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緩和ケアで行こう

へなちょこ緩和ケアナース?!のネガティブ傾向な日記です。

痛恨

2013-06-01 22:50:23 | 患者さん

 同じようなことを、いったいどれくらい経験すればわかるのだろう…。





 その夜勤は自分の感覚でいうと、「とってもひどかった」。

 患者さんの就寝の準備のお手伝いが終わり、ちょっとお菓子を口にして、夜勤の相方と他愛もない話ができたのは1時間もなかった。



 ナースコールが止まなかった。
 さあ、仮眠だわと思って体を横たえていた間もナースコールが鳴り続けていた。
 白衣のポケットでPHSが震え続ける。
 眠ろうと思っていたけど、胸の振動で思わずPHSを取り出して、どのお部屋から鳴っているのか確かめる。
 ああ、〇〇さん、やっぱり眠れなくて呼んできたんだ…。
 そう思いながらも休憩する時は休憩しなきゃと思い、相方に託して目を閉じた。
 
 1時間も経たない間に、相方が自分を起こしに来た。

 「ナースコールが重なっているので、ちょっと、対応を手伝ってもらえませんか」



 対応を手伝うのは私の担当の患者さん。

 
 ラウンドの時間ではなかったけど、なんとなく気になって訪室した時、患者さんが窒息しそうなくらい、痰があふれていた。
 吸引して痰を取るのだけど、止めどもなく溢れてくるといった状態だったそうな。

 なんとなくでも訪室して患者さんをキャッチしてくれた相方に感謝しながら、対応した。
 

 そこから、定時のラウンドをしようと思うのだけど、ナースコールが止まず、思うようにラウンドができない。
 できるだけ患者さんには夜間は眠ってもらいたいと思うから…、患者さんもそう望むのなら、薬剤を使ってでも眠っていただく。
 けれど、薬剤は自分たちが思うように…、いえ、患者さんが希望するようには眠りの時間を与えてはくれない時もある。


 夜だからって眠らなくてもいい。
 熟睡できなくても、うとうとでもできていればいい。
 長時間眠れなくても、短時間眠った後は適当に起きておきます、そんな患者さんもいらっしゃる。

 起きている患者さんからコールがある。
 エアコンを入れて、エアコンを切って。窓を開けて、窓を閉めて。
  
 そして、トイレに一人で行くには足取りが不安定で危ないから、必ず看護師が付き添ってトイレに行っている患者さんがトイレで目覚める。
 付き添っている最中にほかの患者さんからコールがある。
 「体の向きを変えてほしい」と。

 気になる患者さんは痰が溢れていないかしら…。
 呼吸困難が強い患者さんは眠っているかしら。
 あの患者さんの体位交換をしないと…。

 もうとにかく、カルテを書く暇もなく、病棟中を歩き回った。小走りした。


 そして、自分の休憩時間を返上しているうちに、相方の休憩時間となった。
 2人夜勤のこの病棟では、相方が仮眠をとっている間は1人で対応したり、ラウンドしないといけない時間がある。
 自分も休憩するのだから、それはお互い様ではある。

 
 相方が休憩している間、ナースコールは10分と開かずに鳴り続けた。

 
 ある患者さんからコールがあった。
 ひどく震えている。
 ぱっと見て、熱が上昇しているくらいは誰でもわかる。
 ただ、熱の原因が気になる。ひょっとしたら、ずっと懸念されていることが起こっているのだろうか。
 熱や血圧、腹部の観察をする。
 穿孔しているわけではないかもしれないけど、気持ち悪いくらいの悪寒戦慄だった。
 その患者さんが震えている間、肩をさすり、手を握っている間、またナースコールがなる。
 患者さんのそばにいたいけど、「ごめんね」と告げてナースコールをとって、別の患者さんのもとへ。



 別の患者さんは、薬剤を使って眠っていたのだけど、目が覚めた。
 足が冷たい。温めてほしい、と。
 そそくさと湯たんぽを準備して、足をさすっていたら、足の指が痛いから、足の指をギュッとさすってほしい…。
 そうおっしゃるから、足の指を一本ずつ指で握ってマッサージをしていた。
 そしたら、またほかの患者さんからコールがあった。
 
 いかなきゃ…。

 でも、この患者さん、昨日、ナースコールのコードを首に巻きつけ、死のうとした患者さん。
 そばにいてるとうとうと眠るけど、離れるとまたナースコールが鳴るのはわかっていた。 
 そばにいてあげたい。
 だって、この患者さんがこうやってそばにいてほしいって言ってくれる時間、この患者さんがいてる時間はそんなに長くないとわかっていたから。


 でも、行かなきゃ。
 また、戻ってくるねと告げて、コールのあった患者さんのもとへ行く。
 「おしっこさせてください。」
 これが用事だった。

 この患者さんは薬剤を使って眠るのを好まない患者さん。
 でも、まだ比較的にこの夜は眠れている方だったけど、下半身の浮腫がひどくて、下肢のポジションが定まらない夜を過ごしていた。
 とりあえず、この患者さんの排尿をお手伝いする。
 排尿のお手伝いだけでなく、ポジションを修正してみる。

 尿器を手に、尿器にたまっている尿を処理している間にもナースコールが鳴る。


 足が冷たいと言っていた患者さんのコール。
 
 尿の処理を済ませて、その患者さんのもとへ。


 足の痛みを訴えつつ、両手を広げておられた。
 思わず、その両手を私の両手で握ってみた。
 そしたら、すかさず、私の二の腕に手を伸ばし、患者さんの手が私の二の腕を握った。
 「気持ちいい」。
 私のたわわな二の腕を握って、その触感で「気持ちいい・・・」とおっしゃる。
 そのまま、少し身をかがめて、そのままの姿勢でいた。
 「気持ちいいの???」なんていいつつ、その患者さんを眺めていると、患者さんがうとうとし始めた。
 人力、いわゆる、人のぬくもりを感じると眠り始める。
 そんな患者さんを薬でねじ伏せるように眠らせるのはどうか…といろいろなことを考えながら、とにかく、患者さんのそばにいた。
 でも、その時、またラウンドの時間がやってきていた。
 点滴をしている患者さんも多くいて、このままずっとそばにいるわけにはいかない。
 またほかの患者さんが尿の管が入っているのに、「おしっこ」と訴えて、目覚め始めた。

 そして、トイレに行きたいという患者さんのコール。


 思わず、コールが重なったので、仮眠をしている相方を起こして、対応をお願いした。
 一人では手に負えなかったので。


 気が付けば、朝の5時。


 カルテはほとんど記録できていない。
 ナースステーションに帰って、ちょっと椅子に座ったら、コールが鳴る。

 ラウンドにかかる時間が1時間を超える。



 そうしているうちに、夜が明けてきた。
 私もへろへろになっていたけど、相方もへろへろになりながら、お互いに声をかけあいながら、患者さんのもとに駆け付けた。





 お腹もすいてきた。
 でもナースコールが鳴る。
 

 患者さんの用事を済ませて、もうそろそろ、何か食べたいなと思ったころ、容赦なく、ナースコールが鳴る。
 それが6時前。


 胸のポケットで震えるPHSとナースステーションで鳴るナースコールの音を聴いて、思わず、身がよろけた。
 自分の体が壁にぶつかった。



 

 それでも患者さんのところにいかないといけない。
 
 そして患者さんのところに行く。
 患者さんは自分のペースでいろいろ頼まれる。
 自分がこの順序でやった方がいいと思われることを全く無視するかのように、思い通りに!
 この時点で思わず、イラっときた。
 



 その自分にがっかりもした。






 そこから、気になる患者さんのもとに行き、対応している合間にナースコールの対応をしながら、朝が来た。





 さすがに、心身ともに、萎えた。



 頭がもやもやしたまま、申し送りを終えて、書けていないカルテに挑みながら、居眠りをしてしまう。
 能率が全く上がらない。
 

 のらりくらりしている間に、昼の12時が過ぎた。
 カルテに書きたいことがあるけれど、頭の中で整理ができない。
 14時を超えた。



 ようやくカルテを書き終えて帰ろうとしたところ、患者さんが亡くなったと聞いた。



 夜。 
 そう、足が痛い、自分の腕を握って気持ちがいい…と言っていたあの患者さんが亡くなった。
 



 もう、思考能力とか感覚はマヒした状態に近かった。

 あの患者さんの姿を見ていたら、もうすぐお別れが近いとわかっていた。
 私たちからしたら、そばにいてほしいなんていわれたら、ほかの患者さんの対応があるので、ずっとその患者さんのそばにいること自体が無理で。
 でも、人のぬくもりで安心するのならそばにいたい…。
 でも難しくて…。
 残り少ない時間なのだから、そばにいてあげたかった…。
 

