。
 私は、もう、この患者さんのケアに携わらないほうがいい、そう思えることがありました。しかし、それにもかかわらず、患者さんが「ポンさんに会いたい」と言ってくださり、私をお部屋に引き寄せてくれた、患者さんの気持ちがありました。
 これは、何か、私がどうともすることができないところで、自分の不甲斐なさを抱えつつも、この仕事を続けていきなさい、というどこからともなく聞こえてくる声のようでもありました。

 
 実は、この患者さんの介入のことで、どうしても自分の心がうまく保てなくて、しばらく、体を休めていた期間がありました。
 
 この患者さんがくれたメッセージって、本当のところは何なんだろう?
 まだ、十分にわかっていない気がします。

 思い出すと、涙が止まりません。
 
 この患者さんに贈る言葉…。
 大好きだったうどんを腹いっぱい食べてね。そして、本当に、ありがとう!

 
 

医師と協働できればいいのだけれど

2008-11-24 02:22:44 | 日々の「ケア」
 
 私は、病院の中で自由に行き来して、患者さんのケアをすることができる立場にあります。

 それは、病院が私の資格というものを信頼して、今の役割を与えてくれているものであります。
 
 しかし。
 その道のりはかなり、険しいものがあります。

 私と同じような道を先に進んでいる方々は、もっと険しい道のりを歩んでこらています。まず、自分の役割を、この医療の世界で「存在として」認めてもらえるような土台を作っていただいたことを感謝せねば、と思います。

 ただ、資格を取れば、それで「All right.」というわけではなく、現実の「自分の病院」=「現状」は茨の道です。

 特に、私の病院では、緩和ケアの概念自体が浸透していません。緩和ケア医の力を借りたり、自分でも緩和ケアというものがどういうものなのかを自施設で伝えてきたつもりですが、ちょっとやそっとでは変わりません。
 医師たちは、忙しすぎます。
 だから、呼び止めて、患者さんの治療方針などなどを話し合うのが心苦しく思えるときも多々あります。

 が。
 今まで一般病棟の医師をお相手に患者さんのケアをしてきましたが、時間があったら、この医師たちが自分と話し合いの時間をもち、いかに患者さんのケアを充実することができるのかということを考えられるのか、ということに疑問を持ち始めました。

 要するに、ベテラン先生たちには「緩和ケア」の概念がない、ということを言いたかったのです。
 ベテラン先生を批判しているのではありません。
 そのような教育を受けてくることなく、日々の医療に追われている医師を責めることはできません。

 ただ。

 がん患者さんのケアを充実させようとすると、看護師と協働すれば、それでいいというわけではないのです。
 医師の協力が必要なのです。

 でも。
 頻繁に…。
  
 「先生、この患者さんの痛みのことなんですけど。」と医師に、私が話しかけると、

 医師は言います、「ないない、この患者さんに、がんの痛みは、ない、ない。」といって、話すらできないことがあります。

 患者さん側からすれば、できるだけ、苦痛は取り除いてもらいたいと思って、入院で療養されているわけで…。

 正直に言って、何度も何度も「患者さんの苦痛を取り除けるよう、○○の指示をください。」とお願いしても、シカトに近い医師の態度を見ると、がっくり来る時があります。
 
 けれど、医師を責めるばかりでは、おそらく、前には進みません。
 その医師と患者さんのかかわりの回数を重ねていく中で、ひとつでも成果を見つけ、ひとつでもその医師の貢献を見つけ、病棟スタッフに、担当医に、フィードバックして、患者さんとのかかわりを続けないと、と思っています。


 それにしても。
 なんてストレスフル

 いつかは、聞き分けのない医師に、「ぶち!」っと、キレたろか!!!と思っているポンなのでした。
 

 

ああ、研究

2008-11-10 00:38:53 | 日々

 この時期は、大学の教員や大学院生からの研究参加のお願いが多くなります。
 結構な頻度で調査用紙に記入しているスタッフからは、「またー???」と『うんざりだー』メッセージが飛び交っています。

 かつて、研究をやっていた頃の自分のことを省みると、研究に参加していただけると、とてもありがたく思っていました。ですから、しぶしぶなスタッフに、「書いてもらえたら、研究者はとっても助かると思うよー」と声をかけています。

 この時期だから、仕方がないかもしれないし、調査用紙の内容によっては、うんざりになるのは仕方ないかもしれない。
 
 が。

 もう一度、研究をやっていた頃の自分を省みないと…。
 研究の参加は「自由意思」。
 どんな理由でうんざりするかはさておき、こんな調査には協力できない!と思うスタッフの気持ちも尊重して、いやなら書かなくていいよ、とも声をかけてあげないといけないなーと思う今日この頃です。

 ああ。私も研究をやらなくちゃ。
 計画書は遅々として進まず。ちちちちちちち遅々…(意味不明)。
 

手切れ金?

2008-11-03 23:33:25 | ぼやき

 今日のお話は、そう胸を張ってお話できることではありません…。

 実は、先日、某雑誌編集者から電話がありました。
 「あのー、投稿いただいた論文はどうなりましたでしょうか…。」

 きたーっ。
 正直に言って、すっかり忘れてた。もう、去年の話。

 実は、自分の研究を投稿しようと思って、雑誌に論文を送ったのでありました。しかし…。査読者からのご意見を参考にして修正しようとすると、とてつもなく時間がかかることと、根気が「ぷつっ」っと切れていたので、放置していたのでありました。

 電話の内容を聞いた途端、変な汗が全身に流れて、体中があつーくなりました。
 これは、私の罪悪感からくる緊張ゆえの反応でした。

 そして、数日後に、査読料の請求が送られてきました。
 勿論、すぐにお支払いさせていただきましたが、痛い痛い出費でした。
 
 うちのドクターからは、「手切れ金か?」とまで言われ…。とほほ…。

 今回の失態は私に原因があり、査読料は痛い出費でしたが、査読いただいた方への感謝の気持ちと当然のコストと考えます。
 
 こんないい加減な私…。

 後日、編集者経由で査読者の方にお詫び状を送ることにしたいと思います…。