緩和ケアで行こう

へなちょこ緩和ケアナース?!のネガティブ傾向な日記です。

見学してみた

2014-09-17 00:51:38 | 触れ合ってくださる人々

 先日、訪問看護ステーションに見学に行ってきました。



 自分は、在宅看護は苦手とか、向かないとか…そんなことをずっと思っていたのですが、がん看護のことを考えてみると、無縁ではありません。
 ・・・というわけで、行ってみました、見学っ。




 見学に行かせていただいたのは、友達が管理者をしている訪問看護ステーション。
 「見学させてー」と、お願いもしやすく、「いつでもどうぞー」のお言葉をこれまでも何度もいただいていたのが嬉しかったー。






 たまたまですが、患者さんのご様子などなど、ちょっとゆったりとした時期だったみたいです。
 これが、ラッキーでした。




 訪問看護師さんと同伴すること3件。
 


 患者さんのお宅におじゃまするということ自体が新鮮だったのですが、看護師さんの丁寧な…(言葉では表現しにくい)、ハートフルな対応が心に響きました。



 
 病棟の勤務に追われて、忘れていた何かを教えていただいた気がしました。



 在宅看護なので、生活ベースのケアを行っていることは当然?なのかもしれませんが、生活を大切にしたケアを目の前で見せていただき、この視点はとても大切だなぁと痛感しました。






 それにしても、どうして、在宅の看護師さんはそんなに優しくて、丁寧で、共感的で、ゆったりとしているの?





 病棟勤務の(意地悪な)ポンは心でつぶやきます。





 その優しさ、16時間、続きますか?(病棟勤務や2交替勤務では時間に追われていることが多いから…)
 看護師さんが患者さん宅をお邪魔するのはほんの数時間だから、丁寧にできるのだろうか…?
 











 こんなことを考えていたら、大切なものを見失いますね。





 在宅の看護師さんと同行していると、その看護師さんの一人一人の患者さんへのケアをみて、感じ取れるものがありました。
 そりゃ、この看護師さんだって、病棟の過酷な勤務をやっていたら、時には大切なものを見失いそうになるかもしれんけど、根本では大切にしているものは見失っていないんだろうなぁ…。
 



 自分に、何か…、新鮮な風が吹き込んで来た気がしました。

 
 とてもありがたい機会でした。

 


 
 

ほんまに、ひどい話ですわ

2014-06-24 23:05:11 | 触れ合ってくださる人々

 患者さんが亡くなられた後、その患者さんのご家族にお会いする機会があります。

 多くは、支払いの機会に病棟を訪問をしてくださるとき。
 そして、遺族会の時。
 そして、そして、ばったりと出会ったとき。



 そうそう。


 ばったりと出会ったんです。
 ある患者さんのご家族と。





 最初は、道端で。


 家の近くを歩いていると、背後から声が…。
 

 「〇〇病院の緩和ケア病棟の看護師さんとちゃいますか?」


 振り向いてみると…。
 女性のお姿。



 でも、私は、
 

 「ど、どなたでしょ????」


 ってな感じで、一応、会釈した。




 その女性、私がその方のことを分かっていないということを前提に、ご自分は「これこれしかじかで、こういうものです」という感じで、患者さんのことや、病棟でこんな風に過ごしていた、担当の看護師はだれで、どのお部屋にいた、。。。などなど、詳細にお伝えくださいました。



 「あああああぁぁ・・・・」



 と私は返事をしたものの、さっぱり、患者さんのお顔が浮かんでこない。 
 しかも、その患者さんにまつわる出来事まで思い浮かばない。


 だいたい、名前が思い浮かばなかったり、患者さんのお姿が思い浮かばなくても、お話をしているうちに思い出してくるもの…。




 でも。

 全く、思い浮かばない。
 



 その女性は、「たくさん、患者さんがいらっしゃるんだから、思い浮かばなくても、当然、当然」といって優しい言葉をかけてくださいました。
 心苦しいばかりでした。


 どうやら、その女性のご家族が、ポンの所属している病院に入院しているので、またもや、患者さんが亡くなった後、1年も経たないうちにうちの病院に通っているとのことでした。
 心が痛みます。



 そして、



 いくら、話をしても、思い浮かばないものだから、ここは腹をくくって、その女性に、


 「すみません、思い出せなくて…」とお詫びしました。


 そして、「また、病棟のスタッフにきいて、思い出すようにします、すみません」と言い、その場は終わりました。



 
 「思い出すようにします」と言いながら、その作業をすっとこやっていなかった私。


 今度は、自分の病院でその女性にお会いしました。

 自分が仕事中だったのもあり、介護をねぎらって、その場は終わりました。



 次は。
 自分の病院の近くのコンビニで、私は必死に「どのアイスにしようかいなぁ~~~」と、うはうはな感じでアイスを選んでいるところ、
 その女性と出会いました。



 ぎょぎょっ。
 




 その時も、その女性がどの患者さんのご家族かがわからないまま…。



 ここまできたら、その女性のことがよくわからないけれども、よく出会う家族さんという存在に、自分にはなってしまっており…。
 かなり、気楽に話をしました…。

 別れ際、その女性は言いました。


 「看護師さんも、夜勤もあって、たいへんでしょ、おいしいものを食べてくださいね。」と。



 その女性は私のことを単純にねぎらってくれたはずなのに、その時もその女性のことを思い出せずにいたので、「ああ、ちっとも思い出せてない私をねぎらってくれているんだわ…」と勝手に思い込み、
 アイス売り場の冷気が漂っているはずなのに、変な汗をかきました。
 




