goo blog サービス終了のお知らせ 

緩和ケアで行こう

へなちょこ緩和ケアナース?!のネガティブ傾向な日記です。

かあちゃんと物語を作る

2009-11-21 14:02:01 | 患者さん

 中原さん(仮称)は、今、痛みと闘っています。
 自宅で過ごされている時には、人格が変わるほどの痛みに悩まされていましたが、入院して痛みは落ち着きました。
 そして、また、痛みが中原さんを襲い、その都度、鎮痛剤を調節して、何とか乗り越えてきました。

 今日は、中原さんとその中原さんの奥様のお話。

 私は、奥様を「中原かあちゃん」と呼ばせていただいています☆

 
 中原さんは、もと任侠の世界でいらっしゃった方。ケアの合間に、それはそれはたくさんのお話をさせていただきました。
 その中で、ふと、中原さんが私におっしゃったこと。
 
 「うちのかあちゃんと付き合ってみたら?面白いで。」

 付き合うとは、患者さんのご家族と看護師という関係の枠を取っ払って、お話してみたら?と中原さんがおっしゃっているのだと、私は理解しました。

 おそらく、中原さんのケアをさせていただくってことは、ご家族のケアをさせていただくことももれなくついてくるってことで…。
 中原かあちゃんと「仲良し?」になるのは時間の問題だろうなぁ、とも思っておりました。


 中原さんからは、中原かあちゃんのお話もたくさん聴いてました。それは、かあちゃんがどんな人かという説明だけじゃなくて、中原さんがかあちゃんのことを、ご家族のことをどれだけ大切にしているか、という中原さんのお気持ちも込められていました。

 中原さん曰く、かあちゃんは、怒ったら自分より手が早い…(=殴るってことね)って。
 耳にした時には、「ひょえーーーーっ」と思いましたが、それは昔、昔のお話。
 
 

 中原かあちゃんとは、中原さんのケアのこと、ご家族の問題のことなどなど、たくさんお話をしてきました。

 看護師がご家族からケアを目的としてお話をするって、どんな場面を想像されるでしょうか。
 面談室ってな場所で、真剣に…?
 いえいえ、最近のスタイルは、デイルームで「茶をしばきながら」。

 中原かあちゃんはコーヒーが好きなので、私がコーヒーを入れて。私は仕事でばたばたして喉が渇いているので、冷たいお茶を入れて。
 あ、私、さぼっているわけじゃないんですよ。きちんとケアをしてます。
 あ、でも、お茶をぐびっと飲ませていただいています。ぷは。

 ケアのことで真剣な話をするのが目的ですが、いつも、その切り口からお話しするわけじゃありません。
 中原かあちゃんの「興味のある」お話を聴いてからってこともあります。その時間に30分以上も費やすこともあって…。
 楽しいんだけど、業務のことを考えると、「んあーーーーっ」なんです。
 いやいや、これも必要な時間。大切な時間。


 おかげさんで、中原かあちゃんとは自分で言うのもなんですが、いいやりとりをさせていただていると思います。
 中原かあちゃんは、ご自分の畑で野菜も作りますし、手料理の達人です。
 んで、「ぽんさん、漬物もってきたで。帰って食べや。」「玉ねぎ、持ってきたで。みんな、うちの作る玉ねぎは甘い、ってゆうてくれるんよ。」

 私は、ありがたーく頂戴しています。もらった玉ねぎで玉ねぎ料理を作って、お返ししてっと(手料理の達人に料理で返そうとは、えらい度胸さねー。)。


 勿論、当院では、患者さんからのお礼というのはお断りしています。
 でも、こういうのは、病院が禁止している「お礼」とはまた違うと思っています。
 お互いの、気持ちのやり取りだと思っています。


 閑話休題。


 中原さんは、病気のために、さまざまなものを失いつつも、日々、自分なりに目標をもって、必死に、生きていらっしゃいます。
 必死に生きているときもありますが、日々の流れにのって穏やかに過ごされているときもあります。

 中原かあちゃんと私のやり取りを、中原さんは目を細めて見守ってくれています。看護師は、患者さんが苦しい時だけにそばにいる存在ではありません。ここぞという時には、本領を発揮しないといけません。
 けれど、患者さんが穏やかに過ごされているときにだって、患者さんを含め、ご家族とのやり取りを重ねていくことが、本当のケアだと思います。

 

 柳田邦男氏は、講演でおっしゃっていました。
 
 「死を受け容れるには、物語を作って脈絡のあるものにするしかない。」

 
 この言葉を耳にする以前から、私と中原かあちゃんのやりとりは始まっていたのですが、この言葉を耳にして、「ああ、そうなのか」と思いました。


 私、中原かあちゃんと物語を作ってる、と。
 勿論、患者さんともね。


 残念ながら、来るべき時はやって来ます。
 
 このやりとりの積み重ねが、少しでも患者さとご家族の安心となり、つらく思うときがやってきても、なんとか持ちこたえることができるものになってくれることを思って止みません。
 

阪神にはがんばってもらわねば

2009-09-02 22:23:05 | 患者さん

 葛西さん(仮称)は、全身の骨の転移のために、ベッドでの生活を余儀なくされております。
 
 そんな葛西さんは阪神ファンです。

 夜になると、葛西さんからはこんなコールがあります…。

 
 コールがあったので、お部屋にいくと…。

 「阪神、勝ったでーっ。」

 阪神ファンの葛西さんは、阪神が勝った夜はとても気分がいいのです。
 ということは、阪神が負けると、気分はすっきりというわけにはいかないようです。

 葛西さんは、とても阪神を愛しておられます。



 一方、ポンはといいますと、巨人ファンです。昔は、宮崎のキャンプまで選手を追いかけたこともありましたが、松井がメジャーに行ってしまってからは、「適当な巨人ファン」になってしまいました。
 でも。
 どうあっても、阪神ファンになれないところがあります。
 最近となっては、阪神が嫌いというわけではないのですが、阪神がどうであろうが、「関心がない」というのが本音です。


