職業柄、看取りの経験をたくさんしてきました。
患者さんが命を終える時の場面にたくさん遭遇してきたということです。
目の前で息を引き取った父親を見て、ずっとずっとそばで介護を続けていたにもかかわらず、父親が「今」、亡くなったということが信じられず、「嘘ですよね?」と呟きながら呆然と立ち尽くしていた娘さん。
介護をしている間には、気丈に振舞っていたけれども、妻が亡くなった瞬間に部屋で家族が涙を流す中、一人でそっと部屋の外に出て涙を流していたご主人さん。
突然の呼吸困難が襲い、私の腕の中で息を引き取った患者さん。
それはそれは、たくさんの場面が思い浮かびます。
緩和ケア病棟で勤務する以前にも看取りの経験はありました。しかし、今ほどに看取りの場面を思い浮かべることができません。
今思えば、おそらく、患者さんの死を、医療者からの視点でしかみることができていなかったのだと思います。
死はやはり、忌み嫌われています。誰一人として避けることができないにもかかわらず。以前の私もおそらく、死は「縁起でもない」と思っていたと思います。いえ、深く考えることがなかったのだと思います。
一般病棟であっても、患者さんの看取りに立ち会うことがあります。その昔、外科病棟で勤務していた頃、よく看取りに立ち会っていた先輩看護師が言ってました。
「あー、お祓いにでもいかないと。」
患者さんが亡くなると、死後の処置(患者さんの体をきれいにしたり、容姿を整えること)を行いますが、これに遭遇すると、「運が悪い」といったイメージがあったように思います。
このイメージや考えは、緩和ケア病棟で勤務するようになってから、すっかり変化しました。
むしろ、看取りの場面に立ち会えることに対して、患者さんやその家族に感謝したい気持ちでいっぱいです。
入院された患者さんには「受け持ち看護師」といって、入院から退院まで継続してその患者さんのケアをスタッフの中心となって行う看護師がいます。
私も何人かの患者さんの受け持ち看護師になりました。
私は不思議と、受け持った患者さんのほぼ全員の看取りを行わせていただきました。
患者さんが亡くなれば、スタッフから連絡をもらって病院にかけつけることができます。それは、自分の勤務時間内に看取りを行えるとは限らないからです。
私は、自分の勤務時間内に看取った受け持ち患者さんが多いのです。
看護師は交替勤務です。にもかかわらず、自分の勤務時間内に受け持ち患者さんを看取らせていただくことは、なにかしら、患者さんや家族との「つながり」というものを感じずにはいられません。
ありがたくて仕方ありません。
受け持った患者さん以外であっても、人の死というのは、人生においてこの上ない大イベントです。
その人の死を再び経験できることはありません。
たとえ、ケアさせていただいた時間が短いにしても、看取りの時というのはその患者さんのさまざまな物語を感じずにはいられません。
人生の数パーセントであっても、その人の人生の物語に登場できることを感謝したくなるのは、こういった経験もあるからです。