 さすがに、こんな出来事があってん、ってな感じで、その患者さんの受け持ちだった看護師に患者さんの様子を聴きました。

 でも、やっぱり、思い出せない…。
 



 もう、あかんわ…。



 病棟のカメラにある画像に、あの患者さんとご家族が写っている、それをみれば…と思ったけれど、膨大な画像の数を思うと、なかなか画像で探すこともできていないのが現状…。




 ホンマにひどい話ですわ。



 ここまで全く思い出せなかったのは初めて。


 

 実は、出会いは、4回目もあるのですが…。



 その話、もうええわっ。どうせ、思い出せてないんやろっっ←ひとりつっこみ




 本当に申し訳ありませんでした。



 でも、ご家族のみなさまの平穏な…、ぼちぼちな…日々が続くことをお祈りしています。


 こんな感じですが、出会いには感謝しております。

 ありがとうございました。


 
 


んぎゃおっ

2013-11-06 18:28:16 | 触れ合ってくださる人々

 なんともへんちくりんなタイトルです。

 ほんまに、こう言ってしまうくらい、偶然にも嬉しい出来事がありました。


 

 寅本さん(仮名)のご面会に来ていた親族さんに声をかけたところ、な、なんと、私が好きなブロガーさんのお隣さんで、そのブロガーさんと仲良しさんということが判明しました。


 すごい偶然。
 
 すごい貴重な出会いっ。
 


 そのブロガーさんにお礼の気持ちを込めて、何かできないかしら…と思いましたが、そのお方が帰ってしまうのは出会った翌日。
 しかも、出会った日は結構、遅くまで仕事をしていたのでどこにも出歩くこともできず…。



 結局、コンビニでチョコを買って、それを親族さんに託しました。




 そんでもって、そのブロガーさんが記事にこのエピソードを載せてくださっていました。


 なんともいえん嬉しさがこみ上げてきました。



 とおーい地に住んでいるお方と、たまたまの出会い。
 
 何よりも、楽しくて素敵なブログをありがとうという気持ちを伝えられて、本当によかった。
 


 いろんなご縁に感謝です。
 





 このご縁に、寅本さんもとても喜んでくださっていました。


 何しろ、患者さんのイブニングケアのために、お部屋にお邪魔しているときに、
 「きゃーーーーーっ」って声を上げて喜んでしまったもんで、寅本さん、思わず、



 「あたしゃ、うがいしとんねんけどなぁ。」と、
 ぼそっとおっしゃっていました。


 患者さんに尻を向けて、患者さんそっちのけでございました。


 あはは。


 


 何よりも、寅本さんのおかげかな。
 
 

ありがたみを、今さらに感じる

2013-10-22 18:54:37 | 触れ合ってくださる人々

 現在、自分が所属している病院、そして緩和ケア病棟は、お世辞にも時代の流れに乗っている病院ではないと思っています。
 (ごめんなさい)

 ハード、ソフトの面において、このままじゃ、あかんでーと思うこともしばしばあります。
 
 同じ業務を行うにしても、効率的に行える職場とそうではない職場があるのだと思い知らされました。
 入職した当初は、いえ、今も。
 どうしてこんなにしんどいのだろうと思っています。

 そうそう。 
 効率に大きく関与するのは、看護師が本来専念すべき業務に専念できることと、看護師以外のチームメンバーの力を借りることができること。
 これは、看護師の…そして、病院全体の業務の効率化には欠かせないのではないかと思います。

 


 ここにきて、思うことが膨らんできました。


 

 私、今までの環境に、ある程度、感謝してはいたものの。
 いえ、本当の意味で感謝できていなかったのだろうと。



 心が痛みます。




 私が、今、あらためて、心の底から感謝しなくてはならないこと。



1. 薬剤師さん
 これまでの病院は薬剤師さんが定期的に処方される内服薬については、薬の入っているカートにセットしにきてくれていました。
 薬剤師さんの人数不足にもかかわらず、薬局の幹部の皆さんは、必要性を理解してくださり、一般病棟との兼務でしたが、緩和ケア病棟専属の薬剤師さんのポストを作ってくださいました。
 おかげで、薬剤師さん全員の顔をしっかりと認識しながら仕事をすることができました。
 薬剤に関する相談に関しては、尋ねると全力で、かつ、速攻で返答をしてくださいました。
 反対に、尋ねられることもありました。
 双方向のやりとりは、結局、自分にとってかなり実りのあるものになりました。

 今。
 内服薬はすべて、看護師が毎日、セットして、輸液のセットも看護師の業務。輸液のボトルに患者さんの名前と内容をペンで記載している状態です。
 これは、かなりの業務の時間のロスです。
 そして、ほぼ、管理は看護師に任されてしまっているところが、怖くもあります。
 薬剤師さんが病棟に現れることはありません。
 薬剤師さんのお名前も知る由もなく…。