 さて。
 夜勤で葛西さんを受け持つ時には、気になることがあります。
 それは、阪神戦のある夜は、阪神が勝ったか、負けたか、です。

 葛西さんは、阪神が負けると、
 「あーー、気分が悪い。腹立って寝られへんから、今日は薬(睡眠薬)、頂戴!」とおっしゃるときもあります。

 
 決して、阪神ファンではないポンですが、葛西さんをみていると、できるだけ阪神に勝ってもらいたいという気持ちになります。
 それは、自分の勤務を穏便に終わらせたいというのではありません。

 勿論、葛西さんが穏やかな夜を過ごせるように、という意味で、ですよっ。
 
 
 葛西さんのために、阪神には勝ってもらいたいと思います。

 できれば、巨人戦以外の時に…。
 いえ。
 いえ。
 巨人戦であっても、ま、えっか。


 だって。だって。もう、阪神は今年は優勝できないだろうし…。

 いや、いや。
 葛西さんのために勝ってもらわなきゃ…。


 でもですね、
 あまりにも不甲斐ない負け方をしていたら、ポンとしましては、本気で、阪神に対して、苦情と応援のお手紙を書こうと思っておりました。
 
 葛西さんには、気持ちよく夜を過ごしてもらいたいし、安眠できることを願っておりますから。


 こんなところで囁いても届かないかもしれないけど…。

 堂々とはいえませんが(巨人ファンやからね)、


 『阪神、葛西さんのために、がんばっておくれーーーーーっ。』

「がん」という言葉のインパクト

2009-07-17 23:12:59 | 患者さん

 外来で化学療法を受けていた森崎さん(仮称)とお話をしておりました。

 森崎さんは、「がん」という言葉がとても「どぎつい」とおっしゃっておりました。森崎さんは、今でも「がん」という言葉がだめで、「が」「ん」という文字を見るだけで、自分の病気を意識してしまい、とてもつらくなるそうです。

 例えば、「『がん』ばれ」という言葉をみただけでもどきっとするそうです。

 がん患者さんは、いつもいつも、四六時中、自分ががん患者であるということを思いながら生活しているわけではありません。
 自分ががん患者なのだということをすっかり忘れてしまっていることもあります。
 自分ががんということを忘れることのできる時間をもてることはとても大切なことだと思います。
 いつもがん患者である必要はないと思います。

 ただ、
 現実に目を向けると、背けようのない事実が押し寄せてきます。
 そのタイミングは、人によってさまざまで、ふとしたことで、がん患者に戻ってしまう自分を自覚すると、色々な思いが押し寄せ、つらい気持ちになります。
 
 森崎さんにとってのタイミングとは「がん」という言葉を目に、耳にした時だそうです。

 森崎さんは言います。

 
 「がん」以外に、がんの呼び方ってないんかな?


 ほほーぅ。

 面白い。


 私は森崎さんに尋ねました。

 じゃ、他になんて呼べばいいかな?


 森崎さん、曰く。


 「ぴょん」とか…。


 (私)ぴょん?????????????

 (森崎さん)もっと、可愛い呼び方がええわ。


 おもしろーい。

 想像してみた。
 外来で、病名の告知の場面。医師は真剣な面持ち。患者さんはとても不安げにしているそのとき。
 「実は、検査の結果、あなたは『ぴょん』であることがわかりました。」
 「これからは『抗ぴょん剤』を使って治療をします。」


 想像したのは、吉本新喜劇で、コメディアンのみなみなさんが一斉にこけるシーン。
 どてっ。

  
 彼女の発想の面白さに関心してしまた私です。

 が。

 彼女はそうはいいつつ、普段はがんを意識することなく生活できる時間を持てていることを喜びつつも、自分ががんにかかっているという事実とは決別できるわけもなく、その事実と向き合う努力をしている(意識的に、無意識的に)のだと思いました。
 
 彼女とのおつきあいは、まだまだ日が浅いのですが、がんと「闘う」ことのお手伝いをしながら、がんと「おつきあいする」お手伝いもしようと思っております。
 

行こうよ(5)

2009-05-12 22:54:22 | 患者さん

 同窓会に出席された池畑さん(仮称)は、とても凛とされていました。
 
 出席者が1人ずつ、挨拶をしていきます。トップバッターの池畑さんは、「本当に命がけの病状でここにいるの?」と思えるくらい、しっかりと挨拶をされていました。

 特に、仲のよい同級生さんは、池畑さんが挨拶をしている姿を見聞きし、涙を流されていました。その同級生さんとは、これまで長く池畑さんとやりとりをしていたので、状況をわかっていただけあって、涙を流されていたのだと思います。

 それは、私も同じで…。
 これまでの池畑さんのことを思うと、涙が止まりませんでした。

 詳細を書くと、人物が特定されるといけないので、書くことはできませんが…。池畑さんが見せてくれた色々な表情、言葉がぶわーーっと思い出されてきました。

 挨拶が終わると、池畑さんは目を閉じていらっしゃいました。
 疲れたのかな?と察しましたが、おそらく、池畑さんは同級生さんみなさんの挨拶が済むまではその場にいようと、エネルギーを温存されているのだと思われました。