 亡くなったという話を聴いた途端、その夜勤のいろんなことが思い浮かんだ。
 それまでの患者さんの姿も思い浮かんだ。


 たった一夜のことだけど、それまでの患者さんとのお付き合いもあったけど、この夜、その時その一瞬を自分なりにでも大切にできなかったことが自分の胸をえぐる。



 その、亡くなった患者さんにお会いすることもなく、病棟を引き上げてきてしまった。



 私の限界でした。
 
 こうやって、後で後悔することがわかっているのだから、その一瞬を大切にしないととわかっていながら、ちゃんと大切にできないまま、患者さんは去っていきました。




 悲しさと悔しさと空しさがこみあげますが、あの時間はもう、戻りません。

 
 

お話してよ

2013-01-14 23:34:09 | 患者さん

 なかなか取りきれない痛みで、毎日苦しんでいる加田さん(仮称)。


 ナースコールが鳴り、加田さんのお部屋に行くと、案の定…、痛みで表情が曇っている加田さんがいました。


 このところ、加田さんのお部屋に行くと、ほかのナースコールが鳴りませんように…と祈るような気持ちになります。
 それくらい、ナースコールは鳴りっぱなし。


 その時は、ありがたいことに、ナースコールの嵐の狭間だったみたいです。
 時は、就寝前。ちょっとでも心地よく眠りについてもらいたいと思って、椅子に座って、加田さんのそばにいてることにしました。


 そしたら、加田さん。
 
 「何か、お話してよー。」

 って。


 自分の話を聴いてもらいたい患者さんは結構多いのですが、かえって、お話を聴かせてよと唐突に言われると、困ってしまうポンでありました。


 「ええ?話をするの?ええ???ええっと、ええっと…。何、話したらええかな?」

 困っていたら、そばについていた加田さんの付き添いさんがいいました。



 「ポンさんの、失敗談っ!」


 ポンは内心、思いました。
 


 ・・・・・・・・・・・加田さんは痛がっているのに、ここにきて、自分の失敗談を話すって、どーよっ・・・・・・・・・・・・・
 おばちゃん、えらいことゆうなぁ。




 とは思いましたが、とりあえず、自分が都会に引っ越してきて…。
 バスに乗ろうと思ったのですが、うまく乗れずに、3台のバスを乗り過ごし、結局は歩いたこと、バスに乗って、降りようと思ったけど、降車のボタンを押したつもりが押せてなくて、結局降りそびれて、歩いて戻ったことなどを話しました…。
 (なんてとほほなんでしょ)

 
 しっかりと聴いてくれていたのは付き添ってくれていたおばちゃん。
 
 「へー、ポンさんって、まだ、引っ越してきたばっかりなんや、ここ(職場)に来たばっかりなんや」
 「へー、へー」


 こんな会話をぎゃーぎゃーしていたのですが…。


 加田さんのことが気になりました。

 「加田さん、うるさくてごめんねー」とお詫びしましたら、「いいよーーー」と…。

 内心、お話って、ほんまに何でもよかったのね???なんて思いました。



 そのあと、何度かお部屋にうかがい、加田さんが眠りにつかれたことを確認しました。


 ほ。





 ところで、
 患者さんから不意に、「何かお話してよ」って言われたら、何をお話します?





 そんなこと、あまり考えたことがなかったから、困ってしまいました。


 ちなみに、「何か歌って」と言われたら、その時の歌は、私は夏川りみの、「涙そうそう」に決めております。


 ははは。
 なんのこっちゃ。

 

 

せん妄の世界での生活

2012-06-10 20:48:39 | 患者さん

 長岡さん(仮名)、男性。
 長岡さんはせん妄状態。


 せん妄が悪化しないようにハロペリドールを定期的に使ったり、夜間に眠れるように試みをいろいろ行って…。
 できるだけ、長岡さんにとってストレスになることは軽減してみて…。


 せん妄自体は完全に改善はみられていませんが、「様子をみていいだろう」という状態にあります。


 
 ところで。
 この長岡さんのせん妄、実に面白い。

 長岡さんは、実に見事に、現実である病院での生活と、せん妄の世界での生活を両立させておられます。



 長岡さんはこれまでに電気工事の仕事を一生懸命にされた方。
 その分、ご家族との関係性は薄かったようですが…。

 そのあたりは、ご家族も何とか了解できるところのようです。



 長岡さんは、かなり体力が落ちておられて、うとうと眠りつつも、話しかけると返事はある、くらいの覚醒状態です。




 そんな長岡さんに話しかけてみると、長岡さんはしょっちゅう、仕事をしておられます。
 そして、さらによく話を伺ってみると、私たちの目の前で長岡さんはベッドの上で横たわり、現に存在しておられるのですが、長岡さんの生活は「今、ここ」にはありません。


 ある日、長岡さんに話しかけてみると、鮎釣りにでかけているところでした。
 その次の日、話しかけてみると、畑にでかけるとのことでした。
 その次の日、話しかけてみると、昨日は忙しくて、畑仕事ができなかったとのことでした。
 そして、またしばらくして話しかけると、近所の建築屋さんと話をしているとのことでした。




 長岡さんのお部屋に行くと、私は必ず、こう声をかけます。
 「今日は忙しい?」

 長岡さんは、「いや。」と答えてくれます。



 ご家族によくよく話を聴いてみると、長岡さんはまだ元気に仕事をしていた時期のことを話しておられるようなのです。
 
 そして、よくよく、長岡さんとご家族に話を聴いてみると、長岡さんの「せん妄の中での生活」は少しずつ、時間の経過すらあるようで…。



 ポンは長岡さんの話を聴くたびにいつも思います。

 お、お、面白いっ。
 なんて感動的なせん妄っ。



 終末期のがん患者さんにせん妄が生じたときには、患者さんが今までとは人が変わったようになってしまって、ご家族がとてもつらい思いをすることが多いものです。
 長岡さんの場合には、せん妄に対する理解が得られています。
 それは、
 ・長岡さんの経過が長期に及んでいること
 ・ご家族にできるだけのことはしたという気持ちがあって、患者さんのそばにいる時間があること
 ・経過がゆっくりなので、ご家族に心の準備の時間があること
 ・これまでに家族のつながりは深くなかったけれども、今の状態をきっかけに家族の絆が生まれていること

 こんな幸いな要因があって、ご家族は長岡さんのせん妄にゆったりと向き合っておられます。



 長岡さん。
 あまりにもナースコールの線や点滴のラインをいじくりまくるので、見るに見かねて、ご家族が延長コード(コンセントに差し込むやつね)を使ってもいいかどうかと尋ねてこられました。
 これに関しては、コードが電源につながっているということで、いくら電気工事をされていた長岡さんといえども、危ないかな、と思って、ポンから、別の提案。


 思いっきりいじくれるような「紐」をベッド柵にくくりつけてみては…?


 長岡さんの作業に見合う「紐」は何がいいかな?
 皮膚を傷つけたりするものはだめだし…。


 このことをスタッフに相談しましたところ、点滴のラインのチューブ状になっているところだけを切り取って、その周りにビニールテープを巻いて、2本を縄状に編むのはどうかな?と提案がありました。
 スタッフに作成をお願いして、その「紐」を柵に括りつけました。

 長岡さんはそれを必死に触っておられます。


 
 さてはて。

 長岡さんは、ご家族や医療者からみると、「現実の」病院での生活を送っておられます。
 これは、客観的な世界。
 しかしー。長岡さんはせん妄の世界、長岡さんが健康だった時代で生活をしておられます。
 
 この2重の生活。
 
 ポンはなんだか、長岡さんの器用な生き方に関心してしまっております。
 
 長岡さんに「しんどい?」って聴いたら、「しんどい」っていいつつも、「うちはすぐそこだから、大丈夫。」ってしんどいながらも、何とかなるって長岡さんは教えてくれます。


 長岡さんが2重の生活をしておられるのなら、私たちだって、長岡さんの2つの生活を長岡さんのペースに合わせて、行き来しなきゃね。


 
 こんなに、せん妄に対して興味と感心を湧かせてくれたのは、長岡さんが初めてです。
 

 

卵かけご飯と酢飯

2012-05-03 22:54:29 | 患者さん

 桜井さん(仮名)がご家族との関係がとても複雑だということを書かせていただきました。


 ご家族にお願いすることの中で、結構多いことが、「患者さんが〇〇を食べたいとおっしゃっているから、差し入れしてもらいたい」ということがあります。
 もちろん、病院食で対応できるところはできるだけ対応するようにしています。
 緩和ケア病棟は、院内でも特別に、いろいろなものを付加することができるようになっています。
 (栄養士さんの配慮です、ありがとう

 

 さてさて。

 桜井さんのお部屋にいつものように、ふら~~~っと(いつも、そんな感じでお邪魔させていただいてました)伺いました。

 桜井さんは、病気の進行のために、気道狭窄がみられていて、お喋りすると、いえ、呼吸をすると、「ぜ~~~~、ぜ~~~」と異常な音がしています。
 このところ、気道狭窄がひどくなってきています。
 できるだけの対処はさせていただいていましたが、体力の低下とともにうとうとしたり、ぼーーーっとする時間が長くなってきました。

 食欲も落ちてきています。


ポン:何か、食べたいものってある?
桜井さん:卵かけご飯とか、ええなぁ~~~~。
ポン:っ!!!卵かけご飯かーーー。あつあつのごはんで食べたらおいしいなぁ…(しばらく沈黙)・・・・・・・それやったら食べれそう?
桜井さん:(大きく頷く)それと、巻きずしの具とのりをのけてな、ミキサーにかけてくれんかなぁ。
ポン:そやなぁ。ミキサーかぁ。卵かけご飯と酢飯やな。ちょっと考えてみるわ。それやったら、食べれそうなんやんなぁ。よし、やってみるわ。


 と、こんな会話が成立いたしまして。


 この体力が落ちているときに、食べたいものがあるとなっ。
 それなら、それを用意いたそう!!!