2. リハビリスタッフの皆様
 緩和ケア病棟にリハビリの専門職が介入をしても、今のシステムではコストに反映することができません。
 しかし、以前の病院では緩和ケア病棟の患者さんにも緩和的なリハビリは必要だと、リハビリ部門の管理者がしっかりと認識してくださり、緩和ケア病棟にリハビリに来てくださっていました。
 困ったな、と思ったら、すぐに電話をして質問できる。
 PT(理学療法士)さんは忙しい中、定期的に来てくださっていました。リハビリをしながらコミュニケーションもとってくださるので、カルテの記載はとても参考になります。
 OT(作業療法士)さんは日常生活の細かい動作の工夫にかなり協力してもらいました。
 便座の高さを調節できないか、ナースコールを押しやすくするにはどうしたらいいか、楽しみをもって手先のリハビリをする協力をしてもらえないか…。
 無理難題もありましたが、いつも速攻で応答してくださいました。
 なにより、ST(言語聴覚療法士)さん。
 かなり、人手不足であるにもかかわらず、合間をぬって、発声や嚥下の評価や訓練に協力してくださいました。
 
 リハビリスタッフの熱意にはいつも脱帽でした。
 どうして、全くお金にもならない部署で業務をしてくださるのかしら…。
 首をかしげたくなるくらい。
 
 これには、リハビリ部門のボスの人間味が大いに影響しておりました。
 私、リハビリ部門のボスのことはとても信頼しておりましたから…。

 
 今。
 リハビリ部門のみなさんとの接点はありません。
 リハビリは看護師が「ぼちぼち」やっていますが、十分ではありません。
 もう少し、リハビリさんに協力してもらえれば、患者さんのQOLも変わるのではないだろうか…と思えるところが多々あります。
 しかも、STさんはいません。


3. 事務のスタッフ
 主たる委員会や部会のメンバーには必ず、事務のスタッフがメンバーとして参加しています。
 事務部門のみなさんも忙しいにも関わらず、知りたい統計情報があれば、ちゃんと整理して資料を提供してくれたり、会議録を作成して回覧できるようにしてくださっていました。
 
 今。
 事務部門の方々との接点は、病棟専属の方以外はありません。
 しかも…。事務方のスタッフの接遇がとても気になっています。
 だって、挨拶をしても挨拶を返してくれない人がとても多いからー。




 以上の記載以外にも、放射線技師さん、栄養士さん、お掃除のスタッフ、介護部門のスタッフなどなど、かなりの方々と一緒にお仕事をさせていただきました。




 今。
 もちろん、自分の今のポジション(=ただのスタッフ)では横断的に活動ができないのは当たり前ともいえますが、それにしても、なんと、横のつながりが薄いことよ…。


 この頃、「ああ、こんな時には〇〇さんに相談していたなぁ」ということに多々遭遇するので、思わず、回想してしまいました。


 




 現状に不満を言いたいわけではありません。 
 仕方ないです、そんなにすぐに、システムもスタッフの認識も変わりませんから。

 
 
 本当に、今まで、自分は恵まれていたのだなぁ…と、実感。
 日々、感謝していたつもりだけど、離れてみると皆さんの存在の偉大さを実感。
 離れてみると…なーんて、まるで恋愛みたいじゃぁあないかっ。
 



 ぼそぼそ…。


 施設によって、やっぱり、患者さんの生活の質は変わってくるものだなぁ…。




 さあ。
 明日も、「現状」と向き合いながらの仕事の始まりだっ。

 

患者さんやご家族からのプレゼント

2012-11-10 10:35:40 | 触れ合ってくださる人々

 先日、更新した記事にでてきた患者さんのお通夜に行ってまいりました。


 どうしても気になって仕方なくて。


 旦那さんのことも気になり、ちゃんとお顔を拝見して少しでもいいから、声をかけたかったから…。



 葬儀場で待っている間、患者さんの遺影やら旦那さんの姿をみるだけで涙があふれて止まりませんでした。
 


 葬儀場に行くまでの間、行ってから、そのあと、そして今日。


 自分の心境によるところが大きいのですが、「お通夜に行くのは誰のため?自分のためじゃないの?」とひどく悩みました。
 患者さんと旦那さんには心からありがとうと伝えたかった。
 お世話をさせていただいた感謝の気持ちと、お疲れ様の気持ちと、そしてそして、旦那さんには体に気を付けてくださいねって気持ちと…、それからそれから…。

 とにかく、言葉だけじゃなくて、気持ちを伝えたかった。



 でも、それって、自分のためじゃないの?
 そればかり考えていました。



 自分の中では、あのお通夜が今の環境とのお別れであり、旅立ちであるように思えて仕方なかったからです。





 やっぱり、自分のためだったかなぁ。



 お手伝いすべき患者さんや、一緒にがんばるべきスタッフをそのままおいていってしまうような気持ちは、大した自分じゃないのにそんな気持ちになるなんて、傲慢かなぁ。
 
 こんな気持ちになるのは初めてではありません。
 以前、勤務していた職場でも、患者さんから「わしを置いていくんか」といわれたことがあります。
 その言葉はリップサービスだったのかもしれませんが、状況から考えるとそうではないと自分では思っています。



