緩和ケアで行こう

へなちょこ緩和ケアナース?!のネガティブ傾向な日記です。

ゴールデンウィーク

2008-04-29 14:40:03 | offの日

 世の中はGWが始まり、お休み気分…?
 
 病棟で勤務している看護師が、GWだといって長期の旅行の計画を立てることはまず!ないでしょう…。
 私は病棟で夜勤をこなしているわけではないのですが、GWの計画は、

 ありません…。

 計画を立てるエネルギーも枯渇中。今日は、家でじーーーっとしておこう…。
 

この体たらく!

2008-04-20 21:12:08 | 日々の「ケア」

 私の勤務している病院は、お世辞にも都会にあるとはいえません。
 むしろ…、というよりは、ぜーーーったい、「田舎」にあるのです…。

 当院には農業や林業などの第一次産業に従事されている方が多く入院されてきます。だから、田舎なのだ、というわけではなく、その仕事で生計を立てていくのに適した土地ということになりましょうか。

 どの地域においてもそうですが、地域にはその地域なりの人、環境、文化、習慣などの特徴を持っています。
 私は病院のある地で生まれ育ったわけではありません。しかし、患者さんとお話をする中で、自分で生活している中で、自分の住む地域のことが少しずつ認識でき、そして肌に馴染んできているとも思います(本当はどうだかー)。

 私は、地域に根ざした病院に勤務していながら、特別、地域に馴染む努力はしておりません。
 完全な私の勘違い・無知なのですが、絶対にそうしたほうがいいのは、在宅看護部門だと思っていました。
 これほど、在宅療養の充実が叫ばれている昨今に、何と言う体たらくでしょう。
 まだまだ場所すら想像できない地名もありますし、そこがどの辺りかすら思い浮かばない場所がたくさんあります。
 
 地域を知るということは、自分が地元に馴染むということだけではありません。
 地域を知ることによって、患者さんや家族の置かれている状況を知ることになります。
 例えば、
 通院にかかる時間、利用する交通機関、仕事の内容、農繁期の忙しさ・大切さ、自宅周辺の環境、近隣の住人との交流、どの診療所が自宅から近いのか、などなど。

 今は、地域のことで知らないことは、すべて「患者さんから教えてもらう」というスタンスにある私ですが、これからは少し、「患者さんと同じイメージを持ってお話できる」ようになりたいと考えています。

灯篭を拝見

2008-04-12 22:16:59 | 患者さん

 松井さん(79歳、男性)は、緩和ケア科外来を受診する予定になっていました。しかし、その手前で体調が思わしくなく、一般病棟に入院されました。

 緩和ケア病棟に入院される予定の患者さんだったので、医師もそのつもりにしていました。

 松井さんに病状の説明のご希望を確認すると、「家族に伝えてくれたらいい」とおっしゃいました。
 ご家族は、「本人は緩和ケア病棟がどんなところか、近所の人がそこで亡くなったので知ってます。今になってそちらに移ることは、もうだめだと伝えるのに等しいことだし、このまま緩和ケア病棟には行かずに、お願いします…。」と話されました。松井さんは、ちゃんと、自分の病気はもう良くならない、自分は長くないということをわかっていらっしゃると思われました。
 そこで、一般病棟のままでケアをさせていただくことになりました。

 一般病棟の担当医は「最期まで、よろしくお願いします。」と私にケアの「同伴」を頼んできてくれたので、快く引き受けることにしました。

 松井さんは、とてもお話好きです。入れ歯をはずしたまま、調子よく喋るので、聞き取れないことが多々あるのですが、お嫁さんがいつも通訳をしたり、補足説明をしてくれます。
 実は、私に話してくださることは、家族はすべて「聞いたことがあって、オチも知っている」内容みたいです。松井さんが私に話をはじめると、「あー、あー、あれね?」といって、ニコニコされます。

 松井さんは、自分の職人芸並みの仕事ぶりに誇りをもっていらっしゃいます。そして、もうひとつ、松井さんには誇りに思うものがありました。
 それは、「邸宅の庭」。

 なんと、庭にどでかい灯篭を建てたのだそうです。
 松井さんは、「自分が死んでも、自分がいたのだと思い出してもらえるように建てた」と話されていました。
 
 この灯篭は、松井さんにとって、生きていた証であるだけではないと思いました。何度か、そのお話を耳にしているうちに、「生きている証」なのだと私は思いました。

 で。

 今日は、松井さんのおうちの見学に行ってきたのでありました。
 まるで、ストーカーのようですが、私がこうすることは、松井さんも、ご家族も喜ばれると思ったからです、敢えて言わせていただきますと。

 ナビに翻弄されながら、山に近い街にある松井さんの家の灯篭を眺めてきました。
 ごめんくださーーーい、といって、お邪魔させていただくわけにもいかず、門前でうろうろきょろきょろしていた私は、まるで不審者でした。
 その代わり、ちゃんとデジカメにおさめてきたので、その写真を「見てきた証拠」として、また松井さんとお話をしたいと思っています。

 ちょっとした楽しみを提供し、その人の生きてきた歴史をともに振り返ることも、私の役割だと思っています。

岐路

2008-04-06 13:55:10 | 

 今は岐路に立っているかもしれない、とそう思えて仕方ない今日この頃…。

 私ががん看護を専門としたのは、これまでの自分の苦い臨床経験がきっかけでした。私は、「がん看護の専門です」と資格をとったことできちんとアナウンスすることができるようになりました。
 勿論、ある程度の実績を積んだからこの資格をいただけたのだと思います。自分でいうのも何ですが、がんばったから資格がもらえたんだ~~、と思います。

 今、私は緩和ケア病棟を主として活動をしております。しかし、最近になって、このままでいいのだろうか?と再考せざるを得なくなりました。
 がん患者さんのケアは、がんの終末期に限ったことではありません。診断や治療を受けている時期から、がん患者さんにはケアが提供されなければなりません。
 今の私の活動範囲は、がん患者さんの経過の一部でしかない。そもそも、がん看護の専門ですと名乗るからには、がん患者さんの経過のすべての時期においてケアを提供できなければなりません。
 
 私はどうか?というと。
 緩和ケア病棟を主として活動しているために、診断や治療の時期のケアからは遠ざかってしまっているような気がします。
 
 このままでいいのかな?このまま、私が「がん看護を専門としてます」と名乗ることは許されるのだろうか?
 自問してます。

 活動の拠点を変えるべきかどうか、悩んでいます。