 すぐさま、そんな気持ちになりました。


 しかーし。



 桜井さんは、食べ物を飲み込むことがうまくできなくなっていたので、食事は「ミキサー食+とろみ」をつけたものに変わっていました。
 ご飯は、ミキサーしなくてはならなくて…。
 ご飯をミキサーにかけて、卵をかければいいか?
 なーんて、ポンと受け持ち看護師と考えあぐねて、主任さんにミキサーを持ってきてもらって、ご要望にお応えすることにしました。

 そうそう。
 お米と寿司酢は受け持ち看護師が持ってきてくれて。
 ポンは、卵を持っていくことにしました。
 
 普段は、1パック198円くらいの卵しか買わないポンでしたが、この時ばかりは6個で300円以上する卵をゲットいたしまして…。
 私なりに卵かけご飯に備えました。






 当日。


 昼食が近づいた時間に、緩和ケア病棟のキッチンで調理を始めました~~。
 受け持ち看護師はご飯を炊いてくれていました。
 
 そしてー。
 炊き上がったご飯をミキサーに入れてー。
 スイッチ、オンっ





 あれれ???


 ミキサーしたあとのご飯は、餅のようにどろどろ


ポン:これ、ちょっと、水を入れんとあかんのかな???
受け持ち看護師:これはあかんわーーー。

 試食もしました、ええ、ええ。
 そしたら、炊いたご飯をそのままミキサーにかけると粘稠度が増して、飲み込みがうまくいかない患者さんが食べたら、窒息するやんかっと思うくらい、ねとねとでした。

 次はご飯にちょいと水を足して、ミキサーにかけて…。


 なーんてやっているうちに、キッチンはぐちゃぐちゃ。
 うまくいかなくて炊いたご飯がなくなりました。


 
 んもーーーー、どうしようもなくて、栄養士さんにコールしました。
 
 「カクカクシカジカで、なんとか、卵かけごはんと酢飯をたべさせてあげたいっ、でも、もうコメが…、ご飯がなくなってしまって…、しかも、うまくいってないっ



 栄養士さんは素早く、『主食がミキサー+とろみ』を持って、病棟にやってきてくれました。


 そして。


 「ポンさん。ミキサーにかけるなら、お粥にしてください。」
 そう言われました。



 そうか~~~~。そうやったんか~~~~。
 私、あほやなぁぁぁぁ~~~~。
 (栄養士さんに言われて、ご飯のミキサー+とろみというものの作業?工程がわかった私




 栄養士さんに持ってきたいただいたお粥のミキサー+とろみに…・
 一皿は卵液をかけて、しょうゆをかけて。
 一皿は寿司酢をかけて。



 桜井さんに提供しました。







 桜井さんの口に、運んだところ…。



 指でサインを作ってくれました。
 「おいしい」
 「これなら、いけそう」と。




 もう、この反応をみただけで、涙が出ました。


 


 桜井さん。一人じゃないで。
 せめて。私らがいてるから…。


 命の終わりが迫った患者さんの食べたいものを用意することの大切さをここで云々いいたいわけではありません。



 桜井さんがご飯を食べることができる時間はそう、長くはない。
 そう思ったら、体が動きます。
 気持ちも動きます。

 



 その数日後。
 桜井さんは旅立ちました。






 こうゆう場面って。
 患者さんのためかもしれないけど、実は。
 私たち医療者にとっても、いろいろなものをもらっているのよね。


 
 OKサインを出してくれた姿をみれたことが嬉しかった。
 桜井さんのそばにいれたことが嬉しかった。



 ありがとね、桜井さん。
 


 そして。
 お疲れっ、担当看護師っ。
 

患者さんのことを大切に思えないご家族の思い

2012-04-29 13:55:45 | 患者さん

 「息子に会いたいなぁ…。」


 桜井さん(仮名)は、折に触れてそうおっしゃっていました。

 実は、桜井さん。
 家族関係がすこぶる、複雑。複雑とは奥歯に物が挟まったような言い方ですが、単刀直入にいうと、家族関係が「悪い」。


 
 家族関係が悪いこと自体は、別に珍しいことではありません。
 よくあることです。
 

 医療者は、患者さんと過ごす時間が長いことと、自分たちの業務の負担軽減の目的もあって、ご家族の面会を期待して、面会に来ないご家族をネガティブに捉えがちです。
 「もっと、面会に来てください」なーんて、患者さんのことを思ってご家族に発信するメッセージは、実はご家族にとって、とてつもなく大きな負担であり、ご家族が負担感を増してしてしまって、さらに面会に来ることができなくなるという悪循環を起こします。


 桜井さんも、患者さんの側に立てば、ご家族に面会に来てもらいたい、そう思ってしまう状態でした。
 もう、残りの時間は長くはないだろうな…、そう思っていたので、ことさら、ご家族に対して「可能なら、面会に来てもらいたい」と思う、そんな状態でした。


 
 全く面会に来ていただけないご家族の、本当の思いはどこにあるのだろう?
 ご家族に電話を何度も致しましたが、まったくとってもらえず…。
 時には、「あ、●●病院だ」なーんて声が聞こえた後、電話がぶちっっと切れることもありました。


 ご家族の、桜井さんに対するネガティブな思いはよくわかっていましたが、ご家族はいったい、どういうお気持ちなのだろう?そう思って、お手紙を出しました。
 主旨は、桜井さんのために面会に来ていただきたい、というものでしたが、ご家族の負担にも配慮して書いたつもりでした。




 そしたら。




 案の定。

 ご家族からは怒りのお電話がありました。


 1時間近く(しかも…、不意の電話でした…想定内とはいえ、業務を行うには痛い所要時間でした…

 ポンは、ご家族の怒りを受け止めるしかありませんでした。
 そして、ご家族の今の思いを知りたかったので、ずーっと話を聴きました。

 実は、私たちは、ご家族に面会に来てもらいたいと腹の底から思っているわけではありませんでした。


 面会に来たくないということは、重々わかっていましたが、いったい、どんな思いでご家族が面会に来たくないと思っていらっしゃるのかを知りたかったので、手紙を出したといっても過言ではありません。
 もちろん、あわよくば、 面会に来てもらえるかも?という期待も若干、ありましたが、そんなに期待はしていませんでした。




 
 ご家族の話を電話で伺って以降、ご家族に面会に来てもらうという期待は、捨てました。
 もしかしたら、ひょこっと面会に来てもらえるかもという期待は捨ててはいませんでしたが、期待しないようにしました。




 家族関係の複雑さには、患者さんを取り巻く周りの家族の方々だけに問題があることはまれだと思います。
 患者さんにも、お元気だったころの関係やふるまいに、家族関係の複雑さを喚起するような側面があるものだと認識しております。


 桜井さんは、ポンが接している限りの中でも、きっと、難しいところがあったのだろうな、と想像が容易かったお方でした。





 しかーし。


 私たち医療者が、ご家族と同じスタンスでは、もうすぐこの世とお別れをしようとなさっている方へのお手伝いはできない。
 そう思いまして、せめて、私たちスタッフとの絆を…、ご本人が思うようなご家族のとの絆を深めることは無理だとしても…、せめて、この病院という環境の中で、安心できる関係を作りたいと思いました。

 桜井さんのご家族との絆の希薄さからくるつらさを少しでも和らげるには、それしかないと思いました。



 ああ。この時間は大切にしないと!
 そう思った時間を、桜井さんと持つことができました。


 詳しくは、次回の更新の時に。
 

 

