緩和ケアで行こう

へなちょこ緩和ケアナース?!のネガティブ傾向な日記です。

気になるので…

2011-10-31 23:22:35 | 

 最近、体重と体型がとっても気にっています。

 いや、今に始まったことではなくて…。

 年齢とともに代謝が落ちているとはわかっていても、今までに増して食欲がありすぎて…。


 
 …というわけで、ジョギングを始めてみました。


 なんとか、続けなきゃ。
 

 
 目標、マイナス3㌔!
 この目標を掲げたのは、何回目~~~???
 

あらためて、ありがとう

2011-10-30 14:49:14 | 触れ合ってくださる人々

 先日、伯母が亡くなりました。

 事故でした。
 即死でした。

 
 何が何だかわかりません。
 それは親族の誰もが感じていることでした。

 うちの母親は8人兄弟。
 伯母は一番年上の長女でした。
 母親の自宅の近くに住んでいたので、それはそれは、とても親子ともにお世話になっているおばちゃんでした。

 そして、母親の兄弟みんなが自分たちの「司令塔」であり、「相談相手」であったおばちゃんを失ってしまいました。


 特に、母親は、その日の日中も、ずっとおばちゃんと過ごしていました。
 今まで一緒にいた人が、数時間後には死んでしまって、数日後には姿もなくなってしまう…。
 火葬場で骨と灰になってしまった姿をみて、その変化の早さについていけませんでした。


 
 外傷は頭部に激しく、出血が止まりませんでした。
 棺の中のおばちゃんは、ほんまに、眠っているようでしたが、眠っているお顔の深部は、骨がぐちゃぐちゃになっていたらしく、顔の原型がなんとかとどめられていたことは、みている私たちにとっては救いでした。


 フラダンスが好きだったおばちゃん。派手!っていうイメージがあったおばちゃん。
 白装束なんて、ちっとも似合いやしないっ。


 
 誰よりも、おばちゃんの息子であるA君は、まだまだ現実を受け止めきれていません。
 ごく当然のことです。

 けれども、喪主というものは、葬式云々の段取りやらでしっかりと悲しむ暇がないものです。
 ひと段落がついた頃、またどうしようもない悲しみがどっと押し寄せてくるのだろうな…、と、しっかりと親族の指揮をとっていたA君をみていると感じました。
 


 私は、親族という立場で今回のことで感じたことがあったのと同時に、緩和オタク?としては、職業人として感じたことがありました。
 それは、また折々にお話できればいいな、と思っています。

 
 


 おばちゃんがいつも気にしていたことを教えてもらいました。
 それは、いとこ同士がこれから連絡を取り合って仲良くしてもらいたい、ということでした。

 
 そういえば。
 もう、10年以上も会っていないいとこもいました。
 私たちいとこ世代はみんな仕事が忙しくなってきている年代なので、こんな機会じゃないと顔をみることがなかなかありません。
 大勢のいとこにしっかりと?会ったのは久しぶりでした。

 こんな悲しい機会でもって、顔合わせなんてしたくない、というのが本音ですが、こういうことをきっかけに生まれることもあるものですね…。



 あらためて、おばちゃんに感謝したいと思います。

 本当に、ありがとう…。
 

臭化ブチルスコポラミン(ブスコパン)の舌下

2011-10-23 19:05:32 | ケアの感覚

 胃がんで幽門側狭窄がみられている患者さんに、「ブスコパン、舌下、0.3ml」という指示がでました。

 周期的に、髪の毛がどっちゃーーーっと濡れるくらいの嘔吐がみられていて、患者さんがとても気の毒なくらいでした。
 意識はもうろうとされていたのですが、これが意識がしっかりしていたらどうなっていたか…。


 
 そして、指示通り、ブスコパンを舌下ーっ。


 しかーし。
 

 意識がもうろうとしていた患者さんが…。


 「にっがーーーーーーいっ」と悶絶されておりました。



 えええ?そんなに苦いの?そうなん?そうなん?
 


