緩和ケアで行こう

へなちょこ緩和ケアナース?!のネガティブ傾向な日記です。

個展へ

2007-11-27 17:46:09 | 患者さん
 
 増山さん(仮称)が当緩和ケア病棟に入院して、3ヶ月が経とうとしております。
 先日、増山さんの娘さんの個展に行ってまいりました。

 増山さんのお部屋に、あるポストカードが貼ってあったのをみかけたのがきっかけでした。
 娘さんは、大学院で写真を専門にしていらっしゃるので、修了のために個展を開くとのことでした。

 写真好きのポンとしましては、「ぜーーーったい、見に行きたい!」という気持ちに駆られました。

 友人のお部屋をポラロイドカメラで撮った写真には、部屋の住人のコメントが書いてありました。
 雑誌などに出てきそうな、とてもきれいなお部屋、というよりは、生活感の溢れる、日常がそのまま残っているようなお部屋が写真に写っていました。
 
 増山さんのご主人さんは、「あんなくだらん写真!」と話しておられましたが、私にはとても刺激的でした。
 すごく素敵なシーンを選ばなくても、被写体が日常の中で、すぐそばで溢れているんだと思えただけで、とてもわくわくしました
 あーーー、あたしって、やっぱり写真が好きだわ、とあらためて感じました。

 できれば、ご家族は増山さんとともに見に行きたかったに違いありません。娘さんもそれを望んでいたに違いありません。
 意識状態が悪化して、呼びかけても返事のない増山さんに、「娘さんの個展を見に行ってきましたよ~~。」とちゃんと報告しておきました

そうそう

2007-11-23 11:37:51 | 

 以前から申請していた資格に合格してしまったのです。
 
 これからが大変。

 どういった資格かは…。えーっと、えーっと。
 ここを今後も読んでいってもらったら、そのうちわかるかな~。
 今後、病院の中で自分の専門分野に専念できる時間を与えてもらうことができるようになるのは確実で…。
 
 合格した時には、そりゃ、嬉しかったですわぃ。でも、根がネガティブですから、先のことを考えると、もう重たい気持ちになっております。
 
 どないしよかな…。

生きがいは食べること

2007-11-22 19:56:28 | 患者さん

 人にとって、「食べる」ということにはどんな意味があるのでしょう。
 飽食の時代とあって、人間が生きることに欠かせない営みと感じる人は少なくなっているかもしれません。けれど、再び、食べることの大切さが見直されており、体にとっていいものを選びたい、そう思っている人も多いことと思います。
 けれど、食べることの意味合いに大きく占めているのは「楽しみ」や「生きがい」といったものではないでしょうか。

 井口さん(仮称)は77歳の女性です。
 井口さんはまさに、食べることは生きがいだーという意味を教えてくれました。

 井口さんは、がんによって肝臓の機能が低下してしまっていました。普通、肝臓の機能が低下してくると、食欲がなくなってくる方が多いのですが、井口さんには全く当てはまりません。井口さんの食欲は、オリンピックに出場することができるマラソン選手の持久力並みに素晴らしいのです。

 あまりに素晴らしい食欲がゆえ、体重もあ!っちゅう間に増えてしまって、膝に負担がかかり痛みがでてきているので、われわれスタッフは、考えました。
 がんの終末期に日常生活動作ができなくなるのは、著しく生活の質を低下させます。現に、井口さんは自分の体重を自分の足で支えることができず、ベッドからトイレに降りるのがやっとでした。さらに、膝の痛みが動くこと自体を億劫にさせ、動かなくなることで足の筋力が低下し、悪循環に陥っていました。

 スタッフで話し合い、井口さんに間食の制限をすることにしました。しかし、間食を制限したストレスで、さらに食べる量が増えてしまいました。
 
 またまた、スタッフで悩みました。そこで、よーく井口さんのお話に耳を傾けてみましたところ、「私は、少々足が動かなくなっても、思いっきり食べる方がいい!!それで死んでもいい!」と話されました。
 スタッフで、井口さんの病状も加味しまして、「食べ続けるのも井口さんの生き方だ!」と決心しまして、井口さんの間食の制限をするのをやめ、好きなものを好きなだけ食べていいよ、とお伝えすることにしました。

 それまでも、それ以降も井口さんは食べ続けました。特に、夜間にベッドに横たわったまま間食をするので、看護師がラウンドの際に部屋に行くと、枕元がとろろ昆布や都昆布まみれになっていることがしばしば。ある日は梅干の種を気道に詰まらせて、胃カメラで取り除くといったエピソードまでありました。