 
 もやもやもや…。


 
 もやりーん。
 


 自己満足のようで大変、患者さんやご家族には申し訳ないのですが、自分としては、お通夜に行かせていただいたことをとても感謝しています。
 

 
 いつもいつも思うのですが、患者さんやご家族ってのは、自分がその方々にどんな感情を持とうとも、何らかのプレゼントをくださるものなのですね。

 そのプレゼントは、自分の心の引き出しに入っていて、取り出したくもないのに手を伸ばせば取り出せるところにあって、触れるだけで痛い時もあるけれど、時間が経つと、自分の引き出しの中にいい感じでおさまったりするものなんだ、と。
 捨ててしまえと思っていたプレゼントでも、自分の記憶が残っている限り、そのプレゼントは捨てられることはなくて、ふっと思い出した時にそっと引き出しの中で「ちん」とおさまってくれていて、捨ててしまえと自分は思っていたにも関わらず、取り出すことを許してくれる。
 今の自分は過去の自分とは確実に変化していることは、そのプレゼントはとてもよくわかってくれているから、その時の自分に合わせてプレゼントの姿は変幻自在に変化してくれる。
 痛い時は痛いまま。温かい時は温かいまま。悲しい時は悲しいまま。嬉しい時は嬉しいまま。

 人と人とのお付き合いって、そんなものなのだろうなぁ。


 要は、自分次第ってことか…。


 
 自分よがりな心境ではありますが、このプレゼントは無駄にしたくない、そんな気持ちでいっぱいです。

 

 患者さんとご家族に心から感謝の気持ちを込めて。
 
 

無職の先生ってなぁ

2012-11-04 22:30:28 | 触れ合ってくださる人々

 退職しちまったポンでありますが、看護学校の講義はまだ続いています。
 無職なんだけど、学生さんの前では、前施設に所属したままってことで…。


 気持ちがついていけないほど落ち込んでしまった時には、もう看護学校の講義なんてどうでもいいやって思いました。ええ。思いましたとも。
 でも、私の個人的な気持ちやら都合で学生さんにご迷惑をかけることは許されないと自分に言い聞かせ、今に至る、です。

 無職の先生ってどーよって思いもありますよ…。そりゃ。

 

 それにしても。

 
 こうやって学生さんに講義させていただく機会は、いつもながら思います。
 とてもありがたいものです。



 私の講義は、国家試験をパスすることや実習に役立てることだけじゃなくて、
 学生さんたちが資格を取って、就職して、経験を積んで「ああ、馴れてきたな」って頃にでも思い出したり、忘れてほしくないメッセージを必死に伝えています。

 さあ、どこまで届いているのか…。




 今年の学生さん、とっても素直すぎて、あちゃちゃーなんです。

 講義を始めていると、ざわざわとおしゃべりが止まらなくて。
 

 そんなことで、ポンとしてましては、
 「悪いけど、お話はやめてくれる?お話をするのは相手に迷惑がかかるんだよ、寝るのは個人の自由だけどね。」と言った途端っ。



 学生さんのうち、明らかに6~7人は、すさささっ!っとすばやく、机に顔を伏せて寝る態勢。
 


 おいおい、大胆すぎやしないか???
 



 まあ、担当の時限数のうちに講義しないといけない内容が多いから、一方的な講義になっちゃうし、午後からの担当だから学生さんが眠くなるのも仕方ないか…、とも思うし…。とほほ。

 
 「ここんとこ、テストに出すからね、寝てる人にもちゃんと伝えておいてね…」ってなんとも優しいことをいいながらも、心の底では、「起きんかいっ」と思ったり、「いやいや、自分の講義の仕方を工夫しなくちゃ」と思ってみたり。

 
 そんなことで、前回の講義は、名古屋の『マウンテン』という喫茶店の抹茶小倉スパゲティやいちごスパゲティの画像をみてもらったり…。
 (これは講義内容とはまったく関係のないもので、こんなワンダーな食べ物があるんだと学生さんに言ってみたかったのだー。実際に食べてみたけど、ごっつー、きつかったー。完食できずっ
 もちろん、緩和ケア病棟で患者さんの誕生日をお祝いした時の写真や患者さんの創作作品をみてもらったり…、そんな画像も織り交ぜながら…。




 
 次回でラストです。
 資料の見直しをしなきゃ。


 

先輩に感謝

2012-10-14 23:14:34 | 触れ合ってくださる人々

 今日は、大先輩にダイレクトあたーーーっく!なメールを送って、お話を聴いてもらうことにしました。
 大先輩って簡単に表現してますが、ポンにとっては「偉大なるお方」。
 土日もなく、会議などの仕事をこなしているというのに、自分のために時間を下さったことにありがたくて、待ち合わせの段取りのメールをやりとりしている間にも泣いてました。