 そこで、ポンは、舌下に使った残りのブスコパンのほんの一滴を指に垂らして舐めてみました。





 うぉぉぉぉおおおおおおおおおっ~~~っ、にっがーーーーーーーーーーーーー~~~~~~~いっ。
 

 


 ほんの一滴ですが、舐めたとたん、口の中に苦みが速攻で…、さささささーーーっと広がりました。
 
 こりゃ、あかんわ…。


 結局、気の毒だったけど、鼻から胃までチューブを入れてドレナージすることにしました。
 ああ。あのブスコパンを0.3mlも口に入れるって、地獄に近い苦さだったろうに…。

 
 ある症例研究で、ドルミカムの舌下っちゅうのを読んだことがありますが、おそらく。
 注射製剤は注射製剤であるからにして、口に入れてはならん味がするのではないかと推測いたしました。
 注射製剤の舌下の難点は「苦み」ってことでしょうけど、その苦みって、その3文字で表すには足りんくらい、苦いですぞよ…。
 


 
 よく、学生さんに伝えています。患者さんのお薬の残りがあれば、それが少量くらい口にしても問題のないものなら、ちょっと試しに口にしてみたらいい、患者さんの気持ちになれますよーーーって。

 これは相当、いい経験になりました。
 患者さんにはとても申し訳なかったです。

 ところで、死前喘鳴の時にはスコポラミンが舌下されることがありますが、こちらのお味はいかがなものなのでしょうか…。

 

自分との闘い

2011-10-20 21:59:03 | ぼやき

 やりたいことよりも、やらなければならないことにまみれている私。

 この、「やらなければならないこと」が、「続けてやってみてもいいな」と思えるといいのだけど…。



 それは、私が私でなくならないと無理かもしれないと思う、今日この頃…。

 
 明日も、明後日も、私という人間は生き続けるから、自分との闘いかもしれません。

 

その道の専門家

2011-10-17 21:43:00 | 触れ合ってくださる人々

 以前に勤務している病院で、もともとは麻酔科の医師をやっていたけど、内科を勉強し直したくて…、という研修医(女医さん)に出会いました。

 頭の中が緩和ケアまみれ?な私は、元麻酔科の医師なら、ちょっとは疼痛のこととかお話しできるのかな、、なんてその先生に期待していたのですが…。


 
 さてさて、何を専門の科とするのかを決めた!というお話をポンにしてくれた女医さん。
 選択した科は、「循環器内科」。


 そこで、ポンは尋ねました。


 「へーー。何で、循環器内科なん?」と。



 女医さんは答えました。



 「だってー。がんの患者さん、診なくていいやん。」




 
 およよーーーーっ。



 何を専門とするのかなんて、がんばれば?方向転換できるものだとは思いますが、専門を「消去法」で決めちゃいますか?と思った瞬間でした。



 私は、その女医さんの深いところの気持ちまではうかがっていないのでわかりません。 
 ただ、専門をそんな理由で決めていいの?と思ったと同時に、どれだけがん患者さんや家族さんとのかかわりをネガティブに捉えているんだろうと思った瞬間でもありました。

 医師には医師なりのつらくてきつい立場があるものだと、最近になって、どんなにへそ曲がりな医師を相手にしても、そう思えるようにはなりました。
 (実際に理解を示すことができている行動がとれているかどうかは、かなり、別かもしれーーーんっ)


 

 専門とするところは。
 消去法のような消極的な理由で決めるよりも、「これをやりたい」「これだからやり甲斐がある」「これだったら、少々のことでもがんばっていけそう」、何より、「これが好きだ」という理由じゃないと、本当の意味で、「専門家」にはなれないのではないかと思います。
 ひょっとしたら、続けることができないかもしれないのではないかとも思います。


 
 世の中の医療の世界には「その道の専門家です」という人がたくさん出現しております。
 よくよくその専門家さんに耳を傾けてみると、本当にその道を歩みたくはないのに、「歩まされた」という方もいらっしゃいます。
 その方にとっては、病院という組織から、専門家になれ!といわれてその道に進まざるを得なかったのは不幸かもしれません。
 しかし、患者さんの幸せや安楽を願う者としては、専門家になるなら、それなりの覚悟をしてなるべきではないかと思うのです。