 
 無事に会場を後にした私たちは再び、介護タクシーに揺られました。
 同窓会に出席できた喜びをかみしめていたのですが、池畑さんの疲労はピークでした。
 帰りの介護タクシーでの時間は、往きの10倍くらい長く感じました。池畑さんにとってはもっと、もっと長い時間だったのはないでしょうか。
 道路のちょっとした段差で車が揺れることすら、池畑さんの体には負担になっていました。
 「運転手さん、もう少し、ゆっくり行って…。」
 往きはそうおっしゃっていた池畑さんですが、帰りはその言葉を発するエネルギーもなく、眼を閉じたまま、車の揺れにただただ耐えておられました。

 
 同窓会に、どうしても行きたい…。

 その思いは叶えられました。
 おそらく、病院で過ごしていたなら、同窓会に出席するだけの、あれだけのエネルギーが総動員されることはなかったでしょう。
 
 「できることがやりたいこと」。
 そうおっしゃっていた池畑さんの、池畑さんらしい生き方だったと思います。

 最後まで、目標に向かって生きている患者さんのそばにいさせていただけることがいかに光栄かということを経験させていただきました。
 
 池畑さん、ありがとうございました。
 

行こうよ(4)

2009-04-26 19:51:23 | 患者さん

 介護タクシーに乗り込み、しばらくは、みんな少し、気持ちが高揚しているようでした。
 
 池畑さんは、
 「こうやって、歩けなくなっても、外出できるって、素敵。本当に、ありがたいわー。一昔前は、こんなことできなかったしね。」と、おっしゃってました。
 同窓会に行くことを試みる。
 これだけでも、その時の池畑さんの体調を考えると、チャレンジでした。チャレンジが成功したことを感謝していらっしゃるようにも思えました。
 
 何より、気分が高揚していたのは、池畑さんのご主人さん。
 ご主人さんは、仕事が朝に終わってから病院に駆けつけたというのに、運転手さんとご機嫌さんでお話をしまくってました。

 池畑さんは、「ちっとも寝ーへんなー。」と、にやっと笑いつつ、顔をしかめてました。
 ご主人さんにとっても、チャレンジが成功したことが嬉しかったに違いありません。


 そして、私は、というと。
 同窓会に行くことを試みる、ということだけで終わらせたくないという気持ちが一層強くなっていました。
 「何とか、会場にたどり着いてみせるわよ…
 そう思っていたので、往きの車中では、なるべく池畑さんが余計なエネルギーを使わないように、(私も気持ちはうきうきだったもので)あまり話しすぎないように気をつけることにしました。

 そして、会場に着く15分前。
 少しでも会場で楽に過ごしていただくために、モルヒネのレスキュードーズを使いました。
 池畑さんの痛みや吐き気は増強することなく、会場にたどり着くことができました。

 会場では、池畑さんの同級生3人がエントランスで待ってくださっていました。
 
 「よっしゃーっ!来たでーーーっ。」
 と思っていたのは、私だけではないと思います。

 実は、私は前日に、会場付近を通りがかりました。
 で。うちの主任さんとおでかけしていたので、主任さんとともに、会場であるホテルのエントランスやエレベーターの場所、段差、通路などの広さなどを下見しておいたんです。
 
 おかげさんで、おろおろすることなく、会場である日本料理のお店にたどり着くことができました。
 同級生のみなさんも、ナイスなアシストをしてくださり、トラブルは全くありませんでした。

 んん~~、完璧

行こうよ(3)

2009-04-10 19:35:41 | 患者さん

 ザリ子ちゃんのお話を挟みまして、池畑さん(仮称)の同窓会に同伴したお話に戻ります。


 池畑さんが同窓会に向けて病棟を出発する予定時間は10時。9時過ぎに病棟に着いた私は、池畑さんの今朝の様子を確認しました。
 スタッフから、「今、お化粧してるところよー。」と聞いてほっとしました。
 
 よし、いける…!と。

 池畑さんの体力はこのところ、急速に低下していました。
 最後まで、おトイレは自分で行きたいとのご希望があって、トイレに工夫をしたり、トイレに行くためにトイレ以外の動作に必要なエネルギーを節約してもらったりしてました。
 しかし、次第にトイレに歩けなくなり、ベッドの上で排泄を行っていたのですが、それもとても体に負担になるくらい、しんどくなってきてました。

 スタッフから聞いたことのもうひとつは、
 「バルン(=おしっこを出すために尿道に入れる管のこと)を入れてね。池畑さんもそれでいいって言ってくれて。そのおかげで、昨夜はとってもよく眠れたって。バルンを入れてよかったっていってたよ。」

 
 バルンを入れることを受け入れるということは、自分が「動けない」ということに直面せざるを得ないわけで、とてもつらいことだと思います。
 けれど、池畑さんは、動けなくなったことを受け入れ、「同窓会に行く」という目的のために体力を温存することを選ばれました。
 正直、池畑さんはすごいな…と思いました。

 池畑さんは、前日まで、ご主人さんと同窓会に着て行く衣装やらかばんやらを選ばれてました。この日のために準備した物。身につけること自体が気分を晴れやかにするものだと思います。

 が。
 着替えをするために体を横に向けたりする体力すらなくなってきている池畑さんは、ここでも体力温存を選ばれました。
 上半身にカットソーを纏い、首にスカーフを巻いて…。
 「後は、もう、パジャマでいいわ。」と。
 確かに、毛布をかぶれば下半身はわからないことです…。
 

 そして、リクライニング付きの車椅子に移乗し、介護タクシーに乗り込み、同窓会の会場に向けて、病院を出発しました。
 
 