 
 今の病院を辞めることにして、次のステップを…と思っていたのですが、自分が今後のことを何にも考えることができていなかったことに気が付きました。


 今の状態では考えることすらかなり難しい状態だってことはよくわかっていますが…。
 

 
 スペシャリストって、そう簡単にその肩書きを脱ぎ捨てることってできないんですね。
 もう、そんなもん、放り出してやるわいっ!ってくらい、抜け殻になってしまったのですが、よくよく考えてみると、まだ、自分は「もーーー、私は完全にスペシャリストなんてしないんだからっ、やめっ、やめっ」ってところに至っていないんです。

 でも、今は90%くらいの感じで、スペシャリストを続ける自信がありません。
 これからの自分がどうなっていくのかすらわからないから、続ける自信はどうかといわれると、本音は「わからない」といったところです。



 


 今まで、周りの人に言えずにいたけれど、やっぱり、自分は一度、自分のメンテナンスも必要だと、自覚はあったけれど、先輩に言われて、行動する気になりました。
 いっちょ、心療内科に行ってきます。



 

 それにしても、こんなへなちょこなポンのために時間を割いて、ゆっくりと話を聴いて下さった先輩に感謝です。
 ネットワークって、とても大切だなぁ。
 困っている人に対して、喜んで自分の時間と自分自身をささげてくださるその姿勢に、プロの仕事ぶりと人柄を重ねつつ、先輩のお話を聴かせていただきました。

 先輩っ、本当にありがとうございました。
 夜空に向かって手を合わせて、感謝の気持ちをお伝えしておりますです。





 まずは、自分のエネルギー回復からだなぁ。


 

 

看護学生さん、いらっしゃい

2012-04-22 04:57:34 | 触れ合ってくださる人々

自分の緩和ケアの経験や思い出を彩ってくださっている方々の中に、看護学生さんがいらっしゃいます。


看護学生さんの受け入れとなると、いろんな調整が大変なところはありますが、実りも多いものです。



その昔。
ポンが看護学生(これは、ほんまに若いころの学生時代の話)の時には、実習というと、実習指導者さんがとっても厳しくて、びくびくしていたものです。
ポンの正直な感想は、看護学生は、「虐げられていた」。



虐げられていたから、学生を経て就職をしていた病院での自分の学生さんの態度というものは、「先輩が自分にしてくれていた態度」で接していました。

ある日、その病棟のスタッフから、声があがりました。


「ちょっとーー。学生さんが帰る挨拶してるんやんか。ちゃんと、こっちも挨拶せな。」


この一言。
私にはすごく大きくて、今も心に残っています。



そうそう。
学生さんが気持ちよく実習できる場を提供するのが私たち、病棟のスタッフの役割のひとつだ…。


指導といいつつ、自分たちの忙しさにまみれて、学生さんへの態度が御座なりになっていないか。
これは、病棟のスタッフ全員が自分自身に問わなくてはならないところです。



私は、病棟のスタッフに、お願いしています。
「自分の学生時代に経験した指導者のいやなことを、学生さんにしないでほしい」



おかげさんで、学校からの実習場としての評価は、上々です…。




それと。
ポンが何よりも大切にしていること。

7~8年先を見越して、学生さんとお話をすること。

一人でも多くの学生さんに、「将来、緩和ケアをやりたい」と思っていただけるように…。
学生さんと語る時間はできるだけ持つようにしています。
時には、学生さんとのカンファレンスの時に喋りまくるときもあります。


やっぱり。
実習は、厳しいばかりでは身にならんっ。
「うちの病棟には、現実はうまくいっていないところもあるけれど、こんな面白さがあるのよん。」

これを伝えずしてどうするっ!!でございます。



はちゃめちゃに忙しい現場でありますので、指導をする人間には「気長さ」も要求されるところではあります。
じっくりとやっていくことで、私が知らないところで…、はるか未来の時に、学生さんが一人前になって、看護の本質を見失いそうになったときに。


「お願いよ。あなたたちが一人前になった時期に、ぜひとも、この病棟で学んだことを、思い出してほしい。」

これは、学生さん全員への、ポンからのメッセージです。




いつか、どこかで再会できるといいね…。


あらためて、ありがとう

2011-10-30 14:49:14 | 触れ合ってくださる人々

 先日、伯母が亡くなりました。

 事故でした。
 即死でした。

 
 何が何だかわかりません。
 それは親族の誰もが感じていることでした。

 うちの母親は8人兄弟。
 伯母は一番年上の長女でした。
 母親の自宅の近くに住んでいたので、それはそれは、とても親子ともにお世話になっているおばちゃんでした。

 そして、母親の兄弟みんなが自分たちの「司令塔」であり、「相談相手」であったおばちゃんを失ってしまいました。


 特に、母親は、その日の日中も、ずっとおばちゃんと過ごしていました。
 今まで一緒にいた人が、数時間後には死んでしまって、数日後には姿もなくなってしまう…。
 火葬場で骨と灰になってしまった姿をみて、その変化の早さについていけませんでした。


 
 外傷は頭部に激しく、出血が止まりませんでした。
 棺の中のおばちゃんは、ほんまに、眠っているようでしたが、眠っているお顔の深部は、骨がぐちゃぐちゃになっていたらしく、顔の原型がなんとかとどめられていたことは、みている私たちにとっては救いでした。