 シシリーソンダースが、緩和ケアのコツのひとつは、「患者さんを好きになること」だと話していたと耳にしたことがあります。
 
 専門家が、その専門の道を好きになれなくて、患者さんを好きになることはできるのかしら。
 日々、自分にとって、いいことばかりが起こるわけじゃありません。
 どんなにがんばっても、どんなに誠意を尽くしてみても、やりきれない状況に追い込まれることもあります。
 患者さんや家族さんから、医療者の思いとは裏腹、不信感を抱かれたり、疎まれたりすることもあるし、「ひょっとしたら、これは徒労か?」と思うようなことも多々起こります。
 体も心も、患者さんやご家族に巻き込まれ、ぼろぼろになるときもしばしばです。


 
 そんな逆境にあっても、何とか踏ん張れる原動力は、「患者さんを好きになれること」とか「その道が好きだ」ということだけだとは言いませんが、そうあることはとても大切なのではないかと思います。



 

 ただ、ですね。
 その気持ちも、時として、萎えるときはあるんですね。
 だるまさんのように、転んでも起き上がることができるのは、「与えられた仕事だから」ではなく、「やりたいことだから」がとても大切なような気がしてなりません。


 結果がうまくでるかどうかよりも、そのプロセスを見つめることができるかどうかは、「続けていきたい」と思えるかどうかなのではないかと思います。


 
 私は、緩和ケアが好きです。
 自分の能力はたいしたことはないと思っていますが、それでも、続けていきたいと思います。
 それは、人にも伝えていきたいと思うところです。




 あの女医さんはどうしているのかしら…。

 これだ!というものに出会えていることを願わんばかりです。

 

 

苦しむのが仕事

2011-10-12 23:38:26 | 日々の「ケア」

 今、病棟全体が、ある患者さんのことでとっても悩んでいます。


 正直に言うと、その患者さんやご家族とのお付き合いに疲れたな…。
 そう思うことがあります。
 それは、私だけではなく、どのスタッフもそう思っていると思います。


 原因は患者さんのことなのだけど、病気である患者さんに非はないのですが、何とも、どこにもぶつけようのない気持ちになっています。


 先日も、長時間にわたり、医師とご家族が話をしているところに同席しました。


 ご家族も、とてもとても心を痛めておられます。


 
 そんなときに、医師は言いました。
 
 「緩和ケアでは、患者さんのために、苦しむことも、僕たちの仕事です…。」


 確かに…。
 そこんとこ、なしでは、痛みを感じることもできないだろうし、私たちにできることは何だろうか、という考えにも及ばないのかもしれません。 
 苦しいという感覚は、患者さんやご家族があってのことです。


 そうだよな~~~って思っていた矢先に。



 医師が、カンファレンス室でぼやいていました。


 「ああ、しんど。なんでこんなにしんどいんやろなー。」



 ポンは、心で、「せんせ、苦しむことが仕事、ゆうてたやん!」と咄嗟に思いました。

 そして、思わず、口走ってしまった、私。


 「先生は、この前、苦しむことが僕らの仕事です、ゆうてはりました…。」




 おいおい。
 せんせに対して、喧嘩、売っとんのか…。
 


 
 
 そうそう。

 理不尽なんですなぁ。


 病気って、そもそも、理不尽です。
 患者さんやご家族にとっても理不尽です。
 もれなく、私たちにとっても理不尽です。

 理不尽だから、みんながじたばたするんでしょうね。
 みっともない姿をさらしたり、言動が乱れたりもするんでしょうね。

 これって、ごく自然なことだと、冷静に考えればわかります。



 でも。
 




 せんせに、オウム返しのように言葉を返してしまった私こそ、疲れているのでありました。


 今、病棟に力がない、そんな感じです。


 思っていることを、後先の考えなしに、意見を受けることもあります。

 
 病棟が、理不尽さに直面するとき。
 私は、病棟の本当の底力がどれくらいあるのかを問われていると思います。


 その底力は、ひょっとしたら、ある瞬間に生まれる可能性もあるかもしれませんが、多くはそんなことはなくて、いろいろな場面の積み重ねで育まれていくものだと思います。


 そこんとこを育めるように、船頭さんになるのが私のお仕事かもしれませんが…。

 船頭さんだけがしっかりしていればいいというものでもないのでは、とも思ったり。


 
 正直にいって、今の自分には「続ける」自信がありません。
 仕方ないです。
 エネルギーが枯渇しているのですから。


 やっぱり、苦しむのが仕事、なのでしょうなぁ。


 どないしましょかね…。
 
 