 私は、出発までに自分が付いていくなら、ありったけのものを準備しました。大きな紙袋に3つ分ほどになりました。
 
 ・・・・・・帰りはきっと疲れてしまうだろうから、ちょっとうとうとしながら帰ってくるのもいいかも… ・・・・・・

 アタPのアンプルも準備物品のなかに追加しました。

 
 早朝の空とはまた違った青空のもと、介護タクシーは走り出しました。
 
 とにかく、チャレンジしたいという池畑さんの思いは叶いました。
 車の中で私は池畑さんに言いました。
  
 「ここまで、来たねー。」

 池畑さんも穏やかに、
 
 「来たねー。」

 と話されました。

 
 チャレンジできたことがまず、成功っ!今使っているお薬や紙袋に入れてあるお薬を調整して、車の中で足の位置なんかを調整して…。
 絶対会場まで行きますとも!と自分の心に呟きながら、池畑さんご夫妻とともに会場に向かいました。
 

行こうよ(2)

2009-04-01 21:00:38 | 患者さん

 池畑さん(仮称)の同窓会の当日がやってきました。
 前日の夜に、病棟に連絡して体調を確認したところ、池畑さんは、リクライニングの車椅子なら、同窓会に参加できる状態でした。

 当日の朝、夜間に緊急の連絡がなかったので、昨晩と同じ状態なのだろうな、と私は推察しました。

 池畑さんが出発する時間は10時。

 その前に、私がやっておきたいことがありました。

 それは、ある、街の郊外にあるお寺にお参りすること。

 
 そのお寺は、池畑さんが私に教えてくれたお寺です。

 「あそこのお寺の地蔵さんは、地元でも絶対、ご利益ある、なんかあるっていわれてるの。私も何度かお参りに行ってね。やっぱり、効くわ。ポンさんにこそっと教えてあげるわ。ああ。また、話しちゃった~~。」

 という感じで、池畑さんは、私に『秘密の』お寺のお地蔵さんの存在を教えてくださったのでした。
 私は、「願い事が叶いそうな」物事にはとても興味がある人なんですねー。
 そのお寺の存在を聞いたときには、思いました。
 「いい人とめぐり会えますようにーってお願いしようかな?」なんて。

 池畑さんが何度か行ったことのあるお寺です。
 池畑さんの思いを知っているお地蔵さんがいるお寺です。

 出発当日の朝は、私が、池畑さんの代わりにお地蔵さんにお願いをしに行こう、そう思いました。
 早起きが苦手なポンでありますが。


 当日の朝は、晴れ。しかし、気温は道路わきの温度計によると5℃。久々にバイクを飛ばして、自宅からはちょいと離れたところにあるそのお寺に向かいました。気温5℃となると、バイクで走るにはまだ肌寒くて、バイクに乗ってきたことを後悔しそうな気温でした。

 無事にお寺に到着。

 お地蔵さんにもお会いできました。


 お地蔵さんに話しかけました。


 私、神頼みは「他力本願」だからって嫌うことは全くありません。「他力」の「他」は、仏教でいうと「阿弥陀さん」の「陀」なので、全くをもってすべてを他人に預けるということではないということを聞いたことがあります。
 それにしても、私は神社仏閣では、「○○したい」という風に願望をお伝えすることはありません。むしろ、決意表明(=~します、~したいと思っていますって感じで)をして、最後に見守っていてください、とお伝えします。
 今回も然り、で、

 「池畑さんと同窓会に行きます。池畑さんが行きたいというなら、行きます。池畑さんがいけないというのなら、それはそれで受け止めます。どうか、見守っていてください。」

 そう、例の?お地蔵さんにお伝えして、お寺を後にしました。

 病棟に、バイクで向かうまでの間、私は朝ごはんを食べていたのに、またお腹が空いて、パン屋さんによりました。
 ちょっと、気持ちがリラックスしている証拠だったのだと思います。


 そして、私は、何があっても、池畑さんの今日の行動を支えよう!
 そんな気持ちをさらに固めて、病棟に向かいました。

 万年睡眠不足による眠気に襲われつつ…。
 朝の時点では、池畑さんとともに、同窓会にいけるような気がしていました。

 

行こうよ(1)

2009-03-29 18:49:55 | 患者さん

 池畑さん(仮称)の体調は、このところ、日増しに悪化していました。ご本人だけでなく、それは、私たちから見ても、明らかでした。

 池畑さんは、ご自分の病気について、すべて知っておられます。とても病気が厳しい状況にあっても、前向きです。本当に頭が下がるくらい。
 
 「できることがやりたいこと」

 そう、おっしゃる池畑さんは、これまでに、ご自分の体調が許す限り、「やりたいこと」をこなしてこられた方です。
 「できることがやりたいこと」という池畑さんの思いには、「やれることはやり遂げたい」、という思いがあるのだと、日々のかかわりの中で感じられます。


 その池畑さんは、ある週末の同窓会に出席したいとご希望されました。
 出席するためにできることはさせていただくのが常である私たちは、そこに異論を唱えることはまったくなかったのですが、問題は、池畑さんの体調でした。

 予定の同窓会の数日前、池畑さんは、もう、トイレにいける状態ではありませんでした。体を動かすと痛みがでて、痛み止めを使う、といった状況で、明らかに病気が進行していると思われました。

 同窓会の数日前、私は池畑さんの部屋に行き、問いかけました。

 「今度の、同窓会、どう?」


 病気によって体力が急激に落ちてきたということは、私たちよりも誰よりも、池畑さんが一番、わかっていることです。
 池畑さんはいいました。

 「この同窓会は、私のために開いてくれているようなもの。この前の外出だって、必死だった。それで、家族も、私がよくないということはわかってもらえたはず。ここで、諦めてしまうと、私、これからすべてのことを諦めないといけないと思う。がくっときてしまうと思う…。」