後悔ばかり

2012-04-08 15:48:42 | 患者さん

倉木さん(仮名)との出会いのきっかけはリンパ浮腫。

そうそう。
ポンがセラピストを目指そうと思ったきっかけをくれた方でした。


倉木さん。
最近、リンパ浮腫が悪化しているので、どうしたらいいのだろう?って外来から連絡がありました。
私がセラピストの資格を取る前の時期のことなので、考えうる手立てを取らせていただいて、とりあえず、様子をみることになりました。

セラピストの資格を取った後、倉木さんを担当させていただく機会はありませんでした。
病院の診療報酬の手前…。
看護師の私が治療を行っても報酬につながらないので、何とか報酬につながる職種の方が治療の担当になっていました。



倉木さんは、うちの病院で手術を受けたわけではありませんが、手術を受けた後、リンパ浮腫になって、自宅から近いポンの所属する病院に「このむくみはなんとかならないのか」と受診された方でした。


リンパ浮腫についての文献はいろいろ読んでいましたが、施術したことのなかったポンは、とりあえず、自分が持っている文献のありったけを参考に、倉木さんの初回の施術に当たりました。



今思えば、なんてラフな治療だったのかっ!と思うくらいの治療でしたが、奏効しまして…。
まるで、劇的「ビフォア・アフター」でした。




病院のシステムの関係で、その後、私が倉木さんを担当することができない時期が過ぎます。
その後は、別の担当者が治療にあたっていました。




倉木さんは、それでも、私のことを「先生」といって、慕ってくれていました。
病棟に属する私は、外来通院されている患者さんが自分を訪ねてくれることをとてもうれしく思っていました。
わざわざ、緩和ケア病棟にまで訪ねてきてくれました。
本当に嬉しくて、嬉しくて。

たくさん、たくさん、話をしたいけれど、病棟じゃ、ポンにはそんな時間がなくて、できるだけの時間をとってお話をしてきたものの、足りないっ!
そんな気持ちが、倉木さんとお会いするたびにありました。





晴れて。
私はリンパ浮腫のセラピストの資格を取りました。


残念ながら、倉木さんを担当することはありませんが、倉木さんを担当しているセラピストが「何かあったら、相談しますね」って言ってくれていた…、そんな矢先。




担当セラピストに、倉木さんの状態を尋ねたところ。



そのセラピストは私に言いました。





「倉木さん、亡くなったそうです。外来の予約日に来ないので、連絡したら、亡くなったって。」





信じられませんでした。



倉木さん、逝っちゃったの???
本当に???
何で???


そんな気持ちでいっぱいでした。


倉木さんが亡くなった原因は未だにわかりません。情報がありません。





自分の中で、思いが駆け巡ります。
直接、治療にあたることができなくても、間接的にお手伝いすることができたのではないか。
私だって、倉木さんとお会いすることが嬉しかった。
倉木さんも楽しみに会いに来てくれていた、そんなお付き合いを、せめて続けたかった。
他愛もない話をいっぱいしたっかった。

リンパ浮腫だけじゃなくて、ほかの病気も抱えつつ、自分のことは自分でやるんだと凛としていた倉木さん。
その倉木さんを応援したかった。

診療報酬が、一般病棟で取れないというのなら、倉木さんが「いいよ」って言ってくだされば、緩和ケア病棟でリンパ浮腫の集中的な治療をしてもいいのでは?なんて真剣に考えてた。
緩和ケア医にも、リンパ浮腫の治療のための短期入院は可能か?って相談してた。




去年は結婚50年の記念の年だった。
お祝いのプリザーブドフラワーを買った。
メッセージも書いた。

でも、病院ではさまざまな組織の「掟?」のようなしがらみがあって、私は外来の患者さんに携わることが許されず、出過ぎた真似をしちゃならんと自分で思い込んでしまい…。
買ったプレゼントを渡すことすらできなかった。
メッセージは破り捨ててしまった。



私の部屋に、写真にあるプリザーブドフラワーは飾られてある。



思い返すと、後悔ばっかり。



もっと、もっと、倉木さんのお手伝いをしたかった。
もっと、もっと、倉木さんとお話をしたかった。





このままでは心が軋む。
このままではいられない…。


時間を作って、何とか、ご家族に連絡をとるつもりです。

倉木さんに会いに行かなくちゃ…。



そんな気持ちでいっぱいです。






ありえないことかもしれないけど、あると思う

2011-11-23 21:49:49 | 患者さん

 松岡さん(仮称)のお父さんは、先日、亡くなられました。

 娘さんは、周りの親族は認めつつも、びっくりするくらい、お父ちゃんっ子でした。

 娘さんとは入院中、何度もお話をしました。今後の方針、治療や他愛もない話などなど…。
 会話を重ね、お会いするうちに、私は娘さんを幸子さん(仮称)と呼ばせていただくこともできました。


 
 幸子さんは、私がちょくちょく訪れる、お店の店員さん。
 最初に出会った時から、あのお店の店員さん!とわかりました(それくらい、お店に行っているということですなー)。
 
 日勤を終えて、久しぶりに立ち寄ったところ。
 幸子さんが走ってきました。



 実は、幸子さんは、心底、お父さんである松岡さんのことを大切に思っておられました。
 おそらく、前世は夫婦だったのではないか?と思えるほど。

 だから、幸子さんがどれほど悲嘆にくれているかは想像がつくことだったので、どう過ごしているかな、というのは気がかりでした。


 
 幸子さん。
 私を見つけるなり、走ってこられ、「お世話になりました、ありがとうございました」とおっしゃってくれました。
 商品が陳列されている、普通のお店の場面。ちょっと、照れ臭かったですが、私も幸子さんがいるかも?と思っていたので、そのまま、お話を聴き続けました。




 その、お話。



 とても、よくわかる。
 とても、不思議。
 でも、不思議なことが理解できるくらい、起こってもおかしくないこと。

 そんなことを、幸子さんは話してくれました。



*************************************************************

 お父ちゃんが死んでから、うちの犬が、急に歩けなくなってなー。
 くりっとした目、してるんよ。でも、どよよんとした目になって。歩くのもやっとくらいになって。
 もう、10年生きてるから、このまま、老衰で死ぬかもって、娘とも話しとったんよ。
 くーちゃん(仮称)、私の腕の横に来て、くんくん、鳴くんよ。
 そんなこと、今までになかったのに。
 あの、とろーんとした目でね。

 で、うち、気が付いたんよ。
 あ、お父ちゃんやって。お父ちゃん、死ぬ前はあんな目、しとった。くーちゃんとおんなじ目、しとった。
 何で、気が付けへんかったんやろ。
 絶対、くーに、お父ちゃんがおるんやって、思った。
 くーに向かってゆうたんよ、お父ちゃん、お父ちゃんがおるんやろ、って。
 
 お父ちゃんが来てくれるのは嬉しいけど、私、ゆうたんよ、くーは、もっと歩きたいやろし、お父ちゃん、わかったから、くーを歩かせったってよ、って。
 お父ちゃんが死んだあと、もう、戻ってきたらあかん、ってゆうててん。
 私は私でやっていくから、って思とったから。

 あれは、絶対にお父ちゃんや。
 そのあと、クーが歩き出して、くーがパチッと目、開けてなー。


*************************************************************


 このお話を聴いたとき、私は疑うことは全くありませんでした。
 たぶん、たぶん、たぶん。
 愛犬ちゃんに、松岡さんがいたのだと思います。きっと、そうです。
 幸子さんのことが心配なのか、幸子さんの本当に最後のあいさつをしたかったのか、それはわかりませんが、松岡さんが幸子さんのそばにいたかったのだと思いました。



 話を聴いているお店で。

 私は、「へ~~~~~~~っ」っと、大きな声で関心しておりました。




 うん。
 やっぱり、くーちゃんが、しゅーんとしていたのは、松岡さんがくーちゃんの身を借りて、いたのだと、思う。
 それくらい、松岡さんも、幸子さんへの思いを、ちゃんと伝えたかったのだと思う。
 

 そう思う。
 そうだと、思う。



 松岡さんと幸子さんの結びつきを、日々のケアで感じてきたから。
 
 そう、思う。
 

運動会

2011-10-02 01:03:56 | 患者さん

 運動会に行ってきました。

 自分の家族の運動会ではなく…。患者さんの。

 

 これがラストチャンス。
 そんな体調の大沼さん(仮称)は、ご夫婦ともに、子どもさんの運動会に行けたらいいなーと思っていたそうです。
 けれど、このところの体調は、ご家族だけで運動会に行く予定を立てるにはあまりにも困難すぎるものとなっていました。



