緩和ケアで行こう

へなちょこ緩和ケアナース?!のネガティブ傾向な日記です。

自分の体を自分できれいにすることができなくなったら…(2)

2009-07-26 19:07:27 | 日々の「ケア」

 男性の髭を剃ることは、日々のケアの中でよくあることですが…。
 女性の髭って、何人剃ったことがありますか?

 私、男性の髭も気になりますが、女性の髭はもっともっと、気になります。

 病状が思わしくないと、髭剃りは後回しになりがちです。それは仕方のないことかもしれません、それを優先することがあるのなら。
 
 男性の髭は、伸びてしまうと、(私個人の印象ですが)とても病人さんらしくなってしまう気がします。
 最近でこそ、髭を伸ばすことがおしゃれと認識されてきましたが、整っていない髭は、いい印象はないと思います…、とくに病院では。

 男性の髭は、伸びると顔の印象が変わってしまうので剃ることが日常的ですが、女性の髭ってどうでしょ?

 
 女性も髭が生えます。
 鼻の下に髭が生えます。
 男性ほど、濃い~~~ものではありませんが。

 病状が思わしくなかったり、自分で自分のことをできなくなってしまったとき、女性の髭って、案外、剃れていないような気がします、私。


 私は気になります。とてもっ。

 女性なら、大体は、メイクをしたり、メイクまではいかなくても、化粧水を塗ったりするかたは多いと思います。
 私も…。うっすらと鼻の下に髭が生える人なのですが、毎日剃ってます…。

 
 気になるのは、個人の感覚です。
 整容は、「これがいい」と思うものは個人の感覚ですから…。

 髭が生えてても平気という方は、話は別です。


 先日、92歳の串本さん(仮称)、女性、の「お髭」を剃りました。串本さんは体力が落ちてしまい、意識はありません。
 付き添われていたお孫さんが、串本さんの髭剃りに大喜びされました。
 お孫さんは、ご本人が髭を気にされていたことを知っていたので、鼻の下に伸びた髭を何とか剃ってあげたいと思っていました。

 ところが、串本さんの病状が思わしくなかったので、顔には酸素マスクがありました。
 お孫さんは、串本さんの体のことが気になるので、マスクをはずしてまで髭を剃ってあげることができていませんでした。

 …というわけで、ちょっとしたことなのですが、髭剃りでお孫さんはとても喜ばれました。


 自分が入院して、思うように自分のことをできなくなったら、看護師さんにお願いするかもしれません。
 「お忙しいとは思いますが、せめて、1週間に1回くらいは髭を剃ってもらえませんか?安全カミソリは用意してますから…。」


 あ、ついでに、眉毛も整えてもらいたいなー。

 …と考えられるのは、いろんな意味での余裕があるからでしょうなぁ。

 

「がん」という言葉のインパクト

2009-07-17 23:12:59 | 患者さん

 外来で化学療法を受けていた森崎さん(仮称)とお話をしておりました。

 森崎さんは、「がん」という言葉がとても「どぎつい」とおっしゃっておりました。森崎さんは、今でも「がん」という言葉がだめで、「が」「ん」という文字を見るだけで、自分の病気を意識してしまい、とてもつらくなるそうです。

 例えば、「『がん』ばれ」という言葉をみただけでもどきっとするそうです。

 がん患者さんは、いつもいつも、四六時中、自分ががん患者であるということを思いながら生活しているわけではありません。
 自分ががん患者なのだということをすっかり忘れてしまっていることもあります。
 自分ががんということを忘れることのできる時間をもてることはとても大切なことだと思います。
 いつもがん患者である必要はないと思います。

 ただ、
 現実に目を向けると、背けようのない事実が押し寄せてきます。
 そのタイミングは、人によってさまざまで、ふとしたことで、がん患者に戻ってしまう自分を自覚すると、色々な思いが押し寄せ、つらい気持ちになります。
 
 森崎さんにとってのタイミングとは「がん」という言葉を目に、耳にした時だそうです。

 森崎さんは言います。

 
 「がん」以外に、がんの呼び方ってないんかな?


 ほほーぅ。

 面白い。


 私は森崎さんに尋ねました。

 じゃ、他になんて呼べばいいかな?


 森崎さん、曰く。


 「ぴょん」とか…。


 (私)ぴょん?????????????

 (森崎さん)もっと、可愛い呼び方がええわ。


 おもしろーい。

 想像してみた。
 外来で、病名の告知の場面。医師は真剣な面持ち。患者さんはとても不安げにしているそのとき。
 「実は、検査の結果、あなたは『ぴょん』であることがわかりました。」
 「これからは『抗ぴょん剤』を使って治療をします。」


 想像したのは、吉本新喜劇で、コメディアンのみなみなさんが一斉にこけるシーン。
 どてっ。

  
 彼女の発想の面白さに関心してしまた私です。

 が。

 彼女はそうはいいつつ、普段はがんを意識することなく生活できる時間を持てていることを喜びつつも、自分ががんにかかっているという事実とは決別できるわけもなく、その事実と向き合う努力をしている(意識的に、無意識的に)のだと思いました。
 
 彼女とのおつきあいは、まだまだ日が浅いのですが、がんと「闘う」ことのお手伝いをしながら、がんと「おつきあいする」お手伝いもしようと思っております。
 

見られてるという意識

2009-07-01 22:05:59 | 日々の「ケア」

 どの職種でも、人を相手に仕事をするのであれば、接遇というのはとても大切なものだと思います。

 接遇というと、「マナー」のようなニュアンスに聞こえがちですが、私は、接遇は、医療者が患者さんやご家族ととるコミュニケーションの基礎、つまり、ケアの基本でもあると思います。

 残念ながら、病院では、職員全員の接遇が「ばっちり!」というわけではありません。

 時折、
 「あーなたー、どうして、看護師になったのさー。」と肩を叩いて、耳元で本気で囁きたくなる看護師さんに遭遇することがあります。
 その気持ちは、同じ看護師として「残念!」という気持ちと、「あーなたーと同じ看護師として見られて、○○病院の看護師ときたら、なっとらんっ!」と同じ扱いを受けたくないわー、といういらだちの気持ちがあります。

 患者さんやご家族に、病気の進行、お別れの時間が近づいてきていることなど、とても残念なことをお伝えしないといけないことが、緩和ケア病棟では多々あります。

 その時に患者さんやご家族と交わした言葉のやりとりを、カルテに記載すると単なる文字ですが、実際には、その言葉には必ず感情が伴います。
 感情は、言葉だけで伝わるものではなく、表情や口調、声のトーン、間合いなど、いわゆる非言語的コミュニケーションのすべてでもって伝わります。

 それなら、患者さんやご家族と面と向かって会話している時だけでなく、スタッフ同士のやりとり、1人で廊下を歩いているときですら、自分達が意識すらしていない「何らかのメッセージ」を患者さんやご家族に発していることになります。



 患者さんやご家族は、私たち医療者の一挙手一投足をみている。


 私たちは見られている、この意識を持つことはとても大切なことだと思います。
 私たちが一から十までを言葉にしなくても、患者さんやご家族が私たちの「療養のサポートをさせていただきたい」という気持ちを受け取ってもらえるのは、普段のやりとりがあるからだと思います。
 
 私たちのコミュニケーションのあり方如何で、患者さんやご家族は安心感を持ったり、不安や怒りを抱いたりします。

 

 私は緩和ケア病棟でケアをさせていただくようになって、今まで以上にコミュニケーションというものの大切さを実感できるようになりました。

 患者さんやご家族のおかげですね。
 ありがたい。