 涙を流される池畑さん。

 私は、思いました。池畑さんは、命がけだと。

 私は、そこで、すぐに言ってしまいました。
 「私、一緒に、行こか?」

 私は、池畑さんの同窓会の日はお休みだったのですが。私が一緒に行くことで少しでも安心してもらえるなら…。
 もう、行くしかないでしょ。
 そう、思いました。

 池畑さんは、
 「いいのー?本当に?ポンさんが来てくれるなら、100人力~~。」
 (ほんまかいな)
 
 そうおっしゃってくださいました。
 涙のお顔がちょっぴり晴れた瞬間でした。


 私は、とにかく、池畑さんが当日に、同窓会に向かえない状況であっても、向かえる状況であっても、病院に向かうと決めました。

 
 入院している患者さん全員のご希望を、こうやって、看護師が自分の時間を削ってかなえなければならないの?
 そんな疑問を持たれる方もいらっしゃるでしょう。池畑さんだけ、看護師が同伴するなんて、不公平だ、と。
 
 そうですね。
 不公平です。
 すべての患者さんのご希望を、勤務時間外まで、スタッフが同伴して叶えることは不可能です。でも。
 じゃ、不可能です、無理です、のままでいるのか。

 私の考えは、妥当かどうかはわかりません。不適切かもしれません。
 しかし、不公平だの云々といっている間に、患者さんの病気や体調はどんどん変化します。
 だから、できる範囲で、できそうなことをやる、それが私の考え方です。
 
 池畑さんの同窓会に同伴すると決めたのは、21時近くのことでした。私は、すぐさま、担当医と病棟のボスである師長さんにも連絡しました。
 
 師長さんは、「あとのフォローはするから」と快く、私の決断を受け入れてくれました。

 
 池畑さん、行こうね。同窓会に、行こう。
 一緒に行くからね。
 現地にたどり着けなくても、チャレンジすることに意義があるというなら、そのチャレンジをお手伝いさせてください。

 こう、自分の気持ちが固まりました。
 

リンパマッサージ

2009-03-13 22:59:02 | 患者さん

 最近、毎日、日勤が終了した後の時間、そうですなー、20~21時くらいの間にある患者さんの部屋に毎日訪問しています。

 本田さん(仮称)、女性。
 本田さんの足はリンパ浮腫でパンパンになっています。

 リンパマッサージは、普通のマッサージとは方法が違っているために、肩こりの方へのマッサージのように「ぎゅっ!ぎゅっ!」と揉むことはできません。
 最近は、お金を払ってマッサージを受けたことがある人も多く、リンパマッサージを受けてもらうと、「なに?これ?」と、リンパマッサージに物足りなさを感じる方がいらっしゃいます。
 
 本田さんは、結構、マッサージ経験が豊富な方。旅行先でもラグジュアリーなマッサージを受けたことがあると聞いていたので、
 リンパマッサージを受けてもらう当初は、「リンパマッサージにがっかりしてもらうこと」(あまりにもマッサージの際の手の圧が軽いので)から始めました。
 
 本田さん、最初にリンパマッサージをさせていただいたときは、

 「え~~~~~!」

 っと、その物足りなさに驚いていました。


 月日は流れ、本田さんの体調は、ディープインパクトを受けては安定し…、という状況です。
 マッサージを継続してきたことと、本田さんの足の状態によるのですが、
 本田さんは、徐々にリンパマッサージに「快」を感じてくださっています。

 

 リンパマッサージを行う時間帯は別にいつでもいいのですが、リンパマッサージが気持ちいいと感じていただけるのであれば、夜の方がいい。夜に眠りやすいから。
 本田さんの病状を考えると、リンパ浮腫を増強させない!という実際的な目標を持つよりも、体調が許す限り、「快」を感じることができる状況を優先させる方がいい、そう思います。

 自分の仕事が定時に終わることなど100%なくて、仕事が終わった後に行くほうが、自分にもゆとりができて、心の余裕を持ってマッサージさせていただける…。

 そうは思いつつ、毎日、遅くの時間まで残ってマッサージをやるのも、「しんどいぞー。」と思うこともしばしば。

 
 でも、どうして毎日、続けられるのか。

 それは、マッサージの時間に本田さんとの会話の時間が、とても貴重だから。

 マッサージ中に得た情報が治療の内容を変えることもしばしばなのです。


 私は、マッサージをさせていただく患者さんに冗談で、こう言います。

 「任せといてください。なんたって、私は100人の患者さんにマッサージをしたことがありますから。あ、あくまで、延べ人数ですけど。」

 くすっと笑う患者さん…。



 今夜も、本田さんのマッサージをリンパマッサージを行いました。
 今日も、お話しながら、けらけら~~っと笑いつつ、うとうとと眠っていただきつつ。

 
 ああ。リンパマッサージが、うちのスタッフにもできたらいいな。
 素地は十分できあがっているのだけど。
 まだ、自発的に「やってみよう!」というスタッフはいなくて(残念)。
 
 でも。

 私しかリンパマッサージができないから、自分が患者さんのもとにいって、マッサージをしながら、お話を伺うことはできるからいいかー。
 でもなー、私が休日だと、誰もリンパマッサージをすることができないんだよな。

 スタッフがリンパマッサージに取り組める機会を作らないと。
 リンパマッサージに対する思いは深く。



 本田さんのリンパマッサージを行いながら、本田さんの病状や今後の治療方針だけでなく、ケアの提供の仕方まで考えています。

 リンパマッサージのために、毎日、毎日、帰宅時間が遅くなるのは、体がしんどい。

 でも、本田さんとのリンパマッサージをやっている最中のやりとりは、かけがえのないもの。少しでも「気持ちいい~」と感じることによって、自然な眠りを持っていただきたい。
 
 
 何より、本田さんの体に触れさせていただけるということに感謝しています。
 そして、本田さんの体に「触れている」時間に、いろんな話を伺えることも、感謝しています。


 神さまに感謝しているのではありません。


 本田さんに感謝しています。

 

 マッサージの機会を持たせていただいていること自体に感謝しています。

 

食べる喜び

2008-12-25 23:28:14 | 患者さん

 メリークリスマス。
 今日は、クリスマスですね。みなさん、いかがお過ごしですか?