 フラダンスが好きだったおばちゃん。派手!っていうイメージがあったおばちゃん。
 白装束なんて、ちっとも似合いやしないっ。


 
 誰よりも、おばちゃんの息子であるA君は、まだまだ現実を受け止めきれていません。
 ごく当然のことです。

 けれども、喪主というものは、葬式云々の段取りやらでしっかりと悲しむ暇がないものです。
 ひと段落がついた頃、またどうしようもない悲しみがどっと押し寄せてくるのだろうな…、と、しっかりと親族の指揮をとっていたA君をみていると感じました。
 


 私は、親族という立場で今回のことで感じたことがあったのと同時に、緩和オタク?としては、職業人として感じたことがありました。
 それは、また折々にお話できればいいな、と思っています。

 
 


 おばちゃんがいつも気にしていたことを教えてもらいました。
 それは、いとこ同士がこれから連絡を取り合って仲良くしてもらいたい、ということでした。

 
 そういえば。
 もう、10年以上も会っていないいとこもいました。
 私たちいとこ世代はみんな仕事が忙しくなってきている年代なので、こんな機会じゃないと顔をみることがなかなかありません。
 大勢のいとこにしっかりと?会ったのは久しぶりでした。

 こんな悲しい機会でもって、顔合わせなんてしたくない、というのが本音ですが、こういうことをきっかけに生まれることもあるものですね…。



 あらためて、おばちゃんに感謝したいと思います。

 本当に、ありがとう…。
 

その道の専門家

2011-10-17 21:43:00 | 触れ合ってくださる人々

 以前に勤務している病院で、もともとは麻酔科の医師をやっていたけど、内科を勉強し直したくて…、という研修医(女医さん)に出会いました。

 頭の中が緩和ケアまみれ?な私は、元麻酔科の医師なら、ちょっとは疼痛のこととかお話しできるのかな、、なんてその先生に期待していたのですが…。


 
 さてさて、何を専門の科とするのかを決めた!というお話をポンにしてくれた女医さん。
 選択した科は、「循環器内科」。


 そこで、ポンは尋ねました。


 「へーー。何で、循環器内科なん?」と。



 女医さんは答えました。



 「だってー。がんの患者さん、診なくていいやん。」




 
 およよーーーーっ。



 何を専門とするのかなんて、がんばれば?方向転換できるものだとは思いますが、専門を「消去法」で決めちゃいますか?と思った瞬間でした。



 私は、その女医さんの深いところの気持ちまではうかがっていないのでわかりません。 
 ただ、専門をそんな理由で決めていいの?と思ったと同時に、どれだけがん患者さんや家族さんとのかかわりをネガティブに捉えているんだろうと思った瞬間でもありました。

 医師には医師なりのつらくてきつい立場があるものだと、最近になって、どんなにへそ曲がりな医師を相手にしても、そう思えるようにはなりました。
 (実際に理解を示すことができている行動がとれているかどうかは、かなり、別かもしれーーーんっ)


 

 専門とするところは。
 消去法のような消極的な理由で決めるよりも、「これをやりたい」「これだからやり甲斐がある」「これだったら、少々のことでもがんばっていけそう」、何より、「これが好きだ」という理由じゃないと、本当の意味で、「専門家」にはなれないのではないかと思います。
 ひょっとしたら、続けることができないかもしれないのではないかとも思います。


 
 世の中の医療の世界には「その道の専門家です」という人がたくさん出現しております。
 よくよくその専門家さんに耳を傾けてみると、本当にその道を歩みたくはないのに、「歩まされた」という方もいらっしゃいます。
 その方にとっては、病院という組織から、専門家になれ!といわれてその道に進まざるを得なかったのは不幸かもしれません。
 しかし、患者さんの幸せや安楽を願う者としては、専門家になるなら、それなりの覚悟をしてなるべきではないかと思うのです。






 シシリーソンダースが、緩和ケアのコツのひとつは、「患者さんを好きになること」だと話していたと耳にしたことがあります。
 
 専門家が、その専門の道を好きになれなくて、患者さんを好きになることはできるのかしら。
 日々、自分にとって、いいことばかりが起こるわけじゃありません。
 どんなにがんばっても、どんなに誠意を尽くしてみても、やりきれない状況に追い込まれることもあります。
 患者さんや家族さんから、医療者の思いとは裏腹、不信感を抱かれたり、疎まれたりすることもあるし、「ひょっとしたら、これは徒労か?」と思うようなことも多々起こります。
 体も心も、患者さんやご家族に巻き込まれ、ぼろぼろになるときもしばしばです。


 
 そんな逆境にあっても、何とか踏ん張れる原動力は、「患者さんを好きになれること」とか「その道が好きだ」ということだけだとは言いませんが、そうあることはとても大切なのではないかと思います。



 

 ただ、ですね。
 その気持ちも、時として、萎えるときはあるんですね。
 だるまさんのように、転んでも起き上がることができるのは、「与えられた仕事だから」ではなく、「やりたいことだから」がとても大切なような気がしてなりません。


 結果がうまくでるかどうかよりも、そのプロセスを見つめることができるかどうかは、「続けていきたい」と思えるかどうかなのではないかと思います。


 
 私は、緩和ケアが好きです。
 自分の能力はたいしたことはないと思っていますが、それでも、続けていきたいと思います。
 それは、人にも伝えていきたいと思うところです。