 そら、いかなあかんやろ。



 これは、スタッフみんなが思ったことです。

 
 以前にも患者さんのおでかけに同行した経験がいくつかあるポンとしましては、この計画を成功させるためには、「実際に現地を下見する」ことが秘訣と思ったので、スタッフに提案しました。
 あっさりと、勤務の途中でしたが、下見に行ってもよいと言ってもらえましたので、運動会の会場である学校に白衣のまま直行しました。


 担任の先生だけでなく、校長先生、教頭先生も、当日のことを、ポンと一緒にいろいろシュミレーションしてくださり、イメージはばっちりとできあがりました。




 そして、今日を迎えました。


 雨も上がった。
 かんかんに暑い日というわけではなく。涼しすぎるかな?とは思ったけど、大沼さんの体調には優しいお天気になりました。




 
 運動会をみていた大沼さんは、涙を流されていました。
 子どもさんが参加していたプログラムだけでなく、いろんなプログラムを見ながら、涙を流されていました。
 お渡しした「涙拭き」では間に合わないくらい、膝にかけていた上着に涙がたくさんこぼれていました。


 その思いというのは、おそらく、語りきれないものがあったと思います。
 
 後ろに座り、大沼さんの横顔を眺めていると、思わずもらい泣きしてしまいました。
 
 
 幸い、大沼さんは、運動会に参加している間、つらい症状に悩まされずに済みました。
 (何かあったらすぐに対応しよう!ってなわけで、医師も同伴していましたし、それなりの薬剤に物品も揃えてました)


 

 大沼さんは、ご自分のお気持ちをあれこれと語る方ではありません。
 でも、傍から見ていると、思いがあふれていることはよくわかります。


 これからも、大沼さんの思いを「聞き出そう」とは思いませんが、今日の目標達成に尽きることなく、そばにいさせていただきたいと思っています。




 今日の運動会は、自分の経験した運動会とは、言い過ぎかもしれないけど、「全く違った」運動会になりました。

 







大切な時間

2011-09-28 22:53:09 | 患者さん
 
 香月さん(仮称)の命の輝きは、今、消えようとしているのか…。
 いえ。
 今もしっかりと輝いています。


 香月さんのお母さんは、もう、ずいぶんと長い間、自分よりも先立ってしまう息子さんのことを思い、心を痛めてこられました。

 その香月さんは、先日、ご自分の意思で鎮静することを選ばれました。

 
 親よりも子どもが先立つことの、親の心の痛み。
 想像はできても、おそらく、その想像はとてもとても、ご両親の思いには及ばないくらいの…、そんな痛みをご両親は感じておられるのだと思っています。


 今日は、日勤が忙しくて、日中に香月さんのお部屋にうかがうことができなかったので、勤務が終わった後、お部屋にうかがいました。



 先客は、うちの主任。
 
 香月さんのお母さんがいろいろとお話をしてくださいました。
 主任と一緒に、香月さんの体にそっと触れながら、お話を聴きました。


 香月さんとの思い出話。


 ひとつ、
 ふたつ、
 みっつ、
 よっつ、
 いつつ、
 むっつ、
 ななつ、
 やっつ…。


 あふれるように出てくる思い出話。
 あはは…。
 心の底から、笑いながらお母さんのお話を聴いていました。


 
 香月さんは、フェノバールを使って、眠られています。
 以前と変わらない「おかん節」が炸裂していましたが、香月さんはフェノバールのおかげでしっかりと眠っておられるために、反応はありません。


 お母さんは、香月さんに声をかけます。
 「おい。看護師さんが来てくれてんねや、ありがとうくらい、いいやー。」

 香月さんの息遣いは、ご自分のペースを保たれています。



 香月さんがとてもとてもしんどくて、鎮静を希望されたことはご両親も了解されていたことでした。
 いざ、香月さんとお話ができないとなると、体が楽になったことは安堵できることだけれど、やはり…。
 さみしいと感じる思いは抑えきれないようでした。
 当然のことです。



 お母さんのお話を聴きながら、暗黙の了解?で、主任と私は共同作戦…を展開…?


 ほんの数日前まで、「トイレには自分で行かなきゃ」と思っていた香月さんはずっとリハビリを受けておられました。
 うわごとのように「ストレッチをしてください」とおっしゃってました。

 鎮静をされても、ストレッチは続けていました。


 主任と私は、香月さんの体の左側の腕→左側の足→右側の足→右側の腕の順で、
 主任はストレッチ、私は爪切り(爪がのびていたのでねー)、という感じで、ベッドの足元を、主任と二人で半周しました。




 
 いろいろな話をしながらの、この時間。
 お母さんは思い出話をしながら、このところ、息遣いが弱くなった香月さんの様子が、夜は特にわかりにくいと話されました。
 そうそう。お話ができていた時には、お母さんは香月さんの息遣いに耳を傾けながら、香月さんが眠れているのか、しんどいのか、ってなことを感じ取られていましたっけ…。

 鎮静をして眠っている香月さんの息遣いは、以前に比べるととても弱弱しくなっています。


 そこで。
 お母さんが寝ているソファベッドのそばまで、香月さんが横たわっているベッドをずずずずずzzzzz…と移動させて。
 ベッドの高さを、お母さんが横たわっているソファベッドの高さに合わせて…。


 きっと、お母さんの安心は、香月さんの安心…。
 残り少ない大切な夜を、少しであっても無駄にするわけにはいかんわなぁ。





 

 大切な時間は、大切にしないといけないときに存在感をより、いっそう増します。
 命が終わるときには、大切な時間は、よりいっそう、大切にしないといけないものとなります。
 
 この時間の流れには、医療・看護・患者さんとご家族との時間などなど、日々、ご本人を中心としたいろいろな時間が流れます。
 
 
 私たちも、ご家族と同じようにこの緩和ケア病棟に入院された期間の思い出はたくさんあります。
 香月さんから教えていただいたこともたくさんありました。



 私たちも、香月さんを失うのはつらい。
 香月さんのお母さんが悲しむ姿をもるのはつらい…。



 でも、
 その時々の時間が与えられた意味を、少し立ち止まって考えることができるなら、きっと。
 ご家族は、いつか、過去の日々を思い出しても、激痛だけが残ることだけは避けられるのではないか…。
 いや、そうであってほしい…。


 だから、患者さん・家族さんとの時間は、どの場面をとってみても、大切にしなきゃなんないんですね…。
 与えてもらっている時間と、自然に思えることができればいいですね…。

  

 

 何が言いたいってね。
 
 私は、香月さんとそのご家族と、今の時間を持たせていただいていること自体に、感謝したいんです。
 
 

 
 

 香月さんは、次の日に亡くなられました。

 

お腹がでてますから…

2011-07-16 12:48:59 | 患者さん

 佐々木さん(仮称)の体力が落ちてきました。
 もともと、家に帰りたい、家に帰りたいと話されていたのですが、主にお世話をしてくださっている息子さんが、家族のやむにやまれぬ事情で家に連れて帰ってあげられない状態でした。

 息子さんに迷惑をかけちゃならん…。
 体がしんどくて、不安でたまらない佐々木さん。
 できるだけ看護師がそばにて、お話を聴いたり、マッサージをしたりして時間を作るようにしていました。
 けれど、特に夜になるとその不安な気持ちがどっと押し寄せてきて、言い方は悪いですが、看護師を離さない毎日を過ごされていました。

 ある日、佐々木さんは言いました。
 
 「もう、さみしーてしゃーないんや。家に帰りたいゆうたら、息子に迷惑をかけるからゆうたらあかんと思てたけど、もう、自分からゆうてみます…。」と。

 私たちは、佐々木さんがおうちに帰るのは難しいとわかっていたから、おうちに帰りたいと切に願っている佐々木さんには申し訳ないけれど、できるだけ病院で過ごせるようにと思って、できるだけ佐々木さんのそばで過ごすようにしていました。
 それは、帰りたいといっている佐々木さんの気持ちに応えられないご家族のつらい気持ちを少しでも和らげるためでした。

 勇気を振り絞って、息子さんに打ち明けた佐々木さん。
 
 それでも、その勇気は重々わかっていても、この気持ちに応えることは息子さんにはできませんでした。

 そこで、息子さんは決心されました。

 「僕は、父親の面倒をみるために仕事を辞めました、これからは、僕が毎日、泊まり込みます。」


 それを耳にして、私たちはとても複雑な気持ちでしたが、佐々木さんは何とか、この息子さんの提案に思いとどまったようでした。



 さて。
 そこから、佐々木さんの息子さんの奮闘が始まりました。


 佐々木さんは夜になると睡眠を十分にとりきれない状態だったので、息子さんがそばにいても、看護師がそばにいることを望まれました。


 おそらく、佐々木さんは、ご自分の体の声を聞いておられ、この体力の落ち具合は尋常じゃないと感じておられたために、どうしようもないさみしさや不安を感じておられたのだと思われました。
 気持ちの不安定さは、回復することのない病気から来ているのだから、完全に和ぐといったことは期待できません。