 前回の記事にクリスマス会のことをお伝えしました。
 クリスマス会に参加していた時の事を前回はお伝えしました。

 ところで。

 クリスマスのお楽しみって、何でしょうか?

 大切な人、気の合う人とこの時を過ごすことはクリスマスをより一層、思いで深くしてくれることでしょう。クリスマスは1人だ!とほほ…と思っている方もいるかもしれません。
 クリスマスを彩るもののひとつに食べ物があると思うのですが、どうでしょうか。

 いつもより、ご馳走をいただく、クリスマスのデコレーションが施されたケーキを味わう…。これはクリスマスだから、だと思いますし、これ自体がクリスマスの雰囲気を醸し出すものだと思います。

 先日の、クリスマス会に参加された患者さんの1人に、血糖値の上昇のために、食べることを制限されることを余儀なくされていた方がいらっしゃいました。

 もともと、とても食べることに興味があった方なのですが、がんの治療でステロイドを使用したことで、血糖値が上昇してしまいました。ステロイドを使用は、もともと食べることに楽しみを見出していた患者さんの食欲を亢進させて、さらに食べ続ける期間が長くなったことで血糖値を上昇させてしまったのです。
 
 一般病棟ならば、血糖値が高くなった時点で、食事制限を遵守します。高血糖が続くことによって、さらに命に影響が及ぶことが考えられるからです。
 これを解消するためには、方略はふたつ。患者さんの血糖を正常値に維持するために、食事制限をすること。もうひとつは、患者さんが食べたいものを食べられるように、インスリンを使って、食事量が増えてもインスリンで何とかしのぐこと。

 人間はいつ、命の終焉を迎えるかは未知数ですが、がん患者さんで命に限りがある方については、「糖尿病のケア」が不適切なことがあると思います。
 それは、前述した患者さんの場合です。

 残された時間の楽しみを、「食べることだ」としている患者さんにタイトな血糖値の管理をしたところで、「生きる喜び」は得られるはずがありません。


 当科は、緩和ケア科です。
 勿論、血糖値のコントロールに関しては、「患者さんが食べたいものを食べられるように、インスリンを使って、食事量が増えてもインスリンで何とかしのぐこと。」が大切であるということは承知しております。

 そして、クリスマス会を迎えました。写真のごとく、美味しそうなものがずらーっと並ぶ中、「血糖値が高いから、食べられない。」というのではお話にならない状況にある患者さんです。

 患者さんの「食べる喜び」を尊重して、担当医とスタッフはクリスマス会の前にインスリンを使用して、「今日だけは食べる喜びを味わってもらおう」という試みをいたしました。

 それまでは、食べることを控えるように言われていた患者さんなのですが、そのときばかりは、その「縛り」がなくなり、食べたいものを食べておられました。
 その姿は、『必死』ともいえるくらいの食べ方でした。
 がむしゃらに食べるといってもいいくらいの食べっぷりでした。

 
 クリスマスというイベントがなければ、この患者さんは食べる喜びを味わえなかったかもしれません。
 実際には、クリスマスだからこそ、普通の人と同じように、何ら変わりなく食べる喜びを味わってもらいたいというスタッフの『緩和ケアマインド』がありました。

 
 命が限られているからこそ、できることだろうと言われれば、それまでかもしれません。
 でも、特別な日を利用して、どんな状況であっても、その患者さんの喜びを味わってもらえるように配慮することこそが、「人間らしい生き方」ではないのかな?と思えました。

 その時の、「がむしゃらに」食べていた患者さんが涙を流して喜んでおられた姿が忘れられません。

 

その人なりの気遣い

2008-09-23 21:36:50 | 患者さん
 
 患者さんに教えられることって、本当に多々あります。

 大原さん(仮称)は、50歳代の女性。がんが脊椎に転移してしまい、思うように動けない上、感染症にかかってしまい、下痢を繰り返していました。
 食べたい。でも、食べると出る、でもでも、食べないわけにもいかない。

 自分のことは何でも自分でやってきたという大原さんにとって、動くという自由を奪われてしまい、トイレにいけないということはとてつもない苦痛です。その上、おむつをつけることを余儀なくされます。そして、他者から下の世話を受けること。これはとてつもない苦痛の上塗りのような苦痛だと思います。

 日中もそうですが、夜間になると、大原さんは看護師に対してとても気を遣われます。

 「ごめんよー。汚いのに。」
 「あー、もう、こんなん、最低。」
 「すんません、すんません…。忙しいのに。」

 1日に多いときは6~7回も下痢していらしたので、それはそれは、気を遣いっ放しといってもいいと思います。

 看護師は大原さんのつらい気持ちを慮って、気を遣わなくていいんだよというメッセージを送り続けました。
 私も、そのメッセージを送り続けました。

 下痢がみられていた期間が長くなり、「ごめんよ、なんて、いらないよ。気を遣わなくていいよ。」のメッセージは、大原さんから看護師に思わぬメッセージを発信させました。

 「看護師は、みんな、私からごめんよ、とか、気を遣う言葉を奪おうとしている!」

 この大原さんのメッセージは、師長から間接的に耳にしました。
 私の心境はというと…。
  
 「がーーーーーーーん。」

 看護師はみな、患者さんが遠慮せずに、いろいろなことを依頼したり、委ねられるように精一杯の配慮をしています。しかし、大原さんにはこの配慮は返って苦痛となってしまいました。