 あの女医さんはどうしているのかしら…。

 これだ!というものに出会えていることを願わんばかりです。

 

 

がんばれ!受験

2011-10-09 16:16:38 | 触れ合ってくださる人々

 うちの病棟に看護助手さんでやってきた彼女は19歳。
 今度、看護学校を受験するのだそうな。

 ああ。何とか合格してもらいたいな…。
 

 そんな気持ちもありまして。



 受験科目のひとつである英語のお勉強のお手伝いをすることにいたしました…。

 看護学校程度の英語なら、おまかせ~~といいたいところですが、自分はわかっていても、どうやって伝えるのか?それが問題。


 そこで、まずは『これだけはおさえておきたい!英単語』なるものを作成いたしまして…。

 
 夢があるっていいねぇ。
 「彼女は看護師になりたいんです~。看護師さんってかっこいい~~。」と話しておりました。
 現実はかっこいいだけではないのですが、とにかく、夢に向かっているのが素敵だと思います。





 リトルチャロというお話の中で、ナムタカがチャロに向かって言っていた言葉を思い出します。

 No dream comes true, if you do not believe. Never stop believing.

 うぅむ。その通りだなぁ。
 


 がんばれっ。
 

ツイ友?

2011-09-25 15:09:15 | 触れ合ってくださる人々

 友人の勧めで、最近、ツイッターを始めました。

 こんなどんよりした気分ですが…。


 思わず、嘆きをつらつら書いていたら、励ましのツイートをいただき、とてもありがたくて…。

 
 とても温かいお言葉をいただきました。
 
 もう少し、考えてみよう…。
 もう少し、借りれそうな力をちゃんと借りてみよう…。
 もう少し、これは前を向いてやる行動なんだと自分を言い聞かせてみよう…。

 
 どないにも、こないにも、私には決断が必要なようです。
 

ボランティアさん

2011-07-03 08:57:02 | 触れ合ってくださる人々

 私が所属する緩和ケア病棟では、残念ながら、まだボランティア組織は十分に機能しておりません。
 昨年から、ボランティアさんに来ていただこうと、試行錯誤しております。

 そこで、以前からポンが考えていた、ボランティアにぴったりの人材…、ぴったりの「お方」がいらっしゃいました。

 それは、以前にうちの緩和ケア病棟で患者さんを看取られた方…、ご家族さんでした。

 
 そのお方は、病院に泊まり込んで、患者さん(=奥さん)の介護をされておりました。
 私はその患者さんの受け持ち看護師をさせていただいておりました。
 自分でいうのも何ですが、患者さん・家族さんの看護はがんばれていた、と思っていて…。

 患者さんもそうですが、ご家族みんなと、「仲良し」であったと思います。

 そのお方、花田さん(仮称)の奥さんへの介護ときたら。
 とっても素敵でね。
 奥さんである患者さんに対する姿勢だけでなく、病棟に入院しているほかの患者さんにまで、さりげなく配慮をしてくださっていました。
 
 そんな姿をみておりましたので、もしや…、と思い、思い切って連絡をとってみました。
 (それまでにも何度かお会いしてお話を聴かせていただく機会があったのですが、正式にボランティアのお願いをするには至っておりませんでした。)


 もじもじしつつ、ボランティアのお願いをしてみると…。


 「おおっ、ポンっ!(←花田さんは私を呼び捨てにします、愛情をもって、ですよ!)やっときたか、僕は前から言ってただろー、待ってたんだよー。」


 
 

 なんとー。
 快諾してくださいました。


 まだ、病棟にボランティア組織というちゃんとしたものはありませんが、少しずつ、ボランティアさんがぽつぽつとお手伝いに来てくださるようになってきています。
 今、来てくださっているボランティアさんを、何とか組織化できれば…。

 そう願いつつ、様子をみておるところであります。


 で。


 花田さん。
 今月から、ある試みでもって、活動を開始してくださる予定です。

 私もその試みをわくわくして待っています。

 また、ぼちぼちとご報告したいと思います。


 ボランティアさんは、募集して来ていただくというきっかけもありかもしれませんが、今は、草の根的に人材を探そう…といろんな方との出会いを大切にするようにしております。
 

嗚呼。

2011-03-21 02:10:18 | 触れ合ってくださる人々

 このところ、自分の所属する病棟では、もう、言葉には言い表せないくらいの「大変だー」な?出来事が頻繁に起こっています。
 
 残念なことに、その原因は、スタッフ間のコミュニケーション不足。

 
 治療やケアの方針は、通常、カンファレンスというフォーマルな場でいろいろ話し合われるのですが、今の病棟の状態はカンファレンス以外のインフォーマルな場でひそひそと話し合われ、愚痴の交し合い、誰かのせいにして、お互いが自分のことを振り返ることができていない状況です。