がんばれ!受験

2011-10-09 16:16:38 | 触れ合ってくださる人々

 うちの病棟に看護助手さんでやってきた彼女は19歳。
 今度、看護学校を受験するのだそうな。

 ああ。何とか合格してもらいたいな…。
 

 そんな気持ちもありまして。



 受験科目のひとつである英語のお勉強のお手伝いをすることにいたしました…。

 看護学校程度の英語なら、おまかせ~~といいたいところですが、自分はわかっていても、どうやって伝えるのか?それが問題。


 そこで、まずは『これだけはおさえておきたい!英単語』なるものを作成いたしまして…。

 
 夢があるっていいねぇ。
 「彼女は看護師になりたいんです~。看護師さんってかっこいい~~。」と話しておりました。
 現実はかっこいいだけではないのですが、とにかく、夢に向かっているのが素敵だと思います。





 リトルチャロというお話の中で、ナムタカがチャロに向かって言っていた言葉を思い出します。

 No dream comes true, if you do not believe. Never stop believing.

 うぅむ。その通りだなぁ。
 


 がんばれっ。
 

運動会

2011-10-02 01:03:56 | 患者さん

 運動会に行ってきました。

 自分の家族の運動会ではなく…。患者さんの。

 

 これがラストチャンス。
 そんな体調の大沼さん(仮称)は、ご夫婦ともに、子どもさんの運動会に行けたらいいなーと思っていたそうです。
 けれど、このところの体調は、ご家族だけで運動会に行く予定を立てるにはあまりにも困難すぎるものとなっていました。



 そら、いかなあかんやろ。



 これは、スタッフみんなが思ったことです。

 
 以前にも患者さんのおでかけに同行した経験がいくつかあるポンとしましては、この計画を成功させるためには、「実際に現地を下見する」ことが秘訣と思ったので、スタッフに提案しました。
 あっさりと、勤務の途中でしたが、下見に行ってもよいと言ってもらえましたので、運動会の会場である学校に白衣のまま直行しました。


 担任の先生だけでなく、校長先生、教頭先生も、当日のことを、ポンと一緒にいろいろシュミレーションしてくださり、イメージはばっちりとできあがりました。




 そして、今日を迎えました。


 雨も上がった。
 かんかんに暑い日というわけではなく。涼しすぎるかな?とは思ったけど、大沼さんの体調には優しいお天気になりました。




 
 運動会をみていた大沼さんは、涙を流されていました。
 子どもさんが参加していたプログラムだけでなく、いろんなプログラムを見ながら、涙を流されていました。
 お渡しした「涙拭き」では間に合わないくらい、膝にかけていた上着に涙がたくさんこぼれていました。


 その思いというのは、おそらく、語りきれないものがあったと思います。
 
 後ろに座り、大沼さんの横顔を眺めていると、思わずもらい泣きしてしまいました。
 
 
 幸い、大沼さんは、運動会に参加している間、つらい症状に悩まされずに済みました。
 (何かあったらすぐに対応しよう!ってなわけで、医師も同伴していましたし、それなりの薬剤に物品も揃えてました)


 

 大沼さんは、ご自分のお気持ちをあれこれと語る方ではありません。
 でも、傍から見ていると、思いがあふれていることはよくわかります。


 これからも、大沼さんの思いを「聞き出そう」とは思いませんが、今日の目標達成に尽きることなく、そばにいさせていただきたいと思っています。




 今日の運動会は、自分の経験した運動会とは、言い過ぎかもしれないけど、「全く違った」運動会になりました。