 でも、その日その日を少しでも、その時その時を少しでもいいから、ほっとして、安心して過ごしてもらいたいと思っていましたから、息子さんがそばにいても看護師はそばにいつづけました。


 けれど、息子さんにしてみれば、その状態は心休まるものではありませんでした。
 自分がついているのに、どうして看護師さんを呼ぶのか、以前はとても温厚で、辛抱強い父親がどうしてこんなに甘えたれに変わってしまったのか…。
 そんな思いをもっておられたので、佐々木さんのそばで過ごしていた息子さんは、いらいらいらーーっとされていました。
 そして、看護師に、すみません、すみませんと謝り続け、気を遣いつづけ…。

 そんな日々が続きました。


 いよいよ、佐々木さんの体力が落ちてきたある日。
 佐々木さんはせん妄になってしまいました。
 つじつまの合わないことを話されたり、同じ行動を何回も何回も、必要以上にとるようになりました。
 
 原因の一つが貧血とわかっていましたので、輸血をすることにしました。
 普通、緩和ケア病棟では何がなんでも輸血という方法は取らないのですが、この場合の輸血は、体力を回復するというよりも、せん妄で「わけのわからない」ことを話している佐々木さんと一緒に過ごす息子さんの気持ちを考慮したことと、
 残りの時間をできるだけ、佐々木さんらしく過ごしてもらいたいということからでした。

 けれど、輸血はせん妄を解決することはできず、体力低下の進行は駆け足のごとく、せん妄はさらに悪化しました。
 トイレに行った後、すぐにまたトイレに行くという佐々木さん。
 そのうち、トイレに行かせろーーーといって、看護師に殴ってかかってきました。

 連日の付き添いの疲労と、父親の変わり果てた姿をみて、息子さんはショックを受けておられました。


 息子さんの付き添いによる疲労をなんとかしたいと思い、私たちは何度も何度も話し合って、あれこれとお手伝いをしてきました。
 息子さんとは他愛もない会話から、父親に対する思いなどなど、たくさんたくさんお話をしました。
 
 みんなで、一晩でもいいから、家に帰ってゆっくり休んできては…、とお伝えしました。
 息子さんはにこにこしながら言います、「昔は営業をしてましたから、2~3時間の睡眠なんて、慣れてますから、大丈夫です!」と。

 声をかけたのは、私もなのですが…。
 私は、息子さんの奥さんにも声をかけました。
 ちょっと…、いえ、かなり率直に…いいました。

 「あの…、息子さんのお体が心配です。あまり休めない日が続いてますから…。昔はお仕事で忙しくされてて、慣れてるとおっしゃってますが…。あのー。それは、お若い時の話で、今はその時よりも年を取られてるし、かつてのようにいかんところもあるんやないでしょうか…。ごめんなさい、ぶっちゃけ、ゆうて…。」
 奥さんは、ふむふむとうなずいて下さり、「伝えときます」と笑顔で答えてくれました。


 残念ながら、佐々木さんは亡くなられました。
 付き添い続けられた息子さんはきっぱりとおっしゃってました。
 「もう、僕には悔いはありません。」と。


 本当によくがんばられたと思います。




 ここからが余談。いや、本題かも。



 息子さんの奥さんに、「旦那さんはもう、若くはないのだから」のようなことをお伝えしてしまったポン。
 
 ある日、夜の病棟の廊下を歩かれていた息子さんとお話をしていました。
 息子さんはにこにこしながら、私にいいます。

 「嫁から聴きました。僕のことを心配してくれて、すんません。嫁がゆうてました、ポンさん、ゆうてたで!ビールばっかり飲んで、運動もせんと、ぶくぶく太って腹も出て。そんなんやから体力もたんって、ゆうてたで、って。」


 


 なーんですとーーーーっ!!!???


 佐々木さんの息子さん、体格ががっしりしてますが、確かに、臨月のお腹に近いくらい、お腹が出っ張ってます。

 「いやいやいやいやいや・・・・・・・・・・・・っ、(手を超高速でぶんぶん振りながら)そんなん、ゆうてませんって!!!

 ・・・奥さんたら・・・。なんて懐の深い?人っ。

 それ以来、息子さんはポンは息子さんの腹が出ているから…といった人、ということになり、ことあるごとに、
 「座ってばっかりやから、腹がでてきますわ。」
 などなど、息子さんは「腹ネタ」を繰り広げ…。

 

 そんな冗談?を言いながら、息子さんといろんな話をさせていただくのって、息子さんのちょっとした気分転換になっていいかも??と思っていました。




 
 佐々木さんが亡くなられた後に病棟に来てくださった息子さんの表情は、少し疲れの色は見えましたが、とてもにこやかでした。

 お見送りをしているときにいただいた言葉は…。


 「これ以上、腹がでんように、気を付けますっ」


 佐々木さん。佐々木さんのご家族さん。
 本当にご苦労さんでした。
 

その時

2011-06-04 19:50:15 | 患者さん

 急速に病状は悪化していました。

 田代さん(仮称)、88歳、肺がんの男性。


 
 夜。
 夕食の時間帯が終わった後、私は、自分の仕事をこなしていました。
 
 自分の仕事。

 それは、病院全体のテレビの地デジ化に伴い、テレビの工事を患者さん全員に説明しなくてはならず、病棟の患者さんのお部屋を訪ねていた時でした。

 田代さんの病状は、このところ、思わしくありません。
 急速に腎機能障害が進行しており、びっくりするほどのK(カリウム)の値になっており、とりあえず、田代さんの体に負担がない程度に治療を行って、そのことについて医師から説明があった後のことでした。


 ポンは思いました。

 もし。ひょっとして、体調が落ち着いていて、お話ができる状態なら、テレビの交換のお話ができるかな…。


 
 地デジ化に伴うテレビの交換は、ずっと、ずっと、以前から予定されていたことでした。
 でも、工事の日程や患者さんやご家族への説明方法に疑問があったので、それを担当部署に聞いてから患者さん・ご家族に説明に行こうと思っていたのですが、自分の業務の忙しさを口実に、担当部署に詳細を確認することをすっかり忘れていました。
 そして、あわてて確認したこの週末。

 テレビの入れ替えはすぐそこ。
 病室を周って、説明しなきゃ。そんな気持ちが自分を支配していました。



 田代さんは、病状が進んでいるとはいえども、自分で自分の意思を伝えられる状態。
 もしかして、テレビの交換のことを伝えられるかもしれない。
 そう思って、お部屋を訪れました。

 

 もちろん、田代さんに最初に声をかけるのは、『自分の伝えたいこと』ではなく…。
 

 ポン:胸の痛みは治まりましたか?
 最初は、そう声をかけました。

 田代さんは、「大分、治まってきた。」と答えてくれました。
 が。


 田代さんは、私がそばで話をしていると、こう、いいました。

 

 『最近、眠たーて、しゃーない。このまま、楽なったら、死んでるんとちゃうかな。もう、ポンさんの顔をなごー(=長く)みれんと思う。ポンさんに、出会えて、ありがとう。ポンさんに出会えて、ありがとう。』



 その日のカンファレンスで、私は「このところ、田代さんは自分のことを、とんと話さなくなった。」と発言したばかりでした。
 
 
 
 自分が持っていた書類を手放し、田代さんの手を握りながら、泣きました。
 「田代さんに出会わせてもらって、それをありがとう、ゆうのは、私の方です…。」



 あほ。
 あほ。
 ばか!