 そんな状況で、ここ数か月、離職者も数人ありました。
 とても残念なことです。


 今の病棟の状態は、正直にいうと、「ぐっちゃぐっちゃ」。
 

 もちろん、批判の対象には、ポンも含まれていました。
 
 私は、看護部と言って看護師の元締めの部署に属しながらも緩和ケア病棟で活動していたので、スタッフからは「どうして、部署のスタッフでもない人から采配を受けないといけないのか…。」という批判を受けました。
 看護部長からは、そのあたりの権限はいただいていたのですが、スタッフには届かなかったようです。
 「感情」が、そう思わせたのだろうと思えました。

 
 そして。


 紆余曲折を経て、私は、緩和ケア病棟のスタッフを「部下」とすることを拝命いたしました。 


 本来、私の活動は一つの部署にとどまって行うというよりも、対象となる患者さんやその患者さんがいる部署を対象に幅広く活動を行えれば理想と思っていましたが、今の状況では致し方ないことです。

 
 看護部長も断腸の思いで私のポジションを考えたということは、いやというほど、認識しています。
 
 

 半ば、もう、自分のスペシャリストとしての立場を捨てて、普通のスタッフとして、担当する患者さんのケアのエネルギーを注ぐことをよしとしてもいいのではないかと思う自分もいました。
 今も、それは変わりありません。
 
 かつて、別のサイトで自分のブログをやっていたのですが(今は全く更新していません)、それを、今日、あらためて読み返してみました。
 

 ああ。
 あの時、私はとても苦しんでいた…。
 ああ。
 あの時、あの患者さんとの出会いは、今の私の礎になってるんだな…。


 いろいろな思いがぶわーーーと溢れてきました。


 こんな、自分としてはとても混沌とした環境に放り込まれたような思いに苛まれる今。


 ぽっきり折れそうな自分を支えているものは何か?とあらためて考えてしまいます。

 


 それは、やはり、緩和ケアをやることのつらさと苦しみと、それがやりがいになり、他者と自分との向き合いを続けながら、これといった答えはないからこそ、ずっと自分の行ってきたケアを振り返り続けることが大切だと教えてもらった「緩和ケア仲間」の存在かもしれない…。
 もちろん、つらさ、苦しみ、やりがいを感じるには、患者さんや家族がいないとありえないことなので、患者さんや家族さんとの出会いにも感謝をしてもしきれないくらいの気持ちでいます。

 
 
 今の苦しみが、無駄ではないと信じたい。
 でも、苦しみの類を感じるのはどこの職場でも同じとしても、今の職場で感じる必要はないのではないか?と思えるくらいの理不尽さにも苛まれながら…。


 私は現状を少しでも前向きにするために…。
 大げさな言い方ですが。
 この部署を「変える」ために。


 へなちょこですが、本分である「チェンジエージェント」にならなければ、と思っています。

 

学会での出会い

2011-02-15 02:35:25 | 触れ合ってくださる人々

 がん看護学会に参加してきました。

 発表も無事に終わり、束の間ですが、ほっとしてます。

 学会に行くと、いつもながら、いろんな人との出会いや再会があります。
 今回も同じですが、発表したとあって、今まで以上にいろんな人とお話ができたと思います。

 抄録をみて、私が発表だと知った友人が声をかけてくれたり、恩師に近況報告ができたり、依頼されている講義の「メガトン級の」プレッシャーを頂いたり…。それから、ご近所の病院の認定看護師さんが挨拶に来てくださったり…。
 
 さらに、認定看護師の教育をしていたこともあって、未だに私を「先生」と呼んでくださる方がいらっしゃるのは、本当に「こんな私なのに~~~~!」という思いもあって、照れるやら、申し訳ないやら、です。

 
 今回の学会で最も心に残った出会いは…。

 それは、以前、勤務していた病院の看護師さんとの出会いです。今は、退職して、大学院に進学し、スペシャリストを目指しているのだそうです。
 
 そして、その彼女は、私が緩和ケアチームで活動している時代に、チームがカンファレンスを開いた時に、メンバーとして参加してくれていたそうで、今もそれが印象に残っていると話してくださいました。


 へ~~~~~~~~~。
 


 あの頃を思い出します。自分に余裕がなくて、自分のスペシャリストを目指す道をどう歩んだらいいのかわからず、とてもしんどかった時代でした。
 自信は、今以上になくて、行き場がない思いを持っていました。

 
 自分には、まだまだ修行が足りないと思っています。
 すべての出会う方と一緒にお仕事をできるわけではありませんが、一人でも多くの方が緩和の面白さや大切さを知り、実践に活かせてもらえたらという気持ちは、自尊心が低い私ですが、今も昔もかわりません。

 このところ、ほんの少しですが、自分が何らかの形でかかわったことで、緩和をやってみたい、と思えたという人に出会っています。
 ひとりでも多くの方に、緩和に興味を持ってもらえたら、と思っています。

 なぜなら、緩和は、特別なものではなく、医療や看護の基本だと思っているからです。

 緩和といえば、今はがん患者さんが対象だと思われがちですが、この先、どの疾患の患者さんにもこの考え方が浸透していくものだ、そうなっていくべきだと思っています。

 
 やっぱり…。
 こういう出会いが、不甲斐ない自分に、何とかぼちぼちと今の活動を続ける「エネルギー」を与えてくれているのだ…、とつくづく思います。
 自分とかかわってくださる皆々様に感謝…。