 私は、2点のことを考えました。

1.「気を遣わなくていいよ」のメッセージを言語化して大原さんに伝えすぎていたこと。
 言葉はそこそこに、言葉以外の態度で、精一杯「気を遣わなくていいよ」のメッセージを送るべきでした。思い遣りとは、過不足があってはなりません。今回のような言葉の多用は、大原さんにとって「ありがた迷惑」だったのです。
 言葉以外の態度とは、大原さんがこうしてもらいたいと思うことを、大原さんが看護師に言葉で依頼する前に、先んじてやらせていただくといったことがあると思います。

2.大原さんの状況があまりにもつらいものだったので、そんな状況におかれながら、看護師に気を遣わなくてはならないことをつらく思っていたのは、実は、看護師の方だったこと。
 大原さんのつらい状況を何とかしたいと思うあまり、言葉を多用することで、自分達は「何とかできている」という手ごたえのようなものを欲していたのではないかと考えました。

 勿論、大原さんの気持ちが、万人に共通するものだとは思いません。「気を遣わなくていいよ」という言葉のメッセージがあるほうが安心する方もいらっしゃると思います。
 
 今回のことで身に染みたのは、患者さんにもそこそこ、医療者に対して気を遣わせてあげることも、その人らしさとなる、ということでした。
 
 ああ。またひとつ、教えられた。
 
 ありがとう。

役割

2008-09-14 20:07:32 | 患者さん

 1人の患者さんには、いろんなスタッフがかかわりを持たせていただきながらケアをしています。いわゆる、チーム医療です。

 チームのスタッフにはいろいろな職種がいます。看護師というひとつの職種をとってみても、複数のスタッフが存在しています。
 それぞれのスタッフは、「身体的なつらさの担当」「精神的なつらさの担当」と明確に区別されているわけではなく、それぞれの職種の持ち味を生かして、患者さんのケアにあたっています。

 患者さんのケアの方針を立てたり、ケアを実際に行うためには、患者さんとよーく、よく、お話をしなくてはなりません。
 治療やこれからの病状のお話、残された仕事をどうするかなどなど、患者さんに残された時間に合わせて、ゆっくりと急いで話を進めていきます。
 治療や余命のお話はとても大切な内容です。

 が。

 いつもいつも、患者さんと医療者は病気の話ばかりしているわけではありません。

 コミュニケーションは、「無駄話」にも及びます。患者さんの人となりを知るには、他愛もない話も大切です。
 患者さんもスタッフによって、話す内容を使い分けて下さっているようです(勿論、これは無意識のことです)。
 
 ある患者さんは、私をがん看護の専門家としてみてくださる一方、私を「娘」として見てくださっています。
 ですから、私も娘役を引き受けています。患者さんはにこにこしながら、「もう、うちの娘は何をしとんのやら!」と声をかけてくれます。ですから、私も「おかんはもっと肩の力を抜かんと!」などと答えます。

 いろんなお話を患者さんとできるようになると、1人の患者さんに対して同じ看護師であっても、いろんな役割があるようです。
 そうやって、共有してもいいこと、共有すべきことは、スタッフで情報としてシェアしております。

 今、かかわっている患者さん、これがほんまに、うちのおかんと性格がそっくりなんだな
 
 患者さんにいい役割を頂いてます。
 

愛しい患者さん

2008-06-29 01:16:24 | 患者さん

 緩和ケア病棟に入院してこられる患者さんは、主に、がんの終末期の患者さんです。
 「主に」という修飾語の通り、がんの終末期以外の患者さんもいらっしゃいます。
 私の言う「それ」は、がんを持っているけれども特に症状はなく、余命もかなりあると思われる患者さん…なのです。要は、病院がその患者さんを引き受けたが、その人の適切な療養場所がなく(制度上の問題も絡んでます)、病院内で療養していただくにあたって、コストを考えると緩和ケア病棟がいいのではないか?と考えられる患者さんです。

 緩和ケア病棟に、前記のような患者さんばかりが入院されると、正直にいって、スタッフの士気は下がってしまいます。そのような患者さんは、長期の入院となります。長期の入院とは、最近の在院日数の短縮とは反比例しているほどの年単位を想定できる期間となります。
 そうなると、いざ、疼痛や呼吸困難などで緊急に入院しないといけない患者さんのためにベッドを提供できないというストレスから、スタッフの士気が下がってしまうのです。
 
 しかし、一旦、患者さんを引き受けたからには、ちゃんとケアさせていただくことはいうまでもありません。
 
 小田さんは、そんな患者さんのひとりです。
 「遠い昔に」大腸がんだったよな~~~、という患者さんです。

 小田さんは、脳梗塞を患ったこともあり、普通にコミュニケーションをとることができません。
 しかし、限りなく「普通に近い」コミュニケーションもとれるときがあります。
 
 小田さんが緩和ケア病棟にこられた時には、「ぎょっ!」っとするくらい、小田さんは怒り倒していました。
 が。
 何がきっかけか、何の変化があったのか、何が原因か、担当医も看護師もみなが全くわからない中、ある日突然、お怒りモードから、普通モードに小田さんは変化したのでした。
 声をかけたり、体に触れると「ワーーーーーーーーーーーーーー!」と奇声?を発していた小田さんが、
 「ありがと」
 「はー、調子いいです」
 とお話をし始めたのでした。