 もう、ここまでくると、これは食べることは井口さんの生きがいなんだ、と誰もが認め、それを支えてあげようと思わざるを得ません。

 井口さんの肝臓は、がんの進行によって、どんどん悪化しました。意識も朦朧とすることが頻繁になりました。それでも、井口さんは言います。
 「鮎寿司が食べたい…。」

 好きなものを口にした井口さんはさらにいいます。
 「あー、幸せ。」
 その顔は万遍の笑みをみせてくれます。

 ベッドで過ごす時間が多くなり、健康な時のように生きがいとして、あれをしたい、これをしたいと思っても、思うように実現できなくなるのががんの終末期です。
 井口さんのように、普段の営みに生きがいを見出せるのはとてもラッキーなことかもしれません。けれど、それならば、とことんその生きがいを支える姿勢で患者さんを見守ることは看護師の役割です。

 大食いのポンとしましては、将来の自分を見ているような気もしております。
 ははは。

考える…

2007-11-13 22:26:26 | 日々

 日々、考えることが多くて、処理しきれなくなってしまうことが多々あります。

 今日も、【自分のこれからのこと】【患者さんのこと】【次の会議のこと】…、云々…。
 考えながら、ぼそぼそ呟きながら…、
 トイレに座ってみたものの、便器の蓋が閉まっていることに気がつかず、パンツを下げたまま、そのまま座って。

 ぢめだーい(=冷たーい)!!!

 あかん、あかん。

研究会に参加してみたものの

2007-11-12 21:43:18 | 日々
 
 夜勤明けでへとへとになったまま、東京まで行って某研究会に参加してきました。
 この研究会は自分が興味がある分野だったので、「もっと知りたい」という思いを持って参加しました。

 この研究会に参加した感想は、一言。
 「残念だ~~~っ!」

 理由その1。
 講師が英語を喋っていたにもかかわらず、まともに通訳もせず、参加者が即席で通訳しており、十分に内容が理解できなかったこと。
 自分の英語の理解力に自信がなかったので、きちんと通訳してもらいたかった。研究会の主催者から「きちんと通訳して参加者に趣旨を伝えよう」という気持ちが全く伝わってこなかった。

 理由その2。
 演者も、それを聞いている者も、さらに座長も、時間配分、つまり予定を無視して会を進行していたこと。
 座長が時間配分を無視しているかのような進行は、座長としての役割を果たすことができていないと思います。

 理由その3。
 演者の発表している内容は、出典も明らかにされておらず、現時点でわかる範囲での理論もまったく使われておらず、私見を述べていたこと。また、質疑応答の際に、質問するものが演者へ質問するのではなく、自分の意見ばかり述べて、マイクを離さなかったこと。
 この研究会に参加している方たちの情熱は理解できますが、あくまでも、不特定多数の参加者を募って開催している会ですので、会に参加した全員が、全員のために実りあるものにするために、努力すべきです。

 理由その4。
 演者も、質問をするものも、お互いを労うような言葉ひとつかけれていなかったこと。
 普通(と思っているのは私だけ?)、質問をする者は、冒頭に「ご発表ありがとうございました。」と声をかけ、質問を受ける者は「ご質問、ありがとうございます。」と相手に言葉をかけるものだと思ってましたが。それは、発表させていただいている、質問させていただいている、という気持ちを表すものだと思います。

 残念に思ったのは、これだけに留まりません。
 あああ。書いちゃった。でも、心底、残念に思ったのです。
 こう思ったのは私だけではありません。遠方から参加していた方は、「こんな研究会に参加している時間が勿体無い」と途中で帰っちゃったらしいです。

 研究会の重要なポストについている方は述べておりました。
 「患者さんをケアしているというのではなく、ケアさせてもらっていると思ってください。」
 そう述べている本人が、好き勝手に時間を無視して語っておられました。参加させていただいているという気持ちはあったのかな?
 正直にいって、そのような方が他者に配慮なんてできるのだろうか、そう思わずにはいられませんでした。

 関係者の方がこのブログをもしも、もしも読んだら、不快に思うかもしれませんね。
 こんなことを書いたのは、期待が大きかったからです。この期待は参加した者の責任?(ちょっと言葉が違うかなー)として、持ち続けたいと思っています。
 でも…。来年の参加はどうしよう…。とほほ。