 一瞬、こんな気持ちが心を貫きました。
 自分の用事を優先しようとして、患者さんのところを訪れたら、患者さんの言葉。


 やらなきゃならないことをこなさなきゃ…。
 できないと、またできてないと自分の至らなさを批判される…。
 (最近、病棟では自分ができていないことを責められるというような気持ちになってしまうことが多々ありました)
 そんな焦りの気持ちで田代さんのところを訪れたのですが、田代さんの体と気持ちは、ポンが思う以上のところにあった…。



 お部屋から帰ってきて、何とも情けない気持ちでいっぱいになりました。

 「今、田代さんにとって、地デジ化なんて、どーでもいいことやん、おまえは、どうして、そんなにやらないといけないことを遂行しようとしてるんだ。」


 
 ナースステーションに帰ってきてから、自分が情けなくて、情けなくて、涙が止まりませんでした。
 
 私は、本当に、田代さんの気持ちを受け止められたのだろうか。

 

 私は、自分の至らなさもたくさんあることを自覚しています。
 でも、なんとか、患者さんにできることはないかと日々、考えている者です。
 それは、周りのスタッフ、そして患者さんやご家族が、100%認めてくれていることかどうかはわかりません。
 

 
 自分が自分の用事で部屋を訪れ、事を済まそうとしていたタイミングの悪さにがっかりしつつも、このタイミングで私の言葉を投げかけてくれた田代さんの手を握りながら、私はいいました。



 『田代さん、まだ、終わってないよ。私は。また田代さんに会いに来る。田代さんが少しでも楽になるように、考えてみるから。」



 緩和ケアやコミュニケーション技法というところで、私の答え方はどうだったのでしょう。

 でも、私は、そう言った。
 私は、そう伝えたかった。
 私は、そう伝えられると思った。


 感覚的なものでしかないことかもしれません。
 これまでのやりとりがあるからこその会話のになったのだと思っています。


 

 それにしても、お部屋を訪れたきっかけが、地デジ化に伴うテレビの入れ替え、自分の用事、病院の用事、というのが「どうやねん」と思わずにはいられません。
 

 田代さんのお部屋のテレビの入れ替えは、予定された日でなくてもいい、予定された日じゃないほうがいい。



 それを病院の当該部署に伝えるつもりです。




 今、この時間。
 今しかない時間。
 それを大切にするために。



お誕生日には間に合わなかったけど・・・

2011-03-05 04:39:06 | 患者さん

 「あと、3日、待ってほしい…、いててほしい…。」

 一般病棟でお手伝いをさせてもらっていた、藪下さん(仮称)の病状はどんどん進行して、うとうとする時間がとても長くなっていました。「しんどい、しんどい・・・」、そういい続けていた時間から幾分、解放されるようにはなってきたものの、あと、何日生きていてもらえるのだろう、そんな時期になっていました。

 奥さんに病状をお伝えするとともに、いろいろとお話をしました。
 
 「あと、3日したら、誕生日なんやけど…。いててくれたらええけど、私はあかんかもと思います。もう、覚悟できてます…。」という奥さん。
 私はそれを聞きつつも、「私はいててもらいたいから、お祈りするわ…。」とお伝えして…。

 その日の日勤の夜、早速、病棟にあった色紙でバースデーカードを描きました。
 
 バースデーカードを作ったのは、誕生日にいててもらいたい…、そんな願いを込めて。21時に仕上がったカードをもって、一般病棟に駆け上がっていって、スタッフにメッセージを書いてほしいとお願いしました。



 その翌日。
 藪下さんは旅立ちました。


 なんだか一回りくらい小さく見える奥さん。
 号泣する娘さん。
 ありがとう…と涙を流しながらお礼をいっているお孫さん。

 みんなに囲まれて、藪下さんは逝きました。


 看取りにはなんとか私は間に合ったものの、お見送りの時には、どうにもこうにも業務が忙しくて、立ち会うことができませんでした。
 しかも、バースデーカードも渡せてないまま…。


 短い間だったのですが、藪下さん自身の生き方に、ご家族も、私たちも支えられていたような気がしています。

 ちゃんとお礼も言いたかったし、お祝いもしたかったし・・・、なので、悔やまれました。


 
 「間に合わんかってん。カードも渡せんかったし、見送りにも間に合わんし…。」
 そう緩和ケア医に呟いていたところ…。
 
 「そりゃー、そこまで心を込めてカードを作ったんやったら、どうにか届けんとー。」と言ってもらい…。


 バースデーカードを、誕生日である今日、燃やして思いを届けることにしました。


 さてはて。


 日が落ちて、真っ暗になった時間帯に、バケツに水を汲んで、周りに木がなくて、燃やしても安全な場所に行こうと準備してましたが…。
 ひとりで火を扱っていたら、怪しまれると思って、緩和ケアのせんせに一緒にいってもらいたいとお願いしました。
 けれど、男女の二人で火を扱っていても怪しいぞなーとのことで、その場に残っていた緩和ケア病棟のスタッフがついてきてくれることになりました。

 緩和ケアのせんせも、スタッフも、藪下さんとは面識がないのですが、快く付き添ってくれたこと、とっても嬉しかった…。


 3人で、寒さに震えながら安全な場所(駐車場でした…)に歩いていき、バースデーカードを祈りと感謝を込めて、燃やしました。
 
 寒さの中、炎のそばにいると、足元がとても暖かかったのが印象的でした。
 
 事を終えて、帰ろうとしたところ、遠くから副院長が駐車場に向かっきてました。


 「おつかれさまー。」と声をかけてくれたのですが、面子を見た副院長は、


 「なにかの、儀式ですか?」


 といい…。


 3人とも、「いえいえ」なんていいつつ、「緩和ケアのスタッフは怪しい」と思われたのではあるまいか…、と苦笑いしてました。
 「実際には、儀式やってんけどなー。」と、ぼそっと呟きつつ…。
 
 さっさと退散、退散。
 

 こんな笑い話も藪下さんとの思い出に加わり…。


 今は、お手伝いをさせていただいた藪下さんへの感謝の気持ちでいっぱいです。


 

雪!!

2011-02-11 23:42:07 | 患者さん

 今日は、全国的に、雪!!
 


 今日は、私は本来ならお休みですが、一般病棟に気になる患者さんがいたので、出勤してました。

 ひと仕事を終えて、せっかくだから、ということで、雪だるまを作成?することにしました。

 ある患者さんの娘ちゃんも、雪だるま作成に参戦!
 

 患者さんに雪だるまをみてもらうために、2体?ほどを作りました。
 あるご家族は写メを撮って喜んでくれてました。

 

 で。
 その娘ちゃん。
 娘ちゃんのお父さんは入院中。
 とても、心身ともに、調子が優れない。

 そんなこともあって、娘ちゃんに、お父さんのために雪だるまを作ろうと提案しようと思ったのですが、もう、既に胴体を作っていました。
 よし、これは、仕上げるしかないなーと思い、娘ちゃんと一緒に作りました。

 
 雪だるまを作りながら、お父さんの調子が悪くて、お父さんとの会話もままならない、この娘ちゃんの気持ちはどんな感じだろう?とずっと気になっていました。
 
 雪だるまを作っていると、娘ちゃんは学校のことや家のことなど、息が切れるんじゃないの?と思うくらい、たくさん「こんなことがあった」とお話をしてくれました。
 私も、「そうかー」「すごいねー」「それで、それで?」と、いっぱい、お話を聴きました。


 お父さんは大変だけど、子どもは子どもなりに、普段の生活をちゃんとできているのを確認できて、とても安心しました。



 雪だるまは完成しました。

 私の思いつきで、雪だるまは「豚ちゃん風」。

 娘ちゃんが楽しそうに作ってくれた豚ちゃん雪だるま。



 「お父さんがみてくれたらいいねー」と願いながら作った雪だるま。



 お母さんの話によると、お父さんは雪だるまを見てくれたそうです。

 実は、雪だるまを見れた、ということだけでも、そのお父さんにしてはすごいことなのでした。

 

 休日出勤でぼやいていたのですが、雪の日がくれたいろんな人へのプレゼントだと思いました。
 何よりも…。私がめっちゃ、雪だるま作成を楽しんでおりましたが~~。
 


自分が癒されていた

2010-11-07 21:37:54 | 患者さん

 戸田さん(仮称)との緩和ケア病棟でのお付き合いは、ほんの数日でした。
 
 戸田さんは自ら、緩和ケア病棟に行きたい、緩和ケア病棟を一度、見てみたいと希望され、一般病棟の師長とともに車椅子で見学に来てくれました。

 戸田さんが緩和ケア病棟に行きたいと希望されていた一番の理由は、「ゆっくりしたい」でした。
 戸田さんはコーヒーとたばこが大好きな方で、一般病棟では思うように、その「お楽しみ」を味わえないと感じ、ゆっくりしたいと希望されたのでした。


 見学に来られたとき、私はたまたま戸田さんの見学にお付き合いさせていただきました。
 
 緩和ケア病棟には病棟内に喫煙室があります。
 そこで、戸田さんにタバコを吸っていただきました。


 毎日、体はだるく、やせ細って、顔色も悪い戸田さんでしたが、ゆっくりと、ゆっくりと、大好きなタバコを味わっておられました。

 そこで、私としてましては、せっかく見学に来ていただいたので、コーヒーを召し上がって帰っていただくことにしました。

 戸田さんにはコーヒーのこだわりがあって、インスタントコーヒーや缶コーヒーよりも、ドリップして入れたコーヒーを好まれるとのこと…。
 一瞬、簡単に入れられるインスタントコーヒーにしようかしら?なんて気持ちが掠めましたが、ドリップでコーヒーを入れることにしました。

 といっても、私はコーヒーを飲みませんから、どうやってドリップしてコーヒーを入れたらいいのかわからず…。
 あいにく、その日はコーヒーを飲まないスタッフばかりで、ようやく入れ方を教えてもらったのは心理士さんでした。


 さて。
 出来上がったコーヒーをお出ししてっと…。


 戸田さん…。
 熱いコーヒーを一気に飲まれました。
 猫舌な私は、「熱くないですか?火傷しませんか?」と声をかけましたが、戸田さんはほぼ、一気飲みに近い早さでコーヒーを飲まれました。


 飲み干した戸田さんは、本当に幸せそうな顔で、「美味しかった…。」と微笑まれました。
 
 その笑顔をみれて、私もとてもとても幸せでした。
 この場面にいさせていただいて思いました、ああ、見学に来てもらえてよかった…、と。言葉で表すととても平坦になりますが、なんともいえない一瞬でした。


 そのとき、ふと思いました。
 大好きなドリップのコーヒーを飲めたことで、戸田さんは喜んでいました。
 私もなんともいえない喜びを感じました。
 その瞬間、その場に居合わせることができたことで、戸田さんの幸せそうな顔をみれたことで、私自身が癒されているのだな、と。


 たった一杯のコーヒーですが、そのコーヒーを飲んでいただく文脈を整えることは、看護師にとっての大きな役割です。
 看護師は、日常生活の支援のエキスパートと呼ばれています。
 
 コーヒーを飲むということは、なんでもない日常の一場面ではあるのですが、その日常をいかに大切にするか、という視点は、終末期の患者さんのケアにあたるときこそ、より一層心に刻んでおかないといけないと感じました。



 緩和ケア病棟に移ってきた戸田さんは、病状の変化のために、緩和ケア病棟では思う存分、コーヒーを飲むことができませんでした。

 けれど、ご家族は、病棟に見学に来た時に、コーヒーが飲めたと嬉しそうにされていた戸田さんをみていらしたので、最後まで、それを喜んでおられました。

 ほんの少しのお付き合いでしたが、戸田さんには大きなものをいただきました。

いやなものはいや

2010-02-23 03:17:50 | 患者さん

 阪下さん(仮称)は、咽頭がんの患者さん。気管切開をされていて、頚椎に転移がみられています。手足の麻痺もあります。お腹には「胃ろう」というものがあって、栄養はそこから注入しています。そして、コミュニケーションはできることはできるのですが、終日、うとうとされていることが多くて、複雑な内容の話をするのは無理かな?と思われるところがありました。

 その阪下さんとの会話は、看護師が尋ねたことを、頷きやら、首を横に振ってもらうやらでやることが常でした。

 スタッフの多くが、阪下さんの意識はぼんやりしているので、こちらのいうことがどこまで理解してもらえているのかな?と疑問を持っていたと思います。
 私もそのうちの1人なのですが、それでも、阪下さんは時々、おや?っと思うような言葉を発することがあります。

 ある日、坂下さんが胸痛をおっしゃりました。急いで、心電図をとったのですが異常が見られませんでした。心電図は異常なかったよーと阪下さんに伝えにいったところ、もう、すっかりと胸痛はおさまっているようでした。
 そこで、私は阪下さんに聞きました。
 「阪下さん、胸は痛くないの?大丈夫?」
 
 そしたら、阪下さんのお返事ときたら…。

 「ポンさんへの、恋煩いかな…。」

 
 これには、阪下さんの奥さんと大笑いしました。
 

 その阪下さん。とても痰が多くて、少なくとも、勤務帯のうちに2~3回は首のところにある気管切開したところから管で吸引して痰をとらなくてはなりません。口の中にもたくさん痰がたまっているので、どうしても両方から痰を吸引しなくてはならない状況が続いています。
 
 阪下さんはうとうとしているし、口の中はがびがびに乾燥しているし、こりゃ、どうしたものかなと思って、前の病院からの処方を見直していると、理由がわかりませんが…、アミトリプチリンが使われていました。
 おお、こりゃ、日中もうとうとするわけやわい、んでもって、抗コリン作用で口も渇くわけやわいなーと思って、医師にアミトリプチリンを中止してもらいました

 そして、口の中の感想の対策として、医師が麦門冬湯(うー、あっているかな?漢字)を処方してくれて…。

 日中のうとうとも、口の中の感想もいい感じに良くなってきたぁ。
 よっしゃーっ。
 
 奥さんは、以前よりも阪下さんと会話できることをとても喜んでくれました


 ところが、このところ、阪下さんが、口の痰を吸引することやら、胃ろうからの注入すら拒否されるようになりました。
 みんなで阪下さんをなだめながら、処置をさせてもらってました。


 ほんとは、ポンとしましては、ずっと気になっていました。
 阪下さん、いつか、ストレスがたまって、血を吐くことにならへんかな?と思っていました。
 いわゆる、ストレスによる潰瘍ができるかも、ってことです。勿論、プロトンポンプインヒビターを使用して、薬剤による潰瘍の予防は施しております。


 阪下さんの状況を考えてみますと、私たちの想像を絶するくらいのストレスがあると思うんですね。
 気管切開のところや口から吸引される…。これは、無気肺や感染などを予防するためには必要だとしても、阪下さんにとってはとても苦痛なことです。気管切開のところから吸引するときには、阪下さんのお顔は真っ赤っかになります。必死に吸引に耐えてくれています。
 体のために必要な処置なのですが、吸引するということは、阪下さんの意に反するところがたくさんあるのではないか…。


 それで、阪下さんは処置を拒否されているのではないか…。


 ある日の朝、阪下さんに話しかけたところ、いつもに増して、お返事が「文章になって」返ってきました。
 お、これは会話できるチャンスかも?と思って、尋ねてみました。


 「阪下さん、このところ、自分の思いに反して吸引されることが多いと思うけど、ストレスがたまってるんとちゃいますか?どないですか?」

 
 そうしたら、阪下さんは、単語ではなく、私もびっくりするくらいの文章で自分の気持ちを語ってくれました。

 「朝、5時から痰をとられるのはかなわん(=耐えらない)。」
 「喉の奥に管をこつこつと当てられながら吸引されるのはかなわん。」

 阪下さんの口元に自分の耳を近づけて、必死に話を聴きました。阪下さんの発する言葉は明瞭に聴き取りにくいので、聞き返すことも何回かありましたが、阪下さんは必死に話してくれていたと思います。

 話を聴いていて、実は、私、涙がでそうになりました


 そうか、そうか。やっぱり、それほどのつらさを感じていたのか…。そりゃ、そうだわな。しんどい「吸引」を毎日耐えていたんだね…。
 吸引されることがどれほどつらいことか。
 手足の麻痺があるから、手で管を振り払うこともできない、気管切開されているから、やめてくれーと声を出すこともできない…。
 
 話を聴きながら、心で何度も、ごめんね、ごめんね…と叫び続けていました



 しかし。体の調子を整えることも大切で、阪下さんの要望のすべてに応えることがベストではないことは確かです。

 そこで、阪下さんの話をしっかりと聴いたあと、折衷案を阪下さんに提案させていただきました。
 すぐさま、スタッフと介入の方法を話し合い、実行いたしました


 そして…。

 その後、私が阪下さんのお部屋に訪れたとき、私がそのことに触れなくても、阪下さんはお答えくださいました。



 「だいたい……、うまくいってる………、治療(=処置のこと)。


 
 医療者が患者さんの体の安楽のために行うことは、患者さんの気持ちまで楽にするとは限りません。
 患者さんの体の安楽も大切、気持ちの安定も大切。そんな葛藤は、医療の場面では日常茶飯事に出会うことです。
 医療者が思う、「患者さんにとってのよかれと思うこと」が医療者の「医療者よがり」にならないようにするためには、話し合って、患者さんやご家族の意向を聞きだして、如何にして折衷案を模索するかしかないと思います。


 患者さんがつらい処置に耐えられるのは、患者さんがその処置がいかに必要かを理解して、その処置を患者さんが「医療者に任せられる」と安心でき、常に患者さんの意向を確認しながら、処置の方法を患者さんの意向に合わせて、微調整できるからだと思います。

 


 つらい処置に耐えられるのは、自分の「意思」が反映されているからです。




 忙しい業務の中では、「痰の吸引」は業務の1つとしてしかみなせない環境が存在することは確かです

 
 でも、私の立場としましては、忙しい業務の隙間を埋めるようなことが求められ、それを実行できるように患者さんやご家族だけでなく、スタッフにも働きかけることが求められていると思っております。

 今回のことは、そんな、隙間を埋める役割を果たせたかな、と思っています。


 
 ああ。随分と長く書き連ねてしまった…。

 これからも、阪下さんとのお付き合いは続きます…。