 ただ、普通モードは長続きはせず、お怒りモードと普通モードを瞬間的に交互に変えながら、返答をしてくださっています。

 それが小田さんなのだー、と、その反応のひとつひとつの意味を探りながらお世話させていただいている毎日です。
 
 未だに、「わーーーーーーーーー!」っと、まるで辻斬りにあったかのように奇声を発していることがある小田さんです。
 ある患者さんから、質問がありました。

 「ここにはヤギがおるんかい?」

 スタッフ一同、大笑いしつつも、絶句

 ヤギ…。小田さんの声は結構大きく、状況の飲み込めないほかの患者さんはいろんな想像をしていることがわかりました。

 そんな小田さんなのですが、奇声を発しても、普通に話してくださっても、患者さんとしては愛しい存在です。

臭いに敏感

2008-05-01 22:20:23 | 患者さん

 患者さんの中には、とても臭いに敏感な方がいらっしゃいます。
 私たちが普段、「いい臭い」と思っているものでも、患者さんによっては、とても不快に感じることがあるようです。これは、病気による体調の変化も影響しているのでしょう。

 若かりし日の私…(もう、おばちゃんなんですー、とほほ。)。
 私は、大好きなローズのコロンを「匂わせて」仕事をしておりました。周りの医師や看護師からも「ポンさんっていいにおいがするねー」なーんて言われてましたので、ちょっと、いい気分☆でした。
 
 ある日、私はがんの終末期の患者さんから怒鳴られました。
 「あんたは臭いんや!もう来るな!!!!」

 とてもショックでした。
 でも、その患者さんに不快を与えながらケアをさせていただくことはできないので、翌日からコロンをつけるのをやめました。それでも、その患者さんは言いました。
 「まだ、臭い!臭いと言っているだろ!もう、来るな!」

 その日の私の臭いといえば、わきの下に「ふりかけた」制汗剤だけでした。普段、制汗剤が臭いなんて患者さんからお叱りを受けたこともなく、もう、臭いでその患者さんに不快を与えることはないだろうと思っていた私は再び、ショックを受けました。
 その患者さんは臭いに敏感になっていて、「私=不快な臭いを放つ看護師」となってしまい、不快な臭いの経験が、私をみるだけで不快さを想起させてしまったのではないかとも思われました。

 その患者さんのケアをさせていただいて以来、私はコロンをつけて仕事をすることを一切やめました。

 これって、当然のことのように思います。今、考えると、「どうして仕事をするのにコロンをつけなきゃなんないんだ?」ということをあの頃は全く考えていなかったのだと思います。

 ごく、最近も、臭いに敏感なので、医療者は気をつけていただきたいというご要望を持っていらっしゃる患者さんのケアをさせていただきました。
 そのために、この昔のエピソードを思い出してしまいました。

 ケアをさせていただきたいと思っているのに、臭いごときで患者さんに拒まれるのはとても切ない…。

 夕方になると、やや??汗臭さも混じることがあるかとは思いますがー、今は、「無臭」の私☆です。

灯篭を拝見

2008-04-12 22:16:59 | 患者さん

 松井さん(79歳、男性)は、緩和ケア科外来を受診する予定になっていました。しかし、その手前で体調が思わしくなく、一般病棟に入院されました。

 緩和ケア病棟に入院される予定の患者さんだったので、医師もそのつもりにしていました。

 松井さんに病状の説明のご希望を確認すると、「家族に伝えてくれたらいい」とおっしゃいました。
 ご家族は、「本人は緩和ケア病棟がどんなところか、近所の人がそこで亡くなったので知ってます。今になってそちらに移ることは、もうだめだと伝えるのに等しいことだし、このまま緩和ケア病棟には行かずに、お願いします…。」と話されました。松井さんは、ちゃんと、自分の病気はもう良くならない、自分は長くないということをわかっていらっしゃると思われました。
 そこで、一般病棟のままでケアをさせていただくことになりました。

 一般病棟の担当医は「最期まで、よろしくお願いします。」と私にケアの「同伴」を頼んできてくれたので、快く引き受けることにしました。

 松井さんは、とてもお話好きです。入れ歯をはずしたまま、調子よく喋るので、聞き取れないことが多々あるのですが、お嫁さんがいつも通訳をしたり、補足説明をしてくれます。
 実は、私に話してくださることは、家族はすべて「聞いたことがあって、オチも知っている」内容みたいです。松井さんが私に話をはじめると、「あー、あー、あれね?」といって、ニコニコされます。

 松井さんは、自分の職人芸並みの仕事ぶりに誇りをもっていらっしゃいます。そして、もうひとつ、松井さんには誇りに思うものがありました。
 それは、「邸宅の庭」。

 なんと、庭にどでかい灯篭を建てたのだそうです。
 松井さんは、「自分が死んでも、自分がいたのだと思い出してもらえるように建てた」と話されていました。
 
 この灯篭は、松井さんにとって、生きていた証であるだけではないと思いました。何度か、そのお話を耳にしているうちに、「生きている証」なのだと私は思いました。

 で。

 今日は、松井さんのおうちの見学に行ってきたのでありました。
 まるで、ストーカーのようですが、私がこうすることは、松井さんも、ご家族も喜ばれると思ったからです、敢えて言わせていただきますと。

 ナビに翻弄されながら、山に近い街にある松井さんの家の灯篭を眺めてきました。
 ごめんくださーーーい、といって、お邪魔させていただくわけにもいかず、門前でうろうろきょろきょろしていた私は、まるで不審者でした。
 その代わり、ちゃんとデジカメにおさめてきたので、その写真を「見てきた証拠」として、また松井さんとお話をしたいと思っています。

 ちょっとした楽しみを提供し、その人の生きてきた歴史をともに振り返ることも、私の役